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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

数日遅れのバレンタインでも

作者: 宿木ミル

 バレンタインデーは思いを伝える日。

 どんな形であれ、当日にチョコレートを渡すことができるのであれば幸せなことだ。

 特別な日に贈り物を送る。それは素敵なことなのだから。


「チョコレート、せっかく作ったのに」


 平日のバレンタインデー、その帰り際に渡そうと思ったチョコレートは今、私の手元にある。

 そして、私自身は学生寮の自室のベッドで横になっていた。それなりに広さの大学。その学生寮。今は私ひとり。

 体調不良は自己責任だ。病院に行ったところ、数日間は安静するように言われた。

 そういった事情も相まって、チョコレートは渡せないままになってしまった。

 携帯電話からSNSをぼんやり見つめる。すると、私の大学の友達から連絡が届いていた。


『サキちゃん、体調は大丈夫? 講義の内容は後で教えるよ』


 そう並ぶ言葉。彼女がよく使う可愛げなスタンプは心配そうな表情を浮かべて添えられていた。

 少し悩んだ後、私は返事を行った。


『アヤメ、ありがとう。体調は一応平気。来週からはまた大学に行けると思う』


 バレンタインデーのことを言いたくなった気持ちもあるけれども、素直に返答をするべきだと思った。

 堅苦しい文章だと思われるのも申し訳ないので、それとなくマスコット風の鳥のスタンプで『大丈夫!』と添える。

 そうするとすぐに彼女から返信が届いた。


『よかった! サキちゃん、もしかしたら最近疲れが溜まってたのかも……』

『なにかあったら、私に連絡してね! あっそうだ、少し元気になったら会ってもいい?』


 彼女に迷惑をかけないだろうか、と一瞬考え、首を振り返事を返す。


『うん、大丈夫。元気になったらこっちから連絡するね。そしたら部屋に来てもいい』

『わかった! じゃあ、お大事にっ、サキちゃん!』

『アヤメも気を付けてね』


 お互いに安心させるような印象のスタンプを貼りあい、連絡はいったんそこで途絶えた。

 バレンタインデーの話がやってくることはなかった。


「……はぁ」


 ベッドで仰向けになりながら額に掌を乗せる。

 熱はない。感染症とかそういうのでもないから、症状を移す心配もない。ただ、単純に眩暈とかそういうので体調が悪いだけだ。

 夕食は寮長さんが作ってくれたお粥を食べて、その暖かさに安心を覚えた。

 お風呂だって長時間はいることはなかったけれども、身体を綺麗にするくらいはできた。

 あともう少し元気ならば、活動できるくらいの体調。とはいえ、悪化すると大変。そういう状態がなかなかしんどい。

 ベッドから上体を起こし、テーブルの上に置いてあるチョコレートに目を向ける。今日、プレゼントしたかった手作りのチョコレートだ。


「あげられるものなら、あげたかった」


 手作りのチョコレートを保存して渡すのはできないわけではない。

 しかし、もしもということがある。私のチョコレートで体調を崩すということになったら渡した方も渡された側も幸せにならないだろう。

 だから私は、手作りチョコレートを自分で食べることにした。

 そっと手に掴み、自分で作ったものを食べる。量は多くない。お腹にも負担はかからないはずだ。


「甘い、はずなのに」


 市販で売っている板チョコレートを湯煎で溶かし、デコレーションしたものだから甘い味覚は刺激してくれる。

 それでも、頭の中では別の感覚に襲われていた。


「……苦い」


 味覚や口は甘さを訴えている。

 美味しくできていることは間違いない。だけれども、心が苦さを感じさせてくる。

 渡したい相手に、当日渡すことができなかった。その悔しさと、もどかしさに胸が痛い。


「今年のバレンタイン、終わっちゃったな」


 窓から見えるのは月。

 今日はチョコレートを渡す相手に会いに行けることはない。

 その事実が寂しくて、心細さを感じた。





 少しの間の平日は寮内で安静に暮らした。

 寮長さんは体のことを心配して、消化のいい食べ物を用意してくれた。

 交流しているいくつかの友達からは講義内容を教えてもらえた。今度お礼を言ったりしたい。

 身体の調子が整いつつあった平日終わり、金曜日の午後。ぼんやり携帯電話を覗いていた時、ふと思い出した。


「そろそろ元気になったから、アヤメを呼んでもいいのかも」


 身体のだるさ、眩暈などは抜けてきている。外出するほどの元気があるかは別として、部屋で談笑するくらいはできるくらいの体力にはなってきているだろう。

 そう思い、携帯電話を操作し、SNSの個人チャットの画面を開いた。アヤメと普段会話しているチャット欄だ。


『元気が戻ってきたから会えると思う』


 元気にしゃきっとしている鳥のマスコットのアイコンを置きながら彼女の返答を待つ。


