第十七話 第三の女帝⑦ 脆弱な女神と叛逆の騎士2
翌日、私は学校をお休みした。
警察の実況見分に家賃未納の支払い、悪質通販の対応とやることが盛り沢山。昨晩パン屋で柏原のアパートに出向く前、波子に『一人で出来る?』と聞くと二つ返事で『ムリ』と訴えかけてきた。
私は『大人なんだからどうにかしなさい』と真っ当なことを言ったつもりだが『ムリなものはムリ』と首を縦に振らない。
横で見ていた店主、これは二人に任せるのは無理と判断して警察との対応には付き合ってくれるとのことだった。やはり地上に降臨した神様か何かじゃないかと疑りたくなる!
というわけで私と波子と前島店主の三人で対応することになった。
◇◇◇
翌日は早朝から警察署に出向いて一通りの事情聴取を受けると実況見分することになり、懐かしの我が家に向かうことになった。現場検証が一通り終わるとそそくさと一旦署に戻ってしまった。太いチェーンロックを切断できる装備を持ってきてくれるらしい。
三人でアパートの下で待ちぼうけしていると、大家が様子を伺いに来てくれた。これ幸いと事の顛末を話すが、一年未満の未払いでは強硬策は取らないと笑っていた。昨日までは旅行で家を空けていたらしく、逆にお土産のお菓子を頂いてしまう有様だ。
平身低頭に波子が全額支払うと「未払は貯めない方が楽ですよ」と至極当たり前の忠告だけして奥に行ってしまった。
冷や汗をかく波子を店主と私で問い詰めていると、またパトカーがサイレンもなく近づいてきた。
「ほ、ほら、パトカーよ!」
「お母さん、説教はまた後でね!」
「あんた、こういう時は厳しいわね……」
「お母さん似ですからね!」
警官が近づいてきたが、小競り合いする私達はしっかり無視してくれた。まぁ『民事不介入』らしいしね。
二人の警官に先導されてドアの前まで来たところで一人の警官は頭を掻いていた。
「悪質な悪戯ですかねぇ……」
「この手のは被害が無ければ起訴は難しいと思います。今から入れるようにするので念入りに盗まれたものが無いか確認をお願いします」
あまり乗り気じゃなさそうだ。正直『痴情のもつれ』を疑っているのは事情聴取されている時の応対でありありと分かった。
あまり気にしていない母親。
やたら陰謀論のようなことばかり言う娘。
娘の関係者という謎の大男。
そこにドアが開かないという悪戯だ。しきりに民事不介入という台詞を口に出していた。
「じゃあ、やってくれ」
「いきます」
上司らしい方の合図で大きなペンチを持った若い警官がチェーンロックを切断してくれた。先に中に入った警官達は何枚か部屋の中の写真を撮ると「不審なものがあったら通報をお願いします」と言い放ちパトカーに乗って帰ってしまったが、『差押え物件』と書かれた貼り紙はバリっと破き捨ててくれていた。
残された三人で部屋に入ることになったが、流石は店主。唯一の男性とはいえ率先して犯罪現場たる我が家に足を踏み入れてくれた。
一日ぶりの我が家だが、懐かしい気持ちより、何故か裏切られたという気持ちの方が多い。店主と波子は乱雑に置かれたダンボール箱を確認しに行ったので、キッチンを覗くことにした。こちらは特に違和感もなく、ガス台に放置された波子の飲みかけのペットボトルさえ二日前と同じ場所にある始末だった。
ふん、と溜息を一つ吐いてから自分の私物置き場へ向かう。ピンキーリング二つは秘密の箱の中に鎮座していた。
「よしっ!」
二人に見えないように小さくガッツポーズ。ミミに買ってもらったリングは波子には秘密なの。バレたら速攻質屋に持っていかれそうだからね。
安心したので二人の方に歩み寄る。一部の衣類が乱雑にダンボール箱へ詰められていたが、犯人達は全てを片付ける気は毛頭なかったらしい。
「差押えの演技だった、ということかな」
「あら、プロっぽかったですけどね……」
「奥さんが信じた時点で鍵を閉めてしまえば、続きをする必要はない……と言うことか」
「比良理め、子供の喧嘩にここまでするか、もはや許さんぞ」
一人怒りを激らせると呑気な声が聞こえてくる。
「まぁ良いじゃない。無事部屋に戻れたのだから」
「良くない!」
