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子狐、猫から逃げる。


 ……偶然だと、そう思っていたのだ。



『もーやだー』



 全ての定期テストが終わったその日、私は狐姿でぐったりとしながら畳に転がっていた。仰向けになってくたっとしていると、同じく狐姿の真尋が鼻先でお腹をつんつんと突っついて来る。やめろ。



『大丈夫かー?』

『大丈夫じゃないよ何あの人怖い!!』



 テストも勿論疲れたが……それ以上にこの頃の私の精神を疲弊させているのは、あの日から何かと話し掛けて来るようになったあの猫かぶり兄妹の兄の方だった。



『急に話し掛けられるようになったかと思ったらやたらと狐について突っ込まれるし! じゃあ狐好きなのかと思えば最初の時滅茶苦茶柄悪かったし! 何なの!?』



 手の怪我は会う度に気にされるし、かと思えば狐の種類聞かれたり狐の怪我が気になるからもう一度会わせて欲しいとか言われたりする。

 更に食堂できつねうどんを食べていたらいつの間にか隣の席に座っていて「美味しそうに油揚げ食べるんだな。まるで狐みたいだ」と意味深に微笑まれた。


 え、やっぱり疑われてるの? 気の所為だと思っていたけど突然こんなに狐について捲し立てられると何かあるとしか思えない。

 ましてや相手はあの猫村君だ。にこにこと笑いながらも腹の中で何を考えているか分からない彼に余計に疑心暗鬼になって、おかげで勉強も全然集中できなかった。



『絶対に今回のテスト点数悪い……おのれあの猫かぶり男……』

『まあいつも大して良くもないだろ。気にすんな』

『なんだと!』



 これだから素で頭の良いやつは! と怒りながら体を起こして真尋に飛びかかる。飛びかかった勢いで一緒にころころ転がっていると、それを見ていたお父さんが畳を叩きながら「今日もうちの子達が可愛い、天使……奥さんありがとう愛してる」とぶつぶつ呟いていた。いつものことだ。



 喧嘩はあまり続かなかった。何しろ目の前にいるのは兄とはいえ真っ白ふわふわの狐なのだ。可愛い動物相手に怒り続けるのは難しい。

 せっかくテストが終わったのだから、と真尋に誘われてそのまま外に出る。そして、そういえば最近行ってなかったなと思い商店街の方へ散歩に出ることにした。


 この辺りは田舎なので大きなショッピングセンターなどはなく、まだまだ商店街は現役だ。青果店、靴屋、クリーニング屋などが並ぶ中を歩いていると、通りかかった豆腐屋の前で店番をしていたおばあちゃんに声を掛けられた。



「おやおやちーちゃんにまーくん、最近見なかったから寂しかったんだよ」



 そう言って店の中から出てきたおばあちゃんが私達の頭を順番に撫でる。

 ……ちなみに、このちーちゃんとまーくんという名前はこの豆腐屋のおばあちゃんが勝手に呼んでいるだけである。だというのに限りなく真実を見抜いているとしか思えないネーミングに、私も真尋も毎回ちょっとびくっとなる。もしかしたらばれているかも、とはずっと思っているがやぶ蛇になりそうで尋ねたことはない。



「せっかく来てくれたから、二人の大好きなおあげを上げようねえ」



 店の中に戻っていくおばあちゃんに私も真尋も尻尾がぶんぶん揺れる。

 何にせよこのおばあちゃんは普通に狐として可愛がってくれるし、美味しい手作りの油揚げをくれるいい人なのでそんな些細な疑問はいつもぶん投げてしまっていた。

 ひたすらぱたぱた音を立てて尻尾を揺らしていると、戻ってきたおばあちゃんが二つの皿を地面に置く。そこに乗せられていた出来立ての良い匂いがするおあげに興奮のあまり、にゃー! と猫のような声を出してお礼を言い、皿に顔を突っ込んだ。



