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ボクのカノジョは寝取らせ願望

作者: あわき尊継
掲載日:2025/11/26

 休日に女の子とデートをする。

 男なら誰しも最高の一日だと思うだろう。


 趣味? 一人の時間? 独身貴族?

 否定はしない。

 けど、ボクはできるのならカノジョと一緒に過ごしたい。


 さてデートの定番、遊園地だ。


 目の前には同級生の女の子。

 普段は男勝りに振舞っていて、髪なんてショートカットで、運動も得意な陸上部。

 ショートパンツから無防備に晒した太ももは浅く焼けており、履いている靴はスニーカーだ。

 けど靴下が、ちょっとだけ可愛らしいデザインだった。

 少し大きめの上着に身体へぴっちり合わせたキャミソール。

 左手首に巻いた腕輪はブランド物だった。もしかしたら、姉か母にでも借りたのかもしれない。

 大学生のお姉さんが居るって、前に話した時、言ってたからさ。


 決して自分のスタンスは崩さないけど、決して今日のデートに期待していないのでもない。

 気合いを入れて、準備をして、迷って、この形に落ち着いた。


 凛々しさと可愛らしさ入り混じったこの女の子と、ボクは今からデートをする。


 でもボクには別に付き合っている女の子が居るんだ。

 彼女じゃない。

 本当はこんなことしたくないのに、カノジョと休日を過ごしたいのに、ボクはこうしている。


 なぜって。


 カノジョが、寝取らせ願望を持っているからだ。

 カノジョの願望を叶える為に、今日ボクは、彼女とキスをしなければいけない。


    ※   ※   ※


「きゃぁぁぁあああああああっ、ははははははは!! うわすっごい濡れた!! あははっ、ジンくんもびしょ濡れじゃん!!」


 急流滑りで大水を被り、二人揃って濡れ鼠。

 今が夏じゃなければ風邪をひいていたところだろう。


「預けてた荷物貰ってくるーっ! タオルあるから、ちょっと待っててー!」


 明るくて、元気が良くて、スタイルも悪くない。

 特に男子なら、部活中の彼女の脚に目が向いたことくらいはある筈だ。


 普通に、魅力的な子だと思う。


 カノジョが居るのを隠していることに罪悪感を覚えるくらいには。

 だからつい、それを誤魔化そうと偽善者のボクは甘いことを考える。


「お待たせーっ!! ごめんタオル一個しか無かった!! 使っていいよ!!」

「それこそ柏木が使いなよ。女の子をびしょ濡れのまま連れ歩くなんて最悪じゃない」

「んー、でもなあ……ほらっ、髪とかびしょびしょ! ほーっれ!」


 ボクの手を取った柏木さんが強引にタオルを押し付け、ボクの髪を拭う。

 ちょっとだけボクより背の低い彼女は、手を下へ引っ張って、自分は頭へ被さるように身を伸ばしてくるから、前のめりになった頭が彼女の胸元近くに行ってしまう。

 流石にドキリとした。

 水に濡れて、ついでに汗も掻いて、天日に晒された柏木さんの香りがして、目を逸らす。


「そら首元っ、そっから腕~っ、で、まあなんかてきとー! あはははは!! でまあ……」


 ひたすらボクの身体をタオルで拭き回して、それから彼女は湿ったタオルを自分の頭へ乗せた。

 ガシガシと、わざとらしいくらい乱暴に髪を拭って、ちょっと照れながら肩に掛ける。


「……ごめん、いやだった、かなぁ?」

「いや……、べつに」

「そっか。べつにか」


 あははと笑いながら、柏木さんはまた身体を拭き始めた。

 ボクの身体を拭ったタオルを、擦り付けるみたいに。


「ホントは二枚持ってきたつもりだったんだー。けどなんか入ってないし、なんでかなぁ……取り出してはいないから、家に置いてきちゃったんだと思う。ごめんねっ」


「ううん。ボクの方こそ気を付けるべきだった。タオルとか、なんにも考えてなくて、あ」

「うん?」


 今更ながらに自分がハンカチを持っていることを思い出した。

 確かに急流滑りで濡れちゃったけど、ズボンのポケットに入れているから無事だ。


 申し訳ないなと、本心から思ってソレを柏木さんへ差し出す。


「ごめん。今更だけど、良かったら使って」

「あはは、今更だけどねー」


 言いつつ彼女はハンカチを受け取って、申し訳程度に頬を拭ってくれた。


「洗って返すね」

「……うん」


 その頬が少しだけ赤らんでいたから、ついドキリとして頷いた。

 だけど彼女の言葉はもう少しだけ続いた。


 ちょっとした、女の子の覚悟と共に。


「他の人に見られるの、恥ずいし……またどっか、別の場所でも、いい?」


 返答を躊躇った。

 マズい、変な間が生まれちゃった。

 柏木さんが不安そうにしてる。

 何か言葉を返さないと。