母親を睨みつけるがニコニコしている。店主は私達を放って部屋の様子を探っていた。
「内輪揉めはやめて部屋に不審なものや無くなったものが無いか確認してださい」
店主がダンボール箱の蓋をゴソゴソ開けている。何か分からん箱を進んで開けてくれるのだ。ありがたい話だ。少し涙ぐんでしまう。
いかんいかん、弱りすぎだぞ叶笑。エリザベートを見習え。失敗してもすぐに復活していたぞ。
「あら、叶笑。良かったわね、新しい下着、無事じゃない」
波子の台詞に振り返ると、店主が見詰める手元の布は紛れも無く一張羅。それはそれはフリフリで可愛いブラジャーだった。
「きゃーーーーっ!」
一目散に店主の元へ駆け寄るが途中で躓き胸元にダイブする。
「叶笑ちゃん……熱烈だな」
「ち、違う! は、破廉恥だぞ。その箱は私がやる!」
「では、この箱は任せましたよ……」
次の箱に移る店主。全く変なものを見せてしまった。恥ずかしいというより申し訳なくなる。
よし、私も本腰を入れて片付けに加わろう。
「あら良かったわね。パンツも無事じゃない」
振り向き店主の手元を確認。
ぎゃーー! 瞬時に奪い取る。
この乙女の秘密がダダ漏れな感じ、特に恩人の店主に見られることの恥ずかしさ、尋常ではないぞ!
「店主、頼むっ! 他の箱をやってくれーー!」
こんなことを数回繰り返すうちに、一時間も掛からずダンボール箱は部屋の隅に全て畳まれることになった。
◇◇
波子が口座を空にして買ったものは消費者生活センターに電話すると、クーリングオフも出来そうだ、と回答が貰えた。そのまま返品の電話をすると、あっさりと相手も引き下がってくれた。
そして、波子の職場からも解雇なんてするわけが無い、と回答を貰えていたので、結局たった一日で日常に戻ることができた。
「あの時の絶望が夢のようだな……」
「そうね……叶笑が頑張ってくれなかったら、私達、今頃は二人で知らないオッサンと寝てたのかもしれないわね」
三人でお茶を飲んでいたが、店主はどんな顔をして良いか分からず必死で横を向いている。
「お母さん! やめてよ、変な話!」
「でも、アンタが――」
「――お母さんっ!」
「はいはい……でも、ホント良かったわ。七竈戸さん紹介のお仕事もクビになってなかったし。ホント、安心したわ」
「そうね。流石に焦ったわ……」
「しかし叶笑ちゃんのお母様……柏原君と菊地君の作戦とはいえ、お仕事を突然変わるのは大変でしょう」
店主も話が健全になってきたので割って入る。
皆で話し合った結果、まだ此方は『比良理の攻撃という事には気付いていない』と思わせることにした。だから前職は休職として一時的に仕事を変わることにしていた。
「あら、良いわよ。その辺りは七竈戸の奥様がしてくれたし。それより佐藤さんのお嬢さん、しっかりしてるわね。電話一つでお仕事決めてくれたのよ。カッコいいわー」
私が一年生の時の文芸部部長が三隈栞。その友達が『シュガーフードコーポレーション』創業者のご令嬢、佐藤美織だ。
この二人が居なければ、間違い無く南早田家は路頭に迷っていただろう。
「部長と佐藤さんには本当に感謝よ。しかしスマホは怖いわね……繋がらないだけで世間と隔絶したと思わされるなんて……」
「ホント。叶笑だけじゃなく私もそう思わされてたものね」
そう、二人のスマホには『ヒラリー・システムズ』製造のウイルスがインストールがされていた事だけは雷灯が突き止めていた。機能の全貌は解析できていないが、電話やメール、SNSまで宛先を勝手に変えられていたらしい。
「でも、本当に大事なものに気付けたわ。スマホでの繋がりだけではなく、人との繋がりが大事ということね。店主様、改めて礼を言わせて貰う。あなたは私達の恩人だ」
私が店主に頭を下げると波子も慌てて真似をした。店主は恐縮そうに私達の顔を上げさせると、腰を浮かせ始めた。
「そうですね……柏原君も本当に大事なモノが何かに気付けたんじゃないですかね」
「……ん? どう言う意味ですか?」
気づかないフリをしておく。
「いや、何でも無いですよ。では明日からもよろしく」
ここで店主は帰っていった。
