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先往く人々を追いかけて

作者: さわだ

宇宙が誰にでもフロンティア(新天地)だった時代から数十年が経った。

二大国による熾烈な宇宙競争の果てに、人類はついに地球以外の天体に足跡を残せるようになったが、残ったのは足跡だけで神秘のヴェールを剥がされた無残なクレータだらけの石に誰もが直ぐに興味を失った。

それから十数年。

宇宙を目指すのは未だに飽くなき宇宙へのロマンを抱く者と、天気予報や移動体通信などを実現する為だけに存在する空間と割り切る人間とが綺麗なコントラストを描いてそれぞれの宇宙を目指していた。

そんな時代の話しをこれからする。




■はじまり



青い空と白い大きな雲を飲み込んでただ真っ暗になった空の下、坂井景はバイクを走らせる。真っ直ぐに伸びる道、脇には無造作に茂った緑が続く。

突然その茂みが消えるとそこには何も無い砂地が広がる。

小さいバイクを適当に道に止めると、ヘルメットをハンドルに引っ掛けそのまま何も持たずに歩き出す。

バイクを止めて向かったのは南の島特有の白い砂浜に広がる海岸線。

沖縄のまだ観光シーズン前の海岸には誰もいない。波の音だけが響く広い空間を見据えると、どこか地平線の広さに呆れるような感覚に少年は浸る。ただ広い空間が月明かりに照らされて波を立てている。

(随分と同じ海でも違うんだ)

少年が見てきた海は地元東京の汚い港湾の風景だった。

小さい頃よく父に連れて行ってもらった海沿いの公園で見た風景。所狭しと走り回る船と、大きなクレーンが動く港湾と比べると今見ている海岸には何も浮いているものは無い。

湾内の飛行場近くにある公園には泳げない海岸があって、その近くを大きな貨物船が通ったりして面白かった。

特に飛行場から飛び立って旋回して、遠い空に消えていく様々な飛行機たちはかっこよく、首が痛くなるまでずっと見ていた。

それに比べて今目の前にある海岸の何も無さは凄いとおもった。人の作ったものが何一つ海の上に無い。

(たぶん昔の生きていた人と同じものを見てる)

そんなことを考えると、過ごしやすい風と共に何時までもここに居てもいいと思った。

(明日から学校だからな・・・・・・めんどくさい)

東京から初めて親元を離れて暮らす15歳の少年は、入学式を翌日に控えた日に寮を出て海に来ていた。明日の学校が不安だからとかそういう気持ちではなく、ただ浅い眠りから覚めたら海が見たくなった。

自分が生まれる前の人間が見ていた風景に感動しつつ、新しく始まる生活に期待と言うよりもメンドクサいと言う感覚が浮かんでくる。この坂井景と言う少年はかなり変わった部類の人間に入ることは自他共に認めるところだ。

景は一週間前に入寮してから毎日海岸に来ている。

同じ入寮した新入生同士で街に出かけようと誘われて、一日だけ観光に行ったが直ぐに飽きてしまった。

それ以来景は一人でバイクに乗って海に来ている。協調性が無いと言えばそれまでだが、この少年は飽きずに、軽いカーキー色の布製ジャケット一枚羽織ってただ海岸線を散策する。

景が一番気にいったのは深夜から朝にかけての海だった。星々とせめぎあうように広い海が眼下に広がる。

この海岸には余程人気が無いのか本当に人が居ない。

ただ海を見る場所として存在しているような海岸がすっかり気に入った景は、今日も白い砂をスニカーで踏みながら歩く。自分がなぜこんな所に来てしまったのだろうかと考えながら砂を踏む。

自分の意思でここに居るのは分かっていた。

ただなんでそういう意思を持つようになったのかが分からなかった。

(たぶん飛行機が好きになったのは昔から飛行機ばかり見ていたからだ)

星しか浮かんでない黒い空を見ながら、ふと景は立ち止まる。

(それからコンピューターに興味が沸いてそのふたつがくっ付いた、それだけだ)

景は自分が選んだ学校が「宇宙学校」だと言うこと思い出した。

「宇宙学校」が沖縄に有って、そこに入る為に自分はこの島に来た。

その学校に入れば誰に怒られること無く、好きにコンピューターの中で飛行機を飛ばせると聞いたからだ。

そこで景は何時ものポーカーフェイスを変えずに、内心でほくそ笑んだ。

自分が大好きな航空シミュレーションが学業として認められ、それだけ追求することが出来る。

(まあちょっと入る科を間違えたけど、そのうち編入できるからな)

彼が入ったのは宇宙学校最大の難関「宇宙飛行士養成コース」だった。

もともと「航空力学専修コース」を選んでいたのだが、適当に書いた願書でマークシートの塗りつぶし箇所を間違えてしまった溜め景は「宇宙飛行士養成コース」に進むことになってしまった。

(なんかカリキュラムを見ると体育多いのだよな)

かったるく歩きながら景はその事だけが目下の憂鬱の種だった。

それにしても誰もが憧れ、狭き門である「宇宙飛行士養成コース」に入っておきながら、体を動かすのがめんどくさいと言う理由だけでコースを変えようとしている少年を怠惰と罵るかどうかは意見が分かれる。

景の態度は褒められた物ではないが、ある種の天才だけに許されるワガママと捕らえる向きも有る。事実景の通っていた中学校では必死に入学を辞めて来年再試験を受けると言う景を皆で説得した。

特に景の担任が宇宙飛行士になれるかもしれない景を必死に説得した。景にとっては何をそんなにムキになるのかさっぱり意味が分からなかったが、宇宙に行くことは普通の経験ではないと散々な熱く語られた。

「僕も昔宇宙飛行士に憧れたことがあるのだ・・・・・・誰も言ったことの無い宇宙に行けたらなあって。僕が小さい頃は「宇宙学校」なんて無かった、ましてや今みたいに有人宇宙飛行が頻繁に行われるなんて夢のような話だよ。ああ、宇宙は広くって地球はとても青いのだろうなあ」

取り付かれたように喋る担任にしばし呆れはしたが。まあ一年待つのもめんどくさかったので景は沖縄に、宇宙学校に来ることを決めたのが数ヶ月前の事だった。

(そんなに高いところに行きたいか?)

遠い空を見て、景は意味が分からないと呟いた。

見上げた先に誰か居るのだろうが、それがすばらしい事だとは思わなかった。

景が脇目も振らず空をみながら歩くとボスっと小さな音がした。

足元には小さな鞄が一つ、どうやら誰かの荷物をふんでしまったようだ。

(こんな所に?)

なんだろうと確かめようと持ち上げようとすると、無造作に鞄に突っ込まれた服が零れ落ちた。手に持ってみると触り心地の良い高そうな服だった。

景が周りを見渡すと、海の方、波打ち際に小さい影を見つける。自分よりも随分小さく感じられるその影は海の中に立っていて、背中をこちらに向けて立っているのが見えた。

月明かりに照らされて、ワンピースの水着から女の子とわかると手に持った服を直ぐに元に戻した。

そんな景の行動に気づきもせず、目の前の少女は海を見つめていた。背筋を伸ばして真っ直ぐに海の方を見ている。

細い体が波にさらわれても身動ぎ一つせずにただ立っていた。泳ぐとか波と戯れるとは違う、ただ一人で真っ暗な海の上に立つ。

(もしかして幽霊とかじゃないのか?)

幽霊の類を全く信じない景もさすがに人かどうか疑った。目を擦ってみてもその姿は暗い闇に浮かぶ、ただ立っているだけ。変な奴も居るもんだと自分の事を棚に上げて景は目の前の人物を不思議そうに眺めていた。

その時一際大きな波が立ち上がった。

(危ないんじゃないのか?)

景の疑問より早く、大きな音と共に少女は波にさらわれる。勢いの強い波が景の足元に攻めて来た。とっさに置いてある荷物を手に取り、足を浜辺の方へ走らせる。

白い泡を淵にした波がさっきまで乾いていた部分を走って迫ってきた。

(居ないぞ?)

海を見渡しても少女の姿は無い。

手に持った鞄がそれは幻ではなかったと景に伝える。暗闇になじんだ目でもう一度海岸を見渡す、しかし彼女の姿は見えない。

慌てて海岸線へと走る。スニーカーに波が被っても気にしない。そのまま足を動かして、さらに前へ前へと進む。

思ったより冷たい海が少し嫌だったが、そういう事をいっている場合じゃない。

景はズボンが半分くらい濡れた時に、やっと波に消えた少女を見つけた。

「大丈夫?」

遠く空に顔を向け、海に漂うさっきの女の子を見つけた。波が少女を海岸まで運んで、流木のように漂う。景が重くなったズボンを引き吊りながら女の子の近くに着いた頃にはもう彼女の体は砂浜の上に打ち上げられたように横に寝そべっていた。

「おい、しっかり・・・・・・」

確りしろと声を掛ける前に、少女は何事も無かったようにスッと立ち上がった。

軽く砂を叩くと、慌ててよって来た景を一瞥した。

(なんだよまったく)

勝手に心配しただけかも知れないが、景は拍子抜けした様に少女の前に立つ。

スラットした体は目の前にするとその精悍さを一際見せ付けて、手とか足は今までみた誰よりも細く長かった。

(外人かな?)

