子狐、猫と出会う。
「はあ……」
今まで生きてきて、かつてこれほどまでに憂鬱な気分で学校に来たことがあっただろうか。
私――狐谷千尋は一歩一歩、足取り重く廊下を進んでとうとう教室へと辿り着いてしまった。入りたくは無いがこのまま帰る訳にもいかず教室の扉を開くと、その先に見えたのはいつも通りの光景だった。
友人と騒がしく話す子、時計をちらちら見ながら急いで宿題をしている子、机に突っ伏して眠っている子、そして……数人に囲まれながら穏やか微笑んでいる、このクラスの中で一際整った容姿の男の子。
さらりとした髪、涼やかな目元、一目見て誰もがかっこいいと評する彼を見た瞬間、私は思わず教室に入りかけていた足を廊下に戻しそうになった。
この学年には双子が二組在籍している。そして彼、猫村清は、そのうち一組の片割れだった。一ヶ月前に転校して来た彼は文武両道で人柄もよく、更に家は会社を経営しているお坊ちゃんという正に完璧と言っていい人間だ。転校したてだというのに既にクラスに溶け込み、多くの生徒に好かれている。
……そう、昨日までは私も少しばかり憧れを抱いていた。が、今となっては彼の朗らかな笑顔も恐怖でしかなかった。
「あ」
「っひぇ……」
そんなことを考えていると、他の子と話していた猫村君が不意に顔を上げ目が合ってしまった。そして彼はすぐに囲んでいた子を掻き分けるようにしてこちらにやって来て、私に向かって輝かしい笑顔を向ける。
「狐谷さん、おはようございます」
□ □ □ □ □
事の発端は、昨日の放課後だった。
「なあ、ちょっと気分転換にあっちの方で外行かね?」
「いいよー」
テスト週間に入り家で勉強をしていると、早々に飽きたようにシャーペンを放り出した兄がそう言った。
うちの学年のもう一組の双子、それが私と兄の真尋だ。ちなみに双子と言っても私と真尋はそんなに似ていない。兄は勉強が大得意で運動が大の苦手、そして私は逆だ。顔はまあまあ似ているが普通の兄妹並といったところで、あと似ている所といえば食べ物の好みくらいだ。
だが、私達双子には特別な繋がりがある。他の兄妹にも双子にもない、特殊なものが。
「じゃあ行くか」
「うん」
双子と言っても、高校生にもなって出掛けるのにわざわざ一緒に行く必要はない。そこまでべたべたした関係ではないのだけど……ただ、一緒に行かなければならない理由があった。
教科書とノートを閉じて立ち上がる。と、その瞬間ぽん、と軽い音を立てて視界が切り替わる。一度瞬きをした間に目線はあっという間に低くなり、そして私が隣を見ると、そこにはふわっとした真っ白な毛に覆われた子狐が円らな瞳で私を見ていた。
『さーて、今日はどの辺りに行くか』
――この狐が、真尋なのだ。
そのまま四足歩行で歩き始めた兄の後ろに着いて行くと、玄関にあった鏡に私達の姿が――二匹の白い子狐の姿が映し出されていた。片方は真尋、そしてもう一匹の子狐は、私だった。
うちは結構歴史のある稲荷神社であり、そして私達の先祖は美しい白狐だったという言い伝えがある。……そんな訳で、うちの家系は時々こうして狐に転ずることが出来る人間が生まれることがあるのだ。お父さんは婿養子でごく普通の人間だが、お母さんはそれは綺麗な狐になることができたと聞いている。幼い頃に病気で亡くなった為私はあまり覚えていないのだけど。
そして私達双子はお母さんの血を受け継いでこうして狐の姿になることが出来るのだ。ただし双子だからか、私達はどちらかが変身すると強制的に引き摺られて同じ姿になってしまう。だから狐の姿は家にいる時か、外でも二人一緒でと決めている。家の中でもお風呂に入っている時などに急に変わられると慌てて犬かきをする羽目になるので大変である。
神社の敷地内から二人で外に出てとことこ歩いていると、母親と手を繋いだ小学生が「あ、狐ちゃんだ!」とこちらを指差した。この辺りでは私達狐は割と認知されていて、田舎ということもあって首輪を付けずに歩いていても何も言われない。
二匹並んで川沿いを駆ける。この姿になると何だか開放的になって、数日後に迫るテストのことなど忘れてしまいそうになる。気分転換にはぴったりだ。
『ちょ、千尋待って……』
しかし走っているといつも最初にへばるのは真尋の方である。耳をぺたんと落としきゅう、と情けない声を出して道端で動かなくなる。
ちなみに狐は基本的にコンコンとは鳴かない。私達の場合はちょっと高めのくーん、とかきゅーんとか犬っぽい鳴き声が多く、近所迷惑にならないように大きな声では鳴かないように気を付けている。たまに犬に間違えられるが誠に遺憾である。白狐です!
