悠樹の誕生日 #2
護も悠樹も、それなりに食べるほうだ。それに、護と一緒に料理を作るのだから、作りすぎてしまうという可能性もある。
だから、夏野菜を使う。野菜ならヘルシーでもあるし、ガツガツ食べてもそんなに胃がもたれたりすることはない。そういう配慮を、悠樹はした。護ならそうするかもしれないと思ったから。
悠樹と護が野菜売り場へと向かったその時、反対方向の肉売り場に向かう同じ制服を来ている女の子がいた。
「お……………………? 」
その女の子は何かに気づいたらしく、三つ編みに結った天鵞絨色のお下げを揺らしながらその元に走る。
「太一せんぱーいっ!! 」
とりゃー、という掛け声とともに、目の前にいた先輩の背中に飛ぶように抱きつく。
「いってぇぞっ! 叶……………………」
叶はサッとおりる。ちょっとだけ抱きつきたかった。それだけ。
「にゃははー」
太一。川端太一。叶。斎藤叶。同じ生徒会のメンバーであり、役職が書記で同じなのだ。生徒会には、お互いのことを名前もしくは役職名で呼ぶ、というルールがある。佳奈が決めたものではなく、ずっと前からあるもの。
「で、ここにいるってことは買い物なんだよな。カゴ持ってないようだが」
「豚肉を買ってきて、とお母さんに言われたものですから。それだけですし、わざわざカゴを取る必要もないかと思いまして」
「なるほどな」
叶は太一の左側に並ぶ。太一は右利きで右手にカゴを持っているから、右側に立つと距離が変わってくる。
「太一先輩も頼まれたんですか? 」
「いいや。俺、一人暮らしだから」
「ほぇ? そうだったんですか!? 」
「あれ? 教えてなかったっけ? 」
「うーんと…………………………。教えてもらってない気がしますよぅ? 」
「そうかぁ? 」
「そうです」
忘れっぽいところがある叶だけど、生徒会の人達のことに関することは覚えている。仕事は忘れること多いけど。
「まぁ、一人暮らしだからさ、全部自分でしないといけないわけだ」
料理やら掃除やら洗濯やら、と太一は指を折って数える。
「いつからしてるんですか? 一人暮らし」
「高校に入ってからだな」
……すごいなぁ……。
「あたしには考えられませんよぅ。一人暮らしなんか」
「そうか? 」
「だって、やっぱり寂しいじゃないですか。自分一人は」
叶には出来ない。いつかする時が来るのかもしれないけど、今の叶では無理だ。
「し始めた時はそんなこと思ったりもしたが……、もう二年は経ったからな……。まぁ、慣れだよ。慣れ」
「そういうものですかぁ…………」
掃除とか料理とか、出来ないことはないのだけれど。
「で、太一先輩。何を作る予定なんですか? 」
「えっとな、昼は生姜焼きで、夜はカレーだ」
……うわぁ……。
「重くないですかぁ? こんな暑い日に………………」
考えただけでも、胃がもたれるような気分になってくる。叶はあまり食べないほうだから余計にだ。
「そういうもんか? 食べて力つけないといけないぞ」
「分かってますけどぉ……。あたしには無理ですよぅ…………」
「叶は少食だもんな。生徒会室で昼ご飯食べる時は見てるけど」
「あはは…………」
クラスで食べる時もあるが、平日五日のうち、二回か三回、生徒会室に来て食べている。その時には大体メンバーの誰かがいて、一人になることはない。
「と………………っ」
「わ……っっ」
太一がポン、と人差し指で叶の身体を押す。肩を本の少し押されただけなのに、叶はそれで後ろに重心がズレてしまう。
「何するんですか。太一先輩」
「確認」
「確認……………………? 」
「あぁ、そうだ。確認だ」
「何の確認なんですか。もぅ……」
ぺしぺし、と太一の肩の辺りを叩いてみる。身長が大体同じだから、同じ目線から。違和感が少しだけある。
「体重。何キロだ? 」
