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優しい彼女と大人びた彼

作者: 剃場多々子

 4月2日は朝から小雨が降り続いていた。

 高校に着くまでに、永倉(ながくら)(すず)の髪は湿気を吸って肥大してしまった。

 触れた彼女の右手には、ゴワゴワとした感触が伝わる。

 自分の席に着くと、鈴はカバンの中からコンパクトを出して、開いた。鏡を見ながら広がった髪をゆっくり梳いていく。

 黒髪、丸顔、タレ目。見慣れた自分の顔も、なんだか少々疲れているように見える。

 おまけに、久しぶりに早起きしたせいで、肌が荒れていた。



 一年前、両親が離婚した。

 私が、高校受験を終え、入学準備をしているときに打ち明けられた。

 原因は、父の不倫。

 私に打ち明けた時には、両親の間ですべての話がまとまっていたらしい。おそらく、私の高校受験が終わるまで、精神的ショックを考慮して待ってくれていたのだろう。というか、打ち明けられるまで全く気付かなかった自分の鈍感さに、恥ずかしくなった。

 それからは、母との2人暮らしが始まった。

 看護師をしている母は、仕事が夜遅くなることも多い。

 母には、あなたは今まで通り好きなことをしていい、と言われたけれど、夜遅くに疲れた顔をして帰ってくる母を見るにつれ、少しずつ家事を始めた。

 掃除、洗濯、料理と、2ヶ月もする頃には、ほとんどの家事を鈴が行うようになった。

 そのことについて、鈴の中に負の感情はなかった。母のことは好きだし、私を養うために働いている母のために家事をすることは、苦ではなかった。



 春休みが明け、今日から高校2年生となり、クラスも替わる。廊下のクラス替え表で確認した限り、1年生で仲が良かったメンバーは別クラスとなってしまった。

 家の事情で放課後等に遊びに行きづらい鈴としては、1から人間関係を構築するのは、うんざりするところではある。

「ふぁ……」

 お弁当を作るために早起きしたのは、2週間ぶりである。肌寒い外から、空調のかかった教室に入ってきたことで、眠気が襲ってきた。

 チラと教室前方の時計を見ると、始業式前のホームルームまで10分ほどある。

 少し仮眠をとろうかしら、と鈴が椅子の背もたれに寄りかかり、目をつぶると、パサ、と何かが机の上に置かれる気配がした。


「あぁ、ごめん。起こしちゃった?」


 目を開けると、1人の男子生徒が紙の束のような物を持って立っていた。


「これ、春休み前に返し忘れちゃったんだって」

「……あ、ああ。うん、ありがと」


 同級生の男子に寝顔を見られてしまったことで、気恥ずかしさを覚えた鈴は、その男子生徒から視線を外しながらお礼を言った。

 手元を見ると、春休み前の授業で提出した、採点済みのレポートが机上におかれていた。彼に言う通り、春休み前に教師が返却し忘れたのだろう。

 鈴は、そのレポートを取って机にしまおうとした。


「美しい字だね」

「……え?」


 レポートをしまおうとした鈴の手が止まった。

 一瞬、言われた意味が分からなくて、反応に間が開いてしまった。

 視線を上げると、彼はほほえみながら鈴のプリントの名前のところを指さした。


「いや、美しい字だな、と思ってさ。永倉さんの字」

「……あ、ありがとう。」


 美しい字、と言った彼の声の音が頭の中で反響する。

 確かに、子供のころから習字をやっていたせいで、「きれいな字」、「字が上手」と言われることはよくあった。しかし、「美しい字」と評されたのは初めてだし、その「美しい」という言葉の響きがなんとも気恥ずかしい。