『もー、早く行くよ』
兄の体を鼻先でぐいぐいと押してみるものの全く動かない。人間に戻れば小さな狐ぐらい簡単に持ち上がるが、生憎私が戻ると真尋も人間に戻ってしまう為意味が無い。
しばらく待つか、と諦めて車が来ないか辺りを確認していると、ふと視線の先に見覚えのある顔を見つけて思わずぽつりと呟いた。
『あ、あれ猫村さんだ』
『何!?』
少し前に引っ越してきた双子の片割れの妹の方。名前は確か、猫村瑠衣さんだ。真尋と同じクラスの彼女は、うちのクラスの猫村君とは美形な顔は似ているものの性格は正反対だという。穏やかで人当たりの良い兄と比べて彼女はクールな印象が強く、少し近寄りがたい高嶺の花だ。
そしてそんな彼女に、真尋はちょっと憧れを抱いているらしい。私の声に反応して即座にへたれていた耳がぴく、と反応している。
『……この姿なら近づけるかも』
ぐったりとしていた体をあっさりと起こした真尋は彼女に吸い寄せられるようにふらふらと近寄っていく。
現金なやつだと思いながらその後を着いていこうとした、その時。
『っ車!』
突如、赤信号だというのにスピードを落とさずに走って来た車が猫村さんが渡ろうとしていた横断歩道に突っ込んで来た。
私は咄嗟に走り出し、真尋を一瞬にして追い抜くと轢かれそうになっていた彼女を小さな体で思い切り突き飛ばした。直後、大きなブレーキ音と共にタイヤの焼けたような匂いがして、私と猫村さんは地面に転がった。
「きゃあ!」
『おい、大丈夫か!』
兄の声を聞きながらゆっくりと体を起こすと、途端に左前足に痛みが走った。どうやら落ちていたガラス片か何かを引っかけてしまったらしく少し血が出てしまっている。だがそれ以外は少し擦り傷があるだけで大きな怪我はない。
猫村さんは大丈夫かと顔を上げると、彼女も小さく呻きながらも体を起こしており、強く痛む所もなさそうだ。
駆け寄ってきた真尋と共に彼女に近付こうとすると、その時停車していた車が急発進した。
『あ、逃げた!』
『ナンバーは暗記した。後で通報する』
『よし、流石!』
うちの頭脳担当の言葉に「きゅーん!」甲高い鳴き声を上げる。そして改めて猫村さんの傍に行くと、砂を払っていた彼女がこちらに気付き「き、狐……?」と困惑したような声を上げた。元々都会に住んでいたというので見たことがないのだろう。
『猫村さん、大丈夫か?』
『おい何セクハラしてる』
ちゃっかり膝に前足を掛けた兄に気付いて体をぶつけてぐいぐいと退かす。そんなことをしていると「ひゃあ……」と目の前の彼女が小さな声を上げた。後から恐怖が来たのかもしれない。
「あ、この子怪我して……!」
『え』
猫村さんが私の前足を見て僅かに表情を変える。と、すぐさま私と兄を腕に抱えた彼女は走り出し、近くに建てられた真新しい豪邸の中へ入っていった。遠目からこの家すごいなと思ってはいたが猫村さんの家だったのか。
「……これで大丈夫」
あっさりと家の中へ連れて行かれ、気が付けば困惑している間に広すぎるリビングで手当を受けてしまっていた。
左前足にくるくると包帯を巻かれ、何だか動かしにくくて気になってしまう。ついつい鼻先で触っていると、突然頭上から猫村さんの唸るような声が聞こえてきた。
彼女もまた転んだ時の傷が痛むのかと真尋と共に窺うように彼女を見上げる。と、猫村さんは両手で顔を覆い、そして「……もう、我慢できない」と小さく呟いた。
『わっ』
私と兄が彼女の腕の中に閉じ込められたのは、次の瞬間だった。
「あああああもうっ!! なにこの子達可愛すぎでしょー!! は? 意味分かんない……なんでこんなに可愛いの!? 一緒に首傾げてこっち見上げるとか卑怯すぎ……きゃああ、もうふざけんな!」
ぽかん、と私も真尋も動きを止めた。突然奇声を上げたかと思えば何故か怒られた。
