葵とハンドボールレッスン #4
「パスとかそんなのはあたし達も一緒にやるよ? 」
「でも、ドリブルとかそういう攻撃面に関するのは護が教えるべきだよ」
まぁ、ディフェンスよりオフェンスの方が練習してきている。教えるならそっちのほうだ。そのほうが教えやすいのも確かだ。
でも、いくら薫と咲がディフェンスに比べてオフェンスの練習をやってこなかったとしても、俺と二人との差は微々たるものだ。もしかしたら、俺より上手い。オフェンスよりディフェンスの上手さが光っているだけだからだ。
「まぁ…………。二人がそう言うなら……」
二人が教えて、俺が修正をいれる。そんな練習方法でも良いかもしれないと思っていたが、俺がするべきだというなら仕方ない。二人のほうが良いのは確かだけど、仕方ない。
「最初はパスから。というか、まずはボールの持ち方かな」
咲が仕切る。咲と薫。護と葵のペアで練習を始める。
このペアに少し不満がありそうな薫であるが、今は我慢してもらう。欲を言ってしまえば、自分だって護と組みたい。だけど、諦めるのだ。
三人とも、護への想いは同じ。護のことを想い続けている時間は薫が一番長く、次に咲、そして葵だ。
この場において一番のアドバンテージがあるのは薫。もうすでに、薫と護、互いの信頼度とか絆とか、そういった二人を結んでいるものは、こんなちっさなことで崩れるものではない。だから、葵に譲ったのだ。
……あたしはどうするべきなんだろうねぇ……。
咲だって、護への想いを、護が好きだという想いを、忘れているわけではない。ずっとずっと持ち続けてきている。
だけど咲の恋は、あの卒業式の日で、いったんの終わりを迎えたのだ。
家族の事情とはいえ、引っ越してしまった。それでも、護と薫と同じ高校、御崎高校に通うことは普通に出来た。でも、咲はそうしなかった。
いくら想いがあったって、距離が離れてしまえば薄くなってしまう。だって、毎日のように会えるわけではなくなってしまうからだ。
薫に紹介されて護のことを想いはじめた。護の気を惹こうと、薫のマネをしてみたりもした。それは、功を奏すしていた。上手くいっていたのだ。
だけど、咲はそれを投げ捨ててしまった。引越しが決まる前に護の気持ちを知っていれば、そうはしなかった。間に合わなかったのだ。
だから、あの日、終わりにしたのだ。想いを封印した。護と薫がくっつきますように、と願いながら。
……どっちを応援するべきか……。
薫は護にその想いを伝えた。しかし、まだそれは実を結んでいない。ライバルがいるからだ。
そんなことになろうとは咲は思っていなかった。いくら護に寄ってくる女の子がいようとも、薫には勝つことが出来ないと思ってたからだ。中学の時、護と薫の仲の良さを近くで見てきたのは自分なのだ。あの時は、想いが通じ合っていたのだ。
でも、今はどうなのか分からない。絆は深いままだと思う。だが、そこに割り込んでくる者がいる。
青春部の存在だ。
そもそも、咲はその青春部には入ってないし、御崎高校にもいない。だから、詳しくはしらない。けど、青春部の少ないメンバーの大半が護のことを好きだということを知っている。
ちゃんと一人一人に確認してみたわけではない。だけど分かる。何故か。自分も護のことが好きだからだ。想いは一緒なのだ。
あの日、久し振りに護に会った日から、他の人の想いに気付かされてから、封印したと思っていた気持ちが溢れようとしている。
……だけど……
いくら護に対する想いが高まろうとも、想い続けることを許されても、その恋が叶うことはない。
もう、物理的な距離が遠くなってしまった。護の近くにいる女の子にはかなわない。お互いの気持ちを通じ合わせるためには、時間が必要なのだ。どれだけ一緒に同じ時間を過ごせるのかが必要なのだ。
だから、咲は諦める。想いを持ったまま諦める。
「咲………………? どうかした? 」
「んー? 何もないよー? 」
悟られるわけにはいかない。こんな思いを気付かれるわけにはいかない。
「そう? じゃぁ、始めよっか? 」
「うん、そだね。護? 葵ちゃんの方は任せるよ? 」
「おぅ」
練習だ、練習。忘れてはならない。護のことばかりを考えていてはならない。
「ボールの持ち方も決まっててねぇ。親指と小指で挟むように持つんだよ。残りの指は支える感じでね」
葵に示して見せる。
「こう……ですね」
「うん、そうそう。はい、続きは護」
……いきなりふられた……。
まぁ、仕方ない。口で説明するのが上手くいくかどうかは分からないが、やるしかない。
「わ、分かった」
「よろしくお願いしますね。護君」
「おぅよ」
今、ボールを持ってるのは葵だ。俺が最初に持っておけば良かったかも。そうすれば、俺が先にやってみせてパスをすることが出来た。
「口で説明するから、一回やってもらっていいか? 」
「はい」
すごくヤル気が感じられる。ここに来る前からやってみたいと思っていたのだろうか。そんな素振りは全く見せてなかったが。
「葵は右利きだから、左足を前に出して投げるんだ。で、その時に注意しないといけないことがある」
フォームを見せた方が分かりやすいか。
「注意すること……ですか」
「うん。まずは肘。これを肩の線よりも下がらないようにするんだ。それで、左肩をしっかり相手に向け、腰と肩を回転させながら投げる。投げる時はスナップを利かせる感じで」
「分かりました」
護に言われた通りのことをやってみる。肘を肩より上にして、手首のスナップを利かせながら投げる。
「……………………えいっ」
葵の投げたボールは、綺麗な弧を描いて護の元に飛んでいく。