 そう思った時、彼女の鞄に入れて、一緒に預けていたボクのケータイが鳴った。


「わ……あ、これジンくんのだね」

「うん。ごめん、ちょっと」

「いいよ。そこで待ってるから」


 画面を確認しながらボクは離れていった。

 表示は『家』。

 柏木さんからも見えただろうから、家族との電話だって思う筈だ。


 だけど、その番号は。


    ※   ※   ※


 遠巻きに、トイレへ行ってくるとジェスチャーをしたら、柏木さんが笑いながら行ってらっしゃいと返してくれた。

 入る直前にもう一度彼女がベンチへ座っているのを確認しつつ、多目的トイレへ入る。

 内側から鍵が掛かっていたけど、先にメッセージを送っておいたから。


 開いた。


 途端に腕が伸びてきて、ボクの身体はトイレの中へ引っ張りこまれる。

 すぐ後ろを子どもが歩いていった。

 女子トイレ側から大学生くらいの二人組が話しながら出てくる。

 その人達の目に晒される直前、扉は綺麗に閉まって、ロックが掛かりましたというアナウンスが流れた。


 でもそんなもの聞いている余裕は無かった。


 真っ青になったボクのカノジョが、余裕の無い眼でじっとこちらの眼を見詰めてくる。


 それこそ、奥底を覗き込むように。

 目の奥にある脳が、柏木ナギをどう感じているのかを、見定めるみたいに。


 亜麻色の髪の、肌も瞳も色素の薄い、女の子。

 身長はボクよりも、柏木さんよりも低い。

 スタイルなんて決して良くはないし、むしろガリガリだ。

 もっとしっかり食べてほしいのに、胃下垂が酷くて吐いてしまうんだって。

 そんなカノジョが、今にも倒れそうなほどに辛そうな顔でボクを見ているんだ。


「大丈夫。大丈夫だよ、アイカ」

「……………………」


 カノジョは無言のまま。

 首の後ろへ回してきた腕を緩めることはなく、けれどしがみ付いてくることもなく、じっとしていた。


 そうして紡がれた声は、ボクの心を指先だけで愛撫するようにかすれ気味で、意識の内側へ染み込んできた。


「柏木さんは魅力的な人よね」

「そうだね。快活で、話が上手で、荒っぽく振舞うこともあるけど気遣い屋だよ。真っ直ぐで、人を騙すってことを知らない」

 騙されるってことも。

「そんな彼女とデートをして、キスをする。君がそうしろと言うなら、ボクはやってみせるよ。君の為に」


 最後の言葉に想いを篭めたのに、アイカはまた一層顔色を悪くする。

 そんなに不安を覚えるのなら、嫌なら、止めてくれと言えばいいのに。


 嫌だからこそ、不安だからこそ、喪失の苦しさがカノジョを昂らせる。


「ジンくん、って呼んでた」

「あぁ……今日合流した時からだよ。特に何も言ってない」

「タオルを共有してた。手を引かれた時、ジン、ドキッとしてたでしょう?」

「……うん。した」


 正直に、思ったことを話す。

 こんなことをする上で、絶対にアイカへだけは嘘をつかないとボクは誓っている。


 だから言葉通りに。

 柏木さんのこと、可愛いとは思うんだ。

 それでもボクの心はアイカを求めているだけで。


 こんなの付き合う相手が居ようと居まいと関係無い、人の好悪は自然と生まれるもので、普通は倫理的な思考で線引きをして、立ち入らず、立ち入らせないだけなのに。


「そうだよね…………会話、聞こえてたから」


 アイカがボクの服に仕込んだ盗聴マイク。

 そうか、濡れても大丈夫だったんだ。


 他にも幾つかの機器をボクは身体に仕込んでいる。


 体温、心拍数、発汗量、GPSによる自分の居場所……音声だけじゃなく、遠巻きの姿だけじゃなく、心の内までアイカは知ろうとする。


 柏木さんに魅力を感じれば。

 ドキリとすれば。

 照れて赤くなれば。

 すべてカノジョに筒抜けだ。


 それを、計測した数値を見て、アイカはまたボクの気持ちが柏木さんへ傾くのを感じながら、不安に苛まれながらも恍惚を覚えるんだろう。


「アイカ…………止めようよ、こんなこと。柏木さんにも悪いよ」


 何度目かになるボクの懇願に、いっそ安堵を覚えながらもカノジョは首を縦には振らない。

 心の底からボクを愛してくれているから、ボクもアイカを心の底から愛しているから。

 他の誰かと睦いでいるという、身を裂かれるような寝取られる快感がカノジョの脳を焼いている。


 そしてアイカは的確にボクの心を見抜いてくる。

 半歩、距離が出来て。

 そっと胸を押しながら、扉を開く。


「柏木さん、とても良い子だものね。魅力的で、まっすぐで、騙したくなくて、罪悪感から優しくしてしまうものね。なにより私と違って貴方を苦しめたりしない。ほら、行って来て。()()()()()()()()()()()。ジンは恋をしてきてね」


