天川シンキング
「ささ、時間だね」
杏は声をあげる。わくわくしているような、そんな声。楽しみなのだから仕方のない。
「そうだな」
杏の言葉に頷いた佳奈は、部屋の壁にかけてある時計を見る。
時間は六時前。予定通りに皆が家に到着するなら、そろそろチャイムが鳴るころだろう。
「中庭でするんだったよね? あの花が一杯ある」
「そうだ。護にはあの場所を見せたことがあるんだがな。他の皆にも見てもらいたいし」
「綺麗だし、気分も落ち着くしね」
「あぁ」
花もそうであるが、あの場所には噴水もある。玄関前にある噴水よりも大きな噴水がある。
もう、季節は夏。噴水があれば少しは涼しくもなるだろう。外でやる分、そういう配慮は必要だ。
「外で待ってようか。護達のこと」
「外暑いけど…………そうしようか」
佳奈が先に立ち上がったので、それに続くように杏も腰をあげる。クーラーの電源を落とす。この部屋にはしばらく戻ってこない。
「そろそろか……」
「そうですね」
俺と葵は風見駅に到着している。予定よりもはやめにだ。皆を俺が案内することになるのだから俺が遅れると申し訳ないし。
ちなみに、咲と胡桃ちゃんはここにはいない。二人とも家に帰ってしまった。参加してくれてもよかったのだが、急だったから、やっぱり駄目だったようだ。
あぁ、あの後。お昼ご飯を食べた後は、部屋に戻って、主にハンドボールの話をしていた。
俺と薫、咲と胡桃がいたのだから、ハンドボールの話になってしまったのも致し方のないこと。葵はところどころで首を傾げたりしていた。葵がそんな行動をとることは滅多にないから、何か良かった。分からないなりにもずっと俺達の話を聞いてくれたし。
「護君。また……ハンドボールしましょうね」
「おぅ」
運動があまり得意ではない葵ではあるが、ハンドボールに興味を持ってもらえたようで何よりだ。やっぱり、ボールに触れたのが良かったのかもしれない。それか、俺達の話に感化されたのもあったりして。
「また、手取り足取り……教えてください」
「夏休みになったら時間も出来るしな」
「はい。あ……………………」
何かを思いついたような表情をする葵。
「青春部の皆でやるのもいいかもしれませんね」
「それはまた…………」
大変なことになるそうだ。間違いなく楽しくはなるだろうけど。
「護君と薫には迷惑をかけてしまうかもしれませんけど」
「そういうのは気にしなくていいぞ。教えるの楽しいしな」
「ありがとうございます」
葵が微笑んだのと同時に、ホームの先、改札口を抜けたところで待っている俺達の元まで、風が吹き抜ける。電車がホームに到着したのだろう。
皆の到着もそろそろか。
「はぁ……………………」
ため息をしながら、遥はホームに降りる。
断じて、これからの七夕パーティーに行きたくないわけではない。話を聞いてから楽しみにしていた。
それなのに、自然と息が漏れてしまうのだ。楽しみにしているはずなのに。
……切り替え切り替え……。
いつも通り、遥は黄色のリボンをしている。大きなリボンだ。これはトレードマークみたいなもの。
自分はいつも通り。いつも通り。平常心で行動をしないといけない。焦る必要は全くない。焦る理由もない。
遥は違うのだ。他の皆と。護を好きなレベルが違うのだ。
遥の場合、ほぼ一目惚れに近いものがあった。自分よりも身長が高いから、自分よりも大きな存在に見えたから、佳奈のためだったといえ自分を頼ってくれたから。
護は誰かにその人だけを特別視して接したりすることはない。誰にでも同じ。護の優しさは誰にでも向けられる。自分だけに向けられるものではない。
だから、勘違いしてしまうのかもしれない。その勘違いはすぐに気づくものなのだけれど。
「遥」
少し俯いていた遥に、前方から声がかけられる。
「ユウ……? それに……マイマイも」
そこにいたのは悠樹と麻依。もちろん、遥は悠樹の友達である麻依のことも知っている。遥は悠樹の友達だから、麻依とも友達だということ。そして、麻依の姉である唯が図書室によくいるから、その繋がりでもある。
「ユウがここにいるのは分かるけど………………どうしてマイマイが……? 」
一瞬、疑ってしまう。麻依も護のことが好きなんではないかと。
