葵とハンドボールレッスン #2
カサ、と衣擦れの音がする。葵が着替えを始めた音だ。葵を見ないようにする形で、咲は近くのベットに腰掛けようとする。
が、やっぱりやめる。さっきまでずっと汗をかいていて、今だって汗をかいている。だから、やめる。
「葵ちゃん。着替え終わったら言って」
「分かりました」
咲も葵も女の子だ。だから、別に着替えを覗いたとしても問題はないだろう。でも、咲は何となく見ないことにした。いくら同性であろうとしても、見ないほうが良い気がしたのだ。その理由は、ここでは言えない。
「咲ちゃん………………」
「終わった? 」
「いえ………………。そうじゃなくてですね……」
……どうかしたのかな……?
「服はどうしましょうか…………」
「あぁ、服? 」
「はい」
そうだ。当たり前だが、葵がさっきまで着ていた服は、普通の私服だ。葵らしさが、清楚さが感じられる服だ。
体操服に着替えるのだから、そのさっきまで着ていた服は、どこかに置いておかなくてはならない。
いくら、この保健室に人が来る可能性が低いとしても、無造作に誰もいない部屋に服を置いておくわけにはいかない。少なくとも、咲は嫌だ。
「まぁ、体育館の更衣室に置くしかないよね」
「ここで着替える必要は……無かったですね……」
「そだね。ゴメンね。ちょっとでも時間を短縮しようと思ったんだけど……」
「いえ。私だって気付いていませんでしたから………………よいしょ……。さ、着替え終わりましたし、戻りましょうか」
「ん、分かった」
咲にとって懐かしい体操服に身を包んだ葵。
「やっぱり、ちょっと短いみたいだね? 」
「そう、ですか……? 」
下の短パンは……そこまで気にはならない。問題は上。
普通にしているだけなら問題ないのかもしれない。しかし、これからハンドボールをするのだ。動かないといけない。
それに、少しだけ胸が圧迫されている。少しだけ小さい感は否めない。
「じゃ、ちょっとだけ伸びしてみて? 」
「伸び……ですか? こう………………ですか……? 」
咲の言う通りに、葵は両手を上にあげて大きく伸びをする。すると。
「ほら、ちょっとだけおなか見えてるよ? 」
「………………っ。本当……」
その体制のまま目線だけを下に向けてそれを確認してしまった葵はすぐに伸びをやめ、はずかしそうに体操服の裾を押さえた。
……この姿……護に見せたいねぇ……。
裾を伸ばそうと、葵はがんばっている。その度に、咲よりかは小さいが普通にしては大きいモノを持ってる葵のそれは、体操服に押し付けられている。
「チラ見え。護も喜ぶんじゃない? 」
「そ、そんなところで…………喜ばれてどうするんですか……っ。恥ずかしいですよっ」
中学生までずっとお隣さんとして、幼馴染として、葵を見てきた咲。こんな感じに恥ずかしがっている葵を見るのは、初めてだった。
「それが一番大きいやつなの? 」
恥ずかしがっている葵の姿を護に見せてあげたいが、強要することは出来ない。それに、そのクローゼットの中にはたくさんの体操服があった。
「ちゃんと全部のサイズ確認しました……………………。これが一番大きい体操服です……」
「あぁ…………。なら、仕方ないよ。まぁ、今日はハンドボールしない、っていうのもアリだけど」
「それは嫌です……」
葵は、咲の言葉をすぐに否定した。
嫌。葵の口から、自然とその言葉が出ていた。
本当は見にきただけだった。でも、一度やりたいと思った以上、ハンドボールをしたいという衝動は、護に教えてほしいという衝動は、そう簡単になくなるものじゃない。
「じゃぁ、する? 」
「はい」
恥ずかしいことには何ら変わりはない。護に見られるのだから、その恥ずかしさはより増幅する。
体操服から肌がチラ見えする程度、昨日お風呂を一緒に入ったことにくらべたら、その恥ずかしさには雲泥の差がある。
ただ、男の子としてはチラッと見える方が良いのかな、なんて葵は思ってしまう。
……んんっ……ふぁぁ……。
葵はもう一回背伸びをしてみる。やはり、下に着ている短パンと上の体操服の裾との間に、三センチから五センチほどの隙間が生まれてしまう。
さっきまでは気にならなかったが、よくよく思ってみれば、上がこうしてちょっと小さいということは、もちろん、下もそうなっているわけだ。高校の体操服より、やっぱりしめつけ感が違う。こっちのほうがキツい。
「戻りましょうか」
「だねぇ。時間もちょっとオーバーしちゃってるし……」
咲と葵はまだ帰ってこない。だけど、休憩時間は終わりを告げた。
「さっき決めたメンバーで試合して。一応、紅白戦って感じだけど……このメンバーに選ばれなかった人は……さらに頑張って」
薫は、試合に出るメンバーにも、試合に出れないメンバーにも、労いの言葉をかける。
