筐体
U駅にほど近い 不忍の池。
群生している蓮の葉。
夏前なので、その勢いを爆発させていく、まだ途上だ。
暮れ落ちていく景色は、心をシンとさせる。
自我のバリが削られて、
まろやかになっていくよう。
「自然は、
薬効の高い精神安定剤なんだなぁ」
と独りごちる。
意識のニュートラルエリアにとどまり、
蓮観察専用ゾーンの欄干にもたれていると、
やさしく肩を叩かれた。
振り返るや否や、
ブラウンのロングヘアを揺らしながら、
両うでを広げた相手の胸の中へ、
盲目自然に吸い寄せられていく。
強く抱擁し合う・・
・・南平とサユリ。
「ごめんなさい。
わたし、わたし・・南平さんに」
「もういいよ」
「でも・・でも・・」
南平はサユリの唇を、
自身の それで ふさいだ。
たがいの想いが交感される。
あたたかくて、
心地よくて、
分かりあえて、
適度に刺激しあえる、
かけがいのない存在。
ふたりは、
かつて常連だった、
居酒屋に腰を落ち着けた。
中生ビールでカンパイする。
余談になるが、この店の「お通し」は旨い。
「そうなんだ。
てっきり薬剤師専業で、
やっているんだと思ってたよ。
難しい国家試験も通ったことだし。
まさか{薬局}と{設楽}、
二足の 草鞋とはね。
ミステリー作家の夢・・あきらめきれずか・・」
「エヘヘ。
南平さんに、心配かけたくなくって。
でも、そういういびつな配慮が、
かえって自分を縛り、
二人の関係をも
ギクシャクさせてしまうのよね」
「正解!」
人さし指をピッと立てるカレシ。
「でも、あの応募小説は悪くなかった。
なんか、こう、サユリの情熱が出ていた」
「佳作にもならなかったしィ。
里見さんに言わせると、
構成も描写も
脇の人物造形も甘いって。
褒めてくれたのはセリフだけ」
「専門的なことは分からないけど、
要は、
読み手に、
サムシングが伝わるかどうかでは?」
「同感よ。異議なし。
ただし・・
ミステリーというのは、
文学の中でも特異なジャンルだから、
(本格もの に限定すると)
技巧を伴ったオリジナリティーが求められるワケ。
早い話が・・┃発明┃
賞を狙うなら、
断然・・┃前例のないトリック┃
コレを思いついたら、
一瀉千里、
そこそこの文才さえあれば、
概ねイケる(かも・・しれない)。
たとえば、そうね、
◆ 密室トリックのアップデートとか・・
(黄色い部屋やJDカーの高いカベ)。
◆ 誘拐事件における
身代金を受け取る際の斬新なアイディア。
(この分野では
黒澤明の『天国と地獄』が聳え立っているのよ)
◆ ダイイング・メッセージの、
(E・クイーンとは異なる)新機軸。
◆ ミスディレクションを、巧みにあつかう。
(C・ロースンから延長線を引く形)
これは小説技術のカテゴリーになるかな。
◆ 対・読者に仕掛ける叙述トリック。
◆ 過去のトリックの効果的なサンプリング。
◆ 今風のIT技術を駆使したもの・・などなど。
しかし、
今日日、あらかた出尽くしているし。
目を惹くような題材も
なかなか・・見つからないのが・・
わたくし・・サユリの・・
偽らざる現状・・なのデス」
と言い、
こうべを垂れた。
彼女の、
滅多に見せない
なんの衒いもない、
ピュアな表情 ━ 仕草であった。
目の前には・・裸の・・鈴木サユリがいた。
南平は
鎧を解いた彼女を、
とっても、
愛ぉしく思った。
そんな純粋な気持ちが
南平の中に磁力を発生させ、
種苗ラインを導き寄せた。
「ねえ、こんなアイディアはどうだろう?
きょうさ、U駅の交番前を通ったとき、
掲示板で指名手配犯のポスター並びを見たんだ。
そのとき、ふと、考えたんだよ・・」
サユリはスイと顔を上げた
彼女の目が輝いている☆
「いいよ、南平さん!
おもしろい!
