猫、子狐を追いかける。
昔の俺は、所謂ガキ大将と呼ばれるような存在だった。同級生との取っ組み合いでは負けたことはなく、クラスの男子を全員子分のように扱っていた。
だがそれは、親の会社が軌道に乗ってどんどん大きくなるにつれ変わっていくことになる。突然転校することになったかと思えば通うことになったのは金持ちの家柄ばかりが集まる私立校で、俺にはまったくそぐわないお上品な制服を無理矢理着せられることになった。
無論今までの悪ガキのままでは到底周囲に馴染むことなどできず、更にこのような学校は冗談ではなく子供の評判がそのまま親へ伝わり会社の評判に影響を及ぼすこともあった。父親からきつく言い聞かされ、俺も周囲から弾かれないように本来の性格を隠し、人当たりの良い人間を演じなければならなくなったのだ。
そして妹の瑠衣も、俺とはまた違った意味で猫を被らなければならなかった。見た目は悪くないのに言動は馬鹿丸出しで、昔からさんざん残念な美少女と言われ続けて来た妹である。喋らせるとどうしようもなかったのでとにかく黙っているようにと言った結果、周囲からはクールな高嶺の花と言われるようになって密かに爆笑した。……俺の外面を見てあいつも腹がよじれそうになっていたが。
「おにーちゃんこの家すごい大きい!」
「そうかよ」
そうしてまた、俺達は親の言う通りに転校することになった。場所はというと以前暮らしていた場所よりも遙かに田舎で、家の近くには見渡す限りの田んぼが広がっている。
どうしてこんな場所にと思ったが、父の話ではこの辺りは密かに開発計画が立てられており、近い将来人口も増えて発展するだろうとのことだ。その前にこの地価も安く土地も広いこの場所に支社と工場を作り、追々俺達が仕事を覚えたらここを任せるつもりだという。
俺達はあらかじめこの土地に住んで人脈を作り、後々の工場建設に住民の反感を買わないようにする為の人材なのである。その為以前の学校にいる時よりも更に外面を大切にしなければならなくなってしまった。
しかしそんなことはどうでもいいとばかりに新しい家にはしゃいでいる馬鹿な妹に頭が痛くなる。早々にあいつを視界に入れるのを止めて、俺は今回の目的である周囲の下見に乗り出した。
「……しっかし、ホントに田舎だな」
BGMは風の音のみ。音に溢れた都会からやって来た俺にとっては静か過ぎる。時折すれ違う人にはさっと人当たりの良い仮面を被ってもうすぐ引っ越して来る旨を伝える。……慣れたことだが、やはり猫を被るのは疲れる。
田んぼ、田んぼ、商店街、田んぼ、河原……あまりにも変わらない景色に疲れて来て一度家に戻ろうと帰り道を歩いていると、ふと遠目に赤い鳥居が目に入った。神社か……ここに住むのなら一度挨拶しておいた方がいいだろうと思い、最後に立ち寄ることにした。
鳥居をくぐって一歩足を踏み込むと、神社特有のどこか洗練されたような空気が鼻を通った。整えられた境内は外よりも一層静寂に包まれており、しかし先ほどとは違いそれを厭うことはなかった。
「……ん?」
どんどん境内を歩いて行くと、静寂を引っ掻くようにざっざっ、と何やら音が聞こえてきた。釣られるようにそちらへ近付いていくと、拝殿の前で箒を動かしていた巫女装束の少女が目に入った。
その光景に、思わず息を呑んだ。
まるで一枚の絵のようだった。結い上げた黒髪と、白と赤の服のコントラストが神秘的な神社の景色によく映える。ただ掃除をしているだけなのに目を奪われるその光景。どこか神聖な空気を放つ彼女から目が放せない。
彼女がこちらに気付きそうになったのを感じ取った瞬間、俺はすぐさま踵を返して走り出していた。
急いで神社から外に出て、荒い息を整える。何だ、何なんだよあれ。