 そんな気持ちが態度に出てしまったのだろう。目の前の彼は急に慌てはじめた。


「あ、ご、ごめん。初対面でいきなり、気持ち悪かったよね。ごめんね」


 両手を前に突き出し、慌てて頭を下げてくる。左手に持ったレポートの束がバサバサと音を立てて動く。


「いや、気持ち悪いとかはないよ。少し恥ずかしかっただけ」


 鈴は、男子生徒の目を見て、そう答えた。せっかく褒めてくれたんだ。彼に嫌な思いはしてほしくない。


「そっか。よかった」


 鈴の言葉を聞いた彼は、ホッと息をついた。

 これから他の生徒にもレポートを配りにいくのだろう。背を向けて、鈴の席から離れていく。


「あの!」


 鈴は思わず呼び止めていた。鈴の声に反応し、彼が振り向いた。


「字を褒めてくれてありがとう。嬉しかった」


 彼はその言葉をきくと、ほほえみながら、うなずいた。



 彼の名前は、始業式後のホームルームで、すぐ明らかになった。

 クラスの委員長選出の折、担任が「自薦他薦、問わない。誰かいるかー」と呼びかける。


「そりゃ、りっくんでしょ!」


 教室後方の一人の男子生徒がそう言った。

 周りを見ると、何人かの生徒がウンウンとうなずいている。


「二階堂、どうだ?」

「他に候補者がいなければ、私がやります」


 担任に問われた彼は、静かにそう答えた。

 クラス委員長なんて、ほかにやりたい人がいるはずもない。委員長は二階堂君に決まった。



 二階堂(にかいどう)(りく)は、昨年の1年A組の委員長だったらしい。

 昨年の1年A組の噂は聞いていたし、委員長も有名だったから、名前を聞いたとき、「ああ、この人が」などという、有名人を見たような感想を鈴は抱いた。

 その後、教壇にあがった二階堂君は、各委員会の担当を決めていく。


「まずは美化委員ね。これはどんな仕事をやるんだろ。美馬さん、去年美化委員だったよね。どんな感じ?」

「主な活動は、ゴミ拾いと花壇の手入れ。それぞれ月1回かな」

「放課後にやるの?」

「いや、朝でも昼休みでも、好きなタイミングで大丈夫だったはずだよ」

「なるほど。じゃあ、できれば部活やってる人にやってもらったほうがいいかな。図書委員とかは、放課後の活動だから、部活やってない人にお願いすることになっちゃうし」


 なんとも如才ない。

 わざとクラスメートに振って話をさせることで、全員が発言しやすい空気を作っている。

 クラス替え直後のお互いに探っているような空気が少しずづ柔らかくなっていくようだ。


「広報委員は、イベント時のポスター制作か……鈴木さんはどう? 美術部だったよね?」

「……そうだけど。私、抽象画が専門だから、ポスターとか描けないよ?」

「そっか。……ああ、田代君はどう? イラストうまいよね?」

「お、俺!? いや、別にうまいとか……、そんなんじゃ……」

「去年のB組の文化際のクラス紹介ページのイラストすごかったけどなー」


 おまけに去年のクラスメートじゃない生徒の情報まで頭に入っている。

 鈴木さんと佐藤君は去年、私と同じB組だ。

 本来、委員会決めなんて、みんなが面倒くさがって、お通夜のような雰囲気になるのに、彼の手にかかると、嘘のようにポンポン決まっていく。

 鈴は、窓際一番後ろの席から教壇の二階堂君を眺める。

 165センチくらいで、男子にしてはやや小柄。やせているけど、ガリガリってかんじじゃない。顔はイケメンってわけじゃないけど全体的に清潔感がある。

 担任相手には、「私」という一人称を使ったり、相手にプレッシャーを与えない話し方だったり、高校生にしては、やや、……いや、かなり大人びている。


「……永倉さん。永倉さん?」

「え!? 何?」


 観察兼物思いにふけっていた鈴は、二階堂君が自分を呼んでいることにしばらく気づかなかったらしい。

 慌てて、顔を上げて返事をする。


「永倉さん、図書委員どうかな? 部活はやってなかったよね?」


 どうやら、鈴の情報もインプット済みであるらしかった。



 始業式の日は、いつもより一時間ほど早く授業が終わる。

 朝から降っていた雨は、いまだ降り続いている。

