悠樹の誕生日 #1
七月二十日。終業式。
今日で、一学期が終わる。昨日、所謂、十九日、金曜日の七限まで授業があって、土曜日である今日に、終業式。
何で土曜日に終業式をやるのか。金曜日にやってしまえばいいと思うんだけど、この御崎高校ではそうはなってないらしい。不思議。佳奈曰く、ずっとこうなのだそうだ。
「帰ろ」
今日は終業式しかないから、終業式が終われば、後は帰るのみ。部活動をしている人達は遅くまで残るだろうが、俺達の部活、青春部には関係ない。
え? 悠樹の誕生日会はどうなったんだって?
青春部の皆では昨日のうちに、誕生日を祝った。本当なら、当日の今日にしたかったし、少なからず悠樹もそれを望んでいたのだが、杏先輩は妹達の面倒を見る必要が急に出来たとか、佳奈は生徒会長としての仕事をしないといけないとか、ハンドボール部に戻ることになった薫は部活に行かなくちゃならないとか。
まぁ、三人が参加出来なくなってしまったわけで、それだと意味がない、と悠樹が言ったから、昨日に急遽、することになった。
本当に急だったわけで、誰もプレゼントとかを用意してなかったんだけど、悠樹はそれで良かったらしく、今まで以上ににこやかだった。青春部の皆だから、別に言葉だけでもとても嬉しかったそうだ。
あ、そうそう。青春部に、真弓とララとランが入ることになった。びっくりである。でも、驚いたのは俺だけだったようで、他の皆は何故か、納得の表情を浮かべていた。
ララとランが、いつそんなことを決めたのかは分からないが、真弓は、テスト前にやった七夕パーティーの時に青春部に入ることを決めたらしい。そんなこと、全然知らなかった。
教室内を見渡して見ると、まだかなりの人数が残っている。薫はもういないが、心愛と葵はいる。羚だって残ってるし、しーちゃんも凛ちゃんも楓ちゃんも残ってる。逆に、帰ろうとする方がおかしい、みたいな雰囲気。
「のんびりしてる場合ではないか……」
だとしても、俺は教室から出ないと。悠樹が待ってる。
全体での誕生日会は昨日やったが、俺と悠樹、二人だけでの誕生日会が残ってる。悠樹との約束だから、絶対にやらないと。
このまま、悠樹の家に行くことになってる。荷物を持ったまま。だって、渡さないといけないものとか入ってるし。
「あれ……………………? 」
終わったら靴箱の所で。そう昨日に約束したのだが、悠樹の姿がまだ見えない。悠樹って行動が速いところがあるから、急いで抜けてきた俺よりも先にいると思ったんだが、そんなことはなかったということか。
「………………護」
上履きを靴箱に直して下靴に履き替えたところで、後ろから声がかかる。悠樹の声。
「待った…………? 」
悠樹は、少し申し訳なさそうな顔をしている。あれ? こういう時に、今みたいな表情するっけ? 悠樹って。
「今さっき、来たばかりですよ。俺も」
「そう」
こう言うと嘘に聞こえてしまう不思議。本当に来たばかりだけど。
悠樹は、俺に目配せをしてから自分の靴箱に移動する。俺は一年。悠樹は二年。場所がズレている。だから、先に外に出る。
「あっちぃ………………」
休まない太陽さん。休んでほしい。
靴箱を出て百メートルくらい歩くと校門に。御崎高校の敷地内から出れる。本当に広すぎる敷地がある。最初に見た時は、びっくりしたっけ。
「行こ………………? 」
後ろから引っ張られる。カッターシャツの裾が、悠樹によって引っ張られる。
当たり前の話だが、夏だから、真夏真っ盛りだから、皆カッターシャツ姿。セーターを着ていたりブレザーを着てる人はいない。