顔が熱い。走ってきたからだけではないことは、呼吸が整ってもちっとも収まらない熱が証明している。
「くそっ……」
舌打ちを一つ。あの子の姿が目に焼き付いて離れない。
認めざるを得なかった。……俺は、あの子に惚れてしまったのだと。
一目惚れなんてありえないと思っていた。少なくとも、俺自身がそんなことになるなんてあるはずがないと確信していた。
だというのにその確信とやらはあっさりとひっくり返されてしまった。あの後改めてこちらに引っ越し、そして転校した学校で彼女がクラスメイトだと知った時に内心「うっしゃあ!」とガッツポーズを決めてしまった時点で、あの時の感情がその一時のものではなかったことは証明されてしまったのだから。
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「くそ……何で上手く行かねえんだ……」
狐谷千尋という名前だと知った彼女に近付こうと決めて一ヶ月。しかし現実はそう上手くは行かなかった。
転校してもう一ヶ月も経過したというのに、俺は未だに彼女と親しくなるどころか話し掛けることも出来ていなかったのである。
いつものように優等生の仮面を被れば他のクラスメイトとはあっさり打ち解けることが出来た。だというのにいざ彼女に話し掛けようとすると最初から言葉に詰まったり、妙にタイミングが悪かったりしてちっとも会話にならなかった。狐谷さんに話し掛けようとすると、決まって表面上親しくなった他のクラスメイトに呼び止められてしまうのだ。
ふざけんな、俺はあいつとしゃべりてえんだよ! 邪魔すんな!
……そうやって本性を出せたらどれだけ楽か。
ちなみに何度も失敗している所を瑠衣にばっちり見られてしまい、あっさり狐谷さんへの気持ちがばれてしまったのは本当に誤算だった。……こいつ普段かなり鈍い癖に、双子だからか俺のことに関しては妙に鋭いから腹が立つ。
「あの暴君でガキ大将のにーちゃんが恋とかっ、しかも全然話し掛けられないのマジうけるー!」
「黙れっ! ぶっ飛ばすぞてめえ!」
そんな上手く行かない日々に転機が訪れたのは、転校して初めての定期テストが行われる少し前のことだった。
家に帰ると瑠衣が真っ白な子狐を二匹連れ帰っており、俺はそれを見て思い切り舌を打った。
こいつ何考えてやがる、いや何も考えてねえだろ。野生の動物、それも狐をうちに連れ帰るとか馬鹿かと思った。
……きゅんきゅん鳴くふわふわの生物に一瞬絆されそうになったが……どうにか耐える。それを感じ取ったらしい妹の視線が面白い物を見たように笑っているのが癇に障った。
しかしそう苛立っていられたのもそこまでだった。保護を頼む為に役所に連絡を入れると、この狐達はあの神社の……つまり、狐谷さん達が飼っていた狐だったのだ。
それが分かるとすぐに瑠衣から狐を奪い、騒がしい妹を置いて家を出る。飼い狐で、尚且つ役所も認めているとなれば触れても問題ないだろう。ふわふわの毛並みをしっかりと抱えると、腕の中で大人しくしていた子狐のまん丸な目が俺を見ていた。……くそ、可愛い。
思わず照れ隠しに舌を打つとびくっと怯えたように身を震わせた。しまった、怖がらせた。
しっかり記憶していた神社までの道を歩いて鳥居をくぐると、そこに居たのは神職らしい格好をした五十歳ぐらいの男だった。恐らく狐谷さんの父親だろう、腕に抱えていた狐達があっという間に彼に向かって鳴きながら飛びついて行った。
瑠衣から聞いた事情を話すと、彼は慌てた様子で狐達の体を確認し始める。そして狐達に言い聞かせるように目を合わせて諭し、大して狐はまるで本当に言葉の意味を理解したかのようにしっかりと頷いていた。
すごいな、狐は頭が良い動物だと聞いたことがあるが本当だったようだ。