「そうだ! 背の高い子の方? 低い子の方? どっちがタイプなのよ?」
ドアが閉まるや否や、如何にも『我慢してあげたんだから白状しなさい』といった感じで楽しそうにこちらを問い詰めてきた。
あっさり親バレしている。そりゃそうか。とはいえ『どっち』と聞いてくるくらいだから確信は無いらしい。
「うるさい! それより、そろそろ佐藤さんの所の会社に行かなきゃいけないんじゃないの?」
「あら、そんな時間ね、じゃあ行ってくるわ!」
波子も慌てて着替えると部屋から出ていった。ポツンと一人残る叶笑。
「慌ただしいことだ……しかし、昨日から色々ありすぎだ……とは言え私もアイツらに頼りすぎた」
雷灯も男の子だ。何だかんだと頼りになる。改めて思い知らされた。
正座でちゃぶ台の前に座る。昨日迄の体たらくを反省し、今日からの反撃の準備をする為に思い出してみる。
しかし陰鬱な敵のやり口より幸福な出来事が先に思い起こされた。
徐々に身体がゆらゆらと揺れてくる。顔がだらしなくなってくる。そっと目を瞑るとイメージが鮮明に浮かぶ。男らしい体躯のキラキラ付き柏原が花をバックに振り返る。
動悸が激しくなり、身体は熱を帯び始める。
そう……今回は自分の柏原に対する気持ちに気付いてしまった。
「はっ! いや、気付いてない! 違う! 気付かない! えぇ? あぁー……まだ気付いてあげない……なら良いかなぁ?」
急に一人慌てて両手を頭の上でパタパタしてキラキライメージを必死に消す。
前世の私は役に立つか立たないか、だけが人付き合いの判断基準だった。『皇太子が好き』ではなく『皇太子だから好き』だった。自らに役に立つから婚約したかった。
そして、それは間違いだったと気付いてしまった。
頭の中には先ほど頭の中から消した筈の柏原が再登場していた。背景は色鮮やかな花で埋まり、上半身裸で薔薇を咥えてベッドに横たわり手招きしている。
両手を胸に当てて目を瞑る。勝手に身体が左右に揺れ始める。
「んふふ、『今度は俺を最初に頼れよ』だと? 生意気な…………柏原きゅん…………はっ、私は何を! えーいっ!」
何故だ! 帝国の毒婦と呼ばれて宮中を闊歩していたエリザベートがこの体たらくだと!
自らの頬を思いっきり平手打ちしてから立ち上がる。
「よしっ! 気合い入った。負けんぞ、女帝!」
でも、もう少しだけ、さっきのイメージに浸ろっと。
ぺたんと座って目を瞑る。もはや身体を左右に揺らすことを止めることはできなかった。
◇◇◇
激動の二日間は終わり日常に戻るため登校する。
対外的には一日お休みしただけだ。しかし、目に映るもの全てが以前とは違って見えた。
伏魔殿にも見えた真新しい食堂。
高ランクの制服と下位ランクの制服が表現する格差。
これら全てが幼稚なおままごとに見えた。
自分達だけの小さな世界の中で、足りない頭を必死に悩ませ、周りを蹴落とし自らの細やかな幸せを求める愚かで矮小な存在。なのに折角得た小さな幸せも他の誰かの邪魔ですぐに失う様は悲劇というより喜劇的でもある。
「よもや、こんな茶番を私も演じていたとはな。しかし……良く考えれば前世もそうは変わらんか……」
もはや滑稽さと憐れみしか感じない。
「いかんいかん……あまり人の世に絶望しても良いことは無いか。何事も楽しまないとな」
明るく結論付けたが、そんな私の想いとは裏腹に差別は明らかに悪化していた。
そこかしこで聞こえる妬みや嫉み。目に見えないドロドロとした何かに支配されているようだった。
自らの教室に出向くと廊下には本来の住人であるクラスメイトが立たされていた。構わず教室に入ると怯えている長倉翼姫とランクBのレイプ犯一人、後は取り巻きの二人しか居ない。
「今日は白馬の騎士は居ないぜ! さぁ、南早田、前の続きでもするか?」
柏原が居ないので反撃の恐れなしといった感じで大声で恫喝してきた。
「ゲスな男ども、私が何故逆らわんと思っている?」
こちらも威勢よく返すが三人はニヤニヤしているだけだった。ランクBの男が肩を叩くと明らかに長倉は怯えていた。スマホを取り出し写真をこちらに向ける。そこには下着を履かずにスカートを捲った長倉の写真が写っていた。
