七夕に想いを #1
「七夕ですか………………」
珍しく自室にいる咲夜は、明日に迫る行事のことを声に出して確認してみる。
明日、七月七日は七夕である。
そもそも七夕とはお盆行事の一環でもあり、精霊棚とその幡を安置するのが七日の日の夕方であることから、「七夕」となったという。
元々は中国の風習で、それが奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女の伝説と合わさって生まれた言葉であるらしい。
佳奈の部屋で、佳奈と杏が一緒に勉強しているが、杏がいることだろうから、七夕の話になっていても何ら驚かない。
もしかしたら、自分に何かを頼んでくるかもしれないとも思える。
「護様は何してるのでしょうか……」
ふと、気になる男の子がいる。一度、佳奈が家に連れてきた男の子だ。
佳奈のことだから、もしかしたら何かをしようと誘っているかもしれない。テスト前でもあるから、誘ってないかもしれい。まだ確認を取っていないから、正しいことは分からない。
「確かめてみましょうか…………」
楽しいことなら、護とも一緒に楽しみたい。護がいるなら、もっと楽しくなる。そんな確信みたいなものが、咲夜の中にはあった。
護のことが好きだというわけではない。自分は大人だ。護と年が離れて過ぎている。ただ、佳奈が護といるととても楽しそうにしている、そんな姿を見るのが好きなのだ。
「佳奈お嬢様の部屋にでもいきますか…………」
「ねぇねぇ、佳奈」
「どうしたの? 杏」
時間は三時を回った頃。さっきまで勉強に集中していたはずの杏が、急に名前を呼んできた。
明らか、勉強に関係ない話を持ち出そうとしている。杏の集中が切れたしるしだ。
「明日、七夕だよね? 」
「あぁ、そうだな……。それがどうかしたのか? 」
「護達に、集まって何かやろう、って言うのを忘れたなぁと思って」
……なるほど、そういうことか……。
杏が自分自身で言っている通り、ここ一週間、杏が七夕に関する話題を出すことは無かった。
知っていたが言わなかっただけだと思っていたが、どうやら、七夕のことを忘れていたらしい。
「珍しいな。杏がこういう行事のことを忘れるなんて」
「忘れていたわけではないんだけどねぇ」
「なら、何で言わなかったんだ? 言えば皆賛成してくれたと思うぞ? 」
「それも分かってたんだけど、何かねぇ………………」
「ん………………? 」
何かを遠慮している。佳奈の目にはそう映った。
だけど、何に遠慮しているのかは分からない。
今まで、杏がこういう態度をしめしたことは無かった。どんな無茶苦茶なことを言ったとしても、護を始め、青春部の皆はついてきてくれからだ。
杏の思い付きで、青春部の行動が決まったりする。
そんな杏が、ここ一週間は、自分から何かをしようとは言わなかった。何かを企んでいるという可能性も無きにしも非ずだが、杏が静かにしていると、昔から杏のことを知っている佳奈にとっては、それが嵐の前の静けさだと思ってしまうのだ。
……はぁ……。
佳奈の隣で、杏はため息をつく。自分自身に対するため息だ。
さっき、七夕のことを忘れてたとも言ったし、忘れていないとも言った。
佳奈の言う通り、こういった行事があるのにも関わらず、自分から何も言い出さなかった。そういうのは、これが初めてかもしれない。
……七夕……か……。
一年に一度、織姫と彦星とが出会うことが出来る。ロマンティックな日である。
だから、隣にいてほしい人がいる。
……護……。
護と一緒に過ごしたいと思っていながら、護に声をかけることが出来なかった。自分が行動に起こせなかったから、他の青春部の部員が、護と一緒にいる可能性が高い。
杏にとって、皆にとって、それほど重要なイベントでもある。
それであるのにも関わらず、護に声をかけなかった。
杏には、一つの考えがあった。それは、今使うものではない。使うべきタイミングは、もう少し後にある。
……夏休みだね……。
期末テストが終わって一週間もすれば、すぐに夏休みになる。その時になれば、いつも通り、護と一緒にいることが出来るだろう。
勿論、護のことは好き。
これは自分から気づいたわけではなく、護の家に泊まった時、遥によって気付かされた事だ。
いや、気付いていなかったわけではない。
杏と護との間には、二歳の年の差がある。三月になれば、もう学校で護と会えなくなる。
もう、この好きだという気持ちを鎮めることは出来ない。
しかし、この二年の差は大きい。
もし護と付き合えたとしても、護にはまだ高校生活が残っているのだから、会える回数は極端に減ってしまうことになる。まだ高校生活があるということは、護はまだまだ色んな女の子と出会うわけになる。
……遥に言われたっけ……。
諦めるな。何度も何度も、自分に言い聞かせる。
諦めなければ、事は良い方に進んでいってくれる。杏は、そう思っている。
「佳奈………………? 」
「どうしたんだ……? 」
「夏休みになったらさ……」
「また、勉強一緒にするのか? 」
……違うよ……。
苦笑しながら、杏は言葉を続ける。
「それもしなきゃだけどさ………………。あぁ、やっぱいいや……」
「そこまで溜めて、言わないのか? 」
言おうと、ここで佳奈に宣言することによって、自分の決意を固めようと思っていた。
しかし、言おうとすると、やっぱり。その言葉は自分の喉を通ってくれはしない。
「ごめん。時が来たら言うよ」
「まぁ、杏がそこまで言うなら強要はしないけど」
「ありがと……。じゃ、勉強、戻ろっか」