薄明かりでも分かる色素の薄そうな瞳、彫りの深い顔立ちを見て景は一瞬怯んだ。別に外人が珍しいわけじゃない、英語で話しかけられたって答えられるが今まで見てきた人とは違う空気を感じた。

「大丈夫だった?」

「何が?」

完璧な発音の日本語で彼女は応えた。

「いや、波にさらわれたかと思った」

少女は少し気だるそうに足を動かして右手を伸ばした。一瞬の疑問の後、景は自分が持っていたバックを差し出した。

「ありがとう」

鞄を渡した事なのか、心配したことなのかどちらかの礼を言われて景は同じ背の高さの少女を見る。ズボンを濡らして走ってきた景には興味が無いように、まだ少女の瞳は暗い海を見つめていた。

なにがそんなに面白いのだろうと景も彼女の見ている方向へ顔を向ける。

うっすらと、本当に薄っすらとだがフチが出来つつあるのが分かった。

深夜も後数時間ほどで早朝に変わる時間。改めて目の前の女の子が何をやってたのか景は興味を押し殺せるほど大人でもなかった。

「何をしていたの?」

「一人になってたの」

質問に女の子は簡素に答える。景はやっぱり変わっていると目の前の女の子に感心した。好奇心は更に膨らんで、次の言葉を押しだす。

「一人になるって?」

「誰も居ないところが好きなの」

今度は少し悪戯を思いついたように笑った。景は急に現れた誰もが好感を覚えるような笑顔に少し気持ちが揺らいだ。

大きなスポーツバックの中からタオルを取り出して肩に巻く。やはり少し風が強く、体から熱を奪っていくのを感じながら、二人で足を波に浸しながら海を眺めた。

「邪魔して悪かった?」

「別に気にしてないわ」

景は女の子の言葉に少し傲慢というか意志の強さを感じた。けど、それが別に嫌な気分にさせるわけでなく、なんとなく納得できてしまう。

「どうやって来たの?」

「自転車で」

「街から?」

「基地から、私「宇宙学校」の生徒なの」

「へえ君もか」

景は少し驚いたが、少女はさもありなんといった感じで微笑む。

「まあ貴方もそんな人だと思ったけど」

「何処が?」

「海の見方とかね、なんかそんな所があんな学校入りそうな感じがした」

少しからかう様に景の顔を覗き込む。

「君ほど熱心に見ていない」

「私は別に海を見ていたわけじゃない」

「じゃあ何を見てたの?」

「その先にある所」

細い指が海の先にある地平線を指す。景には彼女が指しているのがその地平線の先、真っ直ぐ進んだ先にある宇宙の事を言っているのだと直ぐにわかった。

「君も宇宙飛行士に?」

海の先にある地平線を真っ直ぐに行けばそのまま宇宙に出る。

「ええ」

「好きなんだ宇宙が」

「一人で居られるところが好きなの。絶対宇宙の中はたぶん静かで優しい所じゃないかなあ」

「それだけの為に随分遠くに行く」

「そうでもないわ、たった四百キロしか離れてないもの」

地上から四百キロメートル直上当たりが国際宇宙ステーション(IIS)もある地球低軌道。有人軌道宇宙飛行士の主な仕事場だ。

「そんなもん?」

それ以外に何か?

と言い放った少女の真顔を見ていると、なんだか熱心に宇宙の事を語っていた中学校の先生の顔を思い出した。どっちが大人かと聞かれたら、間違いなく目の前の少女を指差す。

「貴方は」

「僕も宇宙飛行士・・・・・・になる予定の人間」

「何か嫌そうね」

「嫌いなんだロケット」

「なんで?」

「翼が無いから」

「私はそのシンプルさが好きなんだけど」

ただ真っ直ぐに宇宙を目指すために特化されたデザインがナナカはお気に入りだった。

「何か面白みがないよ、飛んでいくだけなんてさ」

「ゴタゴタしたのは嫌い」

また彼女は一歩前に進む、長い手足が少し明かりを浴びて最初にあった時よりも本来の姿を取り戻して、更に輝いているようだった。

「名前は?」

「ナナカ・フランドル」

「ハーフ?」

「ダブル」

不思議そうな顔をする景をナナカは指を立てて説明する。

「ヨーロッパでは日本人が言うハーフって言うことをダブルって言うの」

「もう一つは何処の国?」

「ドイチェラント」

聞いたことのない発音と色素の薄い感じで景は成る程と思った。黒い髪は母親譲りだろうか、長い手足は確実に日本人離れしている。

「貴方は?」

「坂井、坂井景」

ふーん、といった感じでナナカは景の顔をマジマジと見る。

「女の子みたいな名前」

「そうかな?」

「そうじゃない」

「まあ間違えじゃ無いけど・・・・・・」

「手も細いし、女の子みたいだね」

「だからあの学校に気に入られたんだろう」

学校の入学条件には書いてないが大抵は背が低く、体重が軽いモノが優遇される。

軽ければ軽い程、背が小さくてコンパクトな程ロケットに負担が掛からない。

まるで最初の飛んでいるのがやっとの複葉機の時代の様だが、まだまだロケットは誰もが自由に乗れる乗り物ではない。ロケットが乗る人間を選ぶ。

「あなたあんまり宇宙飛行士になりたくないみたい」

「正直余り興味ない」

景の返答にナナカは真剣な顔で答える。

「私は宇宙に行くために学校に入った、それ以外ここに居る理由はない」

キッパリと言い切って、彼女は海へと再び足を進めた。

「何処に行くの?」

今度は答えなかった、まるでさっき行ったでしょうと背中が言っているみたいだった。

海原に立つナナカの細い体を見ていると、何となくだがロケットを連想した。真っ暗な海を一人で進む、意志の具現化された存在としてまっすぐ立っている。

飛行機に見ていた憧れみたいなのを彼女に感じ取りながら、景はその姿をただ見ていた。

「変なヤツだなあ」

景は言葉に出しても、惹かれている自分はごまかせなかった。

昔飛行場の近くの公園で、寝そべりながら飛行機を見ていた時を思い出して、浜辺に腰を降ろしながらただ前に浮かぶ彼女を見る。

寂しい風景の筈だけど、そんな気はしなかった。気持ちいいくらい彼女の姿と意志が合っている様な気がした。そんなモノに自分はどうしようもなく弱いことを景は知っている。

取り付かれたように真っ直ぐナナカを見ながら、景はいつの間にかそのまま寝てしまっていた。


熱い日差しに気が付いた時、黄色いウィンドブレイカーが肩に掛けられていた。何だと手に握ってふと空を見上げる。

景は日差しの高さから不味いと直ぐにバイクへ向かって走った。

「絶対遅刻だ!」

少年はその日行われるはずだった始業式に遅刻した。

先に帰った少女はその始業式で新入生代表として見事な祝詞をのべた。

これがナナカ・フランドルと坂井景の関係の始まりだった。

1年後、彼女は「宇宙学校」のトップパイロットに選ばれてその才能を発揮して幾多のミッションを成功へと導き、クラスのトップに君臨した。

景はなかなか実技・学科両方で合格出来ず、未だに軌道に上がっていない唯一の生徒になった。

始業式の日からずっと「一番遅い男」と呼ばれ、未だにトラブルを抱える実験機のテストパイロットとして大気圏を飛び回っていた。



そんな時にあの事故は起こった。



宇宙開発公社の最大にして唯一の基地である「沖縄基地」の中央発令所では誰もが悲観に暮れていた。

洋上の中古石油掘削海上基地を改造して作られたRPH―1から打ち上げられた有人ロケット「H―4」ロケットの打ち上げをコントロールしている。

大きな部屋に机が並び、椅子に座った目線の先には壁一面に大きなディスプレイが埋め込まれていた。

しかし、数枚のパネルは真っ黒のままで中央の世界地図。いまどの軌道上に宇宙船が居るかが分かるモニターだけが状況を報告していた。

「テレメトリー(データ収集通信)は復活したのか?」

「応答無しです」

机に斜めに埋め込まれたディスプレイを覗きながら、白髪交じりのボサボサの髪を握って男は短く伝えた。

「状況は?」

「最悪です」

ドサッと資料が山のように机に並ぶ。

「何でこんな事になるんだ?」

一番後ろの一つだけ革張りで出来た椅子に座る年長の男が呻き声を上げた。

頭を抱える男に、書類を渡した男は優しく微笑んだ。

「そりゃあ色々と危ない橋を渡ってますからね」

「なぜ?」

問われた男は態とらしく目を見開いて、口元に笑顔を浮かべた。

「ケチりましたからね、耐熱板から電気ケーブルまで全部が全部三割安い部品ですよ!」

お陰で耐久性の五割も落ちましたがねという言葉を男は飲み込んだ。

「何かを守るのはコストが掛かるのですよ、安全はタダなんて思っているのは危険にあった事の無い人間が見ている感想でしかない」

「構造検討はしたんだろう?」

「予算の枠内でね」

つまり確保できる安全の総量が決まっている中での安全でしかない。それは過酷な宇宙環境化ではたった一つの前提が崩れれば吹き飛んでしまう程のものだった。

「誰か彼女の命を救ってくれないのか?」

「誰も届かないんですよあそこには。今、彼女しか居ない。誰もが恐れる無音、無臭、無色の空間に放り込まれているんですよ」

一拍置いて彼は言葉を繋げた。

「その闇に放り込んだ張本人である我々が他に縋ってどうするんですか、ええ? それこそ本当の無責任ですよ誰もが軽蔑する。コスト優先で前途ある若者を騙しロケットに押し込めて放り投げている団体の責任者の言葉とは思えませんね」

「私は好きでこのポストに付いているわけではない!」

男は「宇宙学校」の校長も兼ねる宇宙学校運営事業団理事長の肩書きにケチを付けると、聞いていた男は遂に苛立ちを爆発させた。

「好き嫌いで人の命を扱われてたまるか!」

押さえきれなくなったスタッフの一人が殴り掛かろうと長官へ飛びついた。真っ直ぐに伸びた拳が長い鼻に向かって行く。

鈍い音と共にメガネが飛ぶ。

その光景に誰もがあっけに取られた。

「はは、こりゃ痛いなあ」

長官とスタッフの間に入った痩せ長の男にスタッフの拳が炸裂した。細いフレームのメガネは床に飛び、顔には青い痣を付けていた。

「先生・・・・・・」

「先生」と呼ばれた男はわざとらしく床を擦るように手を動かしてからメガネを拾うと、掛け直したあとに笑顔を浮かべて理事長のほうへと振り返る。

「いゃぁ、お困りですね」

「君が作ったロケットのお陰でな」

「はは、あれは私ではないです私では」

先生は手を振って理事長の言葉を遮る。フレームが曲がったメガネを中指で直しながら目を細めた。

「私の基本案をだいぶ色んな方が直しましたからね。また、その直し方が殆ど同時ですから、いやー整合性のないモノが出来上がりましたね。貴方が示した数字を皆忠実に守ろうと努力した、その成果ですからアレは」