「逆らえば、コイツのエロ恥ずかしい写真がネットにばら撒かれるぞ?」
あの時の私と同じ格好か? 鮮烈に恥辱が蘇る。
「貴様らっ! やり過ぎだ、紛れも無い犯罪だぞ。比良理とて、そんな行為は放っておかんだろ」
「うるせーー!」
第三の女帝である比良理の名を出すと突然に逆上し始めた。
「どいつもこいつも比良理、比良理とうるせーんだよ! 良いか、こいつらのスマホにも写真を送ってある。このスマホを壊したって無駄だからな!」
長倉の目には涙が溜まっている。怒りや無力さに苛まれているのがありありと分かる。
「流石に不憫か……」
敵対していたとはいえか弱い少女。脅されていたと見るのが正しいだろう。
「何か言ったか?」
「ねぇ」
「何だ?」
ツカツカと躊躇なく近づくと、じっと見つめてから両手でそっと男の手を取った。
前回、私は絶望の中でこの男達に身体を許す覚悟をした。今思えば信じられんな……。エリザベートも同じだった。我が身に態と自らが最も嫌悪すべき行動を取らせて贖罪などと宣っていた。人との関係を断つことは弱くすることはあれど強くすることなどないのかもしれん。
さて、乙女が悪漢に囚われているなら救いの手を伸ばさないわけにはいかない……か。
「分かったわ。私ね、マッサージが得意なの。これで許して……」
しおらしく男を見上げて手をマッサージし始める。
「へへへ、分かりゃ良いんだよ! オレもお前をマッサージしてやるぜ。その後で撮影会だ! ははは、お前もな、翼姫!」
怯える長倉が突然名前を呼ばれてビクッと身体を震わせる。その時、窓の閉まった教室の中を微風が吹いた。
「ん? 風が何処から吹いて……」
「ヒャッハー! 南早田は淫乱女だぜ。ヤル気満々かよ」
長倉が怪訝そうな声を上げたが取り巻き達の下衆な歓声にかき消された。
「ねぇ、今からやるマッサージ、全て耐えたら私の身体を差し上げます……」
「へへへ、分かってんな。おい、喜べ。お前らにも回してやるよ!」
しかし、取り巻き達からは歓喜の声は聞こえてこない。まるで聞こえていないようだった。ただ、期待に満ちた視線だけ感じた。
「おいっ、盛り上がれよ!」
苛立ち軽く怒鳴るが誰も口を開かない。
「おいっ! 何で……ん? 身体が動かねー……」
「リラックスして下さい。まず手の筋肉を柔らかくしていきますね」
静かに掌のツボを押していたが、取り巻き二人からの熱い視線を感じたのでニコリと微笑んであげた。すると互いに目線を合わせると初めて嬉しそうに盛り上がり始めた。
「おぉ、スゲー! マジで淫乱女かよ。おい、コッチにも回せよ!」
「根岸! 独り占めしてんじゃねーぞ」
静かにマッサージを続けると、根岸と呼ばれた男は不安そうな声を上げ始めた。
「おい……身体が動かないんだ……聞いてんのかよ? おいって、聴こえないのか!」
それでも取り巻き二人は何も反応しない。期待に満ちた眼差しでこちらを見るだけだ。
「お、おい、南早田、何しやがった!」
顔も動かさずに騒いでいる根岸。長倉は何か変なことが起き始めていると気付いていそうだが、まだ黙って様子を伺ってくれている。
「では、本格的にマッサージを始めますね……」
弱くだ……弱く。そして丁寧に……。
精神を集中し、魔導の組み合わせを正確にイメージする。それから人差し指一本で根岸の小指の付け根から爪先へゆっくりと撫でてあげる。
その瞬間、根岸はビクッと硬直し震え始めた。
「ぎゃーーー! 痛い痛い痛い何しやがる! やめろーー!」
長倉が本気の絶叫に驚いている。しかし、数メートル前にいる取り巻き達は何も気にせず見ているだけだ。
「おい、は、早くこの女を取り押さえろよ! 早くぶん殴って止めさせろーっ!」
根岸は脂汗が噴き出て顔は真っ青になっていった。
しかし……久々だから集中しないと威力を誤ってしまう。油断すればこの男の腕は吹き飛んでしまう。さぁ、集中しろ、エリザベート。
「ぎゃー、痛えー! 何しやがる、や、やめろー」
風の魔導で男の身体を拘束しつつ、更に空気の壁を作って数メートル離れた取り巻きには此方の声を聞こえなくする。
まず、それだけで中々の才能なのよ!