『うめー!』

『やっぱここのおあげおいしいー』



 あぐあぐと油揚げを食べながら久しぶりに幸せな気分に浸る。最近の嫌なこと全て忘れてしまいそうだ。

 ちなみにただ食いは申し訳ないので、大体いつもは食べ終わった後しばらく、店番をするおばあちゃんの膝を温める湯たんぽになりもふもふ撫でられている。

 ひたすら美味しいと考えながら半分ほど油揚げを食べた所で、突然頭を撫でられた。おかしいなー、おばあちゃんは食べている時はいつも邪魔しないようにか触って来ないのに。



「話には聞きますけど、狐って本当に油揚げ好きなんですねえ」

「!!」



 食べながら顔を上げたその瞬間、頭上から聞こえてきた聞き慣れたくない声に思わずくわえていた油揚げが皿に落ちた。



「こんにちは、狐ちゃん」



 見上げた先にいたのは、輝かしい笑顔の男と、冷たそうな無表情の女だった。

 で、でたな猫かぶり兄妹!



「あら、見かけない顔だねえ」

「少し前にこちらに引っ越して来た猫村と申します。こっちは妹です」

「……こんにちは」



 クールにおばあちゃんに会釈をした猫村さんの手が僅かに震えている。そしてちらちらとこちらを見る視線で何を考えているのか大体分かった。……ちょっと残念な美少女だけど、この子はお兄さんと違って分かりやすくていいなあ。

 

 ちなみに普通の狐は特別油揚げは好物じゃないと思う。私達は昔から家でお供えにお稲荷さんとかをよく作っていたので好きになっただけである。何ならお寿司を差し出されても喜んで食べる。



「夢中になって油揚げ食べてるの、可愛いですねえ」

「そうなんだよ。ちーちゃんもまーくんも昔っからうちのおあげが大好きでねえ。ついつい上げたくなるんだよ」

「……へえ、君達ちーちゃんとまーくんって名前なのかあ。飼い主と似ているなあ?」



 お、おばーちゃーん! この人にだけは言って欲しくなかったなあ!?

 含んだような笑みで私達の頭を撫で続ける猫村君に戦慄する。嫌なヒントを与えてしまった、と残った油揚げをやけ食いしていると、彼はじっと私達を見つめた後にそれにしても、と首を傾げた。……何か嫌な予感がする。



「昔から、という割にこの子達は随分小さいですね。てっきり子狐なんだと思っていたんですが」

「……そういえば」



 だから! 嫌な予感がすると思ったんだ!

 隣で聞いていた猫村さんも不思議そうに私達を見てくる。そして先に食べ終わっていた真尋は、疑うような双子の視線から逃れるように私を盾に背後に回った。おい、あんたお兄ちゃんでしょうが、妹を盾にするな! ……どちらにしても小さな狐の体では大した意味もないが。


 ちなみに、私達の体は精神年齢に依存するらしい。まだ成人していない所為か大人という認識が薄い今の私達はまだまだ子狐の姿であり、殆ど昔から姿が変わっていないのである。


 またもや普通のペットの狐ではないという疑念を増やしてしまったことを内心嘆いていると、突然勝手に体が宙に持ち上がった。



「きゅーん!」

「せっかくだから送って行くよ。また怪我をしても困るし」



 何するんだこいつはー! と暴れようとするが、小さな体はあっさりと動きを封じられる。真尋助けて、と双子の兄に縋るように視線を送ると、やつはというとちゃっかり猫村さんの腕の中で満足そうに落ち着いていた。おい、裏切り者め!



「ちーちゃんまーくん、それじゃあね」



 緩く手を振るおばあちゃんは当然私の言葉など分からない。助けてー! と声を上げていると「元気だなあ君は」と背中の毛並みを撫でられた。気持ちいいけどやめて!