『本当!?』

『じゃあ、休日のどちらかにお邪魔したいな! どっちも空いてるから!』


 わくわく、という言葉が添えられたスタンプが貼られる。

 彼女が嬉しそうで私も嬉しい。そう感じながら、日時を指定する。


『じゃあ、日曜日で。完全に元気になった私の姿を見てもらいたいから』

『日曜日! わかった、楽しみにしてるね!』


 文字からもそわそわした雰囲気が伝わる。

 彼女とは大学で一緒になってから、それなりに交流しているのもあって仲良しな方だ。

 だからこそ、こうして繋がれていることもありがたいと感じられる。

 その後もいくつか雑談して、ゆったりとした時間を過ごすことができた。

 そうして金曜日は何事もなく終わっていった。





 土曜日。食事も普通のものが食べられるようになっていた。

 流石に脂っこいものを食べすぎたらうぐってなりそうだけれども、ほぼ本調子と言っていいだろう。

 寮長さんにもそう伝えたところ、ほっとした様子で頷いてくれていた。

 お昼もほどよく美味しいものを食べることができたのは寮長さんのバランスのいい食事のお陰でもあるだろう。お礼してもしたりないくらいだ。

 土曜日、午後。お昼を食べ終わった私は学生寮の自室から移動することにした。

 部屋着から外出用の私服に着替えて外に出る。久しぶりのちょっとした外出だ。

 春先に向けた服として明るい色合いのワンピースで移動する。体が冷えないようにタイツもつけている。


「……我ながら、ちょっと諦めきれない感じがあるから」


 そう呟きながら近くのスーパーまで足を運んでいく。

 目的は、バレンタインデーのリベンジ。


「足りなくなった具材を補充して、もう一度作るんだ」


 バレンタインデーじゃないから、特別じゃないかもしれない。

 それでも、チョコレートを渡せなかったという事実だけが残るのは嫌だった。

 必要最低限に買っていたデコレーションチョコ、そして板チョコレートを購入してレジに運ぶ。

 店員さんから変な風に思われていないだろうか、なんて少しだけ思いながらレジ袋を貰い、そのまま購入を完了させる。


「……よし、頑張ろう」


 そうして私は再び、チョコレート作りに励むことにした。






 寮生が使うことができるシェアキッチン。

 バレンタインデー前日はチョコレート作りをしている人で賑わっていたものの、今日は静かだ。

 特別な日という瞬間ではないからかもしれない。


「まずは、チョコレートを切っていく」


 湯煎する前にチョコレートを溶けやすくするのが大切だ。

 水気がないまな板の上でチョコレートを切り刻んでいき、その刻んだチョコレートをボウルに入れていく。

 全部のチョコレートを入れ終わったら、次は湯煎だ。

 チョコレートにお湯が交わると台無しになってしまうので、そうならないように意識しながら集中してチョコを溶かしていく。

 チョコレートの温度を温めたり、冷ましたりすることによる調整、テンパリングだ。確実に間違えないようにする。


「かき混ぜて、ツヤを出せるようにしないと」


 丁寧に、変にならないように、何回もかき混ぜる。右回り、右回り、左回り、左回り……

 集中しながら繰り返していき、しっかりとテンパリングできたチョコレートが完成した。


「よし、これを型に入れよう」


 型に選んだのはハート型のもの。

 市販で売っているものだけれども、ストレートに気持ちを伝えるならば、これがいいと思って選んだのだ。

 スプーンを使い、ハートの型にそれぞれ入れていく。

 いい感じに全てのチョコレートを使い切ったところで、冷蔵庫にチョコレートを入れていく。


「よし、これで仕上げに入れる」


 冷蔵庫で固まるまでの時間、しばらくのんびりする。

 シェアキッチンで使った道具をそれとなく洗っておく。

 そして再びボウルを用意しておく。

 チョコが固まった後、私は再び動き出した。


「ハートのチョコは完成した。あとは……」


 すぐに乾くタイプのチョコペンを湯煎して、それと同時にデコレーション用のいくつかのシュガーを用意する。

 それをそっと手作りのハートチョコに塗していってできあがりだ。


「よしっ、できた」


 しっかりした形のものができた。

 きっと満足してもらえるはずだ。


「……バレンタインデーは過ぎちゃったけど、受け取ってもらえたらいいな」


 そう呟きながらそれぞれのチョコを包装していく。

 これで、準備が整ったはずだ。

 キッチンをしっかり後片付けして、私は日曜日に備えることにした。







 日曜日、自室。

 お昼を食べ終わった後の時間に、彼女はやってきた。


「久しぶり、サキちゃん! 元気になった?」

「うん、それなりに。アヤメも体調は変わらない?」

「変わらないよっ、あっ、でも、サキちゃんにしばらく会えなかったから寂しかったかも!」

「……安静にしてるように言われてたからね、そこはしょうがない」

