Mission3「予告状 蝶が舞う闇の仮面舞踏会」
満月が、屋敷を照らしていた。
白く冷たい光が、庭の芝を撫で、窓をすり抜ける。
その光は、室内のシャンデリアの煌めきと混ざり合い、どこか現実感のない空間を作り出していた。
華やかで、眩しいはずなのに。
その奥にあるものは、ひどく濁っている。
仮面をつけた客人たちが、ゆったりとグラスを傾ける。
口元には笑み。だがその目は、笑っていない。
視線は、同じ場所へと向けられていた。
壁際に並べられた、少年たち。
整えられた髪、飾られた衣服。
そして、揃えられた沈黙。
誰一人、声を発しない。
発することを許されていない。
その姿はまるで、飾られた“商品”だった。
「――皆様、ようこそ」
静かな声が、空気を変える。
銀色の髪が光を弾き、白いスーツが整然と場に溶け込む。
ノアは、ゆっくりと歩み出た。
丸い眼鏡の奥で、瞳が細められる。
「今宵は、特別な夜です」
穏やかな声音だが、その言葉の意味を理解している者たちだけが、薄く笑った。
屋敷の裏手では影がひとつ、音もなく動く。
黒猫のマスカレード仮面に、黒いメイド服。
モワは、何食わぬ顔で廊下を歩いていた。
足音は、ほとんどしない。
使用人としての所作は、すでに完璧に馴染んでいる。
一ヶ月この屋敷に潜り込み、癖も構造も、すべて頭に叩き込んだ。
「……ほんと、趣味悪い」
小さく、吐き捨てる。
すれ違った客の手元へ、ほんの一瞬だけ指先が触れる。
次の瞬間、その指にあったはずの指輪は、消えていた。
モワは振り返らない。
ただ、歩く。
ポケットの中で、硬質な音がわずかに重なる。
鍵、装飾品、細工に使える小物。
すべては、今夜のため。
屋根の上では風が、静かに吹き抜ける。
黒い燕尾服の裾が、わずかに揺れた。
「……派手だね」
エスポワールは、月を背に立っていた。
黒い蝶の仮面、右耳で揺れる、小さな蝶のピアス。
その視線が、ゆっくりと下へ落ちる。
人の波に溢れ、それは仮面の群れをなしている。
その中に、
「……いた」
黒髪で、水色の瞳。
あの夜、窓越しに見た少年。
忘れるはずがなかった。
忘れられるはずも、なかった。
トランプを一枚、指先で弾くとひらり、と舞い上がり、消える。
同時に、その姿もまた、影へと溶けた。
会場の中では、甘い香水の匂いと、柔らかな音楽が響き、人々は踊り、笑い、囁き合う。
その中に、自然と紛れ込む黒い影。
エスポワールは、何事もないように歩く。
そして、ひとりの少年の前で、足を止めた。
「君、私と1曲踊って頂けませんか?」
差し出された手に、イフリートの瞳が、わずかに揺れる。
「……え」
「退屈しているには、もったいないよ?」
ほんの短い沈黙が走ったが、やがてイフリートはその手を取った。
音楽に合わせて、体が動く。
ゆっくりと、静かに。
息が、触れそうなほどに距離が近い。
「……久しぶりですね」
「覚えていてくれたんだ」
「……どうして」
「さあね」
エスポワールはわざとらしく、肩をすくめる。
「ただの気まぐれかもしれない」
だが、その瞳は揺れていなかった。
そのとき音楽が、止まった。
唐突な静寂に、ざわめきが広がる。
人々の動きが止まり、視線が揺れる。
足音が、ゆっくりと確実に近づいてくる。
「楽しんでいるようで何よりです」
ノアだった。
エスポワールは振り返らない。
ノアは距離はエスポワールに詰め寄り、そして耳元で、囁かれる。
「――怪盗くん」
すべてを見抜いた声だった。
それでも、エスポワールは笑った。
「気付いていたのかい?それはそれで、つまらないね」
指先で、カードを弾くと、ひらりと舞い、回転しながらノアの胸元に触れ、落ちる。
ノアはそれを拾うと、
『予告状 今夜、貴方の1番大切なお宝を頂く』
予告状が書かれていた。
「……大胆だ」
「怪盗は、そういうものだろう?」
その瞬間、ぱちんと光が、消えた。
暗闇が広がり、人々の悲鳴が上がる。
グラスの割れる音、怒号に足音。
すべてが混ざり合う。
「行こうか」
エスポワールはイフリートの手を引く。
暗闇を駆け、開かれた扉から2人は会場から姿を消した。
遠くで、夜を切り裂くサイレンが鳴る。
やがて灯りが戻り、ひとつ、またひとつと光が、会場を取り戻していく。
ノアの視線が、静かに動く。
エスポワールとイフリートが目の前からいなくなっている。
「……」
1番大切なお宝、その意味が静かに繋がる。
「……そういうことか」
口元が、わずかに歪む。
それは笑みか、怒りか――
「怪盗エスポワール……」
満月が、すべてを見下ろしていた。




