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精霊国物語

【精霊国物語番外編】繋ぐ手

作者: 夢野かなめ

 よく晴れた日。

 

 カナメは、マリーエルの後ろ姿を追っていた。


 鍛錬の為に訪れたグラウス城近くの丘で、ひと通りの鍛錬を済ませたカナメは、体を休めていた。


 見下ろす景色の中で、柔らかな風に花々が揺れている。


 この丘は、ただ鍛錬の為にと訪れるだけの場所ではない。


 カナメにとって、マリーエルとの思い出のある特別な場所だった。


 あの日の光景を、カナメはいつでも鮮明に思い出すことが出来る。


 ふっ、と笑みを漏らし、そのことに少しばかりの恥ずかしさを感じて表情を引き締めたカナメは、視界の端に見覚えのある後ろ姿を捉えたのだった。


「……マリー?」


 見れば、ずっと先の森の方に、マリーエルが軽やかな足取りで駆けていく。その周りを煌めきが舞っているのを見て取り、カナメは慌てて立ち上がった。


 精霊姫であるマリーエルは、精霊との繋がりが強い。


 マリーエルとのより強い繋がりを求めて、歌や舞に誘う精霊達には、命世界での都合など関係がない。


 その為、時折こうしてマリーエルは精霊に誘われるままになってしまうことがあるのだ。


 器として成熟し、様々な経験を積んだマリーエルは、以前に比べて精霊の力を制御することが出来るようになっていたが、それでも全くなくなった訳ではない。


 フリドレードから戻り、数日間。


 疲れを癒すために城に籠もることが多かったが、そうしているうちに精霊の方が痺れを切らしたのだろう。


 カナメは丘を駆け下り、マリーエルの後を追った。


 気が付いた時には既に遠ざかっていたからか、一度見失い、再び見つけるのに苦労した。


 森の中を他の誰も探しに来ない所を見ると、精霊はこっそりとマリーエルを連れ出したのだと判る。


 精霊──より正確に言えば、精霊となる前のまだ未熟な幼精が、こうしてマリーエルを連れ出して行く。


 森の中を駆けていることを考えれば、それはきっと花の精霊なのだろう。


 マリーエルはまるで風に乗るように森の中を進んでいく。幼精と重ねる歌が、微かに耳へと届く。


「何処まで行くつもりだ」


 カナメの問いに答えるように、マリーエルがふとその足を止めた。


 クスクスと笑い声を上げ、その場で楽しそうに舞い始める。


 マリーエルの周辺を飛んでいた煌めきがより強く瞬き、地上へと降り落ちる。歌が高くなり、辺りに満ちる。


 木々の間を抜け、マリーエルのすぐ近くまでたどり着いたカナメは、目の前に広がる光景に目を見張った。


 振り落ちた花の精霊の力が、地から伸び上がり花開く。


 マリーエルの美しく流れる髪のような色をした花が、歌と共鳴するように揺れている。


 カナメは、息を呑んでその光景に魅入った。


 美しい旋律が耳に心地よい。そして何よりも、その歌を楽しそうに奏で舞うマリーエルの姿から目が離せなかった。


 そうしてどれだけ経ったか、煌めきがより強く輝いてからふっと消えると、マリーエルは歌を止め、その場に崩れ落ちた。


「マリー⁉」


 カナメが慌てて駆けよると、顔を上げたマリーエルが驚いたように目を瞬いた。


「カナメ? あれ……ここ何処?」


 そう言ってから、困ったように眉を寄せる。


「久し振りに……やっちゃった……」


「あぁ……見つけることが出来て良かった」


 立ち上がろうとしたマリーエルは、ふうと息を吐いて再び腰を下ろした。


「なんか、とっても力を使っちゃったみたい。暫く、休ませてね」


「あぁ。辛いのなら横になると良い」


 そう言ってカナメが上着を広げて敷くと、マリーエルは小さく笑ってから体を横たえた。


「有難う、カナメ。今日は幼精達もとびきり力を揮いたかったみたいだね。花が沢山……」


 横になったまま花々を見つめたマリーエルは、横に腰かけたカナメの衣の裾を引いた。


「ねぇねぇ、カナメも横になってみて」


 カナメは言われるままに横になり、そこから見えた景色に息を吐いた。


 まるで視界を覆うように花々が咲き乱れ、空は夕陽色に染まり始めている。胸の中のあの日の景色が蘇り、くすぐったいような気持ちでマリーエルに目を向けた。


 そうして、カナメは再び息を吐いた。


 嬉しそうな笑顔を浮かべ、花に包まれるマリーエルの姿は、カナメの中に痛い程の幸福感をもたらした。


 思わず手を伸ばし、頬に触れる。


 マリーエルは小さく笑い、首を傾げる。


 その仕草も、どうしようもなく愛おしい。


「綺麗だ」


「うん、この景色を皆にも見せてあげられたらいいのに」


 マリーエルの返事に肩透かしを食らった気分になったカナメは、苦い気持ちで笑みを浮かべた。


 アーチェに自身の恋心というものを自覚させられたことを思い出し、恥ずかしさに顔が熱くなる。


 ──恋心、と言っても……どうしたらいいのか。


 勿論、カナメは恋心がどういったものかを知っている。集落に居た際、姉ともいえるシオンからそういった話はよく聞いていた。しかし、いざそれが自身に起きると、どうしていいのか判らない。どうしたいのかさえ判らないのだ。