加えて指の先から小さな熱線のメスを出して肉を切り裂く。切り裂きながら回復もさせるの。だから何をしているかは分からないはず。風と炎と回復の魔導の同時行使。前世でも難易度は非常に高い自慢の技よ。
ん、もう一回ニッコリしておくか。
「ヒューヒュー! そんなに気持ちいいのか? 黙ってんじゃねーぞ、そろそろ感想言えよな」
「気持ち良すぎて感じてるのか? 早く変われよ! ははは」
楽しげな取り巻き達の声を聞く根岸。顔に絶望の色が浮かび始める。
さぁ、もう一回。
指の中の骨まで焼き切った側から回復させる。ほらほら、回復させるから往復できるのよ。
ジュージューと音を立てながら小指の根本から爪先までを何往復かする。
「痛い痛い、このアマ、殺すぞ! やめろ、本当に殺すぞ! 痛い、痛い痛い、痛えーー!」
ふふふ、だから『指は十本あるんだぞ』なんて脅さなくていいの。魔力が続く限り何回でも、何時迄も苦痛を与え続けられるのよ。
東部方面隊では……いや、この思い出に浸るのはこの世界ではやめましょう。
「はぁはぁ、もうやめてくれ……うぎゃっ! 痛い、痛い!」
「はい、もう少し我慢しましょうねー、んふふー」
これが……あぁ、麗しのシャーリー・ナインス様直伝『詰問術その三、爪焼き』。まぁ、この男には熱線を限りなく小さく弱くして手加減している。何故って? 本気でやったら屈強な男でも失禁して気絶してしまう拷問だ。こんなヤツ秒で泡を吹いて倒れてしまう。
さて、いつまで耐えられるかしら?
「南早田……お、お前……何やってるんだ?」
長倉が悲鳴と共に不快な肉の焼ける匂いに困惑している。それには答えずに顔だけ向けて微笑み返すとビクッと驚いてくれた。そのまま男に問い掛ける。
「気持ちいいかな? ねぇ、写真、消してくれないかな? 全員分、消してくれたらやめてあげようかなー」
「やめろーーー! 痛えー!」
「ねぇ、答えてよ? 写真を消すと約束してくれたらやめるけど、どう?」
「ぎゃーーー! おい、なんで助けない、何してる! 手前ら殺すぞーー!」
誰も助けに来ないわよ。
「そろそろ感想言えよ!」
「そんなに気持ちいいのか?」
呑気な仲間達の声に絶望したのか声を出すのさえ諦めてしまった。目には涙を溜めて虚に此方を見つめている。
ここで耳元に小声で囁いた。
「絶対に聞こえない。逃げることもできない。どうする、このまま続けていいんだな?」
呆然と何も答えずリアクションがない。
あれ? やり過ぎた?