こくりと頷く仕草が可愛くて思わずにやけそうになったが愛想笑いに切り替えて何とか誤魔化す。そしてそれが堪えられなくなる前に俺は神社から出て行くことにした。……狐谷さんに会えなかったのは残念だが、これで改めて彼女にお礼を言えるし接点が作れる。家に帰ったらちょっとばかり瑠衣を褒めてやってもいいかもしれない。
「狐谷さん、おはようございます」
「……お、おはよう」
そして翌日、ようやく……ようやくちゃんと狐谷さんに話し掛けることが出来た。邪魔しようとするクラスメイト達を蹴散らんばかりに笑顔で躱して彼女に近付く。
子狐に助けられたことで礼を言い、そして会話が途切れないうちに急いで別の話題で繋ぐ。せっかく話すことが出来たのだからこの機会の逃す訳にはいかない。
「狐なんて初めてみたよ。それにあんなに真っ白な狐なんて珍しいんじゃないかな」
「ま、まあね」
「狐は懐かないって聞いたことがあるけど随分と人に慣れているようだったし、すごく可愛かったよ」
あの後狐について色々調べたのだが、狐は普通のペットショップではまず売っていないらしいし、それにかなりの高額だという。ましてあんな真っ白な狐など探しても早々見つからないだろう。
ちなみにそれらを調べる為にいくつかの狐の動画を見て妹と一緒に悶えていたのは余談である。だがあの真っ白な子達が一番可愛かった。贔屓? 知らん。
しかし話をしていると途中で彼女の左手に包帯が巻かれていることに今更気付いた。ちょうど狐と同じ場所だ。……もしかして彼女もひき逃げに遭ったんじゃないだろうな。もしそうならその運転手絶対に見つけ出してぶっ飛ばす。
結局その怪我の理由は教えてもらえず、俺はその後しばらく怪我が治るまで、心配で何度か声を掛けることになった。
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一度話し掛けることが出来れば意外と続けられるもので、あの一ヶ月は何だったんだと思うくらいに狐谷さんと話すことが出来ていた。
話題はというと大体あの白い狐の話だ。他のやつらとなら当たり障りの無い話題などいくらでも出てくるというのに、彼女を前にするとテンパって必死に話題を探すと大体そうなってしまう。だがあの狐が可愛いのは間違いないことで、あれは何という種類の狐なのか、怪我は大丈夫かと色々尋ねてしまった。
白い狐といえばホッキョクギツネだが、冬以外にもあれだけ真っ白な狐など非常に珍しい。そう気になって尋ねてみたのだが、彼女はいつも曖昧に笑って誤魔化していた。……もしかして珍しい狐過ぎて狙われていると思われたのだろうか。
しかし、狐も可愛いが言うまでもなく狐谷さんも可愛い。食堂でたまたま見つけて声を掛けて隣に座ったというのに、ひたすら夢中になってきつねうどんの油揚げにかじりついている所など狐を連想させて本当に可愛かった。結局彼女が俺に気付いたのはきつねうどんを完食し終えてからだった。
「兄さん、最近楽しそうね」
テストが終わった日、点数稼ぎに教師の手伝いを終えて帰ろうとすると、たまたま瑠衣と昇降口で一緒になった。そのまま一緒に帰っていると、人目を気にしながら瑠衣が話し掛けて来る。口調こそ外面を保っているが、その声は非常に楽しげな色が乗っている。
「そうかな?」
「ええ、何か良いことでもあったみたい」
「ただこっちの生活に慣れただけかもしれないけどね」
「……ねえごめん、笑いそうなんだけど」
「……そう思うんなら家まで黙ってろ」
人目を気にしているとはいえ妹と猫を被り合って話すのは馬鹿馬鹿しくなって来る。口が緩み掛けている瑠衣を周囲に気付かれない程度に睨み、とっとと家に帰るべく足を早めた。
……が、その足はすぐに止まることになった。
「……にーちゃん」