カッターシャツ姿ということは、いわゆる薄着というわけで、俺はあんまり気にして無かったんだけど、羚が何故か騒いでた。そして、しーちゃんにポカポカと叩かれていた。しーちゃんは、羚がそういう性格だと分かって付き合ってるわけだが、やっぱりそういう目で見られるのは少しだけ恥ずかしいらしい。それも、羚に見られるとなると、余計にらしい。
「はい」
悠樹の家までは、ここから約三十分くらい。歩かないといけない。何で自転車で来なかったのか。少し後悔。まぁ、どちらにせよ、暑いのには変わりないんだけど。
「はああぁぁぁぁ」
佳奈は盛大にため息をつく。生徒会室には誰もいない。誰にも聞かれない。だから出来ること。
悠樹と護が二人きりでいるのを、二人で帰ろうとしているのを見て、佳奈はため息をついたのだ。
「羨ましいな……。少し」
そんな悠樹を見て、佳奈は思う。
七夕パーティーが終わってから、期末テストが終わってから、青春部にあまり顔を出せていない。
青春部にいることが楽しいから、放ったらかしていた仕事があったのだ。それに加えて一学期の終わり、二学期の十月には生徒会長の任期も切れるから、仕事がたんまりと残っているのだ。
……悠樹の誕生日、だもんな……。
今日は全員が揃わないから、昨日した。一日はやく、誕生日会を開いた。本来の誕生日は、今日。なら、護と一緒にいたいと思うのが普通。何も、おかしなことはない。
「今戻りました。会長」
「あぁ、お疲れ。川端君」
佳奈は席に座り直す。もう、ため息はつけない。
川端 太一。生徒会書記。同じクラス。書記の仕事は残っていなかったはず。仕事を残しているのは、佳奈だけ。
「手伝おうか? 」
「別に構わん。これは自分の仕事だからな。で、川端君はどうしたんだ? 仕事、残ってないだろう? 」
「会長を見に来たんだ」
「私を、か? 」
「あぁ。あわよくば手伝おうとも思ったんだが、必要ないみたいだし」
「さっきの言い方が気に食わなかったなら謝る。すまない」
「そういうことではないんだ。会長は何でもすぐ出来るから、溜まっている仕事もすぐに片付けてしまうんだろうな、って思って」
溜まっているといえば溜まっているが、自分一人で処理できるほどの量。骨は折れそうだが、無理なものではない。
「集中してやれば昼頃には終わるさ」
後二時間。集中すればいいだけの話。集中出来るかどうかは別として。
「もうそろそろ生徒会としての仕事も終わるしな」
「あぁ」
任期は一年間。三年生である佳奈は続けて生徒会選挙に出ることは出来ない。それは、太一だって同じだ。
「それじゃ、会長。また」
「あ、川端君」
一つだけ、聞いておきたいことがある。護と同じ男の子として。
「なんだい? 」
「その…………なんだ。川端君には、彼女……いたりするのか? 」
「………………………………? 」
唐突すぎる佳奈の質問に、太一は追いつかない。そんな質問がくるとは思っていなかったからだろうか。太一とは、この生徒会での関わりしかない。青春部の皆とは、関係性が全く違う。
「彼女は、いない。残念ながら」
「そ、そうなのか。欲しい、とは思うか? 」
「思わない、と言ったら嘘になるけど」
ということは、少なからず、そういう思いがあるということだ。
「それは、あれか? 男子皆が思っていることなのか? 」
「まぁ、そうだろうね」
「やっぱり、そうなのか」
一度きりの高校生活。そんな高校生活を華やかにするために彼女がほしいと。クリスマスの時とか、クラスメイトが、彼氏欲しいとか、彼女がーとか、そんなことを言っているのを聞いたことがある。
「会長からそんなことを質問されるとは思っていなかったな」
「私だって……女の子だからな」
自分で自分のことを女の子と呼ぶのには、若干の抵抗がある。
「そっか、そっか。まぁ、何か聞きたいことがあるなら、聞くよ? まぁ、男の俺に聞いても仕方ないかもしれないけどさ」
「その時がきたら、頼む」
