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新年度になり最初にやることなんて決まっている。「自己紹介」だ。じゃんけんで窓側後ろの席から自己紹介が始まった。僕はたまらずノートを鞄から取り出す。
なんて言えばいいだろう。僕のことなんて何を言えばいい? 部活入ってないし、趣味なんてこれといってないし、僕なんかに時間を割かせてしまうなんて申し訳ない。
こういうとき時間とは残酷なもので、サクサク進んでいくものだ。気づいたら宮瀬くんまで順番が回ってきていた。宮瀬くんは優雅に立ち上がると、一度教室中を見渡してニコッと笑った。
「宮瀬颯人です。バスケ部に所属していて、趣味は読書、かな? んーあとはそうだな。姉が一人と、弟が一人います。よろしく」
宮瀬くんの自己紹介は至ってシンプルだった。だけど、誰よりも一番多く拍手をもらっている。こういうとき、拍手の音って結構その人の序列とか、そういうものを示唆するから、それも僕が、発表嫌いな理由だったりする。
「趣味が読書って意外だなー。はいじゃあ、次は宮本~」
担任になった加藤先生が教卓横においた回る椅子から声をかけてきて、僕の心臓は早鐘を打った。
大丈夫。何を言っても殺されることはないんだから。
意識して大きく深呼吸して立ち上がると、なぜか宮瀬くんがやっていたように教室中を見渡していた。だけど僕は器用に笑顔を浮かべることができなくて、一人の女子と目が合うと反射で俯いてしまう。
ああ、僕はなんて駄目なんだろう。
沈黙が降って、それが僕のせいだとわかるのにはそれほど時間は掛からなかった……と思う。
「ぼ、僕はっ」
発した声が上擦ってしまって耳まで赤くなりそうだ。机においた自分の指と指が絡まり合っているのを視界に入れながら、ノートのメモに目を走らせた。
「……み、宮本奏です。と、と歳は十六歳で、家は〇〇駅にあって、ちちち近くにはおっ大きなスーパーがあり、あります。二人っ姉がいます。えっとしゅ、趣味は読書と、おん、音楽聴くことで……、い、以上です」
言い終えるより前に椅子に座った僕にクラス中が戸惑ったように、乾いた拍手を送ってきた。ノートに書いたことは結局ほとんど話せていない。無難なことだけ言った。
「警察の聴取みたいな自己紹介だな!」
加藤先生はフォローのつもりでいったのだろうが、その言葉に僕の耳は限界まで熱くなった。前髪は長く重めに目にかかっているから、今にも涙が出そうなことはみんなにはわからないだろうけど、髪の間から覗く耳が真っ赤なことには気づかれるかもしれない。
それから最後の人まで自己紹介は続き、そのあいだ僕は顔を上げることができなかった。どうしてこんなにも情けない僕なんだろう、とまた心が砕けてしまいそうだ。
気づいたら委員会決めも終わっていて僕は図書委員になっていた。図書委員は人気なことが多いけど、このクラスではそこまでだったみたいで将吾が僕を推薦したみたいだった。去年も図書委員だった僕としては、とてもありがたいことだ。また初めましての先生と関係を築くより、顔見知りの先生の方がいいし、本は好きだ。
宮瀬くんはクラス中の推薦で学級委員になった。彼は心地よく快諾すると、そのあとは前に立って委員会決めの司会進行をしていたらしい。
初日は始業式なんかもあったけれど、気づいたら終わっていて、僕はどっと疲れて鞄を肩に掛けた。
今日はサッカー部がないみたいなので、将吾が一緒に帰ると言ってくれた。校舎から出て駅までの短い距離を歩く。電車の方面が逆なので改札でさよならなのが寂しい。
僕は思わず将吾に抱きついた。
「どうした?」
高校生たちが横を通り過ぎるなか、将吾は僕の背中をポンポンと撫でてくれる。僕は自分の情けなさをこうして将吾にぶつけて、メンタルを保つことしかできない。何も言わないでいると将吾は小さく息を吸って「お疲れさま」と言ってくれた。
顔を上げて将吾を見ると、優しい目で僕のことを見ていた。
「うん、お疲れさま」
小さく笑って体を離す。そのまま将吾とは右と左で別れた。
将吾には小さな弟がいると聞いているが、僕にとって将吾はお兄ちゃんって感じの温もりだなあ。
家に帰ると、珍しく姉さんたちの靴があった。二人は僕が帰ってきたことに気づくと、さっさと玄関に走ってきてハグをしてくれる。
「「おかえりー」」
十歳と八歳違いの姉二人はすでに社会人として活躍していて、それぞれ一人暮らしをしている。今日は平日だし、うちにいるなんて珍しいなと思っていると、今度は母さんが出てきて、僕を歓迎してくれた。
「奏おかえりー」
キッチンの方に行くと、どうやら今日は祝い事があるらしく、作り途中のご飯がいつもより豪華だ。唐揚げとポテトと、冷蔵庫を開けたらケーキまで入っていた。
「今日何かあるの?」
後ろでサラダの準備をしている母さんが「えー?」と楽しそうに笑う。
「今日は奏の高校二年生デビューでしょう?」
そういえばそうだった。母さんはこうして学期が始まるごとに簡単なお祝いをしてくれる。というのも、自分の子供がここまで健やかに育ってくれていることが嬉しいらしい。
「姉さんたちは?」
「私たちも奏をお祝いしにきたんだよー」
下の姉、楓姉さんが、冷蔵庫のケーキは私が持ってきたんだよ、というので、お礼を言うとギュッとハグされた。
「私は奏に、これ」
上の姉、薫姉さんがくれたのは三冊組になっているノートの束だった。それぞれヨーロッパの本みたいに綺麗に装飾がされていてそれなりの分厚さがある。首を傾げれば、姉さんは至極真剣な顔で人差し指を立てた。
「奏は昔からシャイだけど、お姉ちゃん奏がどれだけ素敵な考えで世界をみているか知ってるから、奏が考えてること、文字に起こしてみて」
薫姉さんの言っていることはよくわからなかったが、感謝を伝えればまたまたギュッとされた。その時ちょうど父さんが帰ってきて、僕と薫と楓でハグしていたなかに入ってきた。
「んー、かーズは可愛いなあ」
父さんは僕たち三人を「かーズ」と呼ぶ。それは薫、楓、奏で三人とも「か」から始まるという安直さから始まった呼び方だが、家族全員を愛しているという証でもあるのだろうと僕は思っている。
僕の家族はハグが好きで、お祝いが好きで、家族が好きだ。
僕は自分に自信はないけれど、人より勉強ができることと、こんな家族の一員になれたこととだけは誇りだ。
薫姉さんにもらったノートの一冊はとりあえず日記にしてみることにした。