……それはないない……。
繋がりがない。麻依と護に。繋がりなんてものは一切見えない。互いに互いのことを知らないはずだ。
「本当は…………悠樹ちゃんと二人で花火とか……するつもりだったんだけど………………。そこに連絡入っちゃって………………。だから」
「麻依ちゃんも楽しめると思ったから誘った。それだけ」
「なるほど」
三人は友達。悠樹と麻依雰囲気が似ている。だが、二人と遥は全く合わない。漢字一字で表せば、悠樹と麻依が「静」で遥が「動」。
……でも……。
恋愛に関しては、悠樹と遥の立ち位置は変わってしまう。
最初は、遥だって積極的に動いていた。それは、護のことが好きな他の女の子とも接するということにつながっていた。それが、遥を気付かせた。
皆は、護のことが本気で好きなのだと。好き、という言葉では表せないほどに、護のことが大好きなのだと。
このレベルが違うのだ。だから、遥は邪魔できない。他の人の。
自分の想いにちゃんと気付いて、護と付き合いたいと思っているのなら、それを邪魔だとは思わないのだろう。そうしないと、護の隣にはいられないから。積極的に行かないといけない。
今の遥には、それが出来なくなっていた。
「遥はどうして? 」
「あ、あ……。私は佳奈先輩に誘われて…………」
「そう」
三人の間から、言葉がなくなる。無言が生まれる。遥はこういうのが苦手だった。
「一つ……質問。いい? 」
悠樹が再び口を開いた。
「ん? 質問? 別にいいけど…………」
「遥は、本当に護のこと……好き? 」
「え……………………………………………………? 」
「ちょ、ちょっと……悠樹ちゃん……っ! そ、そんなこと……聞いてどうするの……? 」
悠樹の突然の問いに、麻依は狼狽している。それ以上に、遥は驚いていた。
どうしてそんな質問がきたのか。どうしてその質問を自分にしたのか。分からなかった。
「どうして…………そんな質問するのさ……? ユウ」
「気になっただけ。護のことが本当に好きならそれでいい」
「…………………………」
遥は次の言葉を紡ぐことが出来なかった。
悠樹は真剣だ。それは前々から分かっていたこと。遥が護のことを気にかけるようになってから、より分かるようになっていた。
「でも……違うのなら」
悠樹の目線が、遥を貫く。遥の弱い心を貫く。
「違うのなら……………………? 」
悠樹の口から発せられる次の言葉を、遥は聞きたくなかった。怖いから聞きたくなかったでも、聞くしかない。
「いや……。やっぱりいい」
……いいんだ……。
躊躇った。顔を少し俯かせた悠樹を見てそう思った。
「そっか……。なら、はやく護君のとこに行こう? 待ってくれてるだろうし」
「分かった」
「うん…………。そうだね」
「やっぱりあっついねぇ」
冷房が効いた電車内からホームに降りた真弓は、うぅーん、と背伸びをしながら声を作る。そして、ふにゃー、と力を抜く。
隣に薫が、不思議そうな顔でこちらを見てくる。猫耳のような髪飾りをひくつかせ、真弓は薫の方を向く。
「どうかしたのかな? 薫ちゃん」
薫と真弓は二回会っている。一回目は、護が熱を出した時、護の部屋で。二回目はその次の日。水着を買いに行った時。どちらも、護が関係している。
「それ……飾りですよね……」
猫耳を指しながら、薫はそう言ってくる。
「ん? そだよ? 」
もう一回、真弓は猫耳を動かしてみる。
「動いてますけど……」
「これにはちょっとした仕掛けがあるのさ」
「そう……なんですか」
誰にも教えていない仕掛け。教える必要がないから。
「そういえば、薫ちゃんって、護とお隣さんだよね? 」
「えぇ」
「それなのに……一緒に来なかったんだ? 」
真弓はそのことを疑問に思っていた。
「本当は一緒に行こうとしてたんですよ。昼ご飯を護の家で食べたりもしましたし。でも、途中でお母さんに家に戻ってきて、って言われちゃって」
「にゃるほど」
仕方なく、そうしたことなのだろう。
それにしても、護と薫の仲はいい。お隣さんだから、幼馴染だから、普通のことなのかもしれない。が、二人の仲には、それ以上の何かがあるような気がしてならない。
……でも、付き合ってはいないんだよねぇ……。