 ──マリーの側に居る。ただそれだけで俺は幸福に満たされる。だが……。


 モヤッと胸に沸いた感情に、カナメは眉を寄せた。


 そうして、触れたままだったマリーエルの頬をどうしても撫でたくなって指を動かすと、マリーエルはくすぐったそうに声を上げた。


「ふふ、どうしたの。あ、寒いのかな。上着借りちゃったし」


 そう言って体を起こそうとするマリーエルの肩を押さえ、カナメは緩く首を振った。


「いや、大丈夫だ。……ただ、今はこうして居たいんだ」


 目を瞬いたマリーエルは、カナメの手に手を重ね、首を傾げた。


「……何か、あったの?」


 心配そうな瞳に、カナメは言葉に詰まった。


 何かあったと言えばあったが、だとしてもマリーエルに話す訳にもいかなかった。


 それよりも、触れあう手の温度に意識が向く。


 重ねられた手を引き寄せ、頬を擦り寄せる。


「何も心配はない」


「本当の本当に?」


 以前、「何かあれば相談する」と約束してから、マリーエルはカナメの様子を窺いこうして問うことがあった。


 カナメの中で、すぐにでも肯定したい気持ちと、心配そうに一心に自身を見つめるその姿を見つめていたいという気持ちが揺れる。


 しかし、カナメは笑みを浮かべて安心させるように頷いた。


「本当だ。ただ、君とこうして過ごしていたい、と思っただけだ」


「そっかぁ。それなら、いいけど」


 マリーエルは小さく笑うと、ふとカナメの手に目を向けた。しげしげと観察するように引き寄せる。


「そういえば、最近カナメの手って温かくなったよね」


「……そうだろうか」


 それは、こうして君と繋いでいるからでは、と言い掛けてカナメは口を噤んだ。その仕草をどう思ったのか、マリーエルは慌てて強く握った手をぶんぶんと振った。


「あ、温かくなったから駄目って訳じゃないからね。温かいなって感じることが増えたって……あれ、病だったりしたらどうしよう」


 さっと顔色を変えるマリーエルに、カナメは思わず笑った。


「体調は何ともない。これも、本当だ。だが……俺の存在自体まだ判らないことが多い。きっとそれのせいだろう」


 カナメが言うと、マリーエルはふと瞳を伏せた。その瞬間、身の内をマリーエルの気が流れ込むのを感じ、指先がピクリと動いた。


 ──この感覚……慣れることはない。


 出会ってすぐの頃は、そういう力もあるのだろうと自然と受け入れていたが、マリーエルと過ごすうち、その意味合いがカナメの中で変わりつつあった。


 ──これが、独占欲、というものなのか。


 シオンから聞いていたこと、アーチェが呆れ顔をしながら指導してくれることを考えながら、カナメは独占欲というものについて考えた。


 まず浮かんだのはジェーディエの存在だった。


 最初にマリーエルへと接触を図ろうとした理由のひとつに〝マリーエルと懇意になること〟が含まれていた。それを打ち明けた後は、ジェーディエ個人としてそれを成そうとしている節があった。


 それを見ていると、どうしても阻止したいという気持ちが湧いてくる。それに関してはアーチェから「姫様のお立場を考えて下さい」と釘を刺されているので、表立って何かをするつもりはない。そして、ジェーディエ本人については好ましい相手だという認識もある。


 だからこそ、自分の中にどうしようもない苛立ちが湧くのだ。これが、恐らく独占欲なのだ……とカナメは思い至った。


 それならば……と、瞳を伏せるマリーエルの顔を見つめながら、カルヴァスのことを思い浮かべた。


 ──何故、そのような感情が湧かないのか。


 いや、全く湧かない訳ではない。二人で仲睦まじそうに話している所を見掛けた時、カルヴァスが当然のようにマリーエルへと触れる時、一瞬自身の中に何か独占欲と似た別の感情が湧く時がある。


 ──これは、独占欲なのか。それよりも、もっと……。


 その時、マリーエルがふと瞳を開けた。


「……気の流れに異常はないみたいだけど、ちょっと乱れてる感じはしたかな。本当に何もないんだよね?」


 心配そうに訊く様子に、カナメはふとからかいたい感情に惑わされた。


「気になることと言えば、こうして君が精霊に誘われるままにこのような所まで来てしまったことだ。この所なかったというのに、君こそ何かあったのか?」


 そう訊くと、マリーエルは「う」と言葉を詰まらせる。頬を膨らませてから、空に顔を向けた。その拍子に外れた手の温度が、もう既に恋しい。


「フリドレードでのカルヴァスのこと、カナメも見ていたでしょう。カルヴァスはずっと子供の頃から善い器として成る為に鍛錬を積んできた。クッザールお兄様の隊でも、副隊長として結果を残してきたし、今は精霊隊隊長として、色んな面で支えてくれてる。それって、凄いことだなって……凄い努力をしてきたんだなって、最近やっと判って。本当に、今更だけど。それに応える為に……ううん、私が率いることになってる精霊隊なんだもの。私ももっと努力しなきゃって思ってね……でも、なかなかカルヴァスみたいに上手くいかないの」