「ひゃああ、もうかわいいかわいい……」
二匹揃って頭にぐりぐりと頬を寄せられ、近くなった顔から荒い鼻息と「んふ、ふふふふ……やばい可愛すぎて笑いが止まらん」とくぐもった声が聞こえて来る。こわい。学校で見かけた時はいつも無表情で、喋っている所など見たことがなかったというのに。誰だ、これ。
あまりに強く抱きしめられて「きゅうん」と声を出すと「ああごめんねかわいいからねつい」と早口で言われて少しだけ腕の力が緩まった。
……これ、この子に憧れていた兄はどんな気持ちなんだ。そう思って恐る恐る隣を窺うと、彼はぼけっとした顔で彼女を見上げており、やがてがくんと頭を落とした。
『ぎゃ……ギャップ萌え、万歳……』
『ちょ、真尋死ぬな!』
そう言い残して今にも昇天しそうになっている兄を正気に戻すべく、怪我をしていない方の前足でてしてし叩く。が、そうしていると「かわいい……しぬ」と頭上からもそんな声が聞こえてきて、こっちも死にかけていた。
……正直なことを言うと、私達が可愛いのは知っている。なにせ昔から色んな人に可愛いと言われ続けて来たし、鏡で見ると自分でも真っ白でふわふわな子狐の姿は可愛いと思う。ナルシストと言うがいい。
だがここまで興奮して壊れ気味な人に会ったのは久しぶりだ。ましてやそれが普段はクールで近寄りがたいと思っていた人なら更に衝撃が大きい。
「天使がいる……」
まあ実家が神社なので神に使えてはいます。
うりうりと眉間の辺りを指先で撫でられながら「これいつ解放されるかな」と考えていると、不意に玄関の方から物音がした。どうやら誰かが帰って来たらしい。
どんどん、と足音がこちらへ近付いてくる。その音を聞くように無意識に耳を立てていると、直後酷く乱暴な音を立ててリビングの扉が開かれ、思わず驚いて猫村さんの腕に縋り付いてしまった。
「おにーちゃんお帰りー」
「……ああ? なんだそれは」
いや、誰だこれは。
リビングの扉を開けたのは猫村さんの双子の片割れ。私と同じクラスの人気者で、いつも笑顔で丁寧に話しているはずの猫村清君だった。
しかし今目の前にいる彼はいつもの彼とは正反対も正反対。ドスの利いた低い声を出し酷く胡乱な目で私達を見下ろした彼は大きく舌を打ち、鞄を放り投げるようにして床に置いてこちらに近付いて来た。
「子狐ちゃん。さっき車に轢かれそうになった所を助けてくれたの! この子達すごいでしょ!」
「はあ? ……くそが、お前馬鹿じゃねえの。狐だぞ? 変な菌とか持ってたらどうする。うちの中に連れて来るとか正気じゃねえよ」
「酷い! だって私の所為で怪我しちゃってたし、それにこんなに可愛いし大人しいから大丈夫だし!」
「何の説得力もねえし。相変わらず馬鹿だなお前は、噛まれて狂犬病になっても俺は知らねえぞ」
いつも爽やかな猫村君から飛び出す暴言と、いつもクールな猫村さんから飛び出すあまりに脳天気な言葉。学校とはまるで違う二人に私と真尋は顔を見合わせてぽかんと口を開いていた。ホントに誰だこの二人。普段のあの好青年とクールビューティはどこに行ったんだろう……。
猫村君の口も悪すぎるが……猫村さんも、普通の野生の狐はこんな風に家に持ち帰るのは止めた方がいいですよ。
『俺たち普通の狐じゃねーし! 病気とかならねーし!』
と、猫村君の言葉にむっとした様子の兄がきゅんきゅん鳴いて抗議し始める。勿論言葉など伝わる訳もないのだが……それを見た猫村君は一瞬ぐ、と言葉に詰まった後眉間に皺を寄せて「くそ、ふざけんな」と小さく呟いた。
「……とにかく、役所に連絡するからな」
「え、まさかこの子達保健所に連れてって殺したりしないよね!? そんなの絶対に許さないから!」
「ちげえよ、怪我してんならそのまま放り出せねえだろうが、ホントに馬鹿だなてめえは」
