練習の終わり #2
いまさらだが、俺が胡桃ちゃんを保健室まで運ぶ必要はあったのだろうか。
そのままでも胡桃ちゃんが大丈夫だというわけではない。
俺は今、胡桃ちゃんをおんぶしている。それは、胡桃ちゃんが自分で歩けそうになかったからだ。結構なスピードでボールが当たったのだろう。しばらくの間フラフラしてしまうのも仕方がない。
んでだ。さっきまで、俺も胡桃ちゃんとも暑苦しい体育館でハンドボールをしていたのだ。汗を大量にかきながら、ハンドボールをしていたのだ。
そんな汗で濡れている体操服を着た、そんな状態で、俺と胡桃ちゃんは密着しているわけだ。
この状況って、案外ヤバいんじゃね? なんて思いながら、胡桃ちゃんをおんぶしている。
こういうことになるのが分かっていたのだから、咲が薫のどちらかが胡桃ちゃんを運んでやればよかったのだ。
まぁ、二人はあの場を仕切らないといけなかったから、仕方ないといえば仕方がなかったのかもしれない。
俺と胡桃ちゃんとの身長差は分からんが、見た感じ、三十センチくらいの差があるかもしれない。
胡桃ちゃんをおんぶした時に、胡桃ちゃんの頭部分がギリギリ俺の肩を出てくれたのでよかった。もし、そうならなかったら、困っていたところだ。
いや、まぁ、この状況でも、胡桃ちゃんの髪が俺の頬に当たったりして、結構こそばゆかったりするんだが。
……わわ……。
護の顔が近くにある。ほんと、冗談にならないほど近くにある。
護におんぶしてもらっている。フラフラしていても、まだ意識がはっきりしていなくても、それだけは分かる。護の背中がそこにあるからだ。自分が追いかけている背中がそこにあるからだ。
……鼻痛い……。
ハンドボールが顔に当たったのだから仕方が無い。キーパーならよく当たるということを知っていたが、よもや、自分がそのことで怪我をするとは思ってなかった。
怪我といっても、鼻血だけで済んだ。ひどくなる時はもっとひどい怪我をしたりするようで、そう考えればよかった。
未來ちゃんが、ボールが胡桃に当たる少し前に教えてくれていた。だから、それを避けられなかった自分が悪い。ボーッとしていた自分が悪い。護を見ていた自分が悪い。
でも、護におんぶしてもらえた。それは良いこと。ボールが当たっていなければ、こうはならなかったのだ。単なる偶然。偶然が重なった。
「み…………宮永さん…………………………」
「あ、もう大丈夫か? 頭とか鼻とか」
「はい…………。まだ少し…………痛いですけど…………」
「それもそうだな。すぐ治るもんでもないし」
「です…………。宮永さん」
「ん? 」
「保健室に……………………向かってるんですよね……………………? 」
「そうだな。大丈夫だとしても、ちょっとくらいは横になったほうが良いと思うしさ」
「ありがとうございます……………………」
その感謝の言葉の後に別の言葉を続けようと思ってた胡桃だったが、その後の言葉だけを飲み込む。別に言わなくてもいい。今は。
「そういえば………………。鍵……空いてるんですか……? 保健室の……………………」
「あ……………………」
胡桃と護との間に、無言が生まれる。護の歩みも止まる。
「薫か咲が先回りして開けてくれてたりは………………してないよな……」
「さすがに……それは無いと思います………………」
護におんぶしてもらうまで、薫と咲の二人が、胡桃をささえてくれていた。そして、自分達を見送ってくれた。だから、先回りしているとは考えにくい。
「じゃ……、取りにいくしかないな……」
「そうですね…………」
胡桃ちゃんを背負いながら、そして変な気分になりながら、保健室に向かっていた足を職員室にへと変える。
さてと……、あまり人に合わないようにしないと。まぁ、でも、職員室に顔を出せば、そこにいる先生達に見られることになるのか……。それまでに誰か先生に会ったりはしないかなぁ。
だって俺も数ヶ月前まではこの中学校に通っていたわけだから、全員の先生との面識がある。
こんな状況を見られるなら、大勢の先生より一人の先生の方がいい。
「あら………………? 護君? それに……織原さんも……? 」
突然、背後からかけられる声。その声にびっくりしたのは、胡桃ちゃんだった。
「危ね……っ」
胡桃ちゃんが俺の背中からずり落ちそうになったので、慌てて支え直す。いやぁ、色々と危なかった……。うん、色々と……。
「坂本先生、お久しぶりです」
もう一回、ちゃんと胡桃ちゃんを抱え直して、先生の方に向き直る。
「ほんとぅに、久しぶりねぇ。で、今日はどうしたのぅ? 織原さんをおんぶして」
こののんびりとした、気が抜けるような喋り方。懐かしさを覚える。三月までは御崎中学に通ってたはずなのにな。どれだけ高校に入ってからの毎日が濃いものだったのかが分かる。
あ、ちなみに、坂本先生は、女子ハンドボール部の顧問である。なぜ部活に顔を出してなかったのか。言及はしないことにする。
「ちょっと怪我してしまって…………」
「織原さんが? ボールが当たったりしたのぅ? 」
「まぁ、そんなとこです。あ、先生」
頼まないと。
「ん? どうしたのぅ? 」
「保健室の鍵……取ってきてもらっていいですか? 」
「分かったわぁ。その格好で入るのは恥ずかしいもんねぇ」
「はは。そうなんですよ…………」
ふぅ。分かってくれた。良かった良かった。
「じゃ、一応、職員室の前まではついてきてねぇ」
「はい」
俺と坂本先生が話している間、背中にいる胡桃ちゃんはずっと黙ったままだった。
やっぱり、恥ずかしのか。俺だって恥ずかしいわけだし。まだそんなに先生との面識が俺より少ない胡桃ちゃんなら尚更か。
「そういえば護君? 護君がここにいるってことはぁ、薫さんと咲さんもいるの? 」
「そうですね。二人に誘われたから俺もここにいるわけですし」
「やっぱりそうなんだぁ」
そういえば、俺が初めて女子ハンドボールを部に顔を出した時も、そんな感じだったような気がする。