ひととき
撮影を終え、
朝帰りした汐は、車から降りた。
6月の第一週。
外気は肌に心地よかった。
マネージャーによって、
ファンを( 軋轢 なく )けん制してもらい、
広くて整然としている
大理石で組まれたエントランスへ入る。
迎えの時間を確認し合ってから別れ、
郵便受けのカギを開けてホッと息をつく。
エレベーターに乗り カードタッチ、
自宅マンションへと帰還した。
いまでは、郵便受けが あふれ返ることはない、
事務所(経由)預かりにしてもらっていた。
自室に入る。
まずは、額装された、
あのお方 の写真の前に直立。
手を合わせる。
続けて、眠たい目をこすりこすり、お風呂に湯をためる。
「哉カナ」リスナーから戴いた、
高そうな湯の華をたっぷり入れる。
昨日の撮影は台本が間に合わず、
延々 「待ち」 であった。
役者は当日にセリフを覚え、
演じなくてはならない・・
汐は
ギリ平気だったが、予習準備型にはキツイ話だ。
演出家 (コイシツではない)はカリカリしていた。
早撮りタイプだからである。
台本を一読しただけで、
カット割りが出来てしまう超職人型だった。
ファーストテイクこそ命という信念の持ち主で、
キャスト・スタッフからは、たいそう人気がある。
撮影なんて早いとこ終わらせて、
一杯やりたくてしょうがないヒトだ。
ゴールデン街を根城にしている。
(汐も一度、連れて行ってもらった)
なにより、ショートコントを撮らせたらナンバーワン。
コイシツもかなわない。
いつもベレー帽をかぶっているので、
「ベレーさん」と呼ばれていた。
汐は、ベレーさんのホンをチラ見したことがある。
あちこち♭音楽記号と音符♪が振ってあり、
演出家というより、指揮者の 趣きである。
今日は14時スタジオ入り予定。
笹森・・ 束の間の休息だった。
防水タブレットで落語を流す。
八代目可楽の『らくだ』
・・味のある語り口は絶品である。
登場人物のやり取りがとてつもなくオカシイのだ。
荒くれ男の造形の巧みさ、
クズ屋さんの豹変ぶり、
かんかんのうを躍らせるまでのタメの作り方。
話の風通しはいイイのに
展開に淀みや隙がない。
(活舌は若干アヤしいけれど)
掛け値なしの名人芸である。
ぬるい湯につかる。
浴槽テーブルの上に、
本日分の台本を広げて再チェック。
演じ甲斐ありそう・・
その内容に思わずニンマリしてしまう。
帰りの車中で読んだので、セリフは暗記できていた。
記憶力の良さは母親ゆずりである、
彼女は、おでん屋台で、
(ソロバンを使わずに)
速い暗算で、複数人の会計ができた。
身体が温まるにつれて、
意識はトロンとしてゆき、
現実は色を薄め、
形を透明化させ、
線画状へ変容。
線描から、もやもやした無形へ入った。
抽象の浮遊をたゆとう。
だしぬけに・・
窓枠が現出。
向こう側には海の風景。
波の音がフェイドイン。
潮の香りが漂う。
どこだろう?
記憶にない。
訪れたことのない場所だ。
いつの間にか、
抽象から具象へ
肉体感覚は平常に戻っていた。
振り返り、
背後を見きわめようとガンバる。
しかし・・できない。
ふいに身体が浮き上がった。
窓枠をスイと乗り越え、
海上へ滑り出た、
猛スピードで低空フライト。
五感が、加速 粉砕されていく。
ストンと急降下。
真っ逆さまに海中ダイブした。
息ができない・・
「ハッ!」
湯舟から、顔を上げる汐。
「あぶない、あぶない、
お風呂で溺れたら洒落にならない。
それにしても、
シュールかつ生々 しい夢だったなァ」
バスローブ姿になり、冷蔵庫を開き、
お気に入りの缶ビール(350㎖)をヒョイと手に取る。
ステイオンタブをプシュっと開く。
ゴブゴブ呑む・・「クーッ!旨い!」
テレビまえのソファに胡座をかき、
スマホチェックing ポテチ(のり塩)をバリボリ食べる。
飾り気なし、スッピンの幸せであった。
ゆず季(ユッP)からのラインを着信。
『ハリウッド大通り』という、
演劇の秋上演が決まったとのこと。
しかも初主演。
汐 ・・劇場は?
ユッP・・スカイ劇場
汐 ・・ガンバ(^^)v
ユッP・・サンクス(^^♪
朝ドラ『サスティーン』最高!
汐 ・・よしなに。
初主演か、スカイ劇場、キャパ600人。
うん、悪くないな。
私も一度でいいから、舞台に立って、
ダイレクトにお客さんの反応を感じてみたい。