確認の為に親指の爪の上で何度も指を往復させる。数往復すると遂に泣き出してしまった。
「泣くほど気持ちいいの? 声も出ないほど気持ちいいの? もう……」
「もう……もうやめてくれ……やめて……やめて下さい。やめて下さい、た、たす、助けてーー!」
涎と涙を出しながら情けなく懇願する姿。どうにも東部方面隊で作戦行動していた時を思い出してしまう。
数体の死体が転がる暗い部屋の中、目隠しをされた若い敵兵士が痙攣しながら懇願する様。あれは地獄以外の何物でもなかった。
陰鬱な思いを払うように数回頭を振ってから明るく話し掛ける。
「ねぇ、写真、消す? 消すならマッサージやめるわよ?」
「消す……絶対に消す、約束する! うわーーっ! やめてくれーー!」
ここで男を解放してやるとヨタヨタ逃げだして取り巻きの生徒の一人にに抱きついた。
「写真、約束通り消しなさいよ」
叶笑のセリフに男は振り返って涙声で叫んだ。
「ぜ、絶対に消すかよ! ははは、今からアップロードしてやる」
「おい……何キレてんだよ?」
周りの生徒達は不思議そう。翼姫も叶笑を別の意味で不思議そうに見つめていた。
予想していた回答を聞けたので、まず男の顔に人差し指を向けた。
「約束を違えるということなの?」
「だったら何だってんだよ、殺すぞクソアマ!」
少し離れることができて気が大きくなっているらしい。そんな罵詈雑言に微笑みながら優しく答える。
「覚えておいて。次は絶対にやめないわ。指だけではなく貴方の股の間に付いている大事なモノも撫でてあげます」
指を根岸の股間に向けると素早く内股になって両手で大事なものを押さえている。
「な……なんだと……」
「覚えておいて。貴方が眠りにつくと私は必ず貴方の枕元に座っています。貴方が目を開けると私は必ず貴方の手を握っています」
声色はできる限り優しく。その方が絶望的な恐怖を与える。
「貴方が写真を公開したら……いえ、ここの誰かが写真を公開しても、それは貴方の責任よ。だから沢山マッサージをしてあげるわ」
「えっ?」
妖艶に笑う。
「公開されたら貴方を本気でマッサージしてあげる。大丈夫。気持ち良すぎて気を失っても、私のマッサージで起こしてあげるわ」
ウインクすると男は崩れ落ちてしまった。
「写真を消せっ! 今すぐだ」
「な、なんで――」
「――信用できるわけないだろ! 早く消せーっ!」
◇◇
男達は写真を消すと逃げていく男を追いかけて全員去っていった。ふと気が抜けると眩暈が襲ってくる。視界が黒くなる。
「はぁはぁ、流石に魔力を使い過ぎた……」
「南早田……あなた、一体何者なの……」
その質問に答えず不敵に笑いながら椅子に腰掛ける。失神するのをギリギリ避けられた。
「翼姫、私はお前も好きだぞ、その焼けっぱちなところなんてな」
突然の宣言に呆然とする長倉翼姫。
「ば、バカにして!」
「ははは、本心だ。まるで(前世の)私のようだ!」
「何よっ! いい加減に――」
「――お前も護る。必ずだ。誰かから攻撃を受けたら私に言え。必ず反撃して完膚無きまでに叩き潰してやる」
予想もしていない返答に翼姫が口をパクパクしている。
そうだ、もう成り行きにまかすことは絶対にやめた。
この学校の全てが『女帝システム』に操られているなら、私は『女帝システム』そのものを破壊してやる。
カースト制度だと? そんなものに負けてやるものか!
システム・マリアだと? 逆にぶっ壊してやる!
「ついでだ。翼姫、お前も守ってやる!」
騒ぎが終わったことに気付いたのか、クラスメイト達も席につき始めた。翼姫もそっと席に座り授業の始まるのを待つことにしたらしいが軽く微笑んでいる。それを見ていたが、恥ずかしいのか横を向いてしまった。
「翼姫と呼んでいいか?」
呼び捨てていたので一応許可を取ることにした。少し黙っていたが震え出したと思ったら此方を睨みつけた。
「ありがとう……叶笑」
はは、また友人が増えたか!
ニヤニヤしていたら、翼姫に消しゴムを投げられた。
◇◇◇ 放課後のバイト先
「おつかれさまでーす」
意気揚々とバイト先のパン屋『ドゥセール・エ・アルティメ』に入る叶笑。
「お疲れ様。制服をリニューアルしたから」
入店早々に想像していなかった台詞に戸惑うだけ。
「えっ? 店主……金銭的な支援もしてくれた上で制服も新しくしてくれるとは。天使の御使か何かか、貴方様は!」
喜び勇んで更衣室に入っていくと、ロッカーにはビニール袋に包まれた真新しい制服が掛けられていた。留められたセロテープを丁寧にゆっくり剥がす。袋など何に再利用する訳でもないが、貧乏性はこういうところにこそ現れる。
全く……『三つ子の魂百まで』とはよく言ったものね。
「おぉ、これは可愛らしい……というか……これは……可愛らし……すぎないか?」
ハンガーにかけたまま新しい制服を身体に合わせて更衣室からそっと出て店主を睨みつける。
これは抑えめだがどう見ても通称『ゴスロリメイド服』だ。スカートは膝丈で特に問題はない。唯、フリフリ加減が可愛すぎる。
「店主よ、これでは『メイド喫茶』なるモノで着用する制服ではないか?」
「いつものエプロンを着れば大丈夫だよ」
少し不満だ。これで『うん』と言っては如何にも店主の掌で転がされているようだ。
「まぁ、一度着てみて」
「これは就業契約を傘に着て若干のはらすめんとが感じられる。どうだ反論はあるか?」
「借金返済、がんばって」
これは……負けだな。もはや着るより仕方あるまい。
ん? 少しホッとした? そんなことないわよ!