あの青春部の面々を考えると、護と付き合うのはとても難しいことなのだろう。だって、全員を負かして、なおかつ自分の方に引き込まないといけないから。
「護が待ってますから、行きましょうか」
「うん。そうだね」
……楽しみだねぇ……。
七夕パーティーが。ひいては、護の隣にいることが。
どこまで護の側にいれるのか。それは分からない。もしかすると、隣にはいられないかもしれない。
でも、七夕パーティー。ちょっとくらいは頑張ってみたい。
……はわ……。
雪菜は顔をふせながら、電車に乗っていた。当たり前だ。この車両、雪菜が乗っている車両、その中で浴衣を着ているのは、雪菜だけだからだ。
雪菜は白く綺麗な肌を持っているから、その顔の赤みが余計に目立っている。
……もう……。
もう一度車内を見渡して見るが、何度見ても、浴衣を着ているのは雪菜しかいない。
「次は〜風見駅〜。風見駅〜」
……やっとだ……。
やっと降りれる。この姿を、白を基調としていて所々水玉模様のたる浴衣姿を、護に見せることが出来る。そこに集まっているのは護だけではないにしろ、護がそこにいるなら、恥ずかしさは中和される。
アナウンスが入ってから数十秒後。電車の扉が開く。逃げるように、雪菜は電車から降りた。
「ふぅ……………………」
ゆっくりと息をもらす。ホームには人がいるものの、電車内よりは少ない。雪菜を見る人も少ない。
「反対側に行かないと……」
雪菜の家から一番近い駅は。鳥宮駅。
本来なら進月駅を経由すれば良かったのだが、そうするとまっすぐ風見駅まで通っている電車より値がはってしまうのだ。
進月駅経由ならその次の駅が黒石駅、護が使う駅。もしそうなら、護と早く出会えたかもしれない。でも、時間もかかる。だから、早く行ける、値段が安い方を選んだ。
まず風見駅の二階に上がり、反対側に繋がっている通路を歩く。そして階段を降りれば、護達が待っている場所に着ける。
……やっと……。
楽しみにしていた。護の隣にいれることを。七夕パーティーで親睦を深められることを。
「お姉ちゃん。似合ってるのかなぁ……。これ」
「大丈夫だって。渚。私は護に似合ってるって言ってもらえたし、私達双子なんだから大丈夫」
「そうかな…………」
渚はトイレの鏡の前で髪を弄っていた。久しぶりにおろした髪を。
外出する時にツインテールにしてない。どれくらい久し振りなのだろうか。久しぶりすぎて、前がいつだったのか思い出せない。
「ほら、時間も時間だし、はやく行くよっ。護が待ってる」
成美が急かしてくる。
渚だってこの髪型が嫌なわけではない。新しい自分を護に見せることが出来るのだから、それは自分にとってプラスにはたらく。
でもちよっと、新しい自分を見せるのは恥ずかしかった。
「あ…………、渚先輩、成美先輩…………」
「あれ? 心愛じゃん」
まさかのトイレでばったり。
いつもとは雰囲気の違う心愛が自分達の前にいた。
「ポニーテールじゃんか。心愛」
「え、え……。まぁ」
「心愛のポニーテール姿を見るのは、あの水着を買いに行った日以来だね。似合ってるよ」
「ありがとうございます……。あ……」
心愛の目線が、移る。成美から渚にそして。渚の髪型に。
渚も髪型を変えていた。心愛と同じく。
髪の毛をおろしている渚を見るのは、これが初めてだった。自分は違う。二回目だ。
「お姉ちゃんがおろしてみて、って言うから…………」
恥ずかしそうに、渚は身体の前で手を組む。
新鮮な姿。成美と同じ髪型ではあるものの、その新鮮さは変わらない。成美が髪をおろしている姿を初めてみたときの感想と同じ。
成美は頻繁に髪をおろしていた。どちらかというと、ハーフツインにしているほうが少ないくらい。
でも、渚はいつも通りだった。成美がどれだけ変えても、変えようとはしなかった。
……でも……。
今日は違う。今でも少し嫌がっているようにも見えるが、成美と同じように髪をおろしてきた。
なぜなのだろうか。心愛は一つの答えを出す。
……七夕パーティー……。
七夕パーティーだから。年に一度の七夕。ロマンティックな一日。そんな特別な日だから、イメージチェンジをしてきたのだろう。護にインパクトを残すために。
……渚先輩も……護のことが好き……?