「ああ」
もはや妹の口調を正すことさえ考えなかった。俺達の目の前には真っ白な子狐が二匹、尻尾をぶんぶん振りながら地面に置かれた皿に顔を突っ込んでいる所だったのだから。
俺達は示し合わせたように早足でそちらに向かうと、愛想良く豆腐屋のお婆さんに会釈して夢中になって油揚げを食べていた子狐達の頭を一匹ずつ撫でた。ふわっとしていて気持ち良い。
「話には聞きますけど、狐って本当に油揚げ好きなんですねえ」
しかもこっちの子狐は狐谷さんと食べ方までそっくりだ。きっと狐谷さんが油揚げを食べているのを見て真似したのだろう。一人と一匹が一緒になって食べているのを想像して思わず変な声が出そうになったが普段の面の厚さのおかげで助かった。
しかもこの子達、お婆さんによるとちーちゃんとまーくんという名前らしい。必然的に飼い主である狐谷さんとその双子を連想する。お揃い……可愛過ぎか。
そんなことを考えてにやけ顔をひたすら笑顔で誤魔化していると、ふと疑問が湧いた。この子達、こんなに小さいのに昔からいるのか。子狐かと思っていたのにもしかしてこのサイズで大人なのか、もしくはこのお婆さんが親狐と勘違いしているのか。……まあ、可愛ければどちらでもいい。
家まで送って行くという名目で食事を終えた狐を持ち上げるとばたばたと手足を動かし始めた。いきなり抱き上げて驚いたのだろうか。肉球が顔に当たって思わず真顔になりかけた。
一方瑠衣が抱き上げた方の狐は非常に大人しく妹の腕に収まっておりきゅんきゅんと甘えた声を出している。くそ、なんでお前の方が懐かれてんだよ! まあ俺はちーちゃんと呼ばれたこっちの子の方が愛着があるのは確かだが。
そのまま狐達を連れて神社へ送っていった訳だが、またしても狐谷さんには会えなかった。あの巫女装束で狐を連れていたら本当に神々しいだろうなと想像し、いつかは見たいなと思いながら名残惜しく腕の中のふわふわを手放した。
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「はあ!? 狐谷真尋と付き合い始めた!?」
「うん!」
きゃー! と一人で盛り上がりながらフローリングをごろごろと行き来している妹が気持ち悪くて話を聞くと、全く想像していなかった返答が来た。
「ふざけんな! 俺が狐谷さんとようやく話せるようになったっつーのに抜け駆けすんな馬鹿!」
「そんなのおにーがもたもたしてるからいけないんでしょー」
「ああ!? なんだと!?」
「大体私は真尋君から好きだって言ってもらったんだもん。好きだって、私のこと好きだって……ふふふふ」
「……どーせすぐ本性見破られてフラれるだろ」
「うるさいっ!」
見かけだけはいいので昔から中身を知らない男達によく告白を受けていたが、数日もすれば本性がばれて幻滅されたり、あるいは妹の方が「ずっとクールなお姉様で居てって無理に決まってんじゃん!」と我慢出来ずに別れていた。
「そんなこと言ったらお兄ちゃんだってそうじゃん! 後々その不良みたいな性格ばれたら絶対に狐谷さんに引かれる癖に!」
「ぐ……」
痛い所を突かれた。
確かに彼女には普段学校でしているような優等生の顔しか見せていない。もし俺の本性を知ったら……いや、知られずにやっていくしかない。何年この面を被っていると思っているんだ。
……勿論理想は狐谷さんがこの本性を知っても逃げないでいてくれることだが、今更どんな面を下げて「優等生を演じていました」と言えばいいというんだ。何か特別なきっかけでもなければ無理だ。
「それでね、明日真尋君とデートなんだー!」
「そうかよ……」
「もういっそお兄ちゃんも狐谷さんをデートに誘えば?」
「自分が幸せだからって調子に乗りやがって……!」
