葵とハンドボールレッスン #3
うまくは言えないが、まだ俺が小さかった頃、薫に惹かれるようになっていったのは、このハンドボールが影響しているかもしれない。昔から、ハンドボールをしている薫の姿はかっこよかったのだ。
家が隣だから元々近かった距離が、ハンドボールによってより近くなった。近すぎて、薫への想いはだんだん薄れてしまっていった。
俺に告白してくれた女の子の中から誰を選ぶのか。このことは、俺にとって一番難しい問題だ。これ以降にも、これ以上難しい問題は出てこないだろう。
何回言ったかは分からないが、本当に選べない。でも、近いうちに選ばないといけない。時間は刻々と迫ってきている。
これまでに、一人を決めるチャンスは色々と巡って来ていたのかもしれない。だけど、俺が先延ばしにしてきたのだ。全員の告白を、保留にしてきたのだ。
もし、高校に入ってから最初に告白してくれたのが葵ではなく薫だったら、咲に謝りながらも薫と付き合っていたかもしれない。
いくら家族同然として過ごしてきて昔に比べて好きという想いが薄れていたとしても。
だけど、そうにはならなかった。葵の告白、心愛の告白を受けてから、薫の告白を受けた。だから、すべてを保留にしてしまった。悠樹の告白も成美の告白も杏先輩の告白も保留。
「あたしがハンドボール部に戻るって言ったら、他の皆はどういう反応をするのかな…………」
「どうだろうな」
「青春部に来れる時間も減っちゃうだろうし、止められちゃうのかな。やっぱり、青春部の中の時間は大切なものだし」
「薫がしたいことなら……全員、応援すると思うぞ。だって、ハンドボールをしている薫の姿には、人を惹きつけるものがあるからさ」
「あ、ありがと……」
だから、こんなにも人が集まっているのだ。この御崎中学のハンドボール部がここまで大きくなったのだ。
「テスト終わったらさ……言ってみるよ。杏先輩に」
「おぅ」
この薫の選択がどなるのか。それは分からない。でも、薫にとって良い方向に進んでくれたら良いと思う。
「護はどうする? ハンドボール部入ってみる? 」
「え………………? 俺? 」
まぁ、これまでにハンドボール部に入ったことはなかった。ずっと、薫の練習に付き合ったりしただけだ。女子ハンドボール部のメンバーみたいな感じだった。俺は男だけど。
「中学の時みたいに練習に付き合ってくれるだけでもいい。でも、護にもちゃんとやってほしい」
「うーん…………。そうだな………………」
別に、部活にはいるのが嫌だということではない。小学校の時は部活に入っていた。俺は、ハンドボールを遊びの一つとしてやっきた節がある。だけど、薫はそうではなかった。俺と薫との力の差はここで生まれたのだろう。
「無理に、とは言わないけど…………」
中学の時からそうなのだ。護は、ずっと部活に入ることを断っている。何故なのか、詳しくは分からない。
小学校の時はそうではなかった。まだ皆の周りが遊び半分でやっていたからかもしれない。
護が部活に入らなくなったのは中学からなのだ。薫と咲の練習に付き合ってくれることはあった。だけど、部活の話を出すと有耶無耶に護はしてきたのだ。
護にも部活に入ってほしいという思いがあったが、いってしまえば、そこまで気にすることではなかった。
だって、護は楽しんでハンドボールをしているから。
薫だって咲だって、心からハンドボールを楽しんでる。だから、これまで無理強いをしてこなかった。
「やっぱりさ………………」
護がゆっくりと口を開く。
「どしたの? 」
「薫とハンドボールするのが俺は好きなんだよ」
「え……………………? 」
「薫が俺にハンドの楽しさを教えてくれたようなもんだしさ」
そうだ。そうだった。護のいう通り。薫が、ハンドボールの世界に護を引き込んだのだ。
だから、薫がハンドボールをする時は、隣にずっと護がいた。中学になってからは咲がいた。
薫自身、護がチームメイトにいないプレーに馴染めない時があった。同じようなことを、護も考えてくれていたのかもしれない。
「じゃぁ、護…………」
「ん? 」
「マネージャーしてみる? 女子ハンドボール部の」
「え……? 俺がか……? 」
「そそ」
自分と同じところでハンドボールをしてくれるのであれば、そういう選択肢だってあるかもしれない。
「男の俺が女の部活のマネージャーっておかしくないか……? 」
「そっかな? 野球部とかサッカー部とかのマネージャーは女の子だし、男の子のなかに女の子が一人って感じだよ? その逆と考えれば……」
護は慣れている。男の子といることよりも女の子といることに。だから、薫はそう提案してみたのだ。
「いや………………。そりゃそうだけど…………何か違うだろ……」
「やっぱり嫌…………だよね」
「そういうわけじゃないんだけどさ……」
薫だって自分で言ったことではあったが、少しおかしいと思っていた。でも、護なら軽く承諾してくれるかもしれないと思ったのだ。
「あぁ、もう。分かった。やるよ」
「本当に………………っ!? 」
「薫は部活に戻るんだろ? お前がハンドボールしてる姿を近くで見ていたいし……やる」
……本当にやってくれるんだ……。
少しだけ悩んでいた護だったが、薫の要件を飲んでくれた。色々と考えた結果、自分の利益よりも薫の利益の方が大きいと。そう思ったのだろう。
こういう時くらいは断ってくれてもいいと思うが、護はそうしない。護の行動理念は、他人が第一におかれるからだ。
この優しさは、皆にむけられる。自分だけに向けられるものではない。だから、ちょっとだけヤキモチを焼いてしまったりもする。その優しさを自分だけに向けてほしいと。
「護ー。薫ー。ただいま」
体育館の扉がガラっと開いた音がしたかと思ったら、咲と葵のお帰りだった。
「お、おかえり………………」
薫は、俺の肩の上に乗せていた頭をすぐにのけた。本当にギリギリのタイミング。見られていたら何を言われるか分かったもんじゃない。
「ただいまです……。護君。薫」
咲の後を、葵が走ってついてくる。ん? 中学の体操服? 何でだ……?
