Mission1「予告状 満月の下で」
満月の夜は、あまり好きではなかった。
あの夜も、そうだったからだ。
静まり返った街の上空、雲ひとつない夜空に、丸く浮かぶ月がすべてを照らしている。
「……やけに明るいな」
屋根の上で、男が小さく呟いた。
黒い燕尾服に、黒い蝶のマスカレード仮面。
右耳で揺れる蝶のピアス。
その名はーー怪盗エスポワール。
満月の夜にだけ現れる、世間を騒がす存在。
「さて、今夜の獲物は」
指先でトランプを一枚、くるりと回すその視線の先には、豪奢な屋敷が建っている。
「少しは楽しませてくれるといいな」
そのまま、音もなく闇へと消えた。
窓ガラスが、かすかな音を立てて割れ、エスポワールは室内へ滑り込む。
「……相変わらず、趣味がいい」
部屋の中央には、ガラスケースの中で輝く宝石が月光を受け、妖しく光っている。
「いただこうかな?」
手を伸ばしたその瞬間、違和感があった。
「……ん?」
一拍遅れて、警報が鳴り響き、甲高い音が空気を震わせる。
同時に、床が沈み、
「……罠か」
次の瞬間、天井から網が落ちる。
飛び退くが、腕に絡みついてしまった。
「動くな!」
複数の警備員が銃を構えて、エスポワールに銃口を向けている。
「……ちょっと失敗しちゃったなぁ」
トランプが宙を裂くと、照明が撃ち抜かれた。
部屋は暗転し、その一瞬で網を引きちぎる。
「逃がすな!」
怒号と銃声が飛び交うが、エスポワールは迷わず窓へと駆け、ガラスを蹴破ると、夜へ飛び出した。
屋根の上を駆け、心地よい夜風が頬を打つ。
「……やられたな」
腕に残るわずかな違和感を感じていると、背後から迫る光が。
「エスポワール!」
聞き慣れた声がし、振り返ると、スーツを着崩した男が、煙草を咥えたまま銃を構えていた。
「……ミルフィ」
「お前にしては、珍しくミスったな」
ゆっくりと煙を吐く。
「今夜はツイてねぇんじゃないか?」
エスポワールは肩をすくめると、
「そんな日もあるさ」
と、軽く笑う。
「でも、捕まる気はないよ」
足元に何かを落としたと思うと、煙が舞い、視界が白に染まる。
「またか……!」
その隙に、エスポワールは屋根から屋根へ跳び、距離を取る。
「……少し、本気で逃げないとまずいか」
視線を走らせるとその時、ひとつの屋敷が目に入った。
他よりも静かで、妙に整った建物。
「……とりあえず」
迷わず方向を変え、その屋敷へ向かった。
庭へと降り立つと音を殺し、窓から屋敷の中へ滑り込む。
外の喧騒が嘘のように、屋敷の中は静まり返っていた。
「……静かすぎない?」
人の気配が薄く、どこか息苦しい。
ゆっくりと長い廊下を進むと、その先で、ひとつの扉の前に立ち止まる。
何だかここだけ、空気が違う。
「……」
得意のピッキングをし、ドアを開けた。
部屋の中は、異様に整っていて、まるで“展示されているような空間”だ。
「……変な部屋」
一歩踏み出すと、視線の先の窓際に人影があった。
「……っ」
月の光を背にして、ひとりの少年が立っている。
黒い髪に水色の瞳。
その視線は、こちらではなく、空へ向けられていた。
満月をただ静かに、見上げている。
少年はこちらに気付き、ゆっくりと振り返る。
感情のない瞳が、エスポワールを映す。
整った服装だが、どこか作り物めいた存在。
言葉にできない違和感。
「……君は」
問いかけるが、わずかな沈黙が走り、少年は静かに口を開いた。
「僕は、商品です」
その一言で、空気が凍りつく。
満月の光が、部屋を照らしている。
エスポワールは、ただ立ち尽くしていた。
その瞳に、わずかな揺れを宿して。