「あぁ、分かった……」
「護様を誘うのはやめておきましょうか……」
佳奈の部屋の前にいた咲夜は、仕方ないといった感じで声を出した。
少しだけ開けていた佳奈の部屋の扉を、ゆっくりと、音も立てないようにしめる。
……杏様も、色々考えているのでしょう……。
杏が護のことを誘っていないということは、恐らく、何か考えがあってのことなんだろう。
そういうことであるならば、自分は誘わない。杏がしなかったことを、佳奈がしなかったことを、自分がする必要性はない。
「さて…………」
これからどうしましょうか、と咲夜は自分に問う。
佳奈の予定が無いなら、自分の予定も無い。無理に予定を作る必要も無いし、久しぶりにゆっくりと休日を過ごしてみても良いのかもしれない。
「お姉ちゃん」
成美の部屋。ベットの上ではなくフローリングの床に寝転がっている成美に、渚の声がかかる。
……あぁ、床が冷たい……。
元々冷たいものが、クーラーの風によってより冷やされて、寝転がっていると、より身体を涼しくすることが出来る。勿論こんなことをしていると、勉強なんてもののヤル気は削がれてくる。
「お姉ちゃんってばぁ……」
また、自分を呼ぶ声が聞こえる。
「どうしたの? 渚〜? 」
仰向けの姿勢からうつ伏せに身体の姿勢を変えて、足をバタバタさせながら渚に声を返す。
「勉強しようよ。テスト前だよ……? 」
「面倒くさい…………。それに、まだテストまで五日もあるさぁ……」
勉強しないといけない。それは十分に理解している。しかし、ヤル気が出ない。
「五日しかないよ? 」
「大丈夫、大丈夫。前日とかになったら教えてもらうから。渚に」
「私……? 大丈夫だけど…………」
「うんうん。それじゃ、勉強頑張ってね。私はしばらくゴロゴロしているからさ」
「はぁ………………」
ため息をつくと、渚はすぐに勉強に戻った。
……護も勉強してるのかな……。
勉強に集中しようと思っても、護のことが気になってしまって、勉強どころではなくなってしまう。
六月の初旬に水着を買ってから、あんまり長く長く護と話す時間が無かった。
そう感じているのは、成美だけではないだろう。渚も悠樹も杏も佳奈も心愛も薫も葵も、そう思っているはずだ。
……でも……。
葵は違うかもしれない。
何故かそういう風に思ってしまう。
七月に入ってから、テスト一週間前に入っているから、皆と青春部の部室では会っていない。
六月のテスト前部活最後の日。
何故か、葵の表情がいつもより違うかった。その時は何も思っていなかったが、今になったら少し分かったような気がする。
……葵は護といるのかな……。
護の隣にいないからなのか、成美はそう思った。
テスト前だから、お互いに護といる時間は減ってきているのは当たり前だ。
でも、葵は頭が回る。勉強も出来れば、その場その場に応じて、一番良いと思う行動を取ることが出来る。
そんな葵であるならば、護を誘うことは簡単なことなのであろう。
成美の考えが正しいとするならば、今葵は、護と二人でいることだろう。勉強をするという名目で、一緒にいれるわけだ。
実際、テスト前だからといって、葵が勉強をしているとは限らない。隣に護がいるのなら、勉強に集中出来ていない可能性がある。
葵が、護のことを好きな女の子が、ただ一緒に勉強をしたいという理由だけで、護と二人きりになるわけがない。
何か、別の理由があったりするのだろう。
もう夏休みに入る。青春部の活動は夏休みもあるから、護と会える機会が減るわけではない。だとしても、この辺りで、護の気をさらに惹くことが出来れば、他の人より有利な立場に立てる。
……ふぅん……。
葵と護が二人でいる。この事柄が正しいかどうかは分からないが、もしこれが本当だとするならば、こちらとて、そろそろ本気を出さなければならない。
今のところ、護が誰を選ぶかなんて分からない。護だって、それは分かっていないだろう。誰かを好きになれば、残った人を切り捨てることになる。恐らく、護はそれを考えて、自分の思考をストップしているのだと考えられる。
これは成美の個人的な考え。しかし、護は優しいから、そう思っていると考えるのが妥当なのである。
……告白以上の何かを……。
葵、心愛、薫、悠樹。護に告白をした女の子は、自分が知り得る限り、自分を含めて五人である。
自分が知っていないだけで、渚、佳奈、杏の三人が、護に告白をしている可能性もある。
そうなれば、青春部にいる女の子の七分の五が、もしくは全員が、護に告白をしたということになる。
幼馴染という点だけを、護と一緒にいた時間だけに注目して見るのであれば、明らかに薫が有利である。
しかし、告白。この点だけを考えるのであれば、皆が立っている土俵は同じということになる。
もう一度護に告白をするだけでは、護の心を動かすことは出来ないだろう。いや、ちょっとくらいなら動かせるかもしれない。しかし、それでは駄目なのだ。大きく、自分の方向に心を動かさなければならない。
……先を越されるわけにはいかないよね……。
告白以上の何かをしたところで、他の人に先にやられてしまえば無駄になる。焦ってはいけない。それは重々に分かっていることではあったが、護のことを考えれば考えるほど、早くしなければ、という衝動に駆られそうになる。
……あ、そういえば……。
成美は、ある一つのことを思い出した。
「ねぇ、渚」
うつ伏せだったその姿勢を直し、渚と同じように机の前に座る。
「お姉ちゃん…………? 」
「そういえばさぁ、明日、七夕だよね? 」
……あるじゃんか、チャンスが……。