「君はこの期に及んで責任逃れをするつもりか!」

「責任逃れ?」

先生はひどく嬉しそうに更に目じりを下げた。

「しませんよそんな事」

貴方じゃあるまいしという感じの語尾で応えると、先生は嬉しそうに理事長に耳打ちした。

「そんな事可能なのか?」

「可能です、許可さえしていただければ」

「しかし、私の一存では・・・・・・」

「後三時間くらいですよ理事長?」

「三時間?」

「此方と連絡も付かないほどの大事故です、多分船内事故です。酸素は持って三時間位」

「何を根拠に?」

「最大24時間の飛行が許される機体ですがね、今回はテスト飛行で8時間分程しか酸素を積んでないのはご存知でしょ?」

大勢のスタッフの前で理事長に説明する「先生」は実に楽しそうだった・

「飛行経過から4時間、事故から1時間もたってますし、多分彼女はあと3時間以内に誰かが救い出さないと行けませんね」

理事長は今にも泡を吹きそうな顔をしながら唇を噛んだ。

過度のプレッシャーが長官を苦しめる、理性はかんなのようなもので精巧に一枚一枚薄皮を剥ぎ取られていった。

残された理性の中で理事長は一生懸命考えた。自分は騙されているのではないだろうか?

なぜこの目の前の男は嬉しそうにつぶやくのだろうか?

まるで玩具をねだる子供のように、彼はいつも決断を自分に迫るのだろうか?

磨り減った理性は目の前の男が何を考えているのかを見抜くことは出来なかった。

「分かった許可する」

「ありがとうございます長官、二時間五十五でした」

許可を指示した理事長はぐったりと革張りの椅子に腰を下ろした。先生は嬉しそうに手を叩きながら司令室スタッフ全員に指示を出した。

「さあみんな救出オペレーションの開始だ」

「救出作戦って、どんな手を使うんですか」

「僕らが彼女に届く手は一つしかないだろう?」

「「RPH―1」にはもうロケットありませんよ」

「はは、液体ロケットに即応性は無いよ、燃料を注入するのに何時間かかる?」

巨大なロケットに燃料の液体水素をタンクに満たすだけで軽く三時間はたってしまう。

ではどうやって短期間に助けに行くのか?

先生の言葉にスタッフの一人が声をあげた。

「あっ! けど不可能です」

「どこがだい?」

よく気が付いたと先生は拍手した。

「部品・・・・・・パイロットがいません」

「それは大丈夫、用意したよ」

ポンと肩を叩いて先生はチーフを呼んだ。

「No・10ゲージに指示を、直ぐに滑走路へ誘導して」

「まさか、あれを使うんですか?」

チーフの動揺が指令所全体に響く、今まで静かに先生の言動を見守っていた司令室内に動揺が走る。

「他に手が?」

「最終テストは?」

「この際だから・・・・・・」

「一緒にやれば良い」と言いたそうな先生の顔を見て、チーフは全員に指示を出した。

「ユニコーン・グレイブを」



No・10格納庫はジャンボジェット2つを丸ごと飲み込むほどの大きな格納庫だ。

二階建てのエアバスA380すらも整備できるこの格納庫一杯にその図体を広げているのは、人類が作り出した最大の飛行機の一つである双胴の機体と6つの巨大なエンジンを持つ宇宙公社製特別機、AM―6「ストラトス2」だ。

米軍の退役したB52を二機購入し、新しい翼とエンジンを付けて二つの胴体を第三の翼で繋げた機体。新しいカーボンファイバー製一体成翼はそれだけで新しい飛行機が買えるほどのモノで、さらにエンジンもP&W&IHI製の最新型エンジン。

先生が強引に仕様をまとめ作成した機体は、長らく「最大の航空機」の地位を誇示してきたロシア製の大型輸送機「アントノフ」が持っていたレコードを次々と変えていった。

「ストラトス2」と名づけられた航空機はそれこそ「宇宙学校」の働き者としてフル稼働を続けていた。

双胴にしたのは胴体と胴体の間にロケットを搭載する為だ。

二つの胴体の間に抱え込むようにロケットを搭載し、ここ数年は月一を上回るペースで商業・学術用小型ロケットの打ち上げをこなしていた。さらにスケジュールが空いていれば、大型荷物の運搬もこなして慢性的な予算不足に喘ぐ「宇宙学校」に恵みの雨を降らせる事もあった。

もっとも直ぐに先生が買い物に使うので、金なんか学校の金庫に溜まったことは無い。

この様に先生が世界に誇る空中発射母機として彼女(?)はこの「宇宙学校」の稼ぎ頭として世話しなく働いていた。こうやって格納庫に居る間も、次の仕事に向けて様々な整備を受けていた。

今彼女の胴体に挟まれているのは一本の巨大なロケットだった。まるみを帯びた先端、フェアリングと呼ばれる先端部分からストンと伸びる直線の先には大きく口を開けたノズルが一つ。

円柱の物体は間違えなくロケットの形をしていた。

しかしよく見るとその下にはまるでコバンザメのようにピタッと下にくっついているものが有る。

三角形の、まるで子供の頃に砂場で使ったスコップのような形をしたそれはロケットの真下に数本のパイプで繋がれていた。

「しかしゴチャゴチャと付いているなあ」

「壊れたパーツを寄せ集めて作った玩具ですね」

「ああ、その表現は一言一句間違ってないな」

オイルで汚れたツナギ姿の男二人が自分たちの仕事振りを文字通り振り返って見て、感嘆の念を上げた。

「中島さん、本当に先生の交渉力って凄いですね」

背の高いヒョロリとした男が下を向きながら、背の低い初老の男性に声を掛ける、

「まあ、普通ここまで集められないな。退役したとはいえ本物の爆撃機二機に大型固体ロケット・・・・・・」

中島と呼ばれた男は目の前に有る巨大な円柱を見て顎を擦った。日本で作られた最大の固体ロケット「ミューシリーズ」の一本で、地上からそれ単体で衛星を軌道上に投入できる本物のロケット。

「さらにIIS(国際宇宙ステーション)用軌道往復機の最終テスト機までくっつけたんだからなあ」

最後に下にくっ付いたX―48「スペース・バス」を見て、横に並ぶ長身の男の顔を見上げた。

「コレでお前の国のロケットでも付けたら面白いのにな、アンドリュー?」

「よしてくださいよ、ウチのロケットは束ねて使わないと役に立たない」

短いく刈り込んだ金髪の頭を掻きながら、ロシア生まれのアンドリューは照れた。

「まあこのユニットがあれば誰もが低軌道とは言え宇宙へ行けるんですよね?」

「ああ、やっと目処が立ったからなあ」

中島は目を閉じて胸のポケットに忍ばせた写真を見た。

「ベーカーが生きてりゃ、こいつはとっくに世界中の人間が羨ましがる最高のマシンに生まれ変わっていたさ」

細い目を更に細めて中島は写真に写った黒髪の男を想った。

「あいつが「フェアリイ」と一緒にここ来てからもう三年だ、三年も掛かっちまった」

「いや中島さんを初め「宇宙学校」のスタッフがあの「フェアリイ」を見事に甦らせたんですよね?」

アンドリューの笑った顔は子供のように無邪気だった。中島は首を横に振る。

「いや、ここに来た段階で「フェアリイ」は完璧だった。ただ、金をケチったNASAがつまらない偽装をしたから駄目だった」

X−48を作った頃のNASAは火星行き計画に全ての資源を注ぎ込んでいた。英雄気取りの大統領が想いつきで言った計画を律儀に予算不足からの遅延も予定通りに消化しつつ赤い星を目指していた。

NASAは低軌道にあって細々と実験を続けていたIISには既に興味を失っていて、そことの連絡を画期的なコストで結ぶ「スペース・バス」構想なんかには何かとケチを付けて予算を出し渋った。

それでもベーカーを初めとするスタッフは様々な知恵を出し合い、テスト機体の製作までこじつけていた。

しかし、最後の最後で予算を止められ機体は係わったスタッフ諸共、正しくは見せしめの為博物館送りになるところだった。

「そこに先生が目をつけたと?」

「そう、あの人は本当に天才だよ。写真一枚見ただけでその機械が傑作かどうかを見抜いちまった」

「スペース・バス」計画への予算打ち切りが決まった次の日には先生は交渉を半分以上まとめていた。

数ヵ月後にはこのベース・オキナワに機体とスタッフが丸ごとやって来た。少ないながらも予算の打ち切りを心配する事無く、さらに世界中から公社が(と言うよりは先生が)集めた機材・人材を糧にベーカー達は革新的な機体を作り上げた。

彼らスタッフは「スペース・バス」なんて味も素っ気も無い計画名を辞め、完成した美しい飛行機を「フェアリー(妖精)」と呼んだ。名づけ親はベーカーだった。

「ベーカーが作り上げた「フェアリー」はあいつが憧れた飛行機の様に優雅で機能美を感じさせているだろう?」

「憧れた機体?」

「ヴァルキリー」

アンドリューが振り向くとそこには一人の少年が立っていた。

「ああXB70」

今は博物館に一機だけ存在する古い機体をアンドリューは思い浮かべた。

「女神の周りを飛び回る妖精を作りたかったんだって、フランク先生は」

少年はそのまま二人の間を通って前に出た。額を前髪で覆った顔は幼く、アンドリューから見えればまだまだ子供にしか見えない。

「そうか、だからこんなに白い塗装が似合うのか」

アンドリューの誉め言葉に少年は素直に数回肯いた。

(しかし何度見ても・・・・・・冗談にしか思えないね)