男の子に関してのあれやこれやを、護に直接聞くことは出来ない。だけど、太一なら、同じ生徒会のメンバーとして過ごしてきた太一になら、聞けることがあるかもしれない。
「んじゃ、会長。仕事頑張って」
「あぁ。引き止めて悪かったな」
時間が正午になるにつれて太陽さんは真上に。まだ一時間くらい時間あるけれど、どっちにしろ暑いのには変わりない。さすが夏。本当に暑い。
そそそそそー、と悠樹が俺の左側から右側に移動した。
「どうしたんです? 」
「暑いから。影に」
「俺の影に、ですか」
「そう」
東側から、つまり、俺達の左側から照りつける太陽。俺の影に隠れれば、少なからず暑さからしのげるのか。まぁ、三十くらいはあるから、俺の横にぴったりと歩いていれば、大丈夫なのかな。
「護? 」
「何ですか? 」
「昼ご飯どうする? 」
あ、忘れてた。そっか。青春部皆で祝うのが今日だったらお弁当を部室で食べていたのだろうが、それが昨日やってしまったので、悠樹の家に直行することだけを思っていたので、忘れてた。昨日の夜に、母さんに明日お弁当いらないから、と言わなければよかった。
「そうですね。また、二人で作りますか? 」
「うん。それがいい」
二人で買い物に行って、二人で作って、二人で一緒に食べて、後片付けも一緒にした。始まりから終わりまでを、一緒にやった。いやはや、懐かしいものだ。
「何、作る? 」
「そうですねぇ………………」
暑いから、あまり胃もたれしないもの。そして、暑さを感じないような料理がいい。葵の家でお昼ご飯を食べた時のようにそうめんでもいいとも思ったが、悠樹は結構やる気があるみたいだし、俺だって、あんまりしない料理をするチャンス。少しくらい、頑張ってみてもいいかもしれない。それに料理は出来た方が良いし、練習にもなる。
「何が食べたい? 」
「悠樹が決めていいですよ? 悠樹の誕生日なんですから」
「そう? 」
「はい」
主役は悠樹。誕生日が嫌いだとは言っていたが、そのことに変わりはない。
「悩む」
「あはは」
俺だって、自分がその立場だったら、同じように悩むに決まってる。好きな食べ物とかそういうのはあるけれど、いざ聞かれると、困ってしまうもの。自分に全てが一任されるわけだし。
「買い物しても、いい? 」
「いいですけど………………」
新たに買う必要があるかどうかは分からないが、冷蔵庫にあるやつで適当に作るよりかは、買う方が良い。
「冷蔵庫、多分あまり入ってない………………」
「あ、そうなんですか」
なら、買いに行くしかない。
「もしかしたら、しぃとひぃが買いに行ってるかもしれない」
「あぁ。なるほど」
そっか。しぃと氷雨が俺達より先に帰っている場合、買いに行ってくれる可能性が高い。自分達の昼ご飯もあるわけだし。
「あ、電話…………」
悠樹の鞄の中から、ポップな可愛らしい音楽が流れる。
「ごめん」
「いえいえ」
……ひぃから……。
もう少しで家につく。また、護が家に来てくれる。護を家に入れることなできる。そんなタイミングでの電話。
「もしもし? ゆう姉」
「何? 」
「もう家に帰っちゃった? 」
「まだ。何で? 」
「夕方くらいにしか私としぃ帰らないってことを伝えとこうと思って。昼ご飯のこともあるし」
「そっちはどうするの? 」
「クラスの友達と食べるよ。そっちは護さんと楽しくやってよ? 」
気を使ってくれた。そういうことなのだろう。
もちろん、氷雨と時雨は、悠樹の想いを知っている。だからそこ、だ。
「ん、分かってる」
「それじゃ、また」
「ん」
……頑張る……。
それは、当然のこと。ずっと、そう思っていた。七夕パーティーをしたその日から、もっと頑張ろうと思った。せっかくの二人きり。久しぶりの二人きり。時雨と氷雨が気をきかせてくれたから、本当に二人きり。