 外へと押し出され、扉が閉まっていく。

 男子トイレから出てきた子どもが中を覗いて、不思議そうな顔をしていたけど、何かを言う前に鍵が掛かった。


    ※   ※   ※


 帰りに自販機へ寄って、缶ジュースを買っていった。


「ごめんっ、お待たせ」


 差し出した缶を受け取り、柏木さんはボクへ笑い掛ける。


「デート中に家族とナニ話してたのー? あはは、ごめん、実は画面見えちゃって」

「ドライバーが見当たらないって、工具の。どこに仕舞ったか分からないかって、もう実況聞きながら探させたよ」


 さらりと出てきた嘘に嫌気が差す。

 こんなことばかり上手くなる。


 そっかー、と納得してくれた柏木さんだけど、ふと受け取った缶を見て眉をあげた。


「……レモン味、好きだって、言ってたよね」

「うん…………結構前なのに覚えてたんだ」

「まあ」

「そかぁ。いただきまーっす! ありがとねっ!!」


 パシリとプルタブを開けて、豪快に中身を呷る柏木さん。

 全身くまなく日焼けしている彼女だけど、喉元は他と比べて少しマシで、色の薄い喉が甘酸っぱいジュースを飲み込んで上下する。


「っぷはあ!! あ、ジンは珈琲なんだ」


 くん、が無くなっている。

 アイカと同じ呼び方にドキリとした。


 ただ、響きが違う。


 その事を頼りに意識を繋ぎ留めて、ボクもプルタブを開けた。


「甘い奴だけどね」

「おっとなー」

「格好付けてるだけ」

「あはは、そかー」


 飲んでいる横で、またレモン系のジュースに口を付けた柏木さんが、頬をこすりながら呟いた。


「カッコ付けてるんだ。私とデート中だから?」

「っ、ごほっ、ごほっ」

「咽るなよ~っ、はは!」


 なるほど、そういう意味になるのか。

 それは、想定外だった。


 動揺するボクをじっと見ながら、柏木さんも日焼けした頬を染めて。

「あっははは!」

 なんて笑って誤魔化して、またジュースに口を付ける。


 少し無言になったボクらの前を団体客が通り過ぎていく。

 おばちゃん達の集団だ。

 何人かがボクらを見て、離れた場所でもう一度振り返ったりして、隣の誰かと話し込む。


 カップル、なんて言葉が聞こえてきた。


 また反対方向から社会人っぽい男女が腕を組んで歩いて、通り過ぎていった。

 大胆に肩もおへそも晒した女の人を、柏木さんがじっと見ていた。


 見ながら、言う。


「ねえ」


「…………うん?」


「ジン」


 ジュース缶の口へ吐息を落としながら。


「キスしない?」

「…………うん」

「…………ふふっ」


 ボクらは中身の残った缶を片手に距離を縮め、まるでずっとそうしてきたみたいに顔を寄せ、唇を触れ合わせた。

 あまりにもあっさりとしていて、けれど、強烈に胸を焼く。


 きっとアイカは、今の会話も、今のキスも、ボクの心臓の高鳴りも、全部見ている。


 柏木さんはなんだか一気に大人びたような、魅力的な表情でボクを見てきた。

 カノジョが居なければ、そうと規定して線引きしていなければ、恋に落ちていたかもしれない、そんな表情で。


「ファーストキスは、ちょっと甘めの珈琲の味だった」


 ぺろりと唇の先を舐め取り、それから破顔した。


「あっはははは!! ちょっと言いたくなったの! ポエマーの才能あるかなっ!? あっ、今の理屈だとジンはレモン味かな?」


「……えっと」


「もう一度、確かめてみる?」


 答えられずにいると、今度は柏木さんの方から顔を寄せてきて、ボクの頭を抱いたままキスをした。

 最初の時よりずっと長く。

 僅かに浮いた途端、彼女の唇がボクのものを食んで、湿り気を残した。


「……どう?」


「うん。レモンの味だった」


 今度は上手く言えた。


「そっかぁ。よかったー、口臭いとか言われたら卒倒してたってーッ」

「そんなことないよ。ちゃんとレモンの味だった」

「わーっ、二度も言わなくていいよお! ほらっ、次のアトラクション行こうよ!! 隣のお化け屋敷!!」


 ごく自然に手を握られ、指を絡めて腕を引かれる。

 ボクの腕を後ろから抱き込むように繋がれたから、一緒になって歩き出すと柏木さんの身体が、胸が腕に当たる。

 なのに彼女は構わず身を寄せてきて、お化け屋敷でも楽しそうに笑ったり、悲鳴をあげたりしながら楽しそうにしていた。


 罪悪感や、苦しさはあるけど。


 確かに彼女の明るさは眩しくて。


 お化け屋敷を出る直前、今度は頬にキスをされ、また大人びた笑みを浮かべてボクを先へと導いた。


 学校ではボーイッシュな子だったけれど、遊園地へデートをしにやってきて、キスをした柏木さんは、本当に可愛らしい女の子だった。


 でも同時に強く想う。

 アイカ、君に会いたい。

 君と手を繋いで、遊園地をデートしたい。

 こんな風に揺れ動いたりしたくない。

 柏木さんは本当に魅力的な女の子だけど、ボクが愛しているのは君なんだ。