 30分に一本しかない電車をタッチの差で見送った鈴は、人がいないホームのベンチに座ろうとしたが、ベンチが濡れているのを見て、座ることを諦めた。

 今日の夕飯は、レンコンをあまじょっぱく炒めたものと、サラダ、スーパーでよさげな魚を焼き魚にしよう。

 帰り道の途中でその日の献立を考えることが、鈴のクセだった。そうしておけば、スーパーで必要なものだけ買ってすぐ帰れる。

 そんな考え事をしていたせいで、人が近づいてきていることに気づかなかった。


「永倉さん?」

「……二階堂君」


 名前を呼ばれて振り向くと、今日二度目の邂逅となる二階堂君が立っていた。

 二階堂君は私から視線を外すと、その奥にあるベンチを見た。そして、カバンから何かを取り出した。

 そのまま私の横を通ってベンチに近づくと、取り出した何かでベンチを拭き始める。

 その何かはハンカチだった。

 二階堂君は二つ分のベンチの座面を拭くと、ハンカチをバッグにしまってもう一度鈴を見た。


「座る?」

「……」


 なんなんだろうか、この人は。

 完璧超人か何かなのか。

 黙って、じっと鈴に見つめ返された二階堂君はちょっとたじろぐように下がった。


「二階堂君ってさぁ……人生3回目?」

「そんなわけないよ。1回目」

「なんか完璧すぎて気持ち悪い」

「え!?」


 鈴は、ありがと、と言いながらベンチに腰掛けた。


「き、気持ち悪かった?」

「ああ、ごめん。それは言葉の綾。ただ、高校生男子は普通こんなことしないよ」

「そう? でも次の電車まで30分あるんだよ? 立ってるの辛いじゃん」


 二階堂君は背負っていたリュックを肩からおろし、抱きかかえるようにして、私の隣のベンチに座った。


「ハンカチ、いつも持ち歩いているの?」

「え? うん、まあね」

「私、男子がハンカチで手を拭いてるの見たことないわ」


 男子なんてみんな手を洗ったら、パッパッと手を払ってズボンで拭いている。

 と、そこまで話したところで鈴は、重大なことに気が付いた。


「待って。私、ハンカチは持ってるのよ」

「え? ああ、そうなんだ」

「二階堂君、私が立っているの見て、ああ、この女はハンカチも持ってないんだな、って思った?」

「いや、思ってないよ」

「なんとなく、ハンカチでベンチを拭くのが嫌だっただけなの。30分ぐらいだから立ってればいいと思ったし。だから、ハンカチも持ってないずぼらで不潔な女という誤解はしないで」

「そんなこと思ってないよ!?」


 鈴は、隣に座っている二階堂君の横顔を眺めてみる。

 このホームで二階堂君の顔を見たことはなかった。

 顔を認識したのは今朝のことだから、今まで気づかなかっただけかもしれないが、うちの高校は私服なので、私服の高校生がいれば目に入っているような気もする。


「二階堂君もこの路線なの?」

「うん、○○駅」


 鈴の駅の一個先の駅だった。


「私、××駅なの」

「ああ、そうなんだ。じゃあこれから会うことも多いかもね。春休みに引っ越してさ」


 なるほど、それならば今まで見かけなかったことの説明がつく。


「ねぇ、二階堂君」

「何?」

「朝、なんで字を褒めてくれたの?」


 鈴にとって、自分の字は、どちらかといえばあまり好きなものではなかった。

 自分の字を見ていると、父のことをなんとなく思い出してしまうからだ。

 別に不倫したからと言って嫌いになったわけではないが、失望したのは明らかだし、そのせいで大変な思いをしている母を見ると、やはり父の面影を感じるたびに、父への怒りと母への後ろめたさが胸にこみあげる。

 だから、聞いてみたかった。この優秀な男子生徒は私の字を見て何を思って「美しい」と評したのだろう。


「とっても、読みやすかったから」

「え?」


 予想とは少し違った回答がきて、鈴は戸惑いを隠せなかった。

「バランスがいい」とかではなく、「読みやすい」とは。


「俺さ、1年生の時もクラス委員やっててさ。よくプリントとかノートの返却とか頼まれるんだよ。特に男子の字とか汚くてさ、読みづらいったらないんだけど。あと、女子で、やたら小さく書く子とかね」