ハードボイルド系の文章と、
相応の描写力は要求されるけど、
<そのアイディアはイケる!>
私の中の創作チャイルドが
ムンクの絵のように叫んでる!
たしかにそうよね・・
シチュエーションの面白さに
ツイストをまじえ、
キャラクターの魅力で引っぱっていければ
独創的なトリックはいらない!
効果的な小トリックで事足りる」
「よかった。
提案した甲斐があったワケだ」
「ありがとう!
私からのお礼よ♡」
サユリは
カレシの頬にキスをした。
カウンター席から「ヒュー♪」口笛が鳴らされた。
顔をちょっぴり紅くした南平は、
刺激されたリビドーを鎮静化させるべく、
パトスの方向転換をはかる。
彼女の興味を引くであろう話題を投げかけた。
「久しぶりに
里見さんに会いたいなぁ。
敏腕探偵の近況は、どんなもん?」
言い終えると南平は、
唐揚げをほおばった。
肉汁をたっぷり味わい、
残りのビールを流しこむ(もぐゴク)。
「もちろん元気にしてる。
現在、専門外の依頼に掛かりっきり。
多忙なりってとこネ」
あいまいに答えると、
サユリはおしぼりで、
カレシのビール髭を拭いてあげる。
「こうしてダイレクトに会うってイイよね。
ラインや電話じゃ情趣がないもん」
「そりゃそうよbyアレ」とカレシ。
会社に適当な口実をもうけて
南平は日帰り予定を変更していた。
一夜の宿は駅前サウナで、
安くあげるつもりだった(経費では落とせない)。
「設楽主任の行方は?」と南平。
サユリは首を左右に振った。
「報道以来、音信不通」
「汐坊さんとの 一線越え を、
写真週刊誌にスッパ抜かれたからな。
エゲツない記事の書き方されたし。
ふたりが泊まったホテルの、
使用済みシーツの写真を見開きで載せるなんて、
インパクトありすぎ。
(デジタルタトゥーとなり拡散した)
狂気の沙汰だ。
敗訴して当然だよ」
「 汐さんてメンタル、鬼強いよね。
報道の真っ只中でも、
ラジオ番組を 当たり前に こなしてたし。
動揺 も見せずに
ふつうに出廷、証言してた」
「彼女の内面までは知る由はないけど・・
交際宣言した相手と逢うのに、
罪悪感はいらないさ。
幸い、
人気は落ちなかったし。
今や、
朝ドラで時の人だ」
「常識はずれ な強運の持ち主よね。
翻って、
不可解なのは・・主任の行動。
雲隠れ は謎すぎるでしょう。
いくらなんでも、
女性の立つ瀬がないじゃない。
とんだ梯子外し、
ガッカリしちゃったな」
唇を尖らせてサユリ。
「センシティブな人なのさ、設楽主任は。
それに・・
有名人と付き合うのは、
想像以上に大変だと思う。
いわれなき
誹謗 中傷も受けるだろうし。
話は変わるけど・・
汐 坊 さん、
たまにラインをくれるよ」
「わたしにも来る。
気まぐれ律儀なヒトって感じ」
ストライクな例えに、カレシはクスクス笑う。
「南平さん、お酒弱くなった?
あんまり進まないね」
顔を朱に染めたサユリは、
お代わりしたチューハイをグビっと呑む。
「いや、これから ひと仕事あるんだよ」
「ウソォー!
てっきり今夜は、
一緒に過ごせるのかと思ってたのに」
「ゴメン、ゴメン、
気がかりなことがあるんだ」
「明日に先送りできないの?」
「バイト譲とは立場が違うんでね」
社会人の顔になって答えた。
「がっかり」
サユリはチューハイを一気にあおった。
彼女の鼻の頭に引っ付いた半切りレモンを、
つまんで食べる南平。
「ビタミンC補充完了!」
南平はサユリを賃貸住宅まで送り、
その足で、
ビジネスホテル「設楽」に向かった。
麺類自販機を点検するためである。
調べた結果、
致命的な故障ではなかったので、
一晩かけて修理した。
オーナーからの謝礼は固辞して、
朝方、東京を発った。