恐らく、そうなのだろう。仲を深められるような接点がどこにあったのか、それは分からないが、好きなのだろう。
自分が知らないだけ。自分が知らないうちに、護は渚にも優しさを振りまいていたのだろう。
分からないことがたくさんある。
だけど、それも。
……今日で分かるのかなぁ……。
誰がどれだけ護のことが好きなのか。今日で大方分かるだろう。七夕パーティーといえども、目的は護といることなのだ。護がもしいなかったら、このパーティーは無意味なものになってしまう。
どれだけ護の側にいられるか。それがかかっている。
皆がいるから、側にいられる時間は少なくなるだろう。でも、頑張らないといけない。
護のことが好きだから。
この想いも皆同じ。皆より抜きん出た想いを持たないといけない。
そのためには、護のことを想い続けないといけない。
「で、心愛もここに来たってことは、髪、いじりにきたの? 」
「確認しようと思って、手鏡じゃ小さくて分かりにくいので」
「なるほどね」
いつもツインテール。二つに分けてるわけだ。でも、今日はポニーテール。一つにしかまとめていない。その分、少し頭が重い。
「全部一つでまとめたの? 」
「そう……ですね。分けた方が良いのかな、とは思いましたけど。
何も、全部まとめる必要はないのだ。少しくらい、横にたらしてみてもいいのだ。
「まだ……時間あるよね」
「……………………? 」
「ね、心愛。私がちょっと弄っていい? もっと可愛くしてあげるから」
成美の手が心愛の髪に触れる。優しく、傷つけないように、ゆっくりと。
初めての感覚。誰かに自分の髪型を決めてもらうなんて。
「やっぱり、髪長いね」
髪をおろすと、腰の中間くらいまで髪の先がくる。
長いほうがアレンジはしやすい。ただ、手入れが大変だ。髪を洗う時とか、乾かす時とかも。
櫛が無かったのだろう。手櫛で髪を分けてくれる。何か不思議な感覚。ちょっとだけ、こそばゆい。
……護にやられたら……。
どうなるのだろうか。当たり前だが、されたことなんてない。させようとも思ったこともない。でも、案外いい。護にやってもらったら、もっと気持ちよく感じるのだろうか。
「ポニーテールはポニーテールでいいよね? 」
「あ、はい」
数分後。
「はいっ。完成っ」
「わぁ…………。ありがとうございますっ」
「同じポニーテールでも雰囲気変わるんだね」
成美は満足げな顔色を浮かべ、渚は成美の手によって変えられた心愛の髪型を見て驚嘆している。
前髪を作り、サイドテール。もちろん、髪留めはピンク色の花のリボン。後ろにあったものを右に、無かったものを付け足す。たったそれだけのことで、変わる。髪型というのは、やはり重要なものである。
「うん。可愛くなった」
「ありがとうです」
心愛は再度、お礼を言う。
鏡に映っている自分の姿を見てみる。いつもツインテール。サイドテールは、その片方がない感じ。それだけで、本当に変わってる。気持ちの持ちようも変わってくるだろうか。
「そろそろ行く? 五分前だし」
「渚はもういいの? 」
「何が………………? 」
「髪のこと」
「うん。これで護君にも似合ってるって言ってもらえたら嬉しいから」
「大丈夫だよ。私の時も言ってもらえたし」
二人は双子。雰囲気は全然違うものではあるが、やっぱり似通っているところだってある。もっと二人のことを知ったら、より知ることになるのだろう。
心愛だって、最初にポニーテールにした時、似合ってるって言ってもらえた。お世辞かもしれない。でも、そうは思いたくないもの。心から言ってもらえたものだと思いたい。護に褒めてもらえる。それが、重要なのだ。
……さぁ……。
頑張らないと。今日は頑張る。いつも頑張っているけど、今日も頑張る。そうしないと、護の隣にはいつづけられない。
ずっと護の隣にいる。それが最終の願い。叶うかどうか。そんなことは分からない。だからこそ、叶えるために行動する。
「じゃ、行こっか? 」
「はい」
成美の顔つきも、渚の顔つきも、いつもとは違う。やる気があるという感じか。
……負けませんからね……。