 マリーエルはそう言ってから、ふぅと息を吐く。その様子に、どう答えたらいいのか、カナメは答えあぐねた。


 そこで、ふと自分がカルヴァスについて抱える感情に気が付いた。


 羨望だ。


 マリーエルとの関係はずっと幼い頃から育まれている。同じようにすることはどうやろうとも難しい。そして、眩しいまでに躍進していくその姿。


「……羨ましい」


 思わずポツリと呟いたカナメの言葉に、マリーエルが目を瞬いて恥ずかしそうに頷いた。


「そう、なのかな……。うん、そうだね。カルヴァスを見てると羨ましいなって思う時がある。ああいう風に何でもこなせたらいいのにって」


 意図しない形で受け取られてしまった言葉に、カナメは慌てて身を起こした。


「いや、マリーも十分頑張っていると思う。この所も忙しくしているようだし、アントニオも『学ぶ姿勢が身についてきた』と言っていた。だから、きっと……その」


 よく考えずに話し出したせいで、尻すぼみになってしまった。マリーエルがゆっくりと体を起こし、再び息を吐く。


「カナメも副隊長として頑張ってくれてる……アントニオと言葉の研究もしているみたいだし、皆も──」


「いや、きっと自分の頑張りというものは、自分では判らないものなんだ。だから、その……マリー、君も眩しいくらいに頑張っていると、俺はそう思う」


 その肩を掴み、勢い込んで言うと、目を瞬いたマリーエルがこそばゆそうに笑った。


「えへへ、有難う。そう言って貰えたら、もっと頑張れる気がするよ」


 カナメは、もっと上手いことを言おうとして、口を開いては閉じを繰り返し、肩を落とした。


「……すまない。俺は、本当にこういうことが得意ではなくて。もっと言葉で伝えられたら良かったんだが……」


 その言葉に、マリーエルが肩を落とした。


「それは、私もだよ。どんなことでも言葉で伝えることが大切なんだって、理解したつもりなのに……すぐ、ぎゅーってして解決しようとしちゃうし」


 カナメは、日々の〝ぎゅー〟の瞬間を思い浮かべ、少しだけ焦れた思いがした。


 ──それなら、今……。


「あ、でも、私はカナメの言葉に助けられてるよ。カナメはいつも私が落ち込んでいる時に、背中を押してくれるでしょ。有難う。──って、ちゃんと伝えられてるかな?」


 小首を傾げる姿に、カナメはつい抱き締めてしまいそうになった。その衝動に戸惑い、マリーエルの頬に触れるのに留める。


「伝わっている。俺の方こそ有難う。いつも、君の存在に支えられている」


 そう伝えると、マリーエルは照れくさそうに頷いた。


 どちらともなく笑い合う。


「そろそろ戻ろうか。すっかり夜になっちゃったね」


 マリーエルが立ち上がり、ぐっと伸びをする。


「もう、体は大丈夫なのか」


「うん大丈──」


「マリー居た!」


 伸びをしたままの格好でマリーエルは振り向き、満面の笑みを浮かべた。


「ベッロ! ごめんね、探してくれたんだ」


「そう、探した。アーチェが慌ててる」


 駆けて来たベッロがマリーエルへと勢いよく抱きつき、マリーエルはそれを嬉しそうに受け止めた。


 ベッロがカナメに気が付き、ひとつ頷く。


「カナメ居た。よかった。マリー疲れた?」


「うん、そうなの。でも今、戻ろうとしてたところだよ」


「じゃあ戻る。インターリがまた先に食べる」


 ベッロが困ったように耳を垂らした。その頭を撫でてから、マリーエルはカナメを振り返った。


「行こう、カナメ」


「ああ」


 カナメはその手を取り、立ち上がった。


 繋がれた手を見て、ベッロが何事かを考えるように首を傾げた。ピンと耳を立て、納得したように何度も頷く。


「ベッロ?」


 マリーエルから体を離したベッロは、二人を残して駆け出した。


「ベッロ、マリー見つかった報せる! カナメ居れば大丈夫。頑張れ!」


 そう言って、応える暇もなく森の向こうへと姿を消した。呆然とそれを見送ってから、カナメはマリーエルを見下ろした。


「帰るか」


 そう言ってから、離す意思はないとばかりに強く手を握る。マリーエルは、優しく手を握り返した。


「うん、帰ろうか。迎えに来てくれて有難う、カナメ」


 少しだけ肌寒い森の中、繋ぐ手の温度は温かく伝わった。


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