目の前の少年はオレンジ色の服、パイロットスーツにその細い体を収めていた。腕にはヘルメットを抱えていて、なにか微笑ましい劇を見ているような気持ちになった。

「中島さん早く「フェアリー」を軌道まで飛ばしてやりたいです」

「ケイ!まだ実験が続くけど、直ぐだよ宇宙までなんか!」

中島が応えるよりアンドリューが大きな声をだして少年の肩を叩く。

「坂井焦るなよ、ベーカーみたいにな・・・」

聞こえていないのは分かっていても、中島は目の前の少年に会う度に釘を刺した。

「もう準備は?」

「二回目の点検もスケジュール通りに終わったよ」

(早く飛びたい……)

坂井景の気持ちは中島が想像したとおりだった。

少年パイロットは目の前の与えられた機会に何時でもチャレンジ出来る準備が出来ていた。テストまで数時間も有るのに既にパイロットスーツを着用しているのがその気持ちの表れだった。

因果なもんだと中島は苦笑する。

どいつもこいつも、あの「先生」にベーカー、そして目の前の坂井景といい、誰もかれも自分が宇宙へ行くための方法を考えている。ロケットや飛行機を自分の頭の中で組み立てて、周りを巻き込んで自分だけの空想の空へと昇りたがる。

その空想を実現する道具を見つめる姿に年の差は関係なく何奴も無表情を装っていた。そして、背中に盛大に嬉しいと張り紙を貼って、自分が愚か者であると周りに誇示する。

そういう背中を中島は何度もこの基地で見てきた、目の前に居る坂井景にフランク・ベーカーの姿が重なる。景の横に居るアンドリューにもそれは当てはまる。馬鹿に歳も国籍も何も関係は無い事を中島は経験則から知っていた。

「坂井お前はコイツで何処まで行きたい?」

同じ視線の高さで中島は坂井に話しかけた。

「何処までって……低軌道を自在に往復するとかそう言う事?」

「違う、その歳で不完全ながらも宇宙船のパイロットになったお前は何処まで行こうとするんだ?」

無限とも思える、実際はそんなたいして時間は無いのだが未来がある少年に中島はふと疑問をぶつけた。

「別に月や火星に行きたいとは思いません、ただ追いつきたいと思う……」

「誰に?」

「ベーカー先生」

「あいつと同じ事がしたいのか?」

死んだパイロットに憧れる景を見て、中島は偏屈さを感じた。

「後は・・・・・・」

「まだ居るのか?」

景は黒い手袋で頭を掻く、それ以上景は口を閉じた。

中島は隣に立つアンドリューに目を合わせると、さぁと彼は首を曲げた。中島も今度ばかりは目の前にいる少年の想いを理解出来なかった。

そんな二人に気付かず景は機体に魅入る。

(先生が行きたかった場所は何処だったんだろう?)

目前の機体が一度だけ宇宙を自由に飛んだ時のこと思い出す。始めての大気利用軌道変更実験を行った時、事故は起こった。

「ベーカー聞こえるかベーカー?」

ドスッと端末を叩く音が響いた。

それでも何か苛立ちを掻き立てる電子音は鳴りやまなかった。

司令室に居て事態の状況を飲み込めなかった景は、前面の大きなパネルに映し出された自分とベーカー先生が作り上げた機体を見た。

打ち上げた時のビデオ映像だ、機体は何も問題なく空を進み今軌道上を進んでいる。パイロットはベーカー先生だ。

長年の苦労がようやく実り、いま始めて自分の作り上げた翼「フェアリー」で宇宙を漂う。

NASA時代からのスタッフが「沖縄基地」の小さな第二発令所に集まって事の成り行きを見守る。

無事に地球周回軌道上に到達し、始めて「フェアリー」が名前の通りに、地球と言う暗闇に咲いた一輪の花の周りを飛び回る。

「妖精」という意味をつけられた機械がその本文を全うした。

誰もが彼の苦労を、幾多の困難を見てきたのでスタッフ全員で喜んだ。特に最後まで開発が困難だったフライトプログラムをほぼ独力で開発してしまった坂井景には誰もが感謝した。

景も始めて自分の仕事が何か大きな事を為し遂げた実感を確かに感じて最高の気分だった。

誰もが次の段階の事を早くも考えていた。

同じシステムを何個も用意して、何時でも宇宙に行って好きなところに帰ってこれるようにしよう。いや大型の人員輸送船に改造して、国際宇宙ステーションとの橋渡しにするべきだなど様々な意見が飛び交った。

それだけ、「フェアリー」の軌道到達は新しい可能性への扉を開いたことだと誰もが誇りに思っていた。マスコミも居ない注目度の低い実験だが、少なくとも何処にでも有るジャンボジェットが離着陸出来る空港が有れば宇宙に行ける手段を手に入れた事に凄く意義があったのだ。

そんな歓喜に水を差すようにその事故は起こった。

ベーカーの健康状態を記録していたテレモニターが突然警告を発した。

慌てて管制室から通信を送る。何も反応が無く、フェアリーは軌道を回る。

「いったいなんだっていうんだ!」

「このディスプレイの状況が故障じゃなければベーカーは……」

事態を後ろで見ていた景が、沢山並ぶ制御宅の一つに座り、もの凄い速さでコマンドを組み上げていく。

「ケイ、何を!」

「ベーカーは死んでいない、何か計測機器の故障だ」

景はディスプレイから目を離さずに、キーを叩き続ける。

「バックアップアは働いて居ない」

チーフマネージャの冷静な一言にも目も貸さず、景はキーを叩く。

「だったら目で確かめる」

船内状況をモニターするカメラを景は地上から立ち上げた。特に必要がないと今回のテストでは船内の様子はモニターしないことになっていた為使っていなかった。

「なんて事だ……」

管制室の大きなディスプレイに映し出されたのは、モニターの鈍い光に映し出されたベーカーの姿だった。

目を見開いて小さく口を開いていた。ピクリとも動かず、ただシートに横たわっていた。

誰かが神の名前を口にした、映像で信号が送ってくるベーカーの状態に、誰もがたちの悪い冗談だろうと想いたかったが事実は事実でしか無い。

「早く帰還コマンドを……」

「僕がやります」

コマンドを打とうと再びキーボードを叩こうとした景の手首をチーフマネージャーが抑える。

「それは君の仕事じゃない」

「でも」

「君が責任を感じる事はない、ないんだよ?」

自分がベーカーの次にあの飛行機を操る事が出来ると言おうと思ったが、全員がただ落胆の表情を浮かべ、静かに腰を落とした。

景にはどうしようもなかった。


その後フェアリーは完璧な動作で地球に、「沖縄基地」の滑走路に滑るように降りてきた。

救急車のサイレンに出迎えられて、基地に居る全員が総出でベーカーを向かいに出て来て居る中、静かに機体はプログラム通りの位置で停止した。


後にベーカーの心臓に問題が有った事が事故委員会から発表された、地上にいる時には何の問題もないが無重力下など特殊な環境下では希に生態活動に影響を起こす病気だと。

その事故で誰かがX−48を「ユニコーン・クレイブ(墓)」と呼んだ。人を棺桶のように詰め込み、笑顔のまま死後の世界へ運んで行ってしまう、呪われた機体。

人類の夢を詰め込んだ機体が、それに殉じた男の墓になった。


べーカーの死後、プロジェクトは遅延を余儀なくされることになったが、細々と確実にテストは続けられていた。

理由は一つ、「先生」が計画の中止を頑なに拒んだからだ。彼はそれこそどっから持ってきたか分からない予備費という名目で決して少なくない額の予算を確保し、それどころか事故前よりもスムーズにテストの消化をしていった。

誰もがべーカーの意志を忠実に守り、機体の完成を急いだ。今日事故後始めての打ち上げの為の準備が行われ、いよいよ最終テストが始まる。

「上手く行くといい」

アンドリューが優しく景に声を掛ける。

「とりあえず上がって帰ってくるだけ、コイツに取っては実に簡単な事だね。始めての宇宙だ、楽しんできなよ」

景はまだ宇宙に上がっていなかった、宇宙学校の他の生徒が全て体験済みの行事を、景だけその時間を「フェアリー」の開発につぎ込んでいて、また一番遅い男の名前通りになった。

(まったく気楽なヤツらだ)

中島は一度事故を起こした機体をそれこそ何も無かったようにもう一度少年を乗せ飛ばそうとしている事に違和感を拭いきれなかった。

「うん?」

疑問を遮るように胸に入れた基地内呼び出し用端末が小さく振動した。出たばかりの頃の携帯電話の様な小さなディスプレイをチラッと見ると、発進先は中央発令所からだった。

「中島だ」

「どうもご苦労様」

やけに甲高い声が大ボリュームで中島の耳に届いた。

「何のご用ですか?」

名前を確認しなくても、声の主が「先生」だと言う事は分かった。

「ああスケジュールが変更になったんで準備をお願いします」

「この段階になって?」

「ええ、まあ不足の事態が上で発生しましたんで」

「上?」

「H―4が軌道上で事故を起こしました」

「まさか「フェアリー」で助けに行くとか言うんですか?」

中島の返答に先生は第一声以上の特大の笑い声で答えた。

「ハハ、さすがジマさんですね話が早い」

「正気か!」

敬語も忘れ思わず中島は声を張り上げたが、大きな格納庫内では音は響かずに通り抜けた。先生の嬉しそうな声だけが中島の頭に響く。

「正気ですよ。ええ、そりゃあもう私はね目の前の「チャンス」をそのままにしておける人間では無い。ああすいません「チャンス」と言う言葉を使いましたけど他意は無いですから、助けるチャンスが有るのにと言う意味でして……」

「ゴタゴタ抜かすな、直ぐ説明に来い!」

「了解しました」

最後は年の差がそのまま出た。形式上「先生」の方が上司に当たるので敬語を使うように心がけているのだが、どうも無茶な要求を突きつけられる事が多くついついムキになってしまう事が多いというか殆どだ。

多分それが俺の操縦法だと確信してやってやがると中島は苦々しさから携帯端末を床に叩き付けたくなった。しかし、それが子供過ぎると分かっている。その時もう一度握った携帯端末が鳴動した。

