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悲しみで花が咲くものか side-A  作者: 根峯しゅうじ
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僕の祈り

 前回申し合せたとおり、その日の遥との待ち合わせは駅の出口だった。

 改札は相変わらずの人混みだったけれど、出口付近は人の流れもわずかに落ち着く。

 考えてみれば、どうしてもっと早くこうしなかったのだろう。そんなことを考えながら、水曜夕方の空を見上げる。

 まだ空は本来の蒼さを堅持している。夜の(とばり)は、きっと薄雲の上で今か今かと出番を待ち構えているに違いない。

 学生の頃は駅構内を抜けてから、よくこんな風に空を見上げてきたような気がする。有り余る時間を持て余していたせいかもしれない。改札での待ち合わせが習慣付いたのも、時間を持て余していたせいで、通勤ラッシュを避けられたからだ。それが社会人になってからも惰性として続いていた。遥は人混みで上手く歩けないのだから「慣れないと」なんて言葉ではなく、待ち合わせ場所を変えた方が合理的だったのだ。

 我ながら自分の鈍さには呆れるばかりだ。木村さんが言ってたみたいな接着剤には、まだまだ遠いのかもしれない。



 そんなことにつらつらと想いを巡らせていると、遥が勢い良く僕の腕を掴む。上手く改札を抜けて辿り着けたようだった。


「待ち合わせ、こっちで正解だね」


「改札は相変わらずだけど、流れに乗ればすぐに抜けられるし」


「何だか今日は電車の中が暑くて大変だった」


 遥の顔を覗き込むと、少し汗ばんでいた。

 ここの所、日中は急激に蒸しばむことも多くなった。

 今日もそれは同じで、電車の中に至っても、乗車率の高さにもよるけれど、車内温度が上がることも多かった。


「遥、少し汗が出てるみたい」


 遥は顔をしかめてハンドタオルを取り出し、慌てて汗を吸い取る。


「ちょっと、見ないでよね!」


 そんなやり取りに僕は笑って遥の手を取り、歩き始める。すぐに出足の悪さに違和感を覚えて、遥かに訊ねる。


「ねえ、遥。もしかしてまた膝がおかしい?」


「うんん、平気だよ」


 遥はすぐに答える。

 でもその後の歩調も、明らかにいつもとは違っていた。

 僕はこないだと同様に、少しゆっくりと歩くことにした。病院では異常がないと診断されたのだし、また歩き方がおかしくなっただけなのかもしれない。もしかしたら改札の流れに変な逆らい方をして、身体のバランスを崩したのかもしれない。

 それでも、遥の顔の汗もすこし気になった。確かに蒸しばむ陽気だとはいえ、汗が出るほどでもなかったはずだ。実際僕は汗一つかいていない。考えを巡らすほど、どちらかといえば不安の方が大きくなった。



 いつものスーパーに辿り着いた時も、僕はそのまま帰ることを提案した。ちょっと遥も体調が良くなさそうだし、一日くらいスナックタイムをしなくたって良いのではないかと提案した。

 それでも遥は少しムキになって訴える。


「お母さんだって楽しみにしてるし、私の楽しみでもあるんだから!」


 仕方なくいつもの様にスーパーに立ち寄り、手早く買い物を済ませる。遥が意固地になればなるほど、酷く不安に(さいな)まれた。早く遥を自宅に送り届け、休ませてやりたい。そんなふうに思い、帰路を急ぐ。



 玄関先で出迎えた順子さんに、僕はすぐに訴えた。


「順子さん、遥の様子が変なんです」


 遥がすかさず間を割る。


「大丈夫だよ。急なミーティングでちょっと疲れたのかも」


 順子さんが慌てて遥の額に手を当てる。


「熱出てるじゃない」


 僕と順子さんはすぐに遥を彼女のベッドに横たわらせてやる。遥は大丈夫だからとわずかな抵抗を見せながらも、ベッドにたどり着くとそのまますぐに眠ってしまった。

 順子さんはもう支度が出来ているからと食卓に僕を誘う。正直言うと全くというほど食欲がなかった。不躾(ぶしつけ)とは思いながらも結局ほとんどの食事を残してしまうのだった。

 順子さんが不安そうに言う。


「どうしちゃったのかねぇ、遥は」


「駅で待ち合わせた時には、すでに顔に汗がにじんでいたんです」


 順子さんは苦しそうに唸りながら、頭の中に思い浮かんだ事をまるでかき消す様に、何度も首を振った。

 そんな顔をする順子さんを、僕は初めて見た。何か思い当たる事でもあるのだろうか。僕は思った。

 順子さんは思い出話をするときの様に、何度か難しそうに唸り、首を振る。僕は順子さんのそんな顔を見るにつけ、心苦しくなり、立ち上がろうとするも、結局のところ遥のベッドの横に座り込む。

 遥の顔からは、すでに汗が引いているようだった。

 本当に安らかに眠っている。美しい寝顔だと僕は思った。ここのところの遥の様子を見ていると本当に何か起きているのではないかと疑いたくなる。でもそう思うこと自体が、はるかに良からぬものを寄せ付けてしまうのではないかと、その都度自分の頭の物を、無理やりに断ち切るのだ。もしかしたら順子さんも同じ思いなのかもしれない。

 手こそ合わせはしないのだけれど、何事も無いようにと僕は唯々祈る気持ちだった。



 22時を前に順子さんに促されて、僕は遥の自宅を後にした。

 順子さんは「もう遅いし、あまり丞君に付き合わせても悪いから」と申し訳無さそうに言った。

 僕としては、かなり心残りではあったが、目が覚めたら遥に連絡させるからという順子さんの言葉に同意し、帰宅することにした。



 部屋に帰るとすぐに、遥からの着信があった。僕と順子さんの心配をよそに、遥の声は普段通りの溌剌(はつらつ)としたものだった。


「本当に大丈夫なの?」


 僕は何度も繰り返した。

 声の張りも良く、本当にいつも通りの遥の声色に、いささかキツネにつままれた気持だった。


「丞ちゃんの残したおかずもちゃんと平らげましたよ」


 そんな言葉に心から安堵し、電話を終えたのだった。



 でも今にして思えば、こんなに不自然な回復なんてありえなかった。

 そう、遥は回復なんてしていなかったのだ。

 一時的に症状が治まっただけのことだった。

 そしてこの後も、何度も遥の発熱と不自然な回復に僕は翻弄されることになる。僕にできることなんて何もなかったのだ。せめて、僕は遥のその日常を最後まで見届けていたかった。

 そう、最後まで…。


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