葵とハンドボールレッスン #1
……ふぅ……。
護達が真剣に練習をどれくらい経ったのだろうか。この体育館に時計は飾られているものの、その時計は今葵がいる場所の反対にあるので、それほど目が悪くない葵でも、その時計の針を確認することが出来ない。
……休憩時間でしょうか……。
薫と咲の二人が何やら話をしている姿が、時計から目を離した葵の目に入ってきた。
はっきりとした時間は分からないが、おそらく一時間くらいは経っているだろう。
後、もう少しは、ここでこうして待っていることになるだろう。それは、自分が選んだことだ。
「「皆ーっ!! 休憩だよーっ!! 」」
広い広い体育館の中に、精一杯の大声を出した咲と薫の声が響く。
ぞろぞろと自分のいる方に皆が集まってくるから、葵は立ち上がって、自分が座っていた長椅子のスペースをあける。
葵はずっと座っていたから疲れていない。だが、護達三人や、他の女の子達はそうではない。ずっと身体を動かしていたのだから、疲れているだろう。なら、譲るべきである。
「ね、葵ちゃん」
また最初のように体育館の壁にもたれていた葵に、咲からの声がかかる。
「どうしたんですか? 咲ちゃん」
「ずっと見てるだけで暇じゃない? 」
「大丈夫ですよ」
暇か、暇じゃないか。それだけのことを聞かれた、前者になってしまう。でも、ここには見るだけのために来たのだ。二人のプレーを、護のプレーを見るために来たのだ。
だから、身体を動かせるような準備はしてきていない。
「それに、私はスポーツは苦手です。それは、咲ちゃんも知ってるかと」
「そうだけどさぁ……。ね、ね。やってみない? ちゃんと教えるからさ」
「それは願ってもいないことですけど………………」
詳しくハンドボールのことを知ってるわけではないが、咲達三人のプレーが凄いことは分かる。他の部員の反応を見てるとそうだし、何か他の人とは違う雰囲気を醸し出している。
「それに、体操服も持ってきてないですし……………………」
「保健室に行ったら、借りられるんじゃないのかな? 」
「あ、そうですね…………」
体操服くらいなら借りることが出来るだろう。
……体操服があれば……。
体操服があれば、護達の輪に入っていくことが出来る。見てるだけで良い、なんて思っていたが、こういう風に、その輪に入れるチャンスが巡ってきたのだ。なら、それに乗るべきだろう。
何故なら、ハンドボールの点では、薫と咲よりも下だ。あきらかに下だ。したことがないんだから。ハンドボールの話で盛り上がっていたとしても、葵はそこに入っていくことが出来ない。
それは、ちょっと悔しい。
「どう? 借りにいく? 」
「そうですね。そこまで言ってくれるなら、借りにいきましょうか」
「本当!? 良いの? やってくれるの? 」
「咲ちゃんが誘ったんじゃないですか。ほら、行きましょう? 高校の方の保健室ですよね? 」
「うん、ありがと。休憩の時間もあるから、はやめに行こっか」
「はい」
どこまでできるか。やってみないと分からない。教えてもらっても、何も出来ないままかもしれない。でも、楽しめるだろう。それなら良い。
「まさか……保健室があいてないとは…………」
「ですね……」
御崎中学の体育館から数分足を動かせば、御崎高校の東棟があるほうに出てくる。
御崎高校には体育会系の部活棟を除いて、東棟、北棟、西棟、南棟の四つがあって、その全ての一階に、それぞれ保健室が設置されている。
だから葵と咲は、東棟から北西南と、順番に保健室に足を伸ばした。だけど、その全てに鍵がかかっていたのだ。
「ゴメンねぇ……。せっかくやる気になってくれたのに…………」
「仕方ないです」
……どうしよっかなぁ……。
葵にハンドボールをやってもらえるチャンスだと思っていた。だけど、鍵がかかっていたということは、養護教諭もいないということだ。
職員室に行って事情を話せば鍵を貸してくれるだろうが、保健室のどこに体操服が保管されているのかが分からない。そもそも、無い可能性もある。
仕方ないので、体育館に戻る。
「あ、咲ちゃん」
「どうしたの? 」
「私は御崎中学には通ってなかったので分からないんですが、中学の保健室には置いてなかったのですか? 体操服」
「置いてあるけど………………」
薫と話している時にも思った。中学の保健室には体操服が置いてある。何回か借りたこともあるし、養護教諭がいないとしてもどこに置いてあったのかも覚えている。
でも、大きさが問題だろう。高校生の体操服と中学生の体操服とでは、やはり大きさの違いが少し出てくる。着る対象が違うのだから、それは当たり前だ。
それに、中学生から今にかけて、咲の場合は、身長が伸びたりした。
「なら、そこから借りましょう」
「着れる? 中学時の体操服って。あたしは身長伸びちゃったから着れないんだけど」
どれくらい伸びたかというと、中三の時と今を比べると十センチくらいは伸びている。それであっても中学生の間、全体的に身長が伸びた咲にとって、中学生の時の服を着るのは難しい。体操服も御崎中学の制服も、中学の時に着ていた私服類も、たくさんの服が着れなくなってしまっていた。
「私は大丈夫です。そんなに身長は伸びてませんし」
「そっかぁ……。なら、大丈夫かなぁ……」
「何か心配なことがあるのですか? 」
「いや……。まぁ、大丈夫だと思うよ。なら、借りにいこうか」
「どこに置いてあったかなぁ…………」
こっち側、中学の保健室にも先生はいなかった。だけど、今度はちゃんと鍵を借りてきた。
何ヶ月振り、いや一年振りくらいに入ったかもしれない保健室。見た感じどこに何が置いてあるのか。しんどい人を休ませるためのベットとか、普段は先生が座っている椅子とか机とか、医療器具とかがおいてある棚とか、そういったものの配置場所は変わっていなかった。
だけど、体操服が入ってると思っていた棚を開けると、そこには何も入れられていなかった。別の場所に移動させたのだろうか。
「あ、咲ちゃん。ありましたよ」
「え、本当? 」
保健室を掃除するために道具が入っている掃除用具入れの横、そこに咲は見慣れないクローゼットを見かけた。
あきらかに、ここの先生の私物としか思えないクローゼットがそこにあった。
もうすでに、葵はそのクローゼットをあけていた。葵の言う通り、そこには体操服がハンガーにかけてあった。十着かそれ以上はあるようだ。大きさの種類も違うのだから、当たり前か。
「じゃ、着替えといてもらえる? あたしはこの書類に書いとくから」
「ありがとうございます」
もちろん、無断で借りれるわけではない。きちんと、誰がいつ借りたのかを明記しなければならない。借りてそのまま忘れたり生徒がいたりするから、こういう風になったのだ。