仮初めの二人きりではなくなった。
……よし……。
何度目か分からない気合をいれる。
七夕パーティーの時も同じようにしていたが、思っていたより上手く出来なかった。
でも、あれは、皆がいた。皆がそれぞれ自分の思うことをやっていた。故に、悠樹は上手くいかなかった。
だけど、今日は違う。この誕生日は違う。わざわざこの日が、この特定の日が嫌いなのに、ずっとそれで通してきたのに、変えようと、そう思えた。
護がいるから。そんな護と二人きり。
「着きましたね」
鞄の中から財布を取り出して、その中にしまっているカードキーを取り出す。それを機械に通す。このマンションの住人は、こうしてマンションのロビーに入る。
「涼しい」
「ここも冷房効いてるですね」
ロビーに入った瞬間、一気に涼しい空気が流れ込んでくる。外とは大違いだ。冷房がかけられているといっても、設定温度は28度か27度。下げても26度まで。管理人さんがそう言っていたのを思い出す。
エレベーターに乗り込むと、またしてもカードキーの出番。これを通すと、動き出す。カードキーにはもちろん、どの階に住んでるあの人、という情報がはいってるわけで、自動的にその人の階まで運んで行ってくれる。便利といえば便利。
数十秒エレベーターに揺られる。
……背、高い……。
護の背が、だ。エレベーターの後側にある巨大な鏡。護と悠樹が映っている。一緒にいても、隣を歩いてても思うこと。護が高いのもあるが、悠樹が低いのもある。
「護? 」
「はい? 」
「護、身長高いけど、何か……特別なことしたの? 」
「いえ……。そういうわけではないですね」
「そう? 」
「えぇ。父さんの身長が高いですから、多分、その影響かと。それに、母さんも高い方ですし」
「あ、そっか」
そう、そうだった。七夕パーティーの夜遅くに護の父に、護の母にはそれよりも前に何回か会っている。家にも行ったから。
……遺伝……。
悠樹の身長の低さだって、もちろん、遺伝。母も小さかったし、父は百六十センチギリギリという感じだった。
エレベーターの扉が開く。護は何かを言いたげにしていたが、すぐに口を閉じた。扉が開いたからか、他の理由があるからか。
……間違えた……。
何を? 護に振る話題を。親のことを少し思い出してしまった。何年も会っていない、親のことを。失敗だ。
「悠樹? 」
「……………………ん」
護が呼ぶ。足を動かすのを忘れていた。護のところに行かないと。
悠樹がエレベーターから出ると、自動的に扉が閉まる。
一つの階に、部屋は十個。このマンションは全部で五十階まで。一階はロビーだから、四十九階。住める最大世帯数は、四百九十。その全てに人が住んでるわけではなく、二割くらいが空き部屋ではあるが、それでもかなりの人数がこのマンションに住んでることになる。
「突き当たり、でしたよね」
「うん」
一番奥。十号室。そこが、悠樹の家だ。
「ただいま」
「おじゃまします」
たとえ誰も家にいないとしても、ただいま、と挨拶をする。まぁ、当たり前のこと。
「しぃと氷雨はいないんですよね? 」
「うん」
お昼ご飯をクラスの皆と食べるのだとか。何となくだけど、氷雨が仕切ってるイメージ。そういうことを卒なくこなしそうな印象がある。
二人きりで。そう言ったから、二人がいないのは丁度良いというべきか。しぃと氷雨がいたとしても気にしないが。だって二人は悠樹の妹なわけだし、姉の誕生日は祝って当然な日のわけだ。
そんな悠樹の誕生日を、今回は俺が独り占めしている。
悠樹についていく感じで、廊下の先にあるリビングへ。左手側にはキッチン。
「鞄は、ソファの上に置いといて」
「あ、分かりました」
悠樹が置いた横に並べるようにして置く。
「ちょっと待ってて」