そう言って電話を始める猫村君を見て、私は腕の中から逃げだそうとした。このままだと役所に保護されてしまう。いいから家に返してくれと暴れようとすると、「怪我してるんだから動いちゃ駄目だよ」とすぐに押さえられてしまった。ついでに首の辺りの柔らかい毛を撫でられる。……あ、それ気持ちいいっすね。
隣を見ると兄は既に逃げる気もないようで、大人しく撫でられながらきゅーんと鳴いてリラックスしている。……真尋、あんた完全にただの犬になってる。
「お忙しい所すみません、白い子狐を二匹保護しまして……はい、片方は怪我をしているんですが……」
電話をする猫村君はというと完全に声が学校モードに戻っている。見事な変わりように、先ほどの柄の悪い顔と声を思い出して思わず震えた。この爽やかな笑顔の下にあんな性格が綺麗に隠されていると思うと恐怖である。
「え? ……はい……そうですか……はい、分かりました。お手数お掛けしました」
「にーちゃん? どうだったの?」
電話を切った猫村君は何を言われたのか、先ほどとは違い何だか複雑な表情を浮かべている。
「……その白い狐、近くの神社で飼われているらしい」
「そうなの?」
「そいつらはこの辺りでは有名なんだと。白い狐が二匹と言ったらすぐに分かったと言われた」
よかった、近所ではそこそこ知られているものの役所の人達も知っていたのか。これで家に帰れるとほっとしていると、ひょい、と猫村さんの腕から私と兄が持ち上げられた。
「家まで俺が連れて行く」
「はあ!? 私が連れて来たんだから私がその神社まで連れて行く! その子達返して!」
『そーだそーだ! 俺もこの子の方がいいし!』
「アホか、どうせお前その神社知らねえだろうが」
「え、お兄ちゃんは知ってるの?」
「引っ越す前に下見に来た時に既にこの一帯は把握した。お前が馬鹿みたいに新しい家にはしゃいでいる間にな」
「相変わらず兄ちゃん口悪い。じゃあ私も一緒に行く」
「馬鹿なんだからテスト勉強でもしてろ。普段クールぶってる癖にこいつ頭悪いんだなってクラスのやつらから笑われたくなければな」
「う……」
痛いところを突かれたように押し黙った猫村さんを鼻で笑った彼は、そのまま私達を腕に抱えてさっさと家を出た。先ほど酷い言われようをした割には持ち方は雑ではなく、非常に安定している。
腕の中から猫村君を見上げると、ちょうどこちらを見ていた彼とばちっと視線が合った。ぎろりと怖い目付きで私を見下ろした彼は一つ大きな舌打ちをして歩く速度を早めた。怖い。
猫村君の家からうちの神社までは然程距離もなく、すぐにいつも見ている鳥居が見えてくる。やっと無事にうちに帰れると真尋と頷き合っていると、彼は鳥居をくぐって神社の敷地内に入り、境内に居たお父さんに近付いた。……もうその時にはとっくに、彼は学校で見せる穏やかな笑顔に変貌している。
「すみません」
「はい、何かご用で……あ!」
「この子達はここの子狐だと伺ったのですが」
私達を見たお父さんが驚くのと同時に、私達は一緒に猫村君の腕からお父さんの元へと飛び込んでいた。
『お父さーん!』
『やっと帰って来たー!』
きゅんきゅーん、といつもよりも大きな声で鳴きながらお父さんにしがみつくと、咄嗟のことだったがしっかりと受け止めてくれた。あー安心する。
「遅かったから心配したんだぞ? ……ん? なんだこの包帯」
「すみません、実は――」
包帯の巻かれた私の前足を持ち上げたお父さんに猫村君が説明を始める。車に轢かれそうになった人を助けたと聞いたお父さんはさっと顔を青ざめさせ、すぐに他に怪我がないか私達を確認し始めた。
無事他の怪我はないことにほっとしたお父さんは、酷く安堵したように「よかった……」と呟いた。
「お前達、人を助けたのは勿論いいことだけど、あんまり無茶をするんじゃない」