「そうそう。そんな感じ」
良かった。自分の投げたボールがちゃんと護に届いた。
これが出来ただけではまだまだ護に追いつけやしないが、ほっ、と息をもらす。
「もう一回」
そう言い、さっき教えてくれたのと同じ動作でボールをパスしてくれる。葵が取りやすいスピードで飛んでくる。
こんなところでも、護の優しさを感じることが出来た。護の中では、当たり前のことなのだ。
さっきと同じように、だけどより綺麗になるように、護にへとボールを出す。
「まぁ……こんなもんかな。咲、薫。ちょっと頼んでいいか? 」
「ん? 何かな? 」
「どうかしたの? 」
「葵のパスを取ってもらっていい? 」
「ん、了解」
護が自分に近づいてくる。さっきまで護がいた位置よりも後ろに薫と咲が立つ。手取り足取り教えてくれるということだろうか。葵にとってその方が良い。より、護を感じることができるからだ。護への想いをつよめることが出来るからだ。
「あれだ、肩甲骨。肩甲骨も意識してやってもらっていいか? 俺は後ろから見てるし」
「はい。分かりました」
「腕を後ろに引く時に肩甲骨の動きも意識して、腕を高く上げるんだ」
護が葵の背後に回る。護の視線を背中に受ける。優しい視線。きちんと教えてくれようとしている視線。
「今みたいに肩甲骨を意識すると腕の可動範囲が広がるんだ。そうしたら、スピードがつく。あ、腕だけでボールを押し出さないように」
再度ボールを握り直し、咲のほうに爪先をむける。薫は咲の横で見ていてくれている。
「いいよー。葵ちゃん。投げてみて」
護の言っていたことを、心の中で反芻してみる。
ずっと、練習の風景を見ていた。しっかりと振りかぶることが重要なのだろう。肩と腰を使うということは、上半身のひねりを加えて投げればいいわけだ。そして、重心も後ろ足から前足へスムーズに移す。
「あ……………………」
ちょぅとだけ、思った位置よりも左にボールが飛んで行ってしまう。上手くいかなった。
「投げる時は、手首と指先でタテ回転をかけるんだ。これで、ボールに伸びがでるからさ」
「その方がコントロールがつきやすくなるからね。もちろん、スピードも必要不可欠。受け手が捕りやすくなるように、ね」
ちゃんとしたフォームで咲からボールが返ってくる。
「はいっ」
「ね、護」
「何だ? 」
「ラテラルパスとかフックパスとかも練習するの? 」
「あぁ………………どうしよっか」
今自分が教えてもらえているのは、基礎の基礎のやつなのだろう。勉強でもそうだが、基礎が出来ないとその先には進めない。たまに出来てしまう時もあるが、それはフロックでしかない。それでは駄目なのだ。
こう思うのもおかしいかもしれない。だって、最初は全くする気は無かった。見るつもりだった。本当に。
でも、見てるだけは無理だった。楽しそうな姿を見ていると、自分もそこに参加したくなった。
自分がスポーツを苦手としていることを知っている。運動全体を苦手としていることを知っている。
だけど、したくなった。護、薫、咲に教えてもらえるのなら、ちょっとくらいなら出来るようになるかもしれないと思ったのだ。
葵は三人がハンドボールをしているところを見たことがなかった。そして、分かった。この三人は本当に上手だと。それと同時に、自分が少し教えてもらっただけでは薫と咲にはかなわないと。この点だけでは、絶対に二人の上に立つことは出来ない。
もうそれは仕方のないこと。ずっと二人はやってきていて、そこに護もいた。だから、かなわない。
「その二つは…………難しいものなんですか? 」
「フックパスはそんなに難しくないけどねぇ? 」
「ラテラルパスはあんまり使わないものだな」
「そうなんですか」
練習出来るなら、自分でも出来るようになれるものなら、何でもいい。何かが出来るようになればいいのだ。それだけで、二人を超えることが不可能でも、ちょっとだけ近づくことが出来る。
「葵はどう? 練習したい? 時間もないから、シュートとかもどうかな? って思ってたんだけど…………」
「どうしましょうか………………」
今も護が近くで見てくれた。シュートなら、またしても見てもらえる。護にずっと見てもらえる。護が見てくれるなら、より頑張れるような気がする。
「基礎からのほうが良いと思ってたけど、葵ちゃんは今後ハンドボールをやる機会があるとは限らないんだよねぇ……」
「そっか……………………」
「はい……。そうですね……。授業とかではあるかもしれませんが………………」
咲の言う通りだ。今回はタイミングが合ったから、こういう風にハンドボールをする機会があった。でも、今後、四人でやるという場合、皆の予定が合うとは限らない。
護と薫なら楽に予定を合わせられるだろう。しかし、咲は難しい。そもそも通っている学校が違う。咲にだって部活がある。こっちが休みだとしても咲は休みだとは限らない。
「シュート練習……しましょうか。見てたらかっこよかったですし、してみたいと思ってたんです」
「あ、やっぱりかっこいいって思うんだ。葵ちゃんも」
「咲ちゃんもそう思ってたんですか? 」
「まぁ、そんなとこ」
「そうだったの? そう思えばあたし、咲がハンドボールをやり始めた理由聞いたことなかったね」
「そうだね」
「理由なんてものは人それぞれだしな。正直、楽しんでやれるなら、俺は理由は何でもいいって思ってるし」
……あ、また……。
また、三人での話に花を咲かせてしまっている。こうなってしまうと、葵は入っていくことが出来ない。
こういう時があるから、葵はハンドボールをしてみたいと思ったのかもしれない。