「おぅ。おかえり」
「やっぱり……………………気になりますよね……」
「体操服のことか? 」
「はい…………。ちゃんと高校の保健室から体操服を借りようとしていたんです。ただ鍵が閉まっていて………………借りられ無かったんです。だから………………仕方なく中学の保健室から借りたんです……………………」
「なるほど……」
戻ってくるのが遅かったのは、それが理由なのか。無理して探さなくてもよかったと思んだが、それだけ葵は、ハンドボールをしたかったということになるのだろうか。
そりゃ、咲と薫の二人に教えてもらえる機会なんてないだろうし、このチャンスを無駄にしたくなかったのだろう。
でも、葵はスポーツが苦手。どこまで出来るようになるかは、二人にかかってる。あ、俺も教えるんだったっけか。
「ま……護君………………」
「どうした? 」
咲と薫が何やら話しているので、葵がこっちに寄ってくる。
「体操服………………おかしいところ…………ないですか? 」
「おかしいところ? 」
体操服におかしいところ? そんなものはない。ただ、ちょっとだけ小さいのかな、って思える。まぁ、御崎中学の体操服に身を包んでいる葵を見れると思っていなかったから、ある意味よかった。
「小さいんです………………。この体操服……」
あ、やっぱり小さいのね……。
そう言った葵は、はずかしそうに体操服の裾を押さえ始めた。いや、そんなことをするとだな、身体の一部がよりくっきりと浮き上がるわけであって……。うん、目に毒だ。
「動くのには問題ないのか………………? 」
「いえ……。手を前に伸ばしただけで………………ちょっとお腹が見えてしまいます」
葵はそう言うと、何故か実践してしまった。
……ちょっ……!
葵が腕を前に出すのにつれて、ゆっくりと体操服の裾が上にへと上がってゆく。葵の肌がその隙間から露わになる。
何で葵が恥ずかしがってるのか。理由は分かった。見せつけられているこっちだって恥ずかしくなってくる。
目線をそらさないと……。
といっても他に目を配るところはない。どこを見回してみても、汗に塗れた体操服姿の女子しかいない。あぁ、女子ハンドボール部のマネージャーを本当にすることになったら、毎回こういう気持ちになるのだろうか。
誘惑には負けまいと葵から目線をそらしながら、おそらくどんなことをやるのかの打ち合わせをしている薫と咲に声をかける。
「さ、さぁ。練習しようぜ。時間も少ないことだしさ」
まぁ、もう葵は手を下げていて葵のお腹が見えないようになったのだが、俺が今まで見たことないくらいに葵は顔を赤らめている。
こんな葵を今後見ることが出来ないだろうから葵を目に焼き付けておきたいが、そんなことをするのは偲びない。
「そだね。葵ちゃんがどこまでできるようになるか。あたしと薫にかかってるわけだね」
「護も手伝ってよ? 」
「分かってる分かってる」
今日も含め、他の人に教えることはこれまでに結構あったから大丈夫だと思いたいが、葵は勝手が違う。初心者である上に、葵は運動が苦手だ。どうなるかは、やってみないと分からない。
長椅子を片付けて、ある程度のスペースを作る。ハンドボール用コートは三面とも使ってるから使えない。だから、この休憩スペースを使うことになる。
普段ならこんな場所を使うことは絶対に無いだろうが、今は大丈夫。
練習だからそんな激しいことをするわけではない。それに、するのは葵だ。簡単な練習になる。だから、俺達四人が普通に身体を動かせるスペースがあれば十分なのだ。
屈伸等をして、もう一度身体をほぐしておく。やらなくても良かったことだが、怪我とかしたら元も子もない。それに、今、このタイミングで怪我をしてしまったら、七夕パーティーに行けなくなってしまう可能性が出てくる。
それだけは避けたい。青春部での七夕パーティー。これ自体は来年も再来年もあるだろう。ただし、その場に佳奈と杏先輩はいない。
……そっか……。
当たり前のこと。考えないようにしていただけなのか。
佳奈と杏先輩は三年生だ。来年には大学生になっていて、青春部にはいなくなってしまう。ってことは、これが最後なのだ。
卒業まではまだまだ時間があるが、楽しい時間はすぐに過ぎていくという。本当にあっという間と感じることだろう。
「護君? どうしたんですか? そんなにボーッとして」
「あ、悪い悪い。何でも無い」
「そうですか」
練習することをうっかりと忘れてしまうところだった。危ない危ない。
「やろうぜ。練習」
「はい」
さて、練習開始だ。
ここには丁度いい感じに、オフェンスを主としている俺、鉄壁の守りを誇る薫、キーパーとしてすごい咲がいる。
「どんな練習にしよっか? 」
「あたしの得意分野を葵ちゃんに教えられないのはちょっと寂しいけど、キーパーの練習はしなくていいよね」
「そうよね……。パスとドリブル、それとディフェンスくらい……」
今を楽しむための練習。葵にハンドボールに興味を持ってもらうための練習。別に、葵はハンドボール部に入るわけでもなんでもない。今薫が言ったことをそれなりに出来るようになってくれたら。
「ここは護の出番かな? 」
「へ? 俺? 二人の方が上手いだろ? 」
教えるつもりだが、俺がメインになって教える必要はない。だって、二人のほうが出来るのだから。