やもめとめんつゆ
翌日。この日家に帰りついたのは22時半だった。
昨日よりさらに遅くなってしまったため、今日の夕食は昨日よりもさらに簡単なものにしなければ。
そうだ、あれがいいだろう。あれならほとんど時間はかからない。
そんなことを考えながら、俺は部屋の鍵を開けて中へと足を踏み入れた。
「おっ、帰ったなトラキチ! 今夜の飯は何だ?」
出迎えたのはやけに嬉しそうな少女の声。
どうやら今日のタマは先に来て待っていたようだ。
にしても、大神荘の中ならどこにでも湧いて出ることができるらしい彼女が相手では、鍵など何の役にも立たない。
自分が仕事に行っている間に部屋を荒らされたりしないかということが、今は最大の心配事であるような気がした。
*****
さて、今日の晩飯は昨日よりさらに簡単にできるものにすると言った。
昨日は一時間ほどかけたが、今日はその半分の時間で作り上げてみせよう。
用意するのはキャベツ、人参、ピーマン、かまぼこ、その他お好みの野菜なんでもよし。
気分次第で俺はしめじや小松菜を入れたりするが、きのこ類は切らしており、小松菜は昨日使ったため今日はやめだ。
それから、もう一つ重要な材料がこれ。閉店寸前のスーパーで半額以下にまでなっていた、うどん玉である。
はっきり言ってすごいよな。深夜になるとうどん一玉20円とかそれ以下とかになるんだから。
さて、本日ご指名の三種の神器は"めんつゆ"だ。
ただうどんを茹でてつゆで食べるのかと思うかもしれないが、それは違う。
茹でる手間すら惜しい俺はそんな食べ方はしないのだよ。お湯が沸くのを待ってる時間がもったいないからな。
前置きはこれくらいにして、早速始めよう。
まずは野菜類を刻むところからスタート。
人参だけ別のざるにとって、残りはおおきめのざるにまとめて入れておくのが俺のやり方だ。
フライパンに油を敷き、先に人参を投入。
この理由はシンプルで、人参は他の野菜より固いからだ。まあ、常識だな。
人参が半分くらい炒まったら、残りの野菜を全部まとめて投入。
順番を気にするならちゃんと分けて炒めてもいいんだが、俺は時間が惜しいからな。基本まとめてだ。
それと同時進行で、もう一つフライパンを用意する。
こっちではうどん玉を炒めていくのだ。
そう、茹でない。炒めれば大体のものは食える。俺はそう思う。
キャベツがしんなりしてきたら、めんつゆを回し入れて野菜に味をつけていく。
同様に、麺の方にもつゆを入れて味付けをするのだが、こっちは少しだけでいい。
野菜についた味が濃く感じられる分、麺は薄味にしておくのが俺好みだ。
しばらく炒めているうちに、野菜から水分が出てくる。
仕上がりがべちゃっとするのを防ぐために、この水分は取り除いてやらなくてはならない。
しかし、だ。野菜からしみ出たこの水分には、味付けに使ったつゆが溶け込んでいる。
せっかく味がついているのに、あっさりと捨ててしまうのは何とももったいない。
だから俺は、これをめんを炒めている方のフライパンへ流し入れることにしている。
めんへの味付けが少量でいいと言った理由の一つがこれだ。
さらに言うなら、この水分がほぐし水の役割を担って、うどんめんを一本一本に分離させてくれる。
うどん玉は、袋に入って売られているうちにめんとめんがくっついてしまうからな。
茹でれば問題ないんだが、こうして炒めて使うとどうしてもくっついたままのことが多い。
つるっとした食感を楽しむために、こういった手間をかけるのも悪くないものだ。
なに? 昨日は面倒くさいとか言って一手間を省いていたじゃないかって?
そんなのその日の気分によるんだよ。それが男飯ってもんだ。
高いところからオリーブオイルをたっぷり注ぐのが男飯だと思ったら大間違いだからな。
あんな洒落たもんが誰でもできると思うなよ。
さて、野菜もめんも炒まった。
皿にめんを取り分け、その上から野菜をたっぷりと載せれば"30分焼きうどん"の完成だ。
味付けに使ったのは、ソース代わりのめんつゆのみ。
塩コショウくらいはふってもいいかもしれないし、豚肉を入れればぐんと食べごたえも増す。
ただ、今日はもう遅いし、若くない俺は明日胃もたれしそうなんだ。野菜だけでヘルシーにいかせてもらうとしよう。
*****
「おっほーっ! 今日も美味いな、トラキチ!」
タマはまた一口目からよくわからない声を出して喜んでいる。
「野菜がシャキシャキしてるのに、めんはもちもちしてるな。すごいぞ! トラキチは名のある料理人か何かか?」
「んだそりゃ。ただのアラフォーの土方だよ」
口の周りをベタベタに汚しながら夢中になってうどんを頬張るタマの姿は見るに堪えない。
食べ終わるとタマはまた床にごろんと寝そべってしまったため、俺は口元を拭けとティッシュを一枚渡してやったのだった。
「はぁ、満足だ。めんの固さもちょうどよかったしな。大家の飯とは大違いだ」
「急になんだ。大家の婆さんの握り飯がどうかしたのか?」
俺が尋ねると、タマはよいしょと身体を起こして耳をぴくりとさせた。
「いやな、ずっと作ってくれてたのはありがたいんだけどな。いなくなる直前の大家の握り飯は、粥みたいにべちゃべちゃだったり、米の芯が残ったままだったり、日によってまちまちだったんだ」
「あの婆さん、結構ボケがきてたからなあ。水の分量間違えてても不思議じゃないな」
「挙句の果てには『ポチ~』などと言いながら握るようになってな。あたいは猫又だというのに、何をどう間違えたらそうなるんだ!?」
「そこは俺に言われても知らん……」
「もしや犬派だったのか!? 猫又が護り神では不満だったのか!? ここの名前も大神荘というくらいだしな!?」
「思い込みが激しいどころか、被害妄想入ってきてるぞ……」
ちょっぴり落ち込んでいる様子のタマだったが、明日もまた作ってやるからと宥めてやると元気を取り戻した。
タマがふわりと消えたあと、二人分の洗い物をしながら明日の献立を考えていた俺は、いつの間にかこんな暮らしが少しずつ楽しくなってきていたのだろうか、と今では思う。