お願い事
……さてと……。
少し雨が降りそうな気配がしていた時もあったが、今は問題ない。始まった時よりも晴れてるような、そんな気がする。
時間は夜の八時半。どんなに長引いたとしても、十時前後には終わらないといけない。咲夜は大丈夫ではあるが、佳奈を含め皆は、学校がある。
誰にも手伝わせることなく一人で作った料理。皆に喜んでもらうために作った料理。喜んでもらうのが、料理の基本だ。心愛が申し出たのは、自分と同じそういう意図があるから。
……七夕……。
今日は七月七日。七夕の日。
空を見上げるとそこには天の川がある。無数の星の集合体がそこに見える。
七夕といえばお願い事。お願い事を短冊に書いて、その願いが叶うように頑張ろうと決意する。願っているだけじゃ駄目。そこに向かって歩かないといけない。
……失敗しましたねぇ……。
短冊を飾る笹の木がない。それに、短冊も用意していない。集まってワイワイするのもいいけれど、願い事を皆で書く、というのも一つの醍醐味だろう。
……まぁ、でも……。
わざわざお願い事を書く必要はないのかもしれない。皆の願い事は決まってるはずだ。それしかないはずだ。その願いを叶えるために頑張ってるはずだからだ。今日の七夕パーティーだって、その一環。
護、心愛、雪菜がいた位置とは反対の位置に、咲夜は足を動かす。
「はぁ………………」
かすかに聞こえたため息。成美や渚のものではない。
「薫様? どうかされましたか? 」
護の幼馴染の薫。ここまで咲夜は、全員を見てきた。護がどこにいて隣には誰がいるのか。見ることはたくさんあった。
薫は七夕パーティーが始まって以来、護の隣にはいない。いれてない。そこから考えて、何で薫がため息をついているなんてことは容易に想像することが出来るが、咲夜は問いかけてみた。護には届かないほどの声で。確認のため。
「いえ……。なんでも…………ありませんよ」
「何でもないのにため息をつくのですか? 」
「…………」
薫は黙る。
薫は護の幼馴染。その位置は揺るがない。幼馴染というのは、大きなアドバンテージだ。佳奈や他のメンバーは、護と幼馴染になりたくてもなれない。幼い頃から積み上げてきた時間が、絆が違いすぎるから。
そんな絶対有利なアドバンテージがあるのにも関わらず、薫はこの場において前に出ていない。咲夜はいつもの薫を知らないからいつものことは分からないが、今日ここに来てからのことは分かる。
「薫様? 薫様は、護様のことが好きなのでしょう? 昔からずっと」
「それは間違いないです」
はっきりと、薫は咲夜に返す。咲夜の真っ直ぐな質問には、こちらもきちんと返さないといけない。それに、咲夜は、確認の気持ちで聞いてそうだ。もうバレている。この場にいるのだから。嘘をつく必要はない。
「なら、することは分かっているはずです」
「……………………」
咲夜は一体、誰を応援しているのだろうか。ここにいる全員の気持ちを、咲夜は知ってるはずだ。簡単なことだから、分かってしまうはずだ。
咲夜の立ち位置的に応援したいのは佳奈であるだろう。執事なのだか。この場の提供もそういう意図があると考えられる。
だから、咲夜は佳奈を応援するべきだ。それなのに、咲夜は今、薫の背中を押してくれようとしている。
何故なのか。中立の立場にいるからだろうか。
でも、一番仲が良い人を応援するのが普通だ。もし、薫が護の幼馴染ではなく護のことを好きになっていなかったとしたら、心愛か葵を応援しているだろう。青春部にも入らないことになるから、その二人になる。
「一つ、提案があります。薫様」
「提案…………ですか? 」
「はい。提案です。夏休みの話になってしまうんですけど」
……夏休み……。
そっか。もう夏休み。夏休みであろうと、護と会える時間はそんなに変わらない。そこが皆と違う。幼馴染という利点。
「護様と心愛様、そして雪菜様に料理を教えることになっているんです。心愛様に教えて欲しいと言われまして、それに雪菜様が便乗した感じなのですが」
「あれ……? 護は…………? 」
「護様は、私が巻き込みました」
「え………………? 」
「だって、護様がいる方が楽しくなるに決まっているじゃないですか」
……不知火さん……。
考え方が杏に似ている。佳奈と幼馴染である杏。昔から杏のことも知っているのだろう。杏のことだから、佳奈と遊ぶついでに咲夜を巻き込んでいたという可能性もある。
咲夜はくすっと笑っている。本当に笑顔だ。護がいる方が楽しくなると心の底から思っている証だ。
「そこで、です。薫様も参加されますか? 」
