執事
「この旅館は……………………」
咲夜は、隅々まで調べるように練り歩く。
麻枝家と、どちらの方が広かったりするのだろうか。当然、こちらは旅館なのだから、さざなみの方が広くて当然だ。しかし、咲夜的には、そんなに変わらないように見える。
「まぁ、広すぎるだけなのですが……」
咲夜が仕えている麻枝家。咲夜が最初に抱いた、大きすぎる家、という印象は変わっていない。仕えて十年以上にもなるのに。
「懐かしく……なってきますね」
昔の自分を回顧する。
広すぎて、最初はよく迷ったりもした。その頃は、まだ佳奈の父と母が今ほど家に居ないということもなく、何度も何度も探してもらったりもした。
「お嬢様にも……」
年が離れているから同じ学び舎で勉強するということもなかった。佳奈に勉強を教える機会もあまりなかった。佳奈は出来てしまうから。自分で。年上である咲夜の力を借りずとも。
佳奈が高校生になると、家では二人きりになることが多くなった。そうなってからは、二年ほど前からは、佳奈も少しは咲夜を頼ってくれるよつになった。寂しさからなのか、そこは分からない。
「執事、ですからね。私は」
麻枝家の執事。家に仕える。当主に仕える。父母が家から離れることが多くなれば、当然、対象は佳奈へと移行する。咲夜自身、より、佳奈のことを見れるようにもなった。
執事としての本来の職務に加え、ヴァレットとしても世話をする。今回のようなものに参加しているのは、公私、両方の面があったりもする。
どちらを優先させるべきか。多分それは、前者、公、のほうなのだろう。今だって、こうやって歩いているのは、公の仕事。麻枝家とこのさざなみを経営している浅間家。少なくとも、関係がある両家だ。それなりのことはしなければならない。
……まぁ……。
それを咲夜がやる必要はない。佳奈がやっているかも、やろうとしているかもしれないからだ。執事である咲夜が出しゃばる必要はない。
……ただ……。
咲夜は思う。今は青春部のメンバーでここにきている。その間くらいは、こういうことを考えず過ごしたいものではないのかと。
だから、こうして咲夜が動いている。
「楽しんでくださいよ」
それは、佳奈に向けられる言葉だ。他の人にも向けられる言葉だ。咲夜自身、楽しむために、この合宿に参加している。
でも、見失ってはいけない。自分の立場というものを。
咲夜は、このメンバー唯一の執事であり大人だ。それを忘れてはいけない。
咲夜の歩みは止まらない。三階、二階、そして、一階、ロビーに戻ってくる。
すごい開放感がある。さざなみの入り口の扉が開くたびに潮風が流れ込んでくるし、透明なガラス張りになっており、こちらから外を確認することができる。外から中を確認することは出来ないが。
「さてと……………………」
……お仕事……。
私的ではなく、公的の。少なからず関係があるわけで、こういった形で旅館を使用させてもらっているわけだから、少しばかりお話をば。
……どこにあるのでしょうか……。
従業員などが使うような場所がどこかにあるだろう。三階、二階にはなかった。残りは一階。フロントで尋ねれば分かるだろうか。
……しかし……。
どういう切り出しで、話を進めればいいのだろうか。咲夜自身、自発的に、何か、公的な仕事をしたことがない。執事の身分、仕える身分。佳奈について回ったり。そういったことをしてきた。
少々、不安だったりもする。
「まぁ、気にしてはいけないですね」
為せば成る。そういうことだ。行き当たりばったり、といえば少し聞こえが悪いが、為せば成る、こういえば問題ない。
「ふふふ……」
色々と、皆の思考が自分に混ざってきている。この数ヶ月、佳奈を通して、多岐に渡り、色んな人と出会ってきた。
……濃い時間……。
佳奈の執事として、麻枝家の執事としている自分だけではない、新しい自分を見つけられたような、そんな数ヶ月。
この関係はいつまで続くのだろうか。否、いつまで、続けられるのだろうか。
関係を壊すのは簡単だ。しかし、継続させるのは難しい。大人であるからこそ、成人しているからこそ、そのあたりのことが分からないということでもない。
そこには自分の頑張りが必要だ。積極性が求められる。それは、少々、咲夜からかけ離れている気がしないでもないが。
「これも……仕事、ですからね」
割り切って考える。公と私。これが終われば、私の時間がやってくる。皆と少しは混じり合うことが出来るだろうか。こちらから退くことなく、自分の立場を忘れ、少しは自分らしく振舞うことが出来るだろうか。
……まぁ……。
その、自分らしさ、というものを見失っていることもないとも言えないが、なんとなく、そこは考えないようにしておく。
……今は……。
自分のためになることを考えよう。咲夜はそう思う。
この合宿は、この、さざなみでの合宿は、自分にとって、青春部にとって、大きな出来事になる。咲夜はそう思う。他のメンバーだって、そう思っているだろう。
だって、咲夜がそう思っているのだから。濃密な時間を過ごしている、あの九人だから。自分が介入する余地もないことも分かっているけれど、昔に戻った気分で楽しみたい。咲夜は密かにそう思う。
誰にも言わない、秘密である。内緒。内緒なのだ。