そんなことができたら今頃とっくに付き合っているっつーの! ……しかし、デートとは言わずとも家に行くことは可能か。幸いにも彼女の家は神社で参拝するという名目がいくらでも使える。……こんな風に利用していると知ったらあの神社に祭られている神に祟られるかもしれないが。
そう考えて、俺は翌日一人で神社へと向かった……が、途中で彼女の父親に出会い、俺は発想を変えることにした。将を射んと欲すれば、というやつである。
神社についての話を聞きたいと言うと、彼は途端に張り切った様子で家に招いてくれた。実際将来的にこの土地を拠点とするのなら周辺の信仰がどうなっているか知っておくのも大切だ。うっかり住民が大事にしている土地や景観を潰して反感を食らったら目も当てられない。
実際に話を聞いてみると、純粋に面白かった。彼の話し方がいいのか分かりやすく、そして興味を引かれて話の先が気になる。
彼らの祖先に白狐がいるという話を聞いた時は正直納得したものだ。だからあんなにも珍しい真っ白な狐をあえて選んで飼っているのだろう。もしかしたらあの狐達はこの土地で細々と子孫を繋いでいる特別な種類の狐だったりするのかもしれない。そうだとすれば昔からいるというのもやはり親や兄妹という理由になる。
内心一人納得していると、突然リビングの扉が開いてそこから狐谷さんが現れた。
……巫女装束だ。あの、一度だけ見たあの格好だ……。
思わず顔面が崩壊しそうになったが笑顔で塗り固めて必死に取り繕った。……やばい、やっぱ巫女の姿だと威力が違うぞやばい。
内心の動揺を全部圧殺して表面上でいつもの優等生になっていると、畳み掛けるようにお父さんが出掛けてしまった。おい……おい、そろそろ顔が限界なんだが。
「急にお邪魔して悪かったね」
「い、いえ……」
「宮司さんに色々と話を聞かせてもらったよ。この神社の成り立ちとか……先祖の話だとか」
「せ、せんぞ」
「何でも白狐なんだとか。だからあの子狐は真っ白なんだな」
とにかく喋るしかないとつらつら先ほどまでの話を口すると、何故かやけに焦った様子の狐谷さんが「そういえば聞いた?」と話を変えた。
「うちの兄が猫村さんと付き合い始めたらしいんだけど!」
「……ああ、昨日妹から聞いたよ」
「びっくりだよね! 何か突然だったし!」
「そうだな。……あいつが、羨ましい」
「え?」
しまった本音が出た。俺だって狐谷さんと付き合いてえ。
「あ、いや。だってあの可愛い子狐といつでも触れ合えるだろう?」
そういえば今日あの子達は居るんだろうか。外に出ていなければ今度こそ狐谷さんと一緒に狐と対面できるかもしれない。
――そんな呑気なことを考えて彼女に尋ねた瞬間、突然狐谷さんは大きな声を上げて机を叩いた。
「いい加減に、しろっ! 口も態度も悪い腹黒男! 何なの!? 脅してるつもり!? 焦ってる私がそんなに面白い!? そうやっと遠回しにちくちくちくちくと……ほんっと性格悪い!」
「こ、狐谷さん……?」
な、何が起こった。何をやらかした俺は。なんで彼女はこんなに怒っているんだ。
一瞬頭が真っ白になったものの、彼女の今言った言葉を思い出してすぐさま血の気が引いた。口も態度も悪い腹黒男、性格悪い……もしかして、狐谷さんは俺の本性をどこかで知っていたのか……?
大混乱に陥っている俺に彼女の怒りは止まってくれない。
「言いたいならはっきり言えばいいじゃないの! 私達が――」
「……は?」
その瞬間、怒っていたはずの彼女が目の前から消え失せた。そしてその代わりに、ぽん、と音を立てて消失した彼女の足下、真っ白な狐がきゅんきゅん吠えながら現れたのを見た瞬間、俺の脳内は完全にキャパオーバーに陥った。
狐谷さんが、狐に……あの狐が、狐谷さん……?