「うん」

「そんな中、永倉さんの字は、一番読みやすかった」


 そういうことか。

 委員長として、雑用を頼まれることも多いのだろう。

 その中で、私の字は彼にとって、ありがたかった、というわけだ。


「そっか。習字習っておいて、よかった」

「……いや、それもあるんだろうけど……」


 急に歯切れが悪くなった二階堂君は鈴から視線を外した。

 右手で後頭部の髪の毛を触りながら、照れくさそうに口を開いた。


「永倉さんの他にも、字がきれいな人はいるよ。でも永倉さんの字はね……見た瞬間認識できるんだよね。永倉鈴、っていう文字が脳に侵入してくるっていうか」


 ウイルスのような言われようである。

 だが、鈴自身、特に意識はしていなかったが、鈴の字にはあまり癖がない。

 お手本通りのような字だという自覚がある。


「私の字、そんなに主張強い?」

「いや、むしろ弱いほうだと思うよ」

「じゃあ、なんでウイルスみたいなんだろね。私の字」


 二階堂君は、ウイルス?、とつぶやきながら腕を組んだ。


「ノートとか、レポートの名前ってさ、先生だったり、配る人だったりが識別できるように書くわけでしょ? だから、そういう認識しやすい字を書く永倉さんはさ、きっと優しい人なんだろうね」

「え? 優しい?」

「そう。ああいう、雑用ってまあ、感謝はされるけどさ、面と向かって言われることはないから。そんな中でなんか、女の子に優しくしてもらったみたいでなんか嬉しかったんだよね」


 不思議な感覚だった。

 自分の字なんて、無機質で、癖のない、面白みもない、父を思い出す嫌なものでしかなかったはずなのに。

 この人はそんな自分の字を見て、優しさを感じ取ったのか。


「二階堂君ってさ……」

「うん」

「キモイね」

「え!?」


 そういった鈴の顔はわずかに熱を帯びていた。



 スーパーで買い物した後に、夕飯を作り、もうすぐ作り終わるタイミングで母が帰宅した。


「ただいまー」


 玄関でバタバタと音がしてしばらくすると、リビングのドアが開いて母が入ってくる。

 茶髪のくせっけ、丸顔は、鈴への遺伝の証左である。二人並べば、だれが見ても親子だとわかるだろう。


「ただいまー、焼き魚の匂いがするー」

「おかえり。すぐご飯にしよう。手、洗ってきて」

「はーい」


 どちらが親か分かったものではない会話だが、永倉家では日常茶飯事である。

 焼き魚をフライパンから皿に移し、大根おろしを添える。サラダは冷蔵庫から出すだけ。レンコンはもう食卓に置いてある。

 二人分の箸、コップを用意していると、着替えた母がリビングに戻ってきた。


「お母さん、ビール飲むよね?」

「飲むー。鈴、今日もありがとねー」

「何言ってんの。早く食べよう」


 二人で向かい合わせに座り、いただきます、と手を合わせると、母はビールの缶を開けてグビグビと飲み始めた。


「はー、美味しい! うーん、レンコン美味しー。サラダもドレッシング最高! 鰆も焼き加減完璧! 鈴ちゃん、天才!」


 母はいつも大げさに鈴の料理を褒めてくれる。

 家事を任せてしまっている後ろめたさもあるのだろうが、そんなこと気にしなくていいのに、と鈴は常に思っていた。


「鈴も、やりたいことやっていいんだよ? 吹奏楽だって続けてよかったのに」


 中学までやっていた吹奏楽を高校で続ける気は最初からなかった。

 忙しい母を尻目に、自分だけ部活をやる気にはなれなかったし、なにより自分の意思で決めたことだった。


「いいの。私、結構今の生活、気に入ってるし。それに、花嫁修業にもなるじゃん」

「……そういうなら、彼氏の一人でも連れてきてほしいけどね」

「うるさいな」


 男の人と、付き合ったことはない。

 興味がないか、と言ったら嘘になるが、なんとなく、恋愛というものが鈴の中でいまだ現実感を持てずにいた。


「気になる男の子とかいないのー」

「……いないよ」


 一瞬、返答が遅れたのは、今日あった如才ない男子が脳裏をよぎったからだが、さすがに彼に恋愛感情は抱いていない。

 それより、なんとなく二階堂君に褒められたことを母に話したくなった。


「今日ね。クラスの人に字を褒められたんだ」


 私がそういうと、ほんの一瞬、母の手が止まったように感じた。


「その人はね。私の字が優しいんだってさ。見た瞬間認識できるから、まるで優しくされているようだった、って言うの」

「……」


 母は黙ったまま、鰆の身をほぐしている。

 ここでやめといたほうがいいだろうか。母との二人暮らしで不和が生じるのはマズい。

 だが、そんな思いに反して、私の口は自然と動いていた。


「私ね、あまり自分の字が好きじゃないんだ。私の字がうまいって言うのはさ、あの人のせいでしょ。だからきれいな自分の字を見てると、なんか……お母さんを、裏切ってるみたいで」