「え……? それが確認なんですかぁ? もぅ、女の子に体重聞くのはダメですよぅ? 」
「何キロだ? 」
「う………………………………」
真剣な、これまでに見たことがないような視線が、叶を射抜く。
「四十九キロです……………………。軽いのは分かってます」
身長は高い方。あと三センチ伸びれば、百七十センチに達してしまう。それなのに、この体重は軽い。
「朝ご飯は? 何食べた? 」
「アンパンです…………。これくらいの……」
叶は手でその大きさを再現してみる。五センチくらいの小さな小さな、だけど、叶にとっては普通の大きさのアンパン。
「何個? まさか、一個とかじゃないよな? 」
「………………………………一個です………………」
そう言った瞬間、叶の細い腕が掴まれる。太一によって。太一の手は大きいから、簡単に一周してしまう。
「こんなに細い」
……あわわわわわわ……。
すぐ近くに太一がいる。太一に詰め寄られてる。太一にウデを掴まれている。それに、今までに無かったことだが、太一に怒られている。
「た、太一せ……先輩…………。痛いです…………っ」
「あ、悪い……」
……あ……。
パッと離れる。いとも簡単に。
「叶」
「な、何ですか……? 」
「お前、家どこだ? 」
「え…………あ…………、あのでっかいマンションです……」
「え……? そうなのか? 一緒じゃんか」
「そ、そうなんですか…………!? 」
知らなかった。これは嬉しい。純粋に。
「あぁ。そうなんだ。まぁ、それなら頼みやすくなったな」
「何を…………ですか? 」
「昼ご飯。俺が作ってやるから、俺の家こないか? 」
「で、でも…………、お母さんが作ってくれますから……………」
「あ……。そっか……。急に悪かった……。すまん」
「謝らないでください……っ! 太一先輩……! で、でも、頼んでみてもいいですよ…………? 」
無下に断るのは、少しだけ気が引ける。
「ほ、本当か……っ!? 」
「な、なんですか、もぅ。自分から頼んできたくせにぃ…………」
「いや…………。まぁ……そうだよな」
「今すぐ頼んでみますから……、太一先輩はちょっと待っててもらえますか? 」
「お、おぅ」
「これで全部、ですか? 」
「ん」
夏野菜の焼きそば。夏だからぴったし。護が持ってくれてるカゴの中には、パプリカ、セロリ、唐辛子、なす、玉ねぎ、カボチャ。野菜はこれだけ。もちろん、お肉も必要だ。
「お肉は豚肉? 鶏肉? 」
「まぁ、豚肉が普通だとは思うんですけど、夜ご飯に豚の生姜焼きをするんですよね? 被りませんか? 」
「………………忘れてた」
護といることが嬉しくて、護と一緒に料理を作ることを想像して、夜のことをすっかりと忘れていた。
「夜のことも考えると鶏肉のほうがいいですよね? 」
「うん」
「じゃ、そうしましょうか」
「ん」
肉売り場は、野菜売り場の反対にある。真逆の位置だ。この広いスーパー。少しだけ面倒。でも、気にしない。自分だけだとあれだけど、隣には護がいる。
買うものはもう決まっている。だけど、移動をしている間に他の物にも目が移ってしまう。魚とか魚とか。
「先輩? 」
「なに? 」
久しぶりに、先輩と呼ばれたような気がする。最近は、悠樹と呼んでくれる方が多かったから。
「魚、好きなんですか? 」
「何で? 」
「いえ……。じっと見てるような気がして」
「…………ん」
バレていた。お魚さんに目移りしていたことを。
「お肉よりかは魚のほうが好き」
「やっぱり」
切り身で売られていたり、刺身セットで売られていたり、姿見で売ってたり、色々な種類がある。この売り場の裏では、プロの人が魚をさばいているのだとか。
「でも、今日は買わない」
「んじゃ、ささっと鶏肉買って、家に戻りましょうか」
「ん」
護がカゴを持ってるからか。主導権が護にあるような、そんな気がする。
……ん……?