□ □ □ □ □
「とりあえず話を纏めるぞ。俺達は昔から狐の姿になることができる。だから狐の時に見た猫村兄妹の本性も俺達は知ってたし、そんでもって千尋はずっと猫村兄に狐であることを疑われていると勘違いしていた」
「……そういう、ことです」
あの後気絶してしまった猫村君に焦って真尋達を呼び寄せた。そして彼が目を覚ますのを待って、ようやく今事情説明に入ったのだ。
話を聞いて猫村君は酷く困惑した顔で「狐が……狐が……」と呟いている。それを見て今まで疑心暗鬼になっていたのがものすごく申し訳ない気持ちになって来た。
「ね、猫村君……その、色々誤解しててごめんなさい」
「……いや、俺も何か疑わしいことばっか言ってたんだろう。悪かった」
「だから言っただろ、普通は人間が狐になるなんて考えるやつはいないってさー」
「……っていうか、そもそもあんたはなんで外で勝手に狐になってんのよ! しかも私に相談もなく他の人にばらすなんて!」
「後から言おうと思ってたって。それにさー、誤解が解けたんなら結果オーライじゃね? これからもずっと疑心暗鬼になって怯えてるよりよかったって」
「それはそうかもしれないけど……!」
なんか全部真尋ばっかり得しているような気分で何だか癪だ。というか猫村さんは彼氏が狐で大丈夫なんだろうか。
「あの、猫村さん。こいつこんなんだけど本当にいいの……?」
「もっちろん! というか真尋君があの可愛い狐とかもう最高じゃない!? 可愛いもふもふにもなれるなんて、え? もう最強じゃね? プラスしかないとか意味分かんないでしょ!?」
「……そうですか」
本性を知られていると分かった瞬間あっさりと切り替わった猫村さんにちょっと着いていけない。狐の時とは違って顔を合わせて会話するとこんなにもインパクトが違うのか。
「……というか今更だけど、じゃあどうして猫村君はあんなに狐に拘ってたの?」
「んっふっふ……じゃあ狐谷さんのにーちゃんへの誤解も解けたことだし、こっちもネタばらししましょーか」
「ネタ?」
「おい瑠衣!」
「うちのおにーちゃんは狐谷千尋ちゃんが大好きで仕方が無いんです。だから気を引きたくてしつこくしつこーく話し掛けたりしてた訳ですねー。あ、狐は普通に可愛いから構ってただけですよ」
「は?」
「て、めえええっ! くそ、この馬鹿が!! 何勝手にばらしてやがる! ぶっ飛ばすぞ!」
突然ぺらぺらしゃべり始めた猫村さんをドスの利いた声で猫村君が怒鳴る。
は……? 大好き? 気を引きたい?
「だあってこっちは秘密教えてもらったのにおにーちゃんばっかり隠してるのはフェアじゃないでしょ?」
「ふざけんな! だからってお前が言う必要なんてねえだろうが!」
「じゃーさっさとおにいさまの口からちゃんと伝えたらどーです? ほらほら早く」
猫村君の大きな舌打ちで我に返っていると、彼は酷く苛立たしげな顔でどしどし私に近付き、「狐谷さん……ああもう、狐谷千尋! よく聞け!」と怒鳴って私の胸ぐらを掴んだ。
「俺はお前に惚れてんだよ! 人間の時も狐の時も可愛いんだよ畜生! だからっ、俺の女に……いや俺の女と、俺の狐に、なりやがれ!」
猫村君がそう言った瞬間、その場が静まりかえった。
ぜえぜえと目の前の彼の荒い息だけが聞こえる中、その沈黙を破ったのは……真尋と猫村さんによる、大爆笑の声だった。
「ん、ふはははっ!! やべえ! これはやべえ! こんな口説き文句は初めて聞いた!!」
「俺の、ふはっ……! 俺の狐になれだって! ちょっとにいちゃんそれはないよー! ウケ狙ったの?」
「……てめえらああっ! 何笑ってやがる!」
ひいひいと苦しげに爆笑し始めた二人に猫村君がぶち切れる。
私もきっと、他人事なら笑っていたかもしれない。
……しかし、今の私は。
「って、千尋顔真っ赤なんだけど」
「!?」
真尋の指摘にぐりんと勢いよく顔をこちらに向けた猫村君に思わずひい、と悲鳴を上げてしまった。
なんで、なんであんなアホな告白なのに、なんで私はこんなに顔が熱いんだ。
「そ、それで返事は――」
「っ」
再び詰め寄られた瞬間、私は完全に頭がオーバーヒートし……ぽん、と狐に変身した。
『あ』
「きゃあああ! 狐ちゃーん!!」
突然狐になったことに驚いている真尋とそれを喜んでいる猫村さん、そして変身したことに気を取られて動きを止めた猫村君を置いて、私は即座にその場から逃げ出した。
もういっぱいいっぱいなんです! 勘弁して下さい!
……数分後、あっさりと猫村君に捕まり「ああもうやっぱり可愛いなふざけんなよ!」と理不尽に怒られながら撫でられまくる未来など知りたくない。
意味深な笑い方をしている時は、大体にやけ顔を誤魔化している時。