「……んふふふふあああ、かわいいかわいいかわいい」



 一方ぶつぶつと聞こえて来た誰かを呪うような声に隣に目を向けると、我慢出来なかったらしい猫村さんが人目を気にしつつ真尋を撫で回してちょっと美少女がするべきではない顔になっていた。



「お前顔面ヤバイぞ」

「大丈夫誰かが来たら戻るから」



 猫村君がどん引きしたような顔で言うと即座に早口で返される。戻れるんだろうか……戻れるんだろうな、普段の擬態振りを見ると。



「それにしても……油揚げを端からちまちま、食べ方までそっくりだなあ? やっぱり」

「ぴゃ……」



 凄むようにいい笑顔を見せて上から見下ろされた私は、ぴしりと固まるしかなかった。

 人間の時も狐の時も食べ方まで見てたの!? やっぱりって何!?

 怖い怖い怖い。


 この後、びくびくと震えたまま神社へと戻った私達だが、人間の私達が居ないことを聞くと「この子達と一緒に会えませんねえ」と意味深に呟かれた。それを聞いたお父さんが冷や汗を掻いていたのは言うまでも無い。







 □ □ □ □ □







「……はああ!? 猫村さんと付き合い始めたあ!?」

「そうそう」



 突然兄から告げられた言葉に、私は顎が外れそうになるほどあんぐりと口を大きく開いた。

 驚いて固まっている私とは裏腹に、真尋はてれてれと表情をこれでもかと緩ませて心底幸せそうな顔をしている。



「猫村さんってあの猫村さんだよね!? あの高嶺の花の……って、中身はそうでもないけど」



 あのクールな顔からOKを引き出したと聞いて一瞬驚いたが、あの子の中身はあんな感じだ。ただ学校では猫を被ってクールな美少女を演じているのだから、普通に兄の告白に応じるとは思わなかった。



「好きだから付き合ってって言ったらこく、って頷いてくれてさー。ホントに可愛いよなー!」

「……こっちはその片割れにさんざん疑われてるっていうのに」

「お前は気にしすぎなんだって、普通人間が狐になるなんて思うわけないだろー」

「あんたは呑気過ぎるんだってば!」



 真尋はあのしつこすぎる攻撃を受けていないからそんなことが言えるんだ。



「とにかくそんな訳で、俺明日瑠衣ちゃんとデートするから」

「早速名前呼び……」

「それで、千尋って明日家にいる?」

「いるつもりだけど、それって神社の掃除当番代われとか?」

「いやそういう意味じゃなかったけど……というか忘れてた。代わってくれ」

「また忘れてたの? まったく……」

「とにかく家にいるんならいいんだ」



 うんうん、と一人納得したように頷いた真尋は「それじゃあよろしく」と言い残して上機嫌で明日着ていく服を漁り始めた。一体何なのだろうか。

 今度また代わってよ、と真尋の背中に声を掛けてみるものの、既に兄には何一つ聞こえていないようだった。浮かれすぎだ。



 翌日、昨日からずっと代わらないハイテンションで出掛けて行った真尋を見送って、私は早速神社の掃除を始めた。

 一応神社の仕事をする時はきちんと巫女装束を着るようにしている。掃除面倒だなと思っていてもこれを着ると気持ちが切り替わるから不思議だ。境内や拝殿を綺麗にしているとあっという間に時間は過ぎてお昼になってしまっていた。お腹が空いた。

 私は住居の方へ戻ると、リビングに顔を出してそこにいるであろうお父さんを呼んだ。



「お父さーん、お昼何が食べた……は!?」


「いやー、猫村君は今時の子にしては感心だなあ」

「いえいえ、そんなことは……あ、狐谷さん」



 いつもならば一人テレビを見ているか新聞を読んでいるかしているはずのお父さんが、ソファに座って対面する誰かと楽しそうに話をしている。

 ……誰かなんて言ったが現実を直視したくなかっただけだ。お父さんの前のソファに座ってにこやかな笑顔を見せているのは現在私の天敵とも言える猫村君だった。

 なんでうちに居る。そう驚愕して固まっていると、彼はリビングに入っていた私を見て一瞬目を見開き、そして酷く楽しげに一層笑みを深めた。思わずぞくっとする。あああ、怖い……。