そう言うなり、悠樹は冷蔵庫の方へ。あまり入ってないって言ってたけど、本当に何もないということはないはずだ。すっからかんになることはない。
バタン、と冷蔵庫の扉を閉める音がする。そして、悠樹の足音。夏の日差しが差し込む部屋。二人で静かだから、よりこういう音が大きく聞こえる。
よく人のことを漢字一文字が表したりすることがあるが、悠樹は"静"となるのかな。今、このタイミングで思ったことだから、悠樹だけをたとえてみる。皆は、俺のことをどういう風に思ってるんだろうか。
「悠樹」
「何? 」
「俺を漢字一文字で表したら、何になりますか? 」
「護を? 」
「はい」
「それはもちろん、"優"」
「"優"、ですか? 」
「うん」
皆が俺によく言ってくれる優しさの、"優"ってことなのかな。そうだと嬉しい。優柔不断の"優"とかそんな心にささる感じだったりしたら、ちょっとだけショックになる。さすがに、そんなことはないと思うが。
「護は優しいから」
「ありがとうございます」
俺にとっての褒め言葉。前にも言ったが、父さんから色々と言われている。それは大人としての言葉というか、当たり前の言葉。それをきちんと守れているということだから、嬉しい。
「話、変えてもいい? 」
「どうぞどうぞ」
この話は、一時的なもの。いつまでも続けるつもりはない。
「冷蔵庫見たけど、やっぱり、買いに行くほうがいい。めぼしいものは冷凍食品とかしか残ってなかった」
「あぁ………………。それは、買いに行くべきですね」
レンジで温めるだけで美味しいものが出来上がる、簡単に作れる冷凍食品達。朝、お弁当の中身に困った時とか、そういう時に役立つ、と母さんは言ってた。さすがに全部手作りでやってたら時間がないって、嘆いてた。
「何作るか、決めました? 」
「うん。焼きそばにする」
「焼きそば………………ですか? 」
「うん。焼きそば」
「焼きそばがいい」
再度、悠樹は護に頼む。理由も無しに頼んでいるわけではない。そのことを、護も汲み取ってくれたようで。
「まぁ、構いませんけど………………」
「護? 覚えてる? 」
「何を、ですか……? 」
「私と護とで最初に作った料理」
「あ………………、だからですか」
「そう」
「なるほど…………」
葵の家で勉強してお泊まりして、その次の日に、護の家に行った。初めてのことだった。
思い返せば、初めてのことばっかりだったといえる。一緒に買い物行ったり、料理を作ったり、家に案内したり。あの日、距離がグッと縮まった。
葵に用事がなく他の皆にも用事がなく、あのまま勉強会が続行されていたら、この機会は訪れていなかった。
偶然と偶然が重なって、こうなってる。
……前にも……。
こんなことを思ってたっけ。偶然と必然について考えていたような、そんな気がする。
「だから、焼きそばがいい」
「じゃ、そうしましょう」
「ん」
初心に帰る。良いことに、今日は悠樹の誕生日。誕生日を好きになろうと思えたのも、護のおかげ。一からやり直すには、いい機会だ。
本当に、やり直すということではない。気持ちだけ。やり直す。最初、護を好きになった時の気持ちを取り戻す。
「今から買いに行く」
「時間的にもそうですね」
……お金……。
テレビ下にあるというか、テレビの台として使ってるモノトーンの収納ボックスから、お札を三枚ほど取り出して、自分の財布の中にしまう。五千円札が一枚と千円札が二枚。合計七千円。夜ご飯のことも考えて買い物をしないといけないから、買いすぎたら、これくらいはかかってしまうかもしれない、という計算。余ったら、自分のお金にする。