「きゅーん……」
分かったか、と聞かれ二人揃ってこくりと頷く。それを見たお父さんが「んぐ、」と小さく呻いていると「すごいですね」と今まで黙っていた猫村君が感心したような声で口を開いた。
「ちゃんと頷いて返事までして……まるで言っていることが本当に分かっているようだ」
「っ!?」
まずい、とはっとしたように顔をお父さんに釣られて猫村君を見上げると、彼は何か含みがあるような笑い方で私達を見下ろしていた。
「い、いやその」
「それでは、僕はこれで。妹を助けて下さって本当にありがとうございました」
「あ、ああ……」
そのまま笑顔で去って行く猫村君に、私は家に帰ることが出来たという安堵と共に、何やら言い様のない胸騒ぎを覚えて耳をぺたんと落とした。
□ □ □ □ □
「狐谷さん、おはようございます」
「……お、おはよう」
そしてその翌日である。今までろくに話したことなどなかったのに、急に笑顔で近付いて来た猫村君に思わずびびって後ずさりしてしまう。
別にあの口や柄の悪さを恐れている訳ではない。それだけだったらまだよかったのだが、この笑顔を一枚捲った下にその別の顔が潜んでいると思うと途端に怖くなる。そして他のクラスメイトはそんなことをつゆ知らず完璧な人だと思い込んで接しているのを見ているのも非常に居心地が悪い。
「実は昨日、瑠衣……うちの妹が狐谷さんの所の白い狐に助けられたんだ」
「う、うん。お父さんから聞いたよ」
「ありがとう。車に轢かれ掛けた所を助けられたと言っていたから本当に助かったよ。でも代わりにあの小さな子狐に怪我をさせてしまったから、悪いことをしてしまったけどね」
「うちの子も大した怪我じゃなかったから。ちゃんと手当してくれた妹さんにお礼を言ってほしいな」
ちなみにあの後すぐに警察にひき逃げした車については通報しておいた。あの時は周りに人もいたし証言も取れるだろうからきっとすぐに捕まるだろう。
当たり障りのないことを話しながら早く終わらせて彼の視界からいなくなりたいと考えていると、私の言葉を聞いた猫村君がふと「ん?」と訝しげに声を上げた。
「妹が手当したとは君のお父さんにも言っていなかったんだが」
「……な、なんとなく! 事故に遭ったのが妹さんならそうかなって思っただけで!」
そこ突っ込む!? と一瞬固まってしまった。まずいまずい、うっかりしていた。気を付けないと。
ははは、と誤魔化すように乾いた笑いを浮かべていると、「それはそうと」と猫村君が更に会話を続けるように口を開いた。え、まだ話続くの。
「狐なんて初めてみたよ。それにあんなに真っ白な狐なんて珍しいんじゃないかな」
「ま、まあね」
「狐は懐かないって聞いたことがあるけど随分と人に慣れているようだったし、すごく可愛かったよ」
嘘吐け! 滅茶苦茶暴言吐いてたじゃん! 睨み付けたじゃん! 全然可愛いなんて思ってなかった癖に!
「……それはどうも」
「ところで狐谷さん、その手はどうしたんだ? 怪我をしているようだけど」
「っ!?」
「何かで切ったのか? そう言えばあの狐もちょうど同じ所を怪我していたようだったけど――」
「た、たた大したことないから大丈夫! あ、ちょっと職員室行かないと行けないからごめんね!」
心配そうな表情で――多分表情だけだけど――包帯の巻かれた左手に触れられそうになって慌てて逃げ出す。教室を飛び出して階段の方まで逃げてくると、猫村君が追って来ないことを確認した後に、私は大きく息を吐いて壁に寄り掛かった。
何あれ……すごいさらっと言われたけど怖い。一瞬私があの狐だと疑われているのかと思ってしまった。
「……まあ、偶然だろうけど」
しかし流石にそれは考え過ぎだ。ただ同じ場所を怪我していたから気になっただけだろう。
……そうに決まっている。