 それから――――いくつかのアトラクションに乗って、レストランで食事をして、またアトラクションを回って。ちょっと疲れて、同じベンチに並んで座った。


「んふふぅ」


 柏木さんは手を繋いでいるのが好きみたいで、暇があるとボクの手ごとぶんぶん振ったり、ふざけて強く握ってきたりする。

 あと、結構キス魔だった。

 隙を見てキスをしたがる。

 口は最初の二度だけだけど、頬とか、繋いだ手とか、靴紐結び直している時には頭に顔を埋めてきたりした。


 お姉さんが居るんだもんね。

 家では結構甘えん坊だったりするのかな。

 学校だと男子と一緒に荒っぽい喋り方をする時もあるけど。


「あーーーーっ、楽しかったぁ!!」


 そうして日が暮れ始めたから、ボクらは遊園地を出ることにした。

 夜のパレードはあるけど、家まで距離もあるし、あんまり遅くなるのはね。


 早くもイルミネーションが点き始めて、飾り付けられた樹がライトアップされている。


 そんな景色の中を二人で歩いた。

 まだ人通りは少なくて、客はお土産コーナーか、パレードの場所取りをしているんだろう。


 だからちょっとだけボクらも静かになって。

 指を絡めたまま、ゲートを潜った。


 駅はすぐそこだ。

 少しだけ同じ路線に乗るけど、柏木さんは別方向になる。

 流石に電車の中でまで今のようには話せない。

 手は繋いだままでも、人目も多くなるし、乗り換えもあるからその駅に着いたらスグお別れだ。


 それでも無言のまま駅の近くまで来て、なんとなく、大きな樹の前で脚を止めた。


 それは遊園地への案内を兼ねたオブジェクトにもなっていて、今日ボクらが待ち合わせた場所だ。

 その時にはボクらはただのクラスメイトだった。

 仲良くはしていたけど、まだキスをしたことがなくて、デートだって初めてで。

 距離を測るように歩いていたのに、今では指を絡め合っている。


 でも、ボクにはカノジョが居る。

 柏木さんはそれを知らない。

 ボクは最低の人間だ。

 こんなにも素直で、魅力的な子を、騙している。


 その罪悪感から、ライトアップされた樹を見上げていた柏木さんから目を逸らした。


 駅からも外れた、誰も目を向けない暗闇。


 ――――そこにアイカが立っていた。


「ジン」


 柏木さんがボクを呼ぶ。

 大人びた、艶のある声で。


 絡めたままの手を引かれ、彼女が顔を寄せてきて。


 キスをした。

 いや。

 ()()()と。

 舌が入り込んできた。

 脳が、手足が、口の中が痺れる。


 アイカが見ている。


 あんなに近くで。


 カノジョ以外の女の子と舌を絡めるボクを見ている。


 柏木さんは情熱的にボクの口内を侵略してきた。吐息を漏らし、唾液を舐め取り、上顎をなぞって、舌を吸い上げて、その表面を押し付けるみたいに。

 身体が密着している。

 彼女の心音を感じるみたいに近くて、服越しに感じる体温が心地良かった。

 舌の感触も、官能を得るには十分過ぎる。

 今朝ここで会った時はただのクラスメイトだった女の子。

 ボーイッシュで、粗暴にも振舞うけど気遣いの出来る、優しい子。

 キス魔で、姉が居て、甘えん坊な、柏木さん。

 太陽の香りがした。

 お日様に愛されてる人のものだ。

 日焼けした肌を押し付けられ、柔らかくて、興奮する。

 人前でするにはあまりに破廉恥ではあったけれど、止められないくらい快楽が強くボクらの意識は過熱した。

 まだ足りないって更に踏み込んできた柏木さんのふとももに、ボクの固くなったものが当たる。

 しまった。

 思った途端、驚いた表情で顔を離した柏木さんが、けれど微笑む。


 イイヨ。


 そう呟いた。

 ボクにだけ聞こえる声で。

 本来は、ボクにだけ聞こえる声で。


 ただ、そこで遊園地の方から団体客がやってきたから、流石に冷静になって距離を取った。


「あ、ははははははぁ……うーん、ごめん。なんか、ここまでするつもりは、ぜんぜん無かったんだけど、なんか、勢い余って……っ、て感じで」


 樹のライトアップに照らされた、柏木さんは。

 なんだかちょっと子どもっぽく照れて、笑っていた。


 でも視線があからさまに下を向いて、また、子どもっぽく笑う。


「きもちよかった?」


「……、まあ」


「そ。私も、きもちよかった、かも。あははっ、何言ってるんだろうねー! うわぁ恥ず! あん、でも、嫌とかじゃなくて、その」


 両手を後ろで組み、ちょっとだけ前屈みになり、ボクを見上げてくる。


「また、シたい、かな」


 言ってから慌てて顔を手で仰ぐ。

 本当にテンパってるみたいで、余裕の無い様子で、柏木さんは続けた。


「今のナシ! あぁ、シたくないとかじゃなくて……、っでもナシ! あーもうっ、ごめん! 今日はここでお別れでいい? なんかもうこれ以上一緒に居ると爆発しそうになるっ! 自分がなにするか全く分かんないし!!」