「なんだ?」

「あのー本当に発進準備だけはお願いしま……」

今度は本当に端末を床に叩き付けた。

プラスチックが砕け散って、中から基盤が剥き出しになった。

「中島さんどうしたんですか?」

「アンドリュー、スケジュールを繰り上げる」

えぇっと駆け寄ろうとしたアンドリューを止めた。

中島が帽子を後ろ向きに被り直すと、アンドリューは直立不動で背筋を伸ばした。中島が帽子を後ろ向きにしたのはスイッチが入った証拠だ。

「「ストラトス2」のパイロットを呼べ、扉を開けろ、今からマニュアルは全て無視だ」

「ノー・マニュアル、ノー・ストップオペレーション?」

疑問を挟もうとしたアンドリューに今度は胸に刺さったボールペンを投げつけた。

それを頭を抱えながら避け、直ぐに作業室に向かった。

ノーマニュル!ノーストップ!と携帯端末に叫びながらアンドリューは全速力で駆けた。

チンタラ歩いていたら、レンチが飛んでくるのは間違いない。ボールペンで助かったと思った。

「ったく遅い、景お前もボサッとしないでさっさと準備をしろ」

「どうしたんですか?」

「お前の学友が軌道上で事故だと」

それで?っという景の顔を見た中島は、ぶっきら棒に言いながら親指を立てる。

「コイツで助けに行くんだと!」

「「フェアリー」で?」

「他にないだろう、直ぐに軌道にあがれるモノなんか……」

「僕が乗っていくんですが?」

「お前が最後のパーツだからな」

目の前の巨大な構造物の周りで音が鳴り始める、沢山の人間が急に動き始めた。

「ちと早まったが行ってくれるか?」

「行きます、行かせてください!」

まだ完全にテストが終わっていない機体での緊急ミッション、普通のパイロットだったら常識的に判断してミッションの中止か、あるいは詳しい説明を求めるだろう。

しかし目の前の少年は一つ返事で搭乗志願した。やけに素直だと中島は感心しなかった、疑い深く、一つ一つ物事を潰していくのがパイロットの正しい資質だと信じる中島にとって、少年の素直さは愚かしいと考えた。

「コイツは届きますかね、彼女の居るところまで?」

普段口数が少ない景がやけに良く喋るのを中島は少し戸惑う。

「俺たちの仕事は完璧だ、ボルト一本、ケーブル一本間違えなく準備出来ている。あとはコイツを動かすソフトウェアが正しく入っていれば完璧に機能する」

中島の言ったソフトウェアはコンピュータ上を走るプログラムのリストだけのことではない。操縦者も、パイロットの資質も含めて最後に飛行機の魂となる部分の事だ。

「あとはお前の意志次第だ」

「じゃあ何も問題ないです」

景は脇に抱えたヘルメットを被ると前に向かって進んだ。X-48「スター・バス」とは誰も呼ばない機体AM-7「フェアリー」へと乗り込むために。

その「フェアリー」を抱え込む個体ロケットブースターAM-5「グングニル」またそれに覆い被さるのは空中発射母艦AM-6「ストラトス2」、全て合わせて低軌道往復人員輸送システム「ユニコーン」、誰が付けたかまたの名を「ユニコーン・クレイブ」。

操縦するのは公立「宇宙学校」二年生の坂井景。故ベーカーの愛弟子にして、近代パイロットに必要な資質全てを兼ね備えた少年だ。

「やけにキッパリ言い切るなあ」

中島は精悍な顔を少しだけ綻ばせた。そうか、このご大層なシステム。人を運ぶだけだというのにやけにゴチャゴチャとしたこのシステムを操り、死の危険と相まみえる為のアイツの理由は案外簡単な所にあるのかも知れないと思った。

少年の決意を無駄にする様な野暮な事はしたくないと、中島は今一度帽子を深く被り直した。

基地の慌ただしさは加速度的に上がって行った。



完全に電力が死んだ機体の内部は真っ暗で静かだった。

既に残留酸素はすべて消費され、音を伝える空気が無いのだから無音なのは承知だが、そう言った理屈以上に静かに感じられる。

(たぶん棺の中ってこんな感じ・・・・・・)

諦めというよりは何処か実感の無い死に対して、「H―4」パイロット、ナナカ・フランドルはシートに身を沈めながら今日の死に至るまでの道程を思い返す。

彼女は大富豪トルステン・フランドルの一人娘として生を受け、何一つ不自由の無い暮らしをして来た。

父が作り上げた巨大企業「クエリ社」は世界中の資源という資源を押さえ、巨大な利益を上げていた。

「どんなに時代が変わろうともそれを作り上げる物は変わらない」

と言うトリステン・フランドルの言葉通り、寡占が進む資源市場に挑んでは奇跡とも呼べるような権益を確保して、市場に穴を開け更なる需要を掘り起こす彼のやり方には賛否は両論あったが瞬く間に世界中の人間が無視の出来ない存在になった。

総資産は国家予算も凌ぐ程になった大富豪の割りに彼の生活は質素で。妻と娘を連れて世界中を飛び回った。

日本人の母とドイツ生まれの父親の間に生まれた彼女は文字通り国際人として生まれ、ナナカは様々な文化の中で暮らしていた。

しかし病気で母が亡くなると、父フランドルとの会話も無くなった。

学校に通ってなかった彼女が(通わなくても最高の教育を逐一受けられたので)ふと航空機の中で見た雑誌に載っていた「宇宙学校」に興味を持ち、入学の手続きを勝手にしたのも父は何も反対しなかった。

「私も好きなようにやったんだ、君も好きなようにすればいい」

放蕩されたとも取れるような言葉と共に、彼女は沖縄に有る様々な冗談を含んで膨れ上がった学校に入学した。

(入学してから一年も立ってないけど、もう十回以上も空に上げさせて貰った、普通の宇宙飛行士では考えられない数のフライト)

あっという間に父親譲りの才覚で、ナナカは「宇宙学校」のトップパイロットになった。

過酷な宇宙環境化でパニックになることもなく、地上から一の指示で十の仕事をこなして行った彼女を誰もが賞賛した。

特に「先生」は大変彼女にほれ込んでいて、直ぐに専用の新素材宇宙服を用意して。オレンジ色で細身の宇宙服は今までの野暮ったいイメージを一新して、ガラス面の多いメットから零れるナナカの作り笑はとってもメディア受けした。

あっという間に世界中にファンを作った彼女は「宇宙学校」で「先生」と並び証される程の存在となった。

(それも今回で終わりか)

宇宙学校仕様の小さな一人乗りのカプセル型宇宙船。素人が見ればテレビモニターが付いた、簡易トイレと勘違いするほど狭い空間にナナカは閉じ込められていた。

そして、後数時間で酸素が無くなり、彼女はこの狭い空間で死を迎えるだけの存在になった。

それでも悲観することも無くナナカ・フランドルはただゆっくりと回転する窓を見ながら外を眺めた。

虚空と言う言葉がこれ以上無いという位似合う漆黒と、眩い青いカーブを携えた地球が交互に現れる。

(不思議、何も怖くない)

強がりでもなく、本心からナナカは沢山の人間が住む筈の惑星を見下ろした。目の前に横たわる巨大な地球はとても静かに見えた。あの惑星には人なんか住んでいなく、ただ水を称えているだけではないのかと夢想して初めて顔に笑顔を作ってみた。

(へんねお父さんは相変わらず世界中を飛び回って、お母さんは大好きだった自分の国で静かに眠っているのに私は全て無かったことにしようとしている)

たった一人、無線機も壊れ世界と断絶した環境で彼女はただひたすらに目の前にある風景を受け止めていた。彼女の明晰な頭脳はもう答えを出していた。どんなに足掻こうとも自分の宇宙船の火は消えて、自分に届く人類の道具は無いことを理解していた。

誰も居ない静かな所に居ると改めて実感すると、ふと二の事が気になった。

母を病気で亡くしたとき、父は初めて一日休暇を取って、ベットの上で冷たくなった母の横でずっと泣いていた。声を上げるわけでも無く、ただ頬に涙を伝わらせただけだった。

自分が死んだら同じように泣くと思うと申し訳なかった。

もう一つはとてもぼんやりとしていてなかなか思い出せなかった。

母の記憶と思ったが、どうやらつい最近らしいことにナナカは気が付いた。

(なんだっけ、凄く大事な事)

ピっと小さな音が鳴った。残量酸素の低下を知らせる音だった。

(青い・・・・・・)

気圧維持装置の能力低下による気温の低下と窮屈な所に長時間収められている緊張感が、強靭な精神を持てどもナナカの体力を奪っていった。疲労感がスーツを満たしていくのを感じながら、ナナカは真っ暗になった船内で唯一持ち込んだ私物、一枚の写真に手を伸ばす。

(そうだ、約束してたんだ私)

クラスメイトと入学式に取った全体写真を見ながら、真ん中に居る自分から一番端に居る生徒に目線を送った。

十数人だがみんな大きな飛行機の前で何処か浮ついた笑顔を浮かべているのに一人だけ呆けた様に空に視線を送っている少年が居た。

彼が入学式に遅刻したために撮影は午後になったのに、悪気もなくカメラから目を反らしていた。その理由が反抗でも何でもなく、ただ学校から飛び上がった飛行機を追っ掛けていたからだという理由に周りは呆れた。

クラスで一番協調性が無く、一心不乱にディスプレイか飛行機どっちかにしか目を向けない男の子。ただ一人ロケットのパイロットでは無く、亡くなったベーカー先生に従事して新しい飛行機を作り上げていた。

問題だらけの飛行機を、ロケットの実習全てすっぽかして「フェアリー」と呼ばれる機体の開発へ心血を注いでいた。

「またこんな所で寝てる、何処でも寝れるのね」

「ああ、君か」

「フェアリー」の翼の上で寝ている景を見つけ、ナナカは声を掛けた。

「順調?」

「うん、まあ」

何度目かの徹夜の為、機体の横にそのまま横になっていた景は気の抜いた返事をした。

「何時飛べるの?」

「もうすぐ」

外装が剥がれた剥き出しの機体を前に、景はそう宣言した。

「僕も宇宙に行く」

「早くロケットに乗ったらいいのに」

「僕は僕の方法で君に追いつく」

景は宇宙学校同期生のトップパイロットに向かってそう宣言した。

「追いつく?私のフライト回数に?」

「コイツが完成すれば直ぐさ」

「楽しみにしてる」

そう言ってナナカは景に毛布を投げて渡した。

なんだか景は恥ずかしくなったのか、毛布に顔を埋める。何時でも直ぐ寝られるといった感じだったので、ナナカは直ぐにその場を立ち去ろうとした。

「もう一つお願いして言い?」

何とナナカは振り返る。

「やっぱいいや」

景はそのまま毛布にくるまった。

「気になる」

ナナカは腰を降ろして景に訴える。

「早く言わないと、このまま翼から落とすよ」

手で触って少し押す動作をする、しかし景の反応は無かった。どうやら落ちるより先に眠りに落ちてしまった。

「また一緒に海に・・・・・・」

行って欲しいと景は告げた。呆気に取られながらも別に構わないとナナカは約束した。

何で海なのか?