悠樹、氷雨、時雨の三人暮らし。なら、どこからお金が来るのか。それは、もちろん、親から。悠樹は否定したのだが、毎月送ってくれる。こうやって送ってくれるから、バイトをしなくて済んでいる。したいと思うこともあるけれど、そうしたって金を余らせてしまうだけ。今の段階でも毎月余ってしまう。余ったとしてもそれを返すことは出来ないから、どんどんと溜まっていく。お金が溜まるスパイラルが出来上がっている。
この高級マンションの家賃は馬鹿にならない値段だが、それをはるかに超える仕送りが毎月送られてくる。
七千円がプラスされた財布を制服のスカートのポケットの中にいれる。その部分だけ、少し膨れる。
「行こ? 」
廊下に繋がる扉の前に立って、護の方を振り返る。
「そうですね」
制服。どちらも制服のまま。制服で買い物。護は着替えられないし、となれば、自分も着替えない。買い物を終えるまでは。一緒に買い物をするというのも、デートの延長戦上にあるものだろうか。
となれば、制服デート、といえるわけである。
制服デート。
一度くらいなら、やってみたいと思うデートの一つだろう。悠樹にだって、そういう思いはある。護だったら、より思う。相手が護だから、してみたいと思うのかもしれない。
……誰かにあったりする……?
御崎高校の近くにある。御崎高校には色んな場所から来ている人がいる。だけど、もちろん近くの人もいるわけで。見られる可能性がある。
制服デートというのは、同じ学校の人に見られてしまう、という危険を孕んでいる。しかし、悠樹は、それを望んでいるといっても過言ではない。
だって、制服デート。しかも、一緒に買い物。普通の関係であるなら、そんなことはしない。一歩先の関係にあるのだと、見た人はそう思うに違いない。そして、その見た人が悠樹の友達なり護の友達だった場合、既成事実が出来るわけだ。
「やっぱり暑い」
家から外へ。むわっとした空気が襲ってくる。団扇だったり、扇子だったり、そういういうものは持っていない。
「はやくスーパーに行きましょうか。クーラー効いてるでしょうし」
「ん」
護の言う通り。この暑い日。スーパー等、そういった場所はオアシスとなる。
家の中に入った時と同じようにカードキーで鍵をかける。セキュリティはしっかりしている。このカードキー一つで。
額に汗を浮かべながら、護と悠樹はスーパーへ。半ば、涼しさを求めるように、急ぎ足で入る。スーパーに入ると、外とは違う喧騒に包まれる。蝉の声ではなく、人の声に包まれる。
「カゴは俺が持ちます」
カゴを取ろうとした悠樹の横から、護がサッと取っていく。護に任せる。
「ありがと」
「いえいえ」
護といるようになつてから、こういう時に自然と感謝の言葉が出るようになった。
「夜ご飯の分も一緒に買うんですよね? 」
「うん。後で来るのは面倒だから」
自分一人だけなら大変になるが、隣には護がいる。頼まなくても、護なら手伝ってくれる。
「夜ご飯は何にするんですか? 」
「生姜焼きにする。ひぃとしぃもそれが良いってメール来た」
さっき、メールしたのだ。いつも、晩ご飯は三人で考える。三人で作ることはないが、考えるのは三人。皆の意見を取り入れる。
「護も……………………………、護は好き? 生姜焼き」
実際言おうとしたことを言わずに、別のことを。さすがに言えない。このタイミングでは。
「好きですよ。やっぱり、ガツガツ食べたい時もありますからね」
「葵の家の時もいっぱい食べてた」
「そうでしたね。あの時は、悠樹もたくさん食べてましたけど」
「ん。あんなに食べたのは、あの時が初めて」
懐かしい。護と張り合うように食べていた。あの日以来、少しだけなら無理出来るようになった、ような気がする。
「護、こっち」
夜ご飯の生姜焼きじゃなくて昼ご飯の焼きそばの具材を先に買うことにする。
「野菜売り場ですか? 」
「うん。夏野菜を使った焼きそばにする」