A 学食にて
読んで頂きありがとうございます。
ちょっとした序章です。
0
死を知ることで、生を理解する。
1
私立中学に土曜休みは無い。
土曜日は他の平日に比べて、わずかではあるが授業時間が短い。普段は6時間授業なのに対し、土曜日は4間授業。およそ3分の2。この数字を多いと感じるか少ないと感じるかは人それぞれだろう。
僕は長いと思う。
そんなわけで、土曜日は昼休みがないまますぐにホームルームに入ってしまう。
つまり弁当を食べる時間がないのだ。
教室に居残れば掃除当番に煙たがられるので、その選択肢は無しだ。20分休みに食べればいいじゃない、と思われるかもしれない。が、残念。この学校には中休みが無い。
だから基本、僕は帰宅まで食事を我慢するのだが、家に着くころには大体14時を回っているので、どちらかというとおやつの感覚だ。
「こんな土曜日もう嫌だ!」
と、朝布団の上で叫んだわけではもちろんないが、それにしても日頃の生活にそろそろマンネリを感じていたのも確かなのだ。
そこで。
「母さん、今日は弁当いいよ」
と、昨晩就寝前に母親に伝えた。
そう、残された最後の切り札を、僕は選んだわけである。
相川いるか、初めての食堂。
2
食堂が混まないうちに食券を買ってしまおうと、貴重な一時間目の5分休みを潰して、螺旋階段をとばしとばしに駆け下りた。
親指サイズの食券を手に入れて教室に戻ると、
「いつもの相川じゃない」
と、男友達に気味悪がられた。
――しまった……僕は明るい性格じゃないんだった……。
失敗を悔やむ。
クラスの中でのキャラ設定というのは大事だ。初登場時――つまりは始業式から1週間以内にその人物像は定め“られる”。
その造形を決して裏切ってはいけないという暗黙の了解が、学校という社会では成り立っているのだ。
僕は4月に根暗で地味な性格を演じた。もしかするとそれが素なのかもしれない(目立ちたいタイプではない)。――が、自然体でいつも同じ気質でいられる人間など皆無だろう。
常に根暗で地味であるためには、ある程度の気合いが必要だ。
修行修行、と自分に言い聞かせる。
週末最後の英語の授業を終え、垂れさがった瞼を指で強引に持ち上げる。
きっと今の自分の顔は狐か平安時代の人間だな、とか下らないことを思っていたりした。
平安時代の人間が肖像がそっくりそのままの人相をしていたかは知らんが。
『教師を含めて誰もやる気のない、むしろ何でこれが伝統としてあるのか疑問』でお馴染みのホームルームが終了したのを見計らい、物凄い手際の良さでテキスト・ノート類を鞄の中に放り込み、椅子を逆さに載せた机を後ろに下げる。
恐らく教室を出るのに10秒も掛からなかったのではないかと思う。
食券を手に、1階に下りて、食堂のガラス戸を通り、『麺類』のプレートの前に並ぶ。
早く(速く)来た甲斐もあり、前から3番目に並ぶことが出来た。――しかし裏を返せばふたり、先客がいるということだ。
素直にどうかしていると思う。
コーナーで食券を渡す。
少し背伸びをして覗くと、奥の厨房が丸見えだ。そこで白い帽子とマスクを身に着けたおばちゃんが、湯切りを済ませた麺を、スープと一緒に丼に入れ、具材を盛りつけていた。
角の削れたプラスチック製の盆に載ったラーメンを受け取り、適当に空いている席を見つけて、腰を下ろした。
――にしても……やけに人が多いな。
長椅子で向き合いながら、友人や先輩後輩と談笑している。持参した弁当を持っている生徒もいたが、ああいう行為が許されるのは、一緒に相席してくれる食堂常連がいる人だけだ。
食堂は壁も長机も椅子もすべて白の色調に統一されていた。
結構現代的なデザインなんだな、と箸を割りながら思っていると、壁に貼ってあるポスターの落書きが見事にぶち壊してくれた。
「…………」
――まぁいいか。
問題はこのラーメンだ。
どんな味なのだろう。――いや、おおよそのラーメンの味は想像がつくし、実際予想の範疇に収まるとは思うが……クラスメイトたちがその味に太鼓判を押していたが、果たして。
「いただきます」
角ばった箸の先をスープに付け、麺の隙間に滑り込ませ、絡ませる。ある程度引っ掛けたら、そのまま上に持ち上げ、口へ持って来て、啜る。
――うん。美味いな。
これぞ古き良き日本のラーメンだろう。質素な外見だが味は安定。美味しすぎるわけではないが、値段に見合っている。また食べたいと思える品だ。
再び麺を口許へ運ぶ。
「おう、これはこれは相川君。奇遇だな」
「…………」
座っている後ろ至近距離から話し掛けられ、手元の動作が止まる。
「良かったら相席、いいか?」
「…………ずずっ」
僕が首の角度も変えずに麺を啜ったのを、“彼女”はイエスの返事と受け取ったらしかった。
「いやー参った参った……どこの列もそこそこ混んでてな」
椅子を引きながら、彼女は言った。
見ると盆の上にはカレーライス、カツ丼、唐揚げ丼がそれぞれ一皿ずつ載っていた。
「中一女子の食事じゃねぇな、その量」
「まぁボクは運動部だしな」
――運動部ってみんなそんな量食べるの?