何で自分なのか?

何で追いついたらなのか?

どれ一つとっても不思議だが、その約束をしてから唯でさえ手を付けられないくらい没頭していた開発に、さらに景はのめり込んで行ったのは事実。

それはベーカー先生のテスト中の事故を経て頂点へ達し、誰もがその成果に目を見張った。

画期的な宇宙往還機が一七歳の少年の手で飛翔しようとしていた。それを見てただ他人の仕組みに乗っかるだけの自分などは本当に唯の荷物に過ぎない。

全てが最初から与えられために、どうしても何もかもから醒めてしまう自分からみて景はとても羨ましいと想った。

テストの進捗具合を示すグラフを見る旅に、何かが一歩一歩着実に自分に向かってくるのが楽しかった。

(後もう少しだったの?)

ああ初めて自分は地球に残してきたものがあったとナナカは少し悔やんだ。

地球の青さに愛しさを感じながら、彼女は徐々に睡魔と交渉して薄い眠りにつくことにした。



■離床



全長五十メートルの巨大な機体が格納庫から出て離床するまで三十分も掛からなかった。

まるで家のガレージから車を出すような感覚で、特殊な双胴機は滑走路に進み、エンジンの爆音を響かせ大空へと進空した。

巨大なロケットに括り付けられた白い航空機「フェアリー」をぶら下げてゆっくりと空へと階段を昇るように高度を上げていった。

素人目には「ストラトス2」の進み方はとてものんびりしているように見えるのだが、大型輸送機を飛ばしたことのあるパイロットで有ればそれが尋常ではない登り方をしているのに気づく。

事実パイロットの城間祐子の苦労は続いていた。

「まったく、ふざけている!」

隣で悪態を付く城間を横目に副パイロットのジョン・テリーは笑いながら操縦桿を握っていた。

沖縄生まれの長身の城間祐子は昔スチュワーデス、客室乗務員をやっていた事がある。それが様々な事柄を経て、超大型輸送機の正パイロットになっているのを語るにはどこから話して良いのか考えているだけでも滑稽な話だった。

隣に座るジョンの方が元々NASAで大型機を飛ばしていた経験が有る。顔は幼いが太い腕と様々な計器類に細かく目を配る様子が経験と自信を感じさせた。

そんなジョンを押しのける形で、実際はジョンが身を引いたのだが結果的に「ストラトス2」の)パイロットに選ばれた資質は素晴らしいモノだった。

「たまたま燃料が入ってから良かったモノの、状況が分からずにただ出来るからって言う理由だけで飛行機を飛ばすなんて」

城間の悪態に、ジョンは規定の用紙にペンを走らせる。

「まあ小さな可能性に掛けるんだろうこれから?」

「だからって、まだ実際に仕えるかどうか分からない機体を軌道上に打ち上げるなんて前例が無さ過ぎるわ」

「そう言うことが大好きだからな「先生」は」

「良い迷惑」

機体が飛び上がってから始めて城間がジョンの方を振り向いた。

「あの人は本当に小さい可能性も見逃さない、出来ると踏んだら絶対に踏み込む人間だ」

「だからって少しは躊躇するモノよ?」

「さっき躊躇無く滑走路の誘導員を引きそうになった君が言うセリフかい?」

スクランブルの時にまともな誘導も無しで、滑走路を横断した彼女の思いっきりの良さにジョンは賞賛を送った。

「今は一分一秒でも早くでしょ?」

「そう、それだけが大事なことだ」

城間祐子は機体の内側を向いてもう一つ有る胴体の方を見る。

いらなくなったもう一つのコクピットを改造して作られた観測室に居る「先生」を見ながら一つ溜息を付く。

「本当に上手くいくのかしら?」

「さあな」

そればっかりは誰にも分からなかった。多分「先生」でも成功は信じていないのではと二人は思った。

「もしも、あの「ユニコーン」が去年の事故をまた引き起こしたら……」

口にして城間は隣のジョンに気遣いが無さ過ぎたと思った。

あの時、「ユニコーン」の二回目の軌道打ち上げ実験時にこの「ストラトス2」のパイロットを勤めていたのはジョンだった。

「我々は優秀なパイロットを二人も失うことになるね」

冷静に前を見ながらジョンは答えた。

「上に上がったナナカはともかく……」

簡単なスイッチ類の操作をしながら城間は疑問の眼差しをコクピット横にぶら下がるロケットを見下ろす。

「坂井はどうなの?」

殆どミッションのメンバーに選ばれない坂井の評判は一部のメカニックを除いてとても低かった。

「アイツは凄いヤツだぞユウコ」

「何処が?何時でもなんかぼっとしてるように見えるけど?」

「確かに何を考えているか読めないヤツでは有る。けどヤツはあのNASAで一番飛行機のことを知り尽くした男フランク・ベーカー自らにスカウトされた男だ。腕に不足はないだろう」

「あんなボケッとした子供にそんな期待して良いわけ?」

「ハハ、俺たちは子供を飛ばす為だけに仕事してるんだぜ、その子供を信頼しないでどうするんだ」

突然のジョンの高笑いに城間は呆れた。NASAから来たこの人達は本当に今の現状を楽しんで居るみたいだった。そりゃあ予算に縛られ、組織が大きくなりすぎて身動きが取れなくなった中での仕事よりも規模が小さくなったとはいえ、「先生」に許可さえもらえば自由にやらせてくれる此処は天国なんだろう。

「まったく因果だよ」

ジョンは静かに肩を降ろした。

「何度もこうやって挑戦するヤツを送り出して来たけど、まだやらなきゃいけない沢山の事が残っているヤツを危険に曝さないといけないなんてな」

「「先生」はそれを分かっているわけでしょ?」

「アイツは平等主義者だからな、何でも平等に扱う。希望も死も全て平等だと思っている。ユウコ、君だから言うんだがやっぱり俺は女子供がこんな危険な仕事に従事する事を良しとはしないよ」

「判っているよジョン、狂っているって事くらいは」

「いや、おかしくなんかないさ。誰だって空を飛びたいと思うし、宇宙に行きたいと思う。ただ上品なヤツ、自分に正直に慣れないヤツは手段を選んでしまうんだ。たとえば自分が大人だとか、男だからとそれを理由にしてしまうんだ。だから自分を信じて、迷わずやりたいことをやるヤツを俺は羨ましいと思うと同時に怖いとも思う」

「手段を選ばないから?」

そうだなとジョンは城間の先に居る「先生」の方を向く。

「けど今はそれが正しいって事か……選んでいるヒマは無いんだ」

流暢に語るジョンは珍しい。城間はやはりベーカーの事故にジョンが少しナーバスになっていると思った。

それはそうだろう、今女の子がたった一人で軌道上に放りあげられて、その命を危険に曝している。それを助けに行く少年もまたリスクを背負っている。ジョンはそれを見守るしかない「大人の自分」が許せないようだった。

まったくこんな立派な人間を虐めて何が楽しいのかと城間は太い眉をしかめた。隣の展望室で多分ニヤ付いている男を思い出すとやはり自然と腹が立つ。

(そう言えば……)

柔らかい笑顔、いや人を小馬鹿にしたようなあの眼鏡越しに目を極端なくらい細めたあの顔を思い出す。

それ以外の表情は思いつかなかった。あの男の笑顔意外の表情は何一つ思い出せなかった。

やっぱり「先生」悪魔か何かの類だろう、少なくとも友達にはしたくないと城間は思った。

「ユウコ、ポイントに付いた」

「了解」

いよいよ射出のポイントまで駆け上がった事を確認し、「ユニコーン」の射出準備に取りかかった。



この「フェアリー」はガラスをはめ込んだ窓がない。パイロットは全て高性能カメラから流れる映像を、有機ELタイプの高解像度ディスプレイに表示される。

そうすることによってコクピットという空気抵抗を増大させるモノを削除して、空気抵抗を最適化する事が出来た。

反面、テレビゲームじゃないんだからと多くのパイロットに敬遠される原因にもなった。

しかし、ディスプレイの中で飛行機を飛ばし続けた景には何も不安はない。

プライベートコールというメッセージが画面に表示されて、景が簡単にキーを叩くと、何時もの聞き慣れた声がヘルメット内に響いた。

「どうだい調子は?」

「システムチェックは全て終わってます」

先生の軽い声に景は普通に受け答えをした。フェアリーの自己診断プログラムは全て異常なしとモニターに明るいメッセージを表示していた。

「いやあ、そう言うことを聞いている訳じゃないんだ」

笑いながら先生は話を続けた。

「君の心の方だよ」

少し考えて景は喋るのを躊躇した。

「始めて宇宙に行くんだ、緊張するのかい?それともワクワクするのかな?」

まるで修学旅行の引率の先生みたいに、少し見くびった様な言い方で先生は話しかけてきた。

「別に……どうってモノはないです」

「本当に?」

「勿論緊張はしてます」

「ああ、そうだろうね。何てったって目前に死ぬかも知れない危険性をチラ尽かされて緊張しないと言うヤツは馬鹿だからね。うん、よい心構えだよ坂井君」

引っ掛かるような笑い声がスピカーから漏れた。予想通りの反応に喜んでいるようだった。

「いやあね、ほら宇宙はナナカ君が直面しているように常に死の危険と隣り合わせの場所だ。なんと言っても生き物が存在できない場所だ、地上からの距離にしたら対したことはないが、それでも世界で一番遠い場所に君はこれから行くんだよ?誰も助けにこられない孤独な空間だ」