「……ふふっ、そうだね。ここで別れとこっか。でないとまた柏木さんに襲われそうだ」


「そういうこと言うなーっ。~~っ、確かに襲った! 貪ったぜっ、ジンの唇!! けど私の乙女心が訳分かんなくなってるのーっ! ごちそうさまです!!」


 そして彼女は……きっと誤魔化しもあったんだろう、ボクの胸元に手を伸ばしてきた。

「そういえばさーっ、さっきなんか当たったんだけど。何か付けてるの?」

 無自覚に、そこへ触れようとして、思わず後退る。


 アイカの仕込んだ、盗聴器と、心拍数を計る機器を張り付けた、胸元を。


 庇って。


「おっと襲われる」

「言ったなァ……!! もっぺんなめまわすぞーっ」


 と、家族連れがやってきて口をすぼめる。

 そして、通り過ぎていったのを待ってから、大きく息を吐いた。


 どうやらボクの誤魔化しには気付かれなかったみたいだ。


「それじゃあジン」


 そんなことを思っている間に、彼女は心を決めたらしい。

 幾分すっきりした表情で、自分から一歩、二歩と下がっていく。


「また明日。教室で」

「うん。また明日」


 最後にとびっきりの笑顔を浮かべて、柏木さんは駅に向けて走っていった。

 その後ろ髪が改札を抜け、最後にもう一度振り返ってボクを見ると、大きく手を振ってから階段を駆け上がっていった。


 姿が見えなくなって。

 けど、まだ口の中に彼女の味が残っていて。

 手には今日一日で染み付いた手指の感触がある。

 熱は風と共に薄れていったけど、触れ合って、こすれ合って染み付いた香りはまだ、ボクの肌にも残っている。

 なにより魅力的な彼女の笑顔が残像のように頭の中を過ぎっていた。


 そこへ。


 ものすごい力で腕を掴まれた。

 骨が折れるかと思った。

 手指が肉へ、筋肉へ食い込む。

 跡を残す為にしているのかとさえ思える力で、ボクの背後に立ったアイカが腕を引いてきた。

 ライトアップから顔を背ける彼女の表情は見えなかった。

 けど、ボクの手首よりも細い腕で、必死に物陰へ引っ張って行って、荒い吐息が激しく心乱れているのを教えてくれる。


 壁に身体を押し付けられた。

 後頭部をぶつけて頭の中が痺れた。


 そして。


 アイカはボクに口付けた。


 口付けて、舌を噛んできた。


    ※   ※   ※


 隅から隅まで、肺の中身すら入れ替えるみたいに、アイカはボクと口付けをする。

 華奢で、ガリガリで、骨の浮くような身体つきのカノジョだけど、抑えつけてくる力は強かった。

 まるで全身全霊で暴れるみたいだ。

 そんな風にしなくても、ボクの全部は君のものなのに。

 口の中に残る、柏木さんの味を全て舐め取って、自分のものに変えていく。

 触れたすべての場所に身体を押し付ける。

 一度口を離して、頭にごりごりと顔を擦り付けられた。

 全てを上書きしないと気が済まないんだ。


 だったら最初からしなければいいのに。

 そんな理屈が通用するなら、ボクだってこうなってはいない。


 最低で、最悪な、カノジョの願望。

 寝取らせたい。

 寝取られたい。

 でも、どうしようもなく奪われたくない。