「まぁ、一緒にこうして元気に会えるのはとっても嬉しいなって思う!」


 笑顔で、元気な彼女の声が部屋中に響き渡る。

 私とは違う、明るくて前向きな姿に私だってもっと元気になりそうだ。


「さてさて、暇つぶしの道具としてっ」

「何を持ってきたの?」

「講義ノート、持ってきちゃった!」

「……それはちょっと面倒かも」

「あはは、でも、そこまで大変なものじゃないから、雑談しながら作業しよっ」

「わかった」


 講義で遅れた分を取り戻すのも大切だろう。

 そう思いながら、お互いにテーブルで講義内容を纏めていった。

 ひとりだと眠くなりそうな感じの内容でも、ふたりで会話しながら考えに耽るとなかなかに楽しい。

 勉強もいい時間になると感じる瞬間だった。

 講義ノートの内容がひと段落すると、ふたりでくつろぐ時間がまたできていった。

 のびのびとした時間の中、ゆったりと雑談が続く。


「サキちゃんってネイルアートとかには興味ないの?」

「指にデコレーションするのはちょっと面倒かなって……」

「まぁ、拘ると大変そうだからねー、そこまでわたしもやってないや」

「じゃあなんで話してみたの?」

「サキちゃんかわいいから、なんだかいい感じに盛ったりしないのかなーって思って」

「かわいいかな……」

「かわいい! クール系美少女みたいな雰囲気がいいの! わたし、サキちゃんがフリルいっぱいの服とか着てるのは見てみたいっ!」

「ふ、フリルいっぱいはなかなか勇気がいるかも……」

「ふふっ、お洋服の相談なら付き合うよ!」

「じゃあ、今度お願いしようかな……?」


 服装の雑談をしながら、ゆったりと会話を進めていく。

 そうしている間に、ちょうどおやつ時になっていることに気が付いた。

 今の時間なら、渡せるはずだ。

 大きく深呼吸して、チョコレートに手を伸ばす。


「あ、あのっ、アヤメ、少し……いい?」

「ん? どうしたの?」


 きょとんとした表情の彼女。

 改めてチョコレートを渡すとなると緊張してしまう。日数遅れだから猶更だ。


「お、遅くなったけど……ハッピーバレンタインっ!」


 デコレーションしたハートのチョコレートを手渡す。

 そのチョコレートを見つめて、アヤメは驚いたような、そして嬉しそうな表情を浮かべていた。


「わ、私にバレンタイン?」

「うん、アヤメに渡したかった」

「友チョコ……?」

「そ、それは……」


 少し悩んで、言葉を繋げる。


「まだ、内緒……っ」


 顔を背けながら、話す。

 今の私にはこれが精いっぱいだ。

 このチョコレートが友愛のものか、それとも別のものかは自分でもわからない。

 それでも、想いを伝える為にチョコレートを渡したかったのだ。

 自分でも曖昧過ぎる答えだ。漠然としている。これでよかったのか、と思ってしまう。

 そんなもやもやした感情を抱いていたら、アヤメがそっと懐から私に何かを手渡してきた。


「ふふっ、私からもサキちゃんにこれ、あげるね」

「これは……」


 かわいくラッピングされた袋の中には兎のような型になっているチョコレート。

 それを確認したのち、アヤメに顔を向けると彼女は頬を赤くしながら、優しく微笑んでいた。


「ハッピーバレンタイン、サキちゃん。わたしもあげたかったんだ、チョコレート」

「わ、私に?」

「いつもお世話になってるし……それに、わたし、サキちゃんのこと好きだからっ」

「好き……?」


 その言葉にどきっとして、顔が見れなくなってしまう。

 そっか、アヤメも私のことを気にしてくれていたんだ。友達として、そして……もしかしたらそれとは別の意味としても。


「ふふっ、両想いかも?」

「わ、わからないよ、私が本当にそうだかも知らないし……」

「え、でもその反応……」

「わからない、わからないだけだからっ」


 この感情をどう表現すればいいかはわからない。

 彼女から好かれていると考えるとドキドキしてしまう。

 意識すると心が弾む。

 こんな感覚は初めてだ。

 きっと、これから知ることになるのならば、私は色々挑戦することになるのかもしれない。


「じゃあ、一緒にチョコレート食べちゃおっか」

「……うん、そうしよっか」

「じゃあ、遅くなったけど、幸せなバレンタインのプレゼントに感謝して、いただきますっ」

「いただきますっ」


 日数遅れのバレンタイン。それは特別な日ではないかもしれない。

 だけれども、想いを伝える機会はどんな瞬間だってあっていいはずだ。

 特別な瞬間は、自分たちで作ってもいい。きっと思い出になるはずなのだから。


「サキちゃんのチョコ、かわいくて美味しい!」

「アヤメのクッキーも凝ってて凄い……!」

「ふふっ、そうでしょ?」


 健康なまま、友達と会話できる時間。

 甘いチョコレートが苦いと感じることもない、暖かくて満たされる瞬間を私はずっと大切にしたいと思った。

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