「ね、猫村君がどうしてうちに……」

「実はさっきうちの神社の話を聞きたいって来てね。あんまり最近の子は神社に関心なんてないから本当に嬉しかったよ」

「僕は新参者ですから、少しでもこの土地のことを知ることができればと思いまして」



 お父さん……前ちょっと私達に突っ込まれて警戒していたのに神社の話を振られるとすぐにこれだ。頭が痛くなる。



「ああそうだ。千尋、私はこれから町内会の集まりに行かなければならないから、猫村君の相手を頼む」

「え、お父さん!?」

「お前なら神社のことは大体答えられるだろう?」

「それはそうだけど!」



 この男と二人になるなんて冗談じゃない! しかしそう抗議しようとしても「後は頼むよ」とさらりと躱されてさっさとリビングを出て行ってしまう。



「急にお邪魔して悪かったね」

「い、いえ……」

「宮司さんに色々と話を聞かせてもらったよ。この神社の成り立ちとか……先祖の話だとか」

「せ、せんぞ」

「何でも白狐なんだとか。だからあの子狐は真っ白なんだな」



 だから、って!? そこの話の繋がり何!? やっぱりこの人分かってて言ってるでしょ!

 背中に冷や汗が流れる。一対一で対面するプレッシャーに今にも逃げ出したくなる。

 何か他に別の話題は……そうだ!



「そ、そういえば聞いた? うちの兄が猫村さんと付き合い始めたらしいんだけど!」

「……ああ、昨日妹から聞いたよ」

「びっくりだよね! 何か突然だったし!」

「そうだな。……あいつが、羨ましい」

「え?」

「あ、いや。だってあの可愛い子狐といつでも触れ合えるだろう?」

「……は?」



 思った以上に低い声が出た。

 確かに付き合い始めたら相手の家のペットと接触できる機会は増えるだろう。ただ、猫村君が言っているのは絶対にそういう意味じゃない。


 私は目を合わせないように彷徨わせていた視線を上げて彼を見る。優雅に足を組んで私を見る猫村君は挑戦的な表情で笑うばかりだ。まるで、後は言わずとも分かるだろう? とでも言いたげに。


 ――どこかで、ぷつんと何かが切れたような気がした。



「そういえば今日あの子狐達は――」

「……に、」

「ん?」

「いい加減に、しろっ! 口も態度も悪い腹黒男! 何なの!? 脅してるつもり!? 焦ってる私がそんなに面白い!? そうやっと遠回しにちくちくちくちくと……ほんっと性格悪い!」

「こ、狐谷さん……?」

「言いたいならはっきり言えばいいじゃないの! 私達が――」



 その瞬間、ぽんっと軽い音を立てて私の視界が一気に下がった。



「……は?」



 な、なんで!? いくら勘付かれていたって、こんな目の前で変身するつもりなんてなかったのに!

 真っ白に覆われた自分の手が目に入って来る。本当に、他人の前で狐の姿に変わってしまったのだ。


 どうする!? どうすればいい!?

 全く頭が回らない状態でパニックになる。




『……そーですよあんたが考えた通り私狐になれるし! 何か文句でもあんの!?』



 そして私は……自棄になるしかなかった。こんなにはっきりと見られたらもう誤魔化すことなど不可能だ。認めることしか、私にできることなどなかった。


 きゅんきゅん甲高い声で吠えて猫村君を見上げる。あんまりこの見た目じゃ効果は無いが思い切り睨み付けるように彼を見ると……何故か、猫村君は先ほどまで浮かべていた笑みを消していた。



「……」



 何も言わず、まるで時間が止まったかのように動かない。ぽかん、と口を開けたまま硬直していた彼は、やがてぐらりと体を前に傾け――そのまま目の前のテーブルに額を打ち付けて気絶してしまった。



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