この紅白戦は、薫がここにいた頃からやられていたものだ。紅白戦ともいえども、メンバーの強さを底上げするためにやられる。
コートが三面あるとしても、プレーできるメンバーには数がある。だから、必ずはぶかれてしまうメンバーが出てきてしまうのだ。
選ばれたメンバーは次も選んでもらうために頑張る。選ばれなかったメンバーは次には選んでもらえるように頑張る。これで、皆の能力をあげることが可能だ。
……よいしょっと……。
腰をあげて、薫は軽くストレッチをする。だけど、葵とは違って、おなかが見えてしまうなんてことはない。
「二人戻ってこねぇな」
「探してるんだと思うよ。多分、高校の方の保健室には置いてないだろうし」
「じゃ、どうするんだ? まさかここの保健室から体操服を借りるつもりなのか? 」
「多分……そうだと思うよ」
高校の方を先に回ってから、中学の方に足を伸ばしたのだろう。だから戻ってくるのが遅くなっている、と薫は解釈する。
「葵に教えるんだよな? 」
「うん。葵にも楽しさを分かってほしいから」
「そっか」
これまでにハンドボールをやったことのない葵が、今からの約一時間くらいの時間でどこまで出来るかは分からない。一時間だけでは、楽しさを分かってもらえないかもしれない。
「二人戻ってくるまで出来ないし、もう少し待ってよっか」
「おぅ」
ストレッチをし終わった薫は、もう一回護の隣に腰をおろす。いつもよりかは近く、護の横に座ってみた。そのことに、護は気付いていないようだ。
紅白戦中だから、もちろん、試合中のメンバーは薫と護のことをきにかけている余裕はない。出てないメンバーだって試合を集中して見ているから、こっちに目線が送られることはない。
もうすぐ帰ってくるかもしれないが、今は葵と咲もいない。いってしまえば、自分と護とだけの空間を作ることが可能だ。
トン、と、薫は護の肩に、自分の頭を預ける。
「か、か、薫………………っ!? ど、どうしたんだ……? いきなり……」
「なんとなく。こうしたくなって」
案の定、護は驚きを見せている。それも、薫が思っていた以上に。
薫がこうすること自体、今回が初めてだからだ。
物心がついた時から一緒にいた護と薫。護に甘えたりすることは幾度となくあっただろうが、今回のようにすることはこれまでになかった。
「汗かいてるからさ………………、やめてくれるとありがたいんだけど……………」
「あたしだって汗かいてる。だから、気にしないよ。それに、護だから」
護の汗の匂いと護の家で使われている洗剤の匂いとが混ざったような匂いが、薫の鼻に届く。ずっと身近で感じてこれた匂いだ。だから、嫌だとか、そういった感情は一切ない。
「ね、護? 」
そんな体制のまま、薫は会話を始めようとする。もう、護も嫌がっていないようだ。
「何か話しでもあるのか? 」
「まぁね。護はさ………………どんなあたしが好き? 」
「唐突に何だよ………………。難しい質問をするんだな……」
自分達の中から誰を選ぶのかで苦悩している護に、そんな質問をしている。薫だけのことを考えた場合どこが好きなのかを、薫は護に問うていた。
「ごめんごめん。青春部でわいわいしてるあたしと、ハンドボールをしてるあたし。護はそのどっちが好きなのかなぁって思って」
「どっちが好き、か………………」
護と薫との絆を深めているものの一つに、ハンドボールがある。やっぱり、これは大きいものだ。しかし、青春部というものに互いが入ったから、ハンドボール以外の深い繋がりがある。これは、ここ数ヶ月での影響がでかいものだ。
どちらの薫も、護に好きでいてもらいたい薫だ。その想いは変わらない。
「………………昔からお前のこと知ってるから、やっぱりハンドのイメージが強いな。今日久しぶりにハンドしてる薫を見て、やっぱすげーな、って思った」
「ありがと。護だって十分強いんだからね? それだけは覚えといてよ? 」
「あぁ」
はっきりとは答えてくれなかったが、後者のほうをとって良さそうだ。薫としては、ちょっと嬉しい答えだ。
「もう一個質問だよ、護。あたしがまたハンドボールするって言ったらどう思う? 」
「え………………? 部活入るのか? まぁ、俺としちゃ、嬉しいことだったりするが」
「まだ悩んでる。青春部で過ごす時間は楽しくて失いたくない時間だから。でも、今日こうやってハンドボールやって……楽しかったんだ。あたしはやっぱりハンドボールが好きなんだなぁって思った」
「そっか……」
「咲にも胡桃にも、やってほしいって言われた」
「そら、二人ともお前の力を知ってるからな。薫が俺のこと好きだって伝えてくれる前にそんな話聞いてたら、俺はお前をとめていたかもしれん」
「それは…………ハンドボールを続けてほしいってこと? 」
「まぁな」