「私がいてもいいんですか? 心愛は…………、それでいいとは言わないはずです」
心愛は自分の意思でチャンスを作った。そこに割り込むのは、簡単に割り込んでしまうのは、はたしていいことなのだろうか。
薫がはいと言うだけで、その場に混ざることができる。いとも簡単に。
それは、心愛の想いを貶すことにならないだろうか。
心愛は護を喜ばせるために咲夜から料理を教わろうとしているのだろう。自分の願いを叶えるために。
護がそこに参加するというのは、心愛と雪菜にとっては、棚から牡丹餅状態。願ったり叶ったり。
本当に、そこに混ざっていいのだろうか。
……駄目な気がする……。
咲夜の善意を断るのは嫌だ。かなり断り辛い。だけど、だけれど、ここは断らないといけない。
……大丈夫……。
薫は、護の幼馴染だ。皆にはない。大きなアドバンテージ。いざっとなったら、その立場を生かせばいい。ずっと護の幼馴染をやっているのだ。護のことを見てきているのだ。簡単なことだ。
「私は…………いきません……」
「そう……ですか。ちょっと、軽率でしたね……。申し訳ございません」
咲夜がサッと頭を下げる。
「いえいえ。気にしないでください……。大丈夫ですから。私は頑張ります。この場では………………もしかしたら何も出来ないかもしれませんけど…………」
自分で言っていて、薫の口から苦笑がもれる。
やっぱり、順番なのだ。護にアプローチをする順番。
護を困らせないように。こちら側としても重なって困らないように。いや、もう困っているのかもしれないけれど。
……お……。
成美は聞いていた。薫と咲夜の話を。二人は声を小さくしていたけれど、成美は咲夜の右側にいたから聞こえてきたのだ。
聞こえてた上で、成美はその話には混ざらなかった。
……断った……。
薫は断った。成美の意図に反して。
……驚きだねぇ……。
護の隣にいるためには、遠慮していられない。成美は最近、そう思うようになった。もし、自分が聞かれていたら、咲夜の言葉に頷いていただろう。
だから、成美は驚いたのだ。
……なるほどねぇ……。
心愛のことを思って薫は断ったのだろう。心愛の頑張りを無駄にしたくない。そういうことなのだろう。
成美だったら、その心愛の頑張りに肖っている。
そこが、薫と成美の違いだ。
……やっぱり……。
薫にはまだまだ余裕があるということなのだろうか。
幼馴染という余裕が。
薫には幼馴染として積み上げてきた時間がある。それに対しては、成美を含め他の青春部のメンバーは絶対に勝てない。
護と一緒に過ごしてきた時間といったものが、圧倒的に自分達には足りない。
もちろん、最初から分かっていたこと。
護、薫、心愛、葵が青春部に入った時、成美はその四人の行く末を見守るつもりだった。が、結局好きになって今に至る。つもりはつもりでしかなかったのだ。
護は迷っていた。護のことだけを見ていてもそのことが分かったし、三人を見ていても同様だった。
だから、付け入る隙があった。成美はそこを狙った。
三人だけでも迷っていた護。今は三人だけではない。青春部の全員が護を悩ませていることになる。
……ここまでのことになるとはね……。
成美だってよもや、そんなことになろうとは思っていなかった。
皆の、護の優しさに惹かれる。ただし、その優しさは普通のものだ。誰にだってある優しさ。普通なら、そこに惹かれたりはしない。だが、惹かれていく。護はそれを自然にやってのけてしまうから。どこにも下心なんてものが見えないから。護の優しさは同性にも発揮される。
「お願い事………………か……」
誰にも聞かれない声で。咲夜は薫との話に、渚は料理に夢中になっているから気付かれなかったかもしれないけれど。
自分の中での願い事を、希望を、決心するために、成美は自ら提案した。杏を待たずに自分から動いた。
その行為が凶とでたか吉とでたか。自分にとってどうなのかは分からない。少なくとも、心愛、雪菜、渚、薫にとっては吉とでただろう。
……これからが勝負だねぇ……。
この場も勝負の場だけれど、これからはもっともっと勝負に出なければならない。そのための、七夕パーティー。
……杏先輩は何か考えてるのかなぁ……。
今も大事。先のことも大事。七夕より後に訪れることといえば、夏休みだろう。授業もないから、開放的に自由になる。
護と会う機会が減ってしまうかもしれないが、そこは青春部全体として杏が何とかしてくれるだろう。もちろん、自分も積極的に動くつもりだけど。
……楽しみだねぇ……。
これから先、護とどのような時間を一緒に過ごせるのかと考えただけで、口元が緩んでしまう。それほど、護といることが好きなのだ。




