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悲しみで花が咲くものか side-A  作者: 根峯しゅうじ
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静かな夜

 翌週の水曜日は遥の退院の日だった。

 僕としては有休休暇を使い、遥の退院を手伝いたいのだと申し出ていた。

 しかし遥にも順子さんにも、それほどの大ごとではないからと、この申し出を断られてしまったのだ。

 結局当日は出勤し、でも定時に退勤した。

 ありがたい事に、夕方には遥の自宅に顔を出すことができた。

 いつものスーパーに立ち寄り、スナック菓子を購入する。ついうっかり缶ビールに手が伸びてしまい、慌てて元に戻す。遥は病み上がりなのだし、抗生物質を服用しているのだ。アルコールは当然良くない。久しぶりに病院の外で遥と会えることで、僕は浮足立っていた。唯々嬉しかったのだ。


 玄関先で明るく出迎える遥に、つい今しがた購入したスナック菓子の袋を手渡す。

 退院おめでとうと伝えると、袋の中身を覗き込んだ遥が、ビールが無いことに不満を口にする。


「なんだ、さっそく飲めると思ったのに」


 それには僕も順子さんも同時に遥を睨み、同時に言う。


「コラッ!」


 久しぶりの順子さんの手料理だった。

 やはりこうして遥の家でテーブルを囲む食卓が、僕は好きなのだと再認識した。

 穏やかに流れる時間は、いつでも僕の余計な力を脱ぎ捨てさせてくれるのだ。


 夕食後はお茶を手にして、お決まりのスナックタイムという流れに。


「何はともあれ」


 順子さんが言った。


「遥、退院おめでとう」


 僕たちは何故かマグカップで乾杯をする。


「お母さん、丞ちゃん、ありがとう」


 遥は順子さんや僕に向けて礼を言う。


 久しぶりのスナックタイムだったけれど、会話は弾まなかった。

 皆それぞれ唯々この時間を味わっているようにも見えた。

 会話はなくとも、三人とも笑顔だった。

 静かで穏やかな時間が流れていた。

 二人のうちのどちらかに目が合うと笑顔で応える。

 三人で何か会話を探してるようでもあるが、結局はお茶を飲んだり、スナックに手を伸ばしたり、含み笑いをしたりする。

 この心地よい空間を誰も壊さないようにしていた。

 すごく名残惜しかったけれど、思い切って僕は切り出す。


「そろそろ、お(いとま)しなくちゃ」


「えー、まだ早いよ」


 遥が言った。


「遥はまだ病み上がりだし、無理はさせられないよ」


「明日から早速会社に行くんでしょ?」


 順子さんが言って、僕は驚く。


「今日退院してきて、明日もう出勤?!」


「本当に、びっくりでしょ?」


「だってかなり遅れをとっちゃったし、もう寝てられないもん」


 僕も順子さんも呆れた顔で遥を見る。

 不満げに玄関まで見送ってくれる遥かに、僕は言う。


「遥、とにかく無理はしないでね。もし電車がダメそうならタクシーに切り替えても良いと思うよ」


「うん、分かった。ありがとう」


 遥の自宅から遠ざかりながら、僕は夜空を見上げた。

 とてもきれいな月夜だった。

 まるで暗闇に丸い穴が開いているようにも見える。

 もう少し一緒にいたかったな。僕は独り言ちた。

 そして今後のことに思考は及んでいくのだった。

 まずは物理的にどうやって遥を支えて行こうか考えた。

 順子さんはきっと嫌がるだろうが、金銭的にも僕は遥を支えていきたかった。この事は、頃合いを見て申し出ることにすると決めていた。

 でも物理的に遥を支えていくことには、強く働く思考とはまた別の場所で、何か心は取り残されているんじゃないかとすごく不安になった。


 静かな夜だった。

 僕の不安な心の叫びは、まるで夜空にぱっかり空いた穴に吸い込まれてしまうんじゃないかと、静かに怯えていた。


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