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花散る  作者: 白菫
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花は血と涙

「山田、お前だったら死ねるか?」

目を文字通りまん丸くして、山田がこちらを見る。こいつは何を言っているんだと言わんばかりの表情をしている。それもそうだ。俺がこんな尋ね方をしたからな。

「先輩、俺死にたくないっす。」

真っ当な答えだ。山田は今とても幸せに違いない。妻子のために、昇進の出来ない俺なんかの相棒になり、金魚の糞のように俺の後をついて回っているのだから。

浅桜美花の事件から行く年か過ぎたが、まだ俺の頭の隅っこにあの事件の真相がこびりついている。彼女が最後に見た光景を見たいと思ってしまう。俺には、スクリーンの中でにこやかに微笑む彼女が、どうしても自ら命をたつようには思えなかった。いや、順風満帆に見えた彼女に絶望がないと思っていて欲しかったのか。これは俺の嫉妬か、ただの僻みか。そうだ、皮肉にも思い出してしまった。あいつにも言われたことがあった。

「お前は変わらない」

あいつはきっといい意味でみたいな言い方をしたが、きっとわかっていた。俺が変われない頑固なやつだってことを。海は、いつも人を静かに観ていた。それでいて正しい判断ができ、直感や衝動で動きが鈍ることはなかった。だから昇進した。そんなことはわかっていた。俺にもそれが出来たらと羨ましく思った。素直になれない俺を、海は哀れに思っているんだとずっと思ってきた。だからあいつが憎くなった。俺とは違う。俺には決して持ち得ないものを胸に秘めている。俺の高慢の矛先が、一番近くにいた海に向いただけだ。今更何もなかったかのように振る舞えなくなって、取り返しがつかなくなっただけだ。自分の幼稚さに嫌気がさす。

「先輩、俺にはまだ大切な人がいるんすよ。この前子ども生まれたばっかりなんすよ。」

勘弁してくださいよと山田が苦笑いしている。俺が冗談で言っているのか、本気の回答を求めていたのか、顔色を窺っているみたいだ。そうだな、こいつには「大切な人」がいる。死ぬ理由がない。俺は、どうだろうか。山田に問うた質問を自分にも投げかけてみる。俺は、死ねるか。

「先輩、もう終わっちゃいましたよ、それ。先輩って意外と後悔とか長引くタイプっすか」

「どういうタイプだよ。」

笑いながら答えるが、かなり痛いところを突かれた気分だ。終わったのはわかっている。わかっていても頭から離れてくれない。未だに海に話しかけられないでいるのも、この性格が災いしているせいだ。何も考えていないように見える山田だが、たまに思わぬ鋭さを見せる。暗くなってきた窓の外を見ながら、もう退社時間を優に過ぎてそうだと思った。山田のデスクの上には、家族写真が自慢げに飾られている。穏やかに歯に噛む山田と幸せそうに微笑むその妻が並んで立っている。二人の両手が妻のふっくらした腹を包み込むように添えられている。

「上がりますよ、先輩。飲みにでも行きますか?」

自分のデスクの上に山積みになった書類を脇に寄せながら、小振のリュックを足元から取り出す山田が、俺の方を見ずに声をかけてきた。顔を顰めたままだった俺のことを気遣ってくれたのかもしれない。仕事が終わるとそそくさと愛しの妻子が待つ家へ帰っていく山田だが、今日は一段と俺に優しい。そんなに俺が寂しそうに見えたのだろうか。

「綺麗な嫁さんとこに一目散に帰りたいくせに何言ってんだよ。」

と冗談めかして答える俺に、山田もバレましたとおどけて見せた。署を出てから駐車場までの道のりを何気なく二人で歩く。

「お疲れした!」

元気よく大げさに敬礼する山田を見送りながら、車に乗り込む。一つ大きなため息をついて、暗く静かなマイホームに向かって車を走らせた。


母親は6年前に亡くなった。親孝行できるほどいい息子ではなかったが、母親とは仲が良かった。母親が死んで6年も経つと寂しいだとか悲しいだとかの感情も少しずつ落ち着きを取り戻してくれる。父親には会ったことがないし、存在自体を知りようもなかった。特別捜すこともしなかったし、気にもしていなかった。自分の築き上げた家族というと、これがまた悲惨だ。妻はいた。子どももいた。だが、一家の大黒柱として家庭を守り抜けるほど、俺は偉大な男ではなかった。少年のまま大人になり、社会のうねりの中で燻り続けた陳腐な俺に愛想を尽かした妻は子どもを連れて家を出た。子どもとはろくに話したこともない。いや、もしかしたら妻とも話をしていなかったのかもしれないな。離婚届が置き去りにされた静かな部屋にただいまとも言わずに帰宅した俺が、最初に悟ったことだ。それもまた時を経て記憶の底に沈められる想いとなった。妻と子が俺の元を去り、いよいよ俺は本当に一人となった。大切だと気付いたものはもうそこにはなく、一人を痛感した。母が死んだ時、妻と子が去った日、その後のいく時かは心ここに在らずの状態だったろうか。だが、俺は死を連想するほど生を諦めてはいなかったようだ。生きる苦しみよりも死の恐怖が勝っていた。彼女は違ったのかもしれない。失った悲しみが生の苦を太らせた。死への恐怖に打ち勝つほどの喪失だったのだろうか。大切な人の死、実の親からの過剰な接触、周囲からの目線、理解されない想い。彼女への負荷は誰とも共有されていない。永春でさえ、遠目で彼女を見ておくしかなかった。信じられるものもなかっただろうか。彼女が優しすぎると誰もが言った。俺は海というサンドバックを使った。人から見られる仕事と言っていたっけ。何かに監視されている気分なのだろうか。友人と名乗っていた3人の知人たち。俺たちに何を伝えたかったのか、さほど理由もわからない。海なら彼らをどうみるだろうか。不覚にも海の観点を気にしている自分がいる。

彼女もまた、大人になりきれなかった少女だったのだろうか。

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