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テスト期間に入るから美容院に行って時間を使ってしまうのは罪悪感があったけど、一度決意したんだからと、家に帰って早速母に話してみた。
子どもの頃は散髪は父さんがしてくれていて、中学では床屋で適当に切ってもらっていた。中三からは自分で切ってしまうようになって、この目にかかった前髪は、僕が自分を守るためにわざと長めに髪を残しているからだった。
髪を切りたいと言った僕を母さんは前向きに捉えたようで、早速、誰かに連絡をとっていた。電話越しに聞こえた声で、相手が楓姉さんだとわかった。
「うん、そう。――ありがとう。よろしくね」
電話を切って母さんとしばらくどんな髪型がいいか話していると、通知音が鳴った。母さんのスマホだ。メッセージを確認すると母さんが嬉しそうに笑って、そのまま僕のスマホに美容院のリンクを送ってくれた。
早速、美容院のホームページを開いた。
「楓の友達が働いてる美容院で、その子が切ってくれるって。明日の二時に予約してくれたよ」
「本当?」
思ったより早くイメチェンできそうで、緊張と期待を覚えながら、僕は楓姉さんに感謝のメッセージを送った。
「そんなに時計を見たって時間までまだまだあるわよ」
母さんの指摘に慌てて広げた教科書に視線を戻した。今はまだ十時だ。リビングで勉強をしているのは部屋だと、今か今かと落ち着かなくて集中できないから。リビングならまだ人の目があるから勉強が捗るかなと思った。
だけど長い間自分を隠すように伸ばしてきた髪を今日切るのだと思うと、ドキドキして勉強どころじゃない。それは部屋でもリビングでも同じようだった。
やっと十二時になったとき、家のドアが開いて、姉さんたちが入ってきた。土曜日だから仕事が休みなのだろうけど、どうしたのだろう。
出迎えるために立ち上がると、二人はニマニマしながら僕に抱きついてきた。
「春だねー奏~」
「春だ~」
今は五月だからギリギリ春と言えるかもしれないが、そろそろ暑くなってくるし、桜はとっくに散っているし、姉さんたちの不思議な挨拶には首を傾げるしかない。
「あれ、奏全然わかってない!」
「わかってないね!」
「……姉さんたちはなんで帰ってきたの?」
「ん? それは奏が髪切るの見たくて」
「久しぶりに友達に会いたかったしね」
どうやら二人はわざわざ僕の美容院に付き合うために来てくれたらしかった。母さんは二人がくることを知っていたらしく食事も四人分ちゃんとあった。父さんだけが友人と出かけると言っていなかったが、お昼ご飯をこうして家族で食べるのは久しぶりだ。
薫姉さんにノートを何に使っているか話したり、楓姉さんに買ってきてくれたケーキがすごく美味しくてあのあとあの店で他のケーキも買ってみた話をしていたら、あっという間に家を出る時間になっていた。
母さんだけは家で待っているというので、姉さん二人と駅近くの美容院に向かった。
シンプルでおしゃれな店内に入るのを戸惑ってしまったが二人に押されて中に入る。
「いらっしゃいませ。ご予約されてますか?」
店の受付にいた美容師さんが笑顔を浮かべて尋ねてきた。
「あっあの、ぼ――」
「あれ? 楓ちゃん! すごい髪短くなってる! めっちゃ久しぶりじゃん。まさか楓ちゃんまでくるとは思わなかったよ。えっすごい嬉しい!」
「えみちゃん、久しぶりだねー!」
「久しぶりー! 今日は奏くんのカットだよね? 奏くん、こっちきてここ座ってー」
勢いのある美容師さんだった。楓姉さんの友達というからきっとコミュ力があるんだろうなとは予想していたけど、元気に話す姿は好感の塊という感じで羨ましさを覚える。
僕は促されるまま椅子に座って、ポンチョみたいなものを巻かれた。
「奏くん、私のこと覚えてる? 小さいとき何回か遊んだんだよ?」
「え、えっと……ご、ごめんなさい」
「そうだよね。奏くんまだ三歳とかだったもん。覚えてなくて当然だよ」
えみちゃんさんは愛想があって優しかった。二人きりではなくて後ろに姉さんたち二人も立っていたからあんまり緊張しない。
「今日はどんな髪型にしたいの? 希望はある? というか奏くん最後に美容院行ったのいつ?」
僕の髪を指先で動かしているえみちゃんさんからたくさん質問が飛んできた。
「えっえっと。……最後に行ったのは中学三年の春です。そ、それからは自分で切ってました」
「えっ!」
すごく大きな声が後ろから響いて思わず肩を竦めてしまった。
「ごめんね、大きな声出しちゃった。奏くん、自分で髪の毛切ってたならすごい才能あるよ」
「ほっ本当ですか?」
うんうん、とえみちゃんさんがすごく頷いてくれた。自分を隠すためにしていた髪型だったが、こんな形で褒めてもらうことがあるなんて思わなくて、鏡越しに思わず姉さんたちに視線を送ってしまう。
「でも今日は私に髪切らしてくれるんだね。どんな髪型がいいとかある?」
「えっとこっ、校則で髪は染めれないけど、……そ、その自信を付けたくて、そ、その同じ土俵に立つきょ、許可がもらえるくらいの、えっと……」
どう説明したらいいかわからなくて吃りがまたひどくなった気がする。無意識に助けを求めて姉さんたちを見れば二人は口に手を当てて、嬉しそうにしている。
「えみちゃん、奏をモテる男子にして!」
楓姉さんがそんなことを言うので、僕はつい頬を染めてしまった。
「わあ!」
えみちゃんさんがそんな僕に姉さんたちと同じように笑みを深めて驚いた。目がキラキラしている。
「オッケー。見えてきました。奏くんの髪型!」
えみちゃんさんがまるでマジシャンのようなことを言って、腰のベルトからハサミを取り出すとザクっと勢いよく僕の前髪を切った。