「……店主よ、これ以上の辱めは許さんからな! 借金のことを言われては仕方あるまい!」
指差して警告しておくことにする。早速更衣室に飛び込み制服を脱いで新しい制服に袖を通す。
サイズは完璧。仕立ては最高。姿見に写せば見惚れるほどの可愛らしさ。早速更衣室から飛び出てポーズを決める。
「ど、どうだ? 似合うか?」
ここで『はしゃぎ過ぎた』と後悔するが店主は親指を一度立てると、すぐに仕事に戻ってしまった。それ以降は此方を見ようともしない。
そうか……制服を変えただけ、ということか。
店主の背中に最敬礼することにする。
「店主、表の掃き掃除をしてくるぞ」
「はい、どうぞ」
ここで業務に邁進せんとして如何するか。箒を持って表に出る。可愛らし過ぎる? 恥ずかしい? 我儘を言うな! コレは広告なのだ。そうだ、私は『ドゥセール・エ・アルティメ』の広告塔……と言うことは……か、看板娘!
「ふんふーんふーん♫」
ガラスに写るフリルの一つ一つの意匠に溜息が出る、いや鼻歌が出る。クルクルと踊りながら箒をかけていると店の中からバーンとパン生地を捏ねる音が響いてきた。
「助けられてばかりだな……」
幸せな音に自然と目が潤んでしまう。
「いかん、気を抜くな。就業中の身だぞ!」
細やかな幸せを感じながら、私は晴れやかに踊る。
踊りながら歩道を履く。
何時迄も、何時迄も踊っていたい気分だった。
◆◆◆
(もうひと押し。叶笑ちゃんは責任感も強いし生真面目だから……やはり……)
「――どうだ反論はあるか?」
「借金返済、がんばって」
「……店主よ、これ以上の辱めは許さんからな! 借金のことを言われては仕方あるまい!」
長年、高校生をバイトに雇っている前島店主。プライドが高くて聡い子には『仕方がない。しょうがない』と理由を作ってあげれば堕ちることなど自明の理だった。
今回の場合は特に簡単だ。『働かなきゃ』と理由付けしてあげれば良いだけ。
「ど、どうだ? 似合うか?」
その言葉にビシッと親指だけ立てる。で、すぐに仕事に戻る。あまり褒めすぎても違和感がある。あくまで仕事だと認識させるのも重要。
「店主、表の掃き掃除をしてくるぞ」
「はい、どうぞ」
揶揄うのは厳禁だ。一言で恥ずかしくなり脱いでしまう子も多かった。
「ふんふーんふーん♫」
チラッと横目で確かめる。フリフリメイド服にシックなエプロンは見立て通りに可愛らしい。
店主、実はその筋では有名なカメラマンで、土日などは各地のイベントに引くて数多だった。衣装のコーディネートもする多才ぶりで、この店は半ば実験場でもあった。
「気晴らしにコスプレは最適だ。しかし……ブリムは要らないな。いやらしくなる。バンダナより三角巾かな」
両手をファインダーに見立てて構図に入れる。窓枠から覗くのはキラキラと微笑むメイド服の少女。心の中でシャッターを切る。
「ふふ、パンを捏ねる力も湧くというものだ!」
チラッとガラス越しに踊る少女の微笑みを眺める。
「幸せな方がファインダー越しの見栄えが圧倒的に良くなる。流石は恋する乙女。勝てないものは無い……か? ふふ……ははは」
――今は羽を休める時
――決戦の時は近い
――果たしてスクールカーストを破壊できるのか
仮初の絶望は仲間達の手により覆され南早田家には日常が戻った。虎視眈々と反撃の機会を待つ。
ショタで変態で底意地悪く下品だけど狡賢くてツインテールが似合わない比良理に逆襲の時。
脆弱な破壊の女神はカーストを破壊できるか?
次回こそ本当に、反撃の叶笑。
★一人称バージョン 2024/1/3★