一瞬首を捻ったが、軽口の揚げ足を取っても仕方がないので、ここはスルーする。
ふう、と、好宮は一仕事終えたように軽く息を吐いた。
紹介が遅れた。
彼女の名前は好宮飛鳥――陸上部の期待の新星だ。
入部後すぐに大会出場選手に抜擢されるほどの脚の速さで、その圧倒的スピードは中学の先輩どころか高校生までも震撼させた。1年生にして部の序列5位に食い込んでいる、スポコン漫画のトンデモ主人公的な奴だ。
“彼女”といっているのは、もちろん好宮が女子だからだ。別に筋肉質なわけではないし、脚はどちらかというと細い方。身長的にも小柄なのに、どこからあんなパワーが出るのか、甚だ不思議だ。
学力もいい方で、推定順位は学年300人中55位ほどといったところだろう。――なぜ推定なのかといえば、好宮は謙虚な人間なので、成績の自慢をしたがらないのが原因だ。――まぁ、どこからかそういう類の噂は流れてきてしまうものだが。
天は二物を与えずと、昔のどこかの偉い人は言ったらしいが、そんなのはまっぴら嘘だと、彼女を見るたび思う。努力の結果である、と、とある生徒は言ったが、好宮の授かったもののほとんどが、人間の努力では掴み取れないものだ。
その中のひとつが、その整った容姿。
吊り目だがきつい印象を与えず、明るい感じだ。すっきりとした輪郭と女子にしては短い髪も相まって、巷ではイケメン女子として評判だ。
そんな学校では知らぬ者はいない、ファンクラブまで設立された有名人が、僕と親しい仲だとは、何かの冗談かと疑われるだろう。実際僕もそう思う。
いくらクラスが同じだからって。
「いっただっきまーす!」
奇異の目を気にすることもなく、呑気な声で好宮は手を合わせた。――と思ったら、丼を片手に、がつがつと白飯を掻き込んでいった。
その気持ちのいい食べっぷりに、食堂が湧く。
「うん、うまいっ!」
米粒を口の周りに付けたまま、好宮は清々しい顔で言った。
心の声をそのまま音にした感じだ。
――はぁ……。
なんというか。
「あ、あの、好宮……」
「ん? 何だ?」
箸を止め、視点を丼から外し、僕を見る。
「あの……お食事中大変申し訳ないのですが……」
「ん? 構わないぞ」
――くう……。
そういう晴れやかで僕には到底直視できないような笑顔をする。
僕は目のやり場に困りながら(もちろん好宮の満面の笑みのことではない)、
「その……“それ”は陸上部のユニフォームか?」
「そうだ。ここにちゃんと“好宮”と書いてある」
わざわざ腰を捻って背中を見せてくれた
――相変わらずの鈍感っぷりだ。
そこも愛嬌なのだから恐ろしい。
「勘違いしないで欲しいんだが……今から言う言葉は別にお前や陸上部を下に見ているわけじゃないんだぜ?」
「ああ、判った」
「その……随分と露出度の高い服だな」
「……そうか?」
好宮は首を傾げてユニフォームの胸あたりを見た。
白い薄手の布が、肩のあたりで切れており、下の方も半ズボンだ。――これで学食に来るのはちょっとした勇気が必要だ。
「別に気にしていないが……元々男の多い陸上部だからな。それがどうした?」
「ああ――さっきからお前を見る男子の視線が熱いぞ」
「え?」
好宮がくるっと座ったまま軽く後ろを振り返ると、慌てた様子で男共が視線を逸らした。判りやすすぎる。
僕はなるべく他の生徒に聞こえないよう、小声で好宮に助言した。
「お前、ちゃんと言ったやった方がいいんじゃないか?」
「ん? 何がだ?」
「下着はちゃんと着けてるから袖を覗いても無駄だって」
僕としてはちょっとした悪ふざけのつもりで、これが僕と好宮が会社の上司部下の関係であればクビを切られてもおかしくないくらいのセクハラだった。
それがどうしたことか、好宮は気でも狂ったように笑い出した。
「相川君、あまりボクを侮らないで欲しい」
胸に手を当て、立ち上がり、まるで革命宣言でもするように好宮は続ける。
「聞け! 皆の衆! ボクはな!――」
ブラを着けていない。
「…………」
『…………』
部屋全体が凍り付いた。
好宮は言い終わると自信気に再び席に着いた。
次の話も是非……。