 父は書道の先生だった。

 自らの教室を開いて、子供たちに教えていた。

 娘の鈴も当然のように幼いころから、父に習っていた。

 父はよく、「鈴はうまいなあ」といいながら頭をなでてくれた。

 だから、鈴にとってその記憶は決して悪いものでなはい。だがその「悪いものではない」という思いもまた、母を裏切っているような気がしていた。


「……鈴」


 うつむいたまま、顔を上げられないでいると、頭にポン、と母の手が置かれた感触がした。


「ごめんねぇ、鈴。あなたがそんなこと思ってたなんて、私気付かなかった」


 ハッ、と顔を上げると、困ったような顔でこちらを見つめる母の顔があった。

 タレ目の目をさらに下げて、ああ、こんなところも似ているなあ、と鈴は思った。


「ち、違うの。お母さん。私が勝手にグルグル悩んでただけだから……」

「それでも。娘の悩みに気づかなかった」


 母は立ち上がると、私の隣の席に座った。


「鈴は、お母さんの子で、お父さんの子だよ。鈴の字も、大事なあなたの一部」


 そう言って母は鈴の頭をなでた。


「うん。ありがとう」

「あなたが、後ろめたさなんて感じなくていいの。分かった?」

「うん」


 母に頭をなでられていると、鈴の中にあった、父はの怒りや、母への後ろめたさが、少しづつ和らいでいくのを感じた。


「……ところで、その褒めてくれた人だけど」

「うん」

「……男の子?」

「ん!? え、えっと、まあ、うん」

「ふーん」

「え!? いや、待って。別にそういうのじゃないよ! きょ、今日あった人だし」

「でも、嬉しかったんでしょ?」

「……そ、それは、まぁ」

「ふーん、そっか。フフフ」

「いや、何笑ってんの!」


 その後、食事中、ずっと鈴は母のニヤニヤした視線を受け続けねばならなかった。



 それから、頻繁に駅で二階堂君と会うことが増えた。

 朝は同じ時間の電車だったし、二階堂君も部活をやっていないらしく、帰りに一緒になることも多かった。

 ミステリー小説と映画、という趣味の合致のため、話題は主にそのことだった。


安達太良(あだたら)良太(りょうた)の新作面白かったなー」

「ね。2個目のどんでん返しはさすがに予想できなかったよ」

「それな。あ、あとさ、昨日フットネリックスに落ちてきた映画見た?」

「見た見た。もう最高!」

「あ、やっぱり? 俺も見てて、これ永倉さん好きだろうなー、と思いながら見てた」


 二階堂君との会話は楽しい。

 話題が合うのも理由の一つだけど、彼はこちらのテンポに合わせて会話するのが抜群にうまい。

 こちらが考えているときは、待ってくれるし、興奮して熱がこもってしゃべっているときは、気持ちよく話せるように相槌を打ってくれる。


 鈴は生活の中で、いつしか二階堂君との会話を楽しみにしていることに気づいた。

 だが、これが恋か、と聞かれると、微妙なところである。話していると楽しいというのはイコール恋なのだろうか。いまだ経験のない鈴にはまだ答えの出せないところであった。


 そんな日々が1ヶ月ほど続いたある日、放課後の帰り支度をしている鈴の前に二階堂君が現れた。


「永倉さん、ちょっといいかな?」

「?……どうしたの?」


 二階堂君は鈴に気を使って学校ではあまり話しかけてこない。噂になると面倒である、という鈴の気持ちを汲み取ってくれているんだろう。


「永倉さんに、お願いがあってさ」

「お願い? 二階堂君が、私に?」

「そう。実はね……」


 そこで言葉を区切ると、少し溜めて、口を開いた。


「ワトソンになってほしいんだよね」



 











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