久し振りのハンドボール #4
「かかってきなさい。胡桃」
「はい……っ! 」
ある一定の距離を保ち、胡桃と対峙する。
小学校と中学校。この九年間、ハンドボールを続けていたのだ。ルールが抜けてることは絶対にない。全てのルールは、ばっちりと頭に入っている。ルールだけではない、こう攻めてきた相手にこう対応する、といったようなものまで頭の中に入っている。
ディフェンスは、簡単にシュートを打たせないことを第一に考えなければいけない。だから、胡桃の右手側から半身をずらした位置に立つ。相手の腕に合わせて立つことがディフェンスの鉄則。
……ふぅ……。
胡桃がドリブルの姿勢をとったので、薫は腰を落として構える。そして、左足を一歩前に出す。
簡単に抜かれないようにするためだ。相手の利き腕にすぐに踏み出せる姿勢をする。
……さぁて、どうでる……?
「すぅ………………はぁ……………………」
胡桃は、ゆっくりと息を整える。
簡単には抜けないだろう。薫は九年もの間、ハンドボールを続けてきたのだ。小学生の時の薫の力しかしらない。当たり前だが、そこからレベルアップしている。
やってきた時間からも、自分と薫との間には圧倒的な力差がある。中学生と高校生、という面を考えてもその差は歴然だろう。
ゆっくりと、胡桃は、身体を沈める。
普通にしては抜けないから、胡桃はフェイントで抜くことを選択する。
「いきます………………っ」
まずは、相手の外側から攻め込む。
右利きだから、左足から踏み出すパターンが一般的だ。身体を左側に半身ずらして、そこから一気に抜きさる。
薫の身体は、自分が進んで行こうとしている方とは逆の方向に寄れている。普通の相手ならこれで抜ける。
「そんなんじゃ、抜けないよ? 」
「く………………っ! 」
やはり、薫には通用しない。自分と薫との間にあった距離が一瞬にして縮まる。
「もう一回お願いします…………っ! 」
「良いよ。何度でも、ね」
また薫と距離をとり、もう一回体制をつくる。
胡桃はさっきとは違う足、右足を前に出す。
さっきと同じフェイントに、さらにフェイントを重ねれば抜けるようになるかもしれない。だが、胡桃は、オフェンスのやり方を変える。
……一、二、三……っ。
この状態から開始する。
右足が前に出てるから、ドリブルをしながら、一歩目は左足を前に。そして、二歩目の右足で相手との距離を詰め、右肩を相手の懐に入れていく。右足と右肩を同時に、相手の懐に入れていく。
まだ、胡桃は後一歩残っている。これで、左側に抜ければいい。
出せる足も左しかないから、薫だってそう来ることは分かっている。だから、自分の身体を生かしたスピードで、薫を抜く必要がある。
……行ける……っ!?
胡桃は少しだけそう思った。
……そう攻めてくるのね……。
でも。
「もらった…………っ! 」
胡桃の三回目のドリブルを、薫はバックステップしながら奪い取る。
「あ……………………っ! 」
胡桃は、こちらとの距離を詰めてから抜こうとしている。相手と自分との距離が短いため、少しばかりディフェンスはしにくくなる。なら、ディフェンスをしやすいように、ボールを奪いやすいように、もう一度相手との距離を開ければいい。ただ、それだけのこと。
……おぉ……。
止めた。
胡桃のフォームを見て少し身体に力を入れていた咲は、ゆっくりと力を抜く。
胡桃と薫の身長差は、二十センチくらいだろうか。だから、胡桃は、その自分の身長を生かした攻撃を選択していた。
胡桃のスピードをもってすれば抜けるかもしれないと、咲は思っていた。
でも、薫は胡桃をとめた。前に進むかのようなスピードでのバックステップで、胡桃の行き先を阻み、ボールを横から掠め取っていた。
……まだ、薫は健在か……。
咲はずっと薫と同じチームでプレイしていた。だから、薫がどういう風に動くのかも知っている。さっきの薫のディフェンスは、中学時代でも薫が使っていたものだ。
中盤のポスト。これが、薫のポジションだった。センターが務めるゲームメーカーとしての役割も、薫は担っていた。
薫がディフェンスにあたった場合、薫が抜かれることはほぼ無かった。薫が相手の攻撃を防ぎ、それをカウンターで繋げる。それが、チームとしての戦いだった。それもあってか、薫はオフェンスよりディフェンスに特化している。咲でも、薫のディフェンスを抜けたことはあまりない。
薫とは逆に、胡桃はオフェンスに特化している。だから、一瞬薫を抜けるかとも思ったが、さすがにキャリアの差が出ていた。
「薫。全然衰えてないじゃん」
薫の後ろ姿に、咲は声をかけた。
「うん。そうみたい」
胡桃から取ったボールを、もう一回胡桃に渡す。
「どう、ペア変えて続ける? 」
咲が隣に来てくれたのを確認したから、二人に向けて薫はそう言った。
「胡桃はどうしたい? 」
「今のあたしでは二人を抜ける気も守れる気もしませんし…………」
「胡桃も中一にしては強い方だよ? それはあたしが保証したげる」
咲は、胡桃の頭を撫でながらそう言った。
「だね。少しびっくりした」
「ありがとうございます。それにしても、薫さん。全然衰えてないですよね」
「それはあたしも思った。練習してたりしたの? 」
「うーん……。別に何もしてないよ? さっきのだって、身体が勝手に動いたっていうか……」
二ヶ月やっていなかったとしても、身体は覚えていた。何も衰えてはいなかった。