「だから僕が行く」

「そう、彼女は運が良かった。本当に運が良かった」

「たまたまテスト用に燃料満載の君が作り上げた「フェアリー」が有ったからね、助かるチャンスが有った、ホント偶然にね」

やけに態とらしく偶然を強調して「先生」は笑った。

「本当に事故は有ってはいけないことなんだ、だから僕は何時も安全性を最優先にしてロケットをデザインしている」

「じゃあなんで今回事故が起こったんですか?」

「世の中にはね、意外に馬鹿が多いんだよ。君もそう感じることがないかい?」

景はその問いに答えない。

「良いんですかそんな事言って?」

「ああこれは本当にプライベートな回線だから大丈夫だよ、記録してないから。私的な機材の乱用として怒られることはないよ」

そう言う事じゃなくてと言おうと思ったが、それよりも先に「先生」の口が動いた。

「他人がやったことをまるでね自分の手柄のように自慢して歩くヤツっていうのがいてね、自分は何もやっていないのにやった気になっているヤツだ。僕はねそう言う連中が作るモノを信じないんだ。だってそうだろう、そいつは何もやっていないのに自分が何か成し遂げたという空虚な現実感に浸っているだけだ、自分の体に身につけたモノは何一つない。ナナカ君が乗ったロケットは残念ながら僕の言葉を自分のモノと勘違いした連中が駄目にしたロケットだ」

「先生」はキッパリと他の連中を切り捨てた。

「まあ案の定こんな結果になってしまってね、ほんと非情に残念だ」

声が高いのでどうも感情がこもっていないような気がした。

「こんな事態を招いた大人の責任を君たち子供に押しつけるのは本当にどうかと思うが、それでも危険を承知で君はナナカ君を助けてくれるのかい?」

話を聞きながら、景はキーを叩いてカメラをコントロールする。

リクライニングしたシートに寝そべるような形で座りながら、頭を覆うよう左右と頭上に配置されたディスプレイ全面に景色が映し出される。

頭上と左右はロケットと輸送機に囲まれているので、目の前の青い空だけがやけに鮮明に見え、景の頭を覚醒させる。

恩着せがましい先生の言葉も、どこか現実感を欠いていた。

「「先生」質問」

「時間がないから一回だけだよ坂井君」

「先生は事故が起こると知っていてナナカをロケットに乗せたんですか?」

急に静かになった。

景の眼前の雲だけが動く。微かな振動と、ディスプレイに映る様々な数値が小刻みに姿を変えていく。

たった一人のコクピット席でただ前を向く。

そんな景をあざ笑うかのように微かな笑い声が聞こえてきた。最初は抑えて小さく零れるように、それが徐々に忍び笑いになり、最後に一つ手を叩く音がした。

「いやー流石あのベーカーの弟子だけ有って、鋭い洞察力だ恐れ入るよ」

景の言葉は一撃で「先生」の嘘を砕いた。

「大問題だ」

「だから僕は色々とこそくな手を使ってね、君の飛行機のテストスケジュールを早めたりして万が一に備えたわけさ」

「先生」は事故が起こった時の為の緊急措置を取る為に「ユニコーン」の完成を急いだ。どおりで最近予算やらテストの承認が直ぐ降りると思った。

笑い男の影がちらつくなあと中島さんがぼやいていたのを思い出した。

最終大気圏内テストがナナカの乗る宇宙船が軌道上に居る間に設定されたのも、全て先生が仕組んだことだったわけだ。

「その努力を少しでもロケットの方に傾けていれば、こんな事故おこらなかったんじゃないですか?」

「はは、質問は一つだと言っただろ坂井君」

始めて聞く真剣な「先生」の声に改めて「先生」と呼ばれる人間の恐ろしさを知った。

「さあ、舞台は整った。あとは君が助けに行くんだ」

「随分手の込んだ救出劇ですね」

「いやあそれほどではないよ、事実は実に単純さ。その単純な事実の御陰で君は君とベーカーが作り上げたその機体を再び試すことが出来る。そこに不満は無いだろう」

不満は無くても言いたいことはいっぱいあった。しかし、子供っぽい話を聞かされて、大人なっぽくなっていた景は押し黙った。

「先生」

「まだ何か?」

そろそろ射出ポイントに近づいた頃合いだと、「先生」は回線を切ろうとしていた。

「無事に帰ってきたら殴りますね」

「なるほど、それは質問じゃなくてお願いだね。了解した」

簡単に「先生」は頬を差し出すと言った。まるで神様気取りだと、景は苛立ちを抑えきれなくなってきた。

その時ディスプレイに新たなメッセージ。「ストラトス2」のコクピットからだ。

「景? 準備は良い、ポイントに到着した」

「了解」

景は素早く「先生」との交信を切って、城間祐子との通信に切り替えた。

「何時でも行けます」

頼もしい景の言葉に城間は笑みが漏れた。

「どうしたの、随分気合いが入ってるじゃない?」

「「先生」にたっぷり注ぎ込んでもらいました」

「それは随分腹正しい事言われたのね?」

「わかりますか?」

城間は横で会話を聞いてるジョンと顔を合わせて笑った。状況が状況だけに笑っている場合じゃないのだが、何時も何を考えているのか分からない景が妙に憤りを感じていることが頼もしかった。

「最後にハッパでも掛けてやろうかと思ったけど、大丈夫みたいね」

頭上の操作パネルに手を伸ばして城間は打ち上げ最終段階の準備を進める。

「射出シーケンスを開始する」

プラスチックのカバーを跳ね上げて小さなスイッチを押すと、「ストラトス2」と「フェアリー」のパネルに同じ時間が刻まれた。

城間とジョンの操縦桿を握る手に全神経を集中させる。三十トン以上の物体が急に空中で離れる分離という作業は一番危険な時間帯だ。

少しでも「フェアリー」に加速度を上げようと、六発の「ストラトス2」に付いているエンジンは最大出力で稼働していた。巨大な機体は時速一〇〇〇キロを越えて、その全てを絞り出していた。

「フライトコントロールデータチェック」

「データチェック・異常なし」

「生命維持装置チェック」

「生命維持装置異常なし」

簡単にチェック項目を城間が読み上げて、景が確認をしていく。

「「グングニル」APUスタート」

「スタート確認、作動音が聞こえた」

いよいよエンジンに火が入る、もう誰もこの飛翔体を止めることは出来ない。

(本当にさよならだ)

景は伝わる確かな振動に、発射の手応えを感じていた。

パイロット全員が手に最大の神経を集中させる。

「10・9・8・・・」

ジョンのカウントダウンが静かに進行した。

「ゼロ」

「リフト・オフ!」

抱え込んでいた巨大なロケットを切り離し、「ストラトス2」が一瞬浮いたように上向きに動いた。それを城間はミリ単位の操縦桿とフットペダルの操作で機体を落ち着かせる。

そして機体の下から響く鈍い爆発音が直ぐに地鳴りとなって機体を揺さぶった。

グングニル(神の槍)と名付けられた一本の巨大な固体ロケットに火が付いて、大量の煙と赤く眩い光を放ちながら、ほぼ垂直にロケットが空を駆け上っていった。

「頼むよ」

城間とジョンは自然に景とその先に居るナナカの無事を祈った。何時か見た光景、再び悲劇を起こさないでくださいと神に祈った。

「さあどう出るか」

先生は展望室の窓を背に、顎に手を当てながらまた笑みを浮かべて事態の最終段階の成り行きを見守った。

(もしかしたら二つ失うかも知れない)

テレメトリーが全て死んでいる段階で、ナナカが生きているかどうか分からない状況下での救出作戦。既に無駄になっているかも知れない事態に対して、もう一人のパイロットを完全なテストを済ませて居ない機体で救出に向かわせた。

どう考えてもリスクだらけだ。

しかし、この掛けに勝てば先生は大きな収穫を得ることが出来る。

久しぶりに足下から沸き上がり、全体を縛るような興奮と不安が体を支配する。自分の持ち駒をフルに使っての全力ゲームだ。

「先生」は決戦が大好きだ。

自分が使える全てのモノを掻き集めて配置して、自分の目的を達成するために全てを巻き込む。

全てを失うかも知れないが、望むモノ全てが手に入れられる可能性が其処には有る。

決戦は良い。

何故かというと一夜で全てを変えてしまうスピードが其処にはある。

そう時間がない。

「先生」は何が一番大切かと言えば「時間」だと言うこと知っていた。自分が生きている間に人類がたどり着ける場所なんかはたかが知れている。それが我慢ならなかった。

(人間の一生はどうしてこんなにも短いんだろうなベーカー?)