左の方向、陳列棚が並ぶ方向から、何やら聞き慣れた声が聞こえたような気がした。そっちのほうに少しだけ耳を傾けてみる。
……んむむ……。
どこかで聞いたことがある声。だけど、誰の声か思い出せない。そんなに喋らない人の声だからか。
「どうかしましたか? 」
「ううん。何でもない」
別に気にすることではない。位置的に気付かれないだろう。気付かれても困らない。むしろ、その方が。
大変だ。暑い。スーパーから外に出た瞬間。太陽さんの熱気と、蝉の大合唱が迎えてくれる。やめていただきたい。だが、夏だから仕方ない。できることならスーパーの中に戻って涼みたいが、そんなことは出来ない。はやく悠樹の家に戻ろう。そして、涼もう。
「帰りましょうか」
「ん」
少しだけ重い。いや、そんなに重くはない。うん。そういうことにしておいてくれ。
「護。私が持つ」
「大丈夫ですよ」
「でも、私が付き合わせてるから。それに、護の両手、塞がってる」
「まぁ……………………」
さすがに一つにまとめるのが出来なかったので、二つに分かれた。
「持つ」
「わ、分かりました……」
軽い方を渡す。それは、最低限しないといけない。
「ん」
悠樹が微笑む。夏の暑さの倦怠感が飛んでいく。それだけで十分だ。
「あ………………………………」
「高坂……さん…………? 」
……やっぱり……。
マンションに戻ってくると、エレベーターの所に、見知った姿と知らない姿を見かけた。護と、その見知った娘、クラスメイトの隣にいる同じ制服の男子は、少しだけキョトンとした顔になる。
「友達、ですか? 」
「クラスメイト」
そんなに喋ることはない。去年も同じクラスだったが、話す接点が中々見つからない。
「ど、どうしたのかなぁ? 高坂さん」
「私の家、ここ。斎藤さんも? 」
「そ、そうっ! そうなの」
……動揺してる……。
悠樹が、ではない。斎藤叶かなえが、だ。この状況を見られたくなかった。そういうことなのだろうか。クラスメイトに、誰か男の子といるところを見られたくなかったということなのだろうか。
エレベーターが一階に戻ってくる。カードキーは、叶ではなく隣の男の子が通したようだ。
「あたしと太一先輩は三十五階だけど、高坂さん達は、何階なのかな? 」
この問に意味はない。カードキーを通した時点で、このエレベーターが何階に止まるのか決まっているからだ。
「一緒」
「一緒…………っ!? そうなの? 知らなかったなぁ……」
「私も」
悠樹も知らなかった。
そうこうしている内にエレベーターの扉は閉まり、乗っている四人を三十五階まで案内する。
「高坂さんは…………っ、何号室? 」
「十号室。斎藤さんは? 」
護と太一と呼ばれていた先輩を置き去りにして話が進む。
「あ、あたしは八」
「近い」
二つ隣。こんなに近くに住んでるのに気付いていなかった。気にしていなかった。同じ階に誰が住んでいるかなんて。
エレベーターが到着する。そろそろお別れ。
「そ、それじゃ、高坂さん。また二学期に」
……そっか……。
今日は終業式。だから、次に会うのは二学期の始業式の日。そのことを忘れていた。
「ん。また」
隣にいる太一にも礼をする。慌てたように、護も。そんな自分達に、太一がさらに慌てて礼。少し面白い空気が流れた。
「ただいま」
「ただいまです」
護もただいま、と言ってくれる。そのことが、素直に嬉しかった。
「ん」
護に右手を伸ばす。催促する。
「貸して。私が持つ。護は部屋で待ってて」
「分かりました」
護は素直に頷いてくれる。護から受け取る。
「……………………」
「大丈夫ですか? 」
「大丈夫」
少しだけ、見栄をはる。護ならこんなの軽いと言うのだろうけど、悠樹そういうわけにはいかない。身体も小さくて力もあまりない。
護に悟られないように、リビングに向かって足を進める。気付かれるかもしれないけど、気にしない。