 それを強く感じ、喪失の苦しさと寒気を覚えてしまうからこそ、止められない。

 そしてボクも、不安に駆られたアイカから強く求められることが心底嬉しくて、どこまでも応じてしまう。

 最低で、最悪な、ボクの願望。


 夜のパレードが終わって、客が帰り始めるまで。


 アイカのマーキングは続けられた。


    ※   ※   ※


「やっほお、ジン!!」


 翌日、道の途中で柏木さんと遭遇した。

 偶然? それとも、ボクの登校時間をそれとなく知っていた?

 分からないけど、薄くチークを入れた柏木さんが、そのままボクの手を握って来た。

 指が絡められる。


「今日朝練無かったから」


 何も言ってないのに言い訳して、にひひと笑う。


「そっか」

「うん……」


 そうして一緒に歩いた先で、ちょうどボクらの行く先の角からアイカが現れた。


 ぱっと手が離れる。

 見ると、柏木さんが分かり易く赤くなっていた。

 チークじゃ足りないくらい、耳まで赤い。


 本人も分かっているのか手で仰ぐけど、その熱が消える前にアイカがボクらを見て、声を掛けてくる。


「おはよう、柏木さん。それと、飯田くん?」

「おはよう」

「おはよっ、偶然だねぇアイカっち」


 多分、偶然じゃないよ。

 アイカは一度ボクを視線で撫でつつ、そのまま少し前に位置付けて、歩き始めた。


 二人が何かを話していたけど、意識の中には入ってこない。


 柏木さんの指先がボクの手指に触れた。

 見ると、彼女はボクを見ていて、声もなく照れ笑いする。


 きゅっと指先が握られて、すぐ離れる。


 振り返ったアイカが言う。


「それじゃあ、私はちょっと購買に用事があるから、先に行ってるわ」

「あー、うん。無理しないようにね? 走って平気?」

「平気よ。今日は調子がいいの」

「そっか。またね」

「えぇ、またね」


 駆け足で去っていくアイカの背中を、ボクらはじっと見詰めていた。

 ただ、見えなくなってからも手を繋いだりはせず、昨日の話もしないで、どうでもいいテレビのことを上の空で語り合った。

 そうして下駄箱前まで来たところで、不意に人の流れが途切れた。


 多分、ほんの十秒もすれば別の誰かが来るだろうけど、ぽっかり出来た隙間の時間。


 上履きに履き替えたボクの元へ柏木さんが駆けてきて。


「ジン」


 そっと口付ける。

 それから大人びた笑みを浮かべて鞄を背負い直すと、まるで今のが今日全ての目的だったみたいに満足そうな顔をして、一人教室へ向けて走って行っちゃった。


 数秒して、別の人が下駄箱の前を通り過ぎる。


 それから残り風に顔をあげて、ボクも教室へ向かおうとして、気付いた。


 下駄箱の、ホールの奥にある中庭。

 窓ガラスの向こう側の、更に奥。


 この下駄箱前を眺められる位置にアイカが立っていて。


 ボクを見て。


 柏木さんとのキスを見て。


 青褪めた顔で、

 恍惚と笑って、



 いた――――




















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