1話 「魔王、やめます」
「俺、魔王やめるわ」
「えっ?」
先代魔王からその地位を引き継いで三日。
俺は城にいた配下たちにそう言った。
「ま、魔王様? 魔王をやめるとはいったい……」
「いやもうさ、これ不毛じゃん。魔界の瘴気で人間が死なないように、こちとら善意で境界線をしいてやってんのに、あいつらどんなに説明してもなにかしらの難癖つけて攻めてくるじゃん。たぶんさ、あいつらは魔族をどうこうしようとか、魔界領をどうこうしようとかしてるんじゃなくて、自国の産業をうまいこと発達させるために戦争したいだけだよね」
もともとそういう状態であることを知ってはいた。
正式に親父から魔王を引き継ぐ前に、現場体験として魔界と聖界――どこが聖なのかわからねえけど一部の人間は自分たちの生存領域をそう呼ぶ――の境界線に出陣したことがある。
そのとき感じたのは現場にいる人間の兵士たちの疲弊ぶりだ。
「お前らも知ってるだろ。人間たちの国でも上層部と現場の意志が著しく乖離してるってことは。現場の兵士はもう自分たちがなんのために戦ってるのかもわからなくなってきてる。おかげで防衛線を維持するのはたやすいが、こっちもなかなか不毛な役回りを押し付けられてるのは事実だ」
昔はもう少し事情が違ったのだろう。
しかし、俺が次期魔王としてこの世に生を受けてから見た現実は、少なくとも昔のような『魔族対人族』のようなわかりやすい図式にはなっていなかった。
十分な生存域を確保した魔族はすでに人間の領土を征服するつもりがなかったし、そのおかげで魔族のプレッシャーが減った人間たちは、徐々に人間同士で争うようになっていった。
「ホント、救い難いよな」
かつて、俺は人間だったことがある。
魔王というのは、代々別世界から魂がやってくることによりその世襲を存続させていた。
どうしてそうなっているのかはわからない。
けれど、もしかしたら人間と魔族の共存を意図した神なんてものが、そういう仕組みにしたのかもしれない。
ともあれ、そうやってこの世界に生まれた俺は、前世の記憶と、実際に見たこの世界の人間像を照らし合わせて、やっぱり人間ってどうしようもないものだと思った。
「まあ、そういうところが神々にとっちゃ無様で愛おしいのかもしれないけど」
もはやこの魔王という存在は魔族にとってまるで生産的ではない。
いまや魔族も各種族、各部族で勝手に生活しているし、正体を隠して人間領で生活しているやつもいる。
ほらみろ、魔王なんてもう必要ないじゃないか。
「だから俺、魔王やめる」
「し、しかし、先代様がなんというか……」
「なにも言わないだろ。親父もうんざりしてたし。それに代替わりが確定したら次の魔王がなすことに先代は首を突っ込まないってのが魔王の世襲の掟だ。まあ力で負けたわけだから最終的にはなにも言えないってのがホントのところなんだけど」
魔王とは、読んで字のごとく魔族の王である。
さきほども言ったとおり、魔王は血縁ではなく異世界からの魂が転生してきて世襲する。
一方で、その世襲時の儀式は単純明快で、力でもって先代に勝利した瞬間、代替わりが確定する。
「本当はもうちょっと引き伸ばしたかったんだけどなぁ」
俺がこの世界に生まれてから十八年。そしてすでに五年前から、先代魔王に『わし疲れた。早く代替わりしろ』とせっつかれていた。
先代魔王もその名に恥じない力を持っていたが、どうやら俺の力は十二歳の時点でその先代を越えてしまっていたらしい。
「俺、別に誰かと戦うつもりないんだけど……」
戦うのは苦手だ。
最初は鍛えることでいろんなことができるようになることに感動を覚えたものだが、あるときからまともにやり合える相手がいなくなってつまらなくなった。
あと、生き物を殴るのはどうにも性に合わない。
もちろん、必要なときに体を張れるくらいには次期魔王として研鑽を積んでいるし、いざというとき体を張るつもりもあるのだが――
「俺は、お前たちが好きだ」
生まれてまもなく状況がわからなくてちょっとナーバスになっていた俺を、周りの魔族たちは家族同然に支えてくれた。
だから、今でも人間がこの仲間たちを害そうと城に攻め入ってきたら、全力でそれを撃滅する気概は持っている。
「でも、やつらはどうあってもここまでは来ない」
だから、無用の長物である。
そしてまた、いくら俺が暴力に優れていても、この世界におけるすべての争いに首を突っ込めるほど足は長くない。
「お前らだって、わかってるだろ」
人間は勝手に人間同士で争い、魔族も魔王の庇護なくして勝手に生きるようになった。
それはそれで、別に良いことだと思う。
むしろ、そんな中でこうして魔王城に優秀な部下を拘束してしまうのは、彼らのためにならないのではないか。
魔族にだって個々の営むべき生がある。
「もう、今までの魔王は必要ないんだ」
だから、魔王はやめよう。
こんなものがあるから、姑息な人間が勇者なんてものを生み出して――
「ま、魔王様! 大広間に突然人間がッ!」
「ん?」
謁見の間にどたばたと入ってきたのは蜥蜴人族の兵士だった。
「あ、これは勇者かな」
同時に俺はこの城の中に突如として現れた魔族のものではない気配を感じ取る。
なかなかの魔力量だ。
しかし不思議なことに闘気のひとかけらすら感じられない。
「ちょうどいいや。俺が行く」
周りの制止を押し切って、俺は玉座から腰を上げる。
さて、人間に兵器として生み出され、問答無用で魔界領への遠征に駆り出されている勇者というのはどんな顔をしているのだろうか。