最初にフランク・べーカーに合った頃のことを思い出した。

安いホテルの一室に篭もって熱く新しい宇宙開発のやり方について語り合ったものだ。

「今必要なのは行きたいと思う時に行けることだよ」

熱っぽくフランク・ベーカーはホテルの白い壁一面に公式を書き始めた。打ち上げ、軌道変更時などの機体の動きを現した者だ。

「何時までも宇宙に神秘のベールを被せたままでは駄目なんだよ、誰もが何処からでも宇宙へ行けるシステムが必要だ」

「あー結構上手い方法だね、こんだ僕は面白い組織作るからその時使わせてくれる?」

壁一面にマジックで書かれた仕組みを指さして簡単に「先生」は交渉し始めた。

「良いよ別に持っていって」

べーカーは豊富なアイデアを無償で譲ると「先生」に約束した。

「持って行けってこの壁を?」

先生が軽く薄い壁を叩くと、フランクは笑いながら椅子を持ってきた。

「壁紙だけで良いだろう?」

「そりゃそうだ」

二人で無断で壁紙剥がしてホテルを抜け出した日々を思い出した。

(珍しいね、感傷的になっている)

焦って先に行ってしまった友人の事を想うと先生の顔から始めて笑みが消えた。


「順調に飛行中」

最初に管制室に入った景の言葉は始めてとは思えないくらい落ち着いていた。

管制室はそのまま第一発令所を使用した。

多くのメンバーがH−4のスタッフだが、机には「ユニコーン」のスタッフが陣取る。

指揮所のモニターには黒地に白いラインが引かれた、その上を赤い線が塗りつぶしていく。白いラインが想定された経路で、赤いラインが現在の「フェアリー」の経路。線が重なっている限り「フェアリー」が順調に経路を維持しているかが分かる。

「加速度は現在4・5Gから5Gへ」

「まもなく大気の壁だ」

「了解」

マックスQと呼ばれる分厚い大気の壁にぶち当たる。機体は大きく縦揺れを始めた。

「振動増加中……パラメーターは正常」

状況を伝えるのもパイロットの仕事だ、景は逐一管制塔に自分の語感で感じた全てを伝える。

不気味な篭もるような音が聞こえる。それが分厚い地球を取り巻く大気を「グングニル」が切り裂いている音だと言うことが理屈で分かっていてもどうにもならない。

「こちら「フェアリー」、大気層を抜けて振動は収まった。外部カメラも正常に作動、高度50kmディスプレイに表示されているのは深い濃紺の空です」

「「フェアリー」?X−48「スターバス」じゃないのか?」

お堅い管制官は正式なスペックを唱えた。

「違う、これは「フェアリー」だよ。ベーカー・ラボトリー製AM−7「フェアリー」だ」

玩具にけちを付けられた子供の様に、景は管制官に向かって釘をさす。

「分かった「フェアリー」状況を続けてくれ」

「現在高度70km、「グングニル」燃焼終了まであと二〇秒、メインエンジン点火シーケンス以降ランプ確認」

ディスプレイのメッセージ通りに「フェアリー」に搭載された二機のリニアスパイクエンジンが作動する。

今までとはまた違う振動が景に伝わる。荒々しいコントロールの利かない力とは違う、どこか繊細でゆっくりと優しく包んで押してくれる優しい力だ。

機体の後部に取り付けられたエンジンから紡錘状に配置された三枚の平べったい板の間から勢いよく青色の炎が吹き出される。

三次元ノズルから溢れた推進力が軌道到達までの最後の加速を行う。

エンジンに火が入り完全に「フェアリー」は目覚めた。景の目の前には黒い空が現れる。

ガチャっと言う外れる音がコクピット内に響いた。

「「グングニル」切り離し完了」

側面パネルに後部カメラ映像を映して、景は役割を終えたロケットブースターに別れを告げた。

戦闘機の様にシャープな形の機体が現れ、地球に対して反るように空を進む。

インコネル合金製の最新耐熱材に身を包み、特殊ポリーマーに包まれた軽量複合材タンクから供給される極低温液体水素を燃焼させて大気を突き進む。

(これが「フェアリー」の本当の力だ)

乗っていて景は何も不安を感じなかった、何処までも、何処までも突き進めるような静かで力強い飛翔がシートから伝わってくる。

「メインエンジン良好、現在高度160km、5.5Gで加速中」

完全に丸くなった地平線を見て、景は何か遠いところに来たのを感じた。

(来たよベーカー先生)

もう一度「フェアリー」をこの宇宙に連れてこられた満足感が景を包んだ。

高度はFAI(国際航空連盟)が規定している大気圏と宇宙の境界線である100kmを越えた。

自分が「宇宙飛行士」として始めて認められたと感慨を感じるヒマもなく、薄くなった大気の御陰で「フェアリー」はさらに前へ進む、青々と光る地球を眼下に飛行を続ける。

まだ地球の強い重力との勝負は終わっていない。「フェアリー」のメインエンジンはその鎖を断ち切るために最後の咆吼を続ける。

「高度200km 6.0・・・6.5G、計器全て正常作動」

最後の加速に息苦しさを感じたが、急に何かかが軽くなったのを感じた。

「あ、手が浮かんだ」

「おめでとう、ようこそ宇宙へ」

誰かが軽く手を叩いた、何人かにそれが伝わった後に普段と違うミッションに挑んでいたことを思い出してみな拍手を引っ込めた。

「秒速7.8キロ……加速停止」

景はメインエンジンの噴射が終わったことを確かめた。

「軌道に乗った」

管制室に居る人間全員が、ひとつナナカに近づいた事にホッとした。今、「フェアリー」は始めて地球という暗闇に咲いた青い花を無邪気に飛びながら愛でる「妖精」となった。

(すごく青い……)

ディスプレイ越しでもやはりリアルタイムだと迫力が違った。絶対真空の中を進んでくる光はヘルメットのガラス越しにも何か圧倒的に訴えてくるモノがあった。

「近接噴射に入る」

「了解、データーを」

「現在のH−4の軌道を送る」

景はコクピットの側面パネルに状況を写した。

「最初の想定よりだいぶずれてる」

モニタには薄い線と濃い色の線が描かれていた。濃い色の線のほうが現在のH―4の軌道。円の弧が微妙に地球側へ傾いている。

「何処からかまたガスが漏れているらしい」

「酸素も?」

「そうだ」

(駄目だ!)

景は心の中で悪態を付くと、素早くコクピット全面に仕舞い込まれたフルキーボードを取り出して叩き始めた。最初に想定していた軌道変更プログラムを書き換えの準備をする。

「「フェアリー」何をしている?」

「軌道変更です今のままじゃ間に合わない」

「その場でプログラムを組むのか?」

無茶だと管制官は悲鳴を上げた。

「他に方法は?」

キーボードも打てる特殊軽量手袋の御陰で、宇宙服を着たままでもキーボードが打てる。

宇宙に来たら一人、だれも手を貸してくれない。全て自分で決断を下すしかない。

景は何十通りの様々な軌道を書き出す、そしてどれが一番早くランデブー出来るかを探し始める。

(どれだ、どれが一番良い?)

様々なパラメーターを設定し、一気にフェアリーに搭載されたコンピュータに計算させる。単純な計算能力で考えるとフェアリーに搭載されたコンピュータは一世代前のパソコン並みの性能だ。しかし、派手なグラフィックを動かす必要もない宇宙船の中ではそれで十分だった。

今、ナナカの命を救えるのはこの「フェアリー」に搭載されたコンピュータの力に掛かっている。

「出た!」

現れたリストの一番上の飛行コースを管制室に送る。

「おいおい冗談じゃないぞ・・・・・・」

誰もがいつか見た悪夢を思い出した。

景が送ってきた起動は一度地球の大気にぶつかり、跳ね返るように別の軌道へと変更する形を取っていた。

「大気大気利用軌道変更!」

景が選んだのはベーカーが命を落とした時と同じ道だ。

「無理だ景、こんな無茶な軌道変更前例が無い!」

「こっちの方が断然早い」

「無茶だ」

管制官はヘッドホンを握りしめながらマイクに大音量で反対の意思を伝えた。

「許可なんか出来ないぞ」

「ふざけんな」

怒りともに景は直ぐにキーを叩く。ディスプレイのパラメータの一つがオートからマニュアルへと表示が変わった。

「なんでエントリーコード知っているんだ!?」

H−4の管制官が驚きの声を上げた。エントリーコードとは機体の全てをコントロールする権限。内蔵タイマーの設定から、リニアスパイクエンジンの微調整まで全ての設定を行う事が出来る管理者パスワードだ。

「緊急時対応だ」

「ユニコーン」のスタッフの一人が笑いながら声を掛ける。

「だからってガキに玩具の自爆スイッチ教えるのか?」

「アイツ以上にあの玩具を使いこなせるヤツなんか居ないさ」

地上の喧噪を無視して、さっさと景は軌道変更の準備をした。

「メインエンジンリスタート」

再び火を灯してフェアリーは加速し始める。ディスプレイに映っていた地球が少し傾き始めた。

「そうか機体がロール(回転)している」

簡単にロールスピードをセンサーから拾って、その数値を景は姿勢制御スラスターに送り込む。地球は再び静止して、フェアリーは加速を続ける。

「凄い、操縦桿を使わないで完璧に機体をコントロールした」

「アレが新しいパイロットの姿かも知れないな」

管制室にいる大人は急に老け込んだような気になった。今あの機体をコントロールしているのは操縦桿ではない、景が作り上げたコンピュータプログラムだ。

「やっと来た宇宙だけど・・・・・・」

景は一瞬目を閉じる。

思い出すのは最後の打ち上げの時のベーカー先生の言葉。

「チャレンジしてくる」

無邪気に喜びながら、そのまま空に上ってそこで死んだベーカーの事を思い出すと、不思議と勇気が湧いてきた。

「軌道入力完了、変更開始」

機体からバシッという音とともに各所につけられたノズルから噴射炎が出る。機体は進行方向にメインエンジンのノズルを向けると、何度か噴射を繰り返す。

「減速開始」

今まで上昇を続けていた「フェアリー」のスピードはあっという間に落ちて、高度を下げていった。

「通信途絶」

大気圏突入時のブラックアウト状態になって、景からの通信は途絶えた。管制室には現在位置を示すグラフィックだけが景の存在を知らせている。

「落下スピードが速すぎないか?」

「本当に壁にぶつかるみたいだな」

送られてくる予想軌道図を見ながら司令室のオペレーターが騒ぎ始める。

「ベーカーの時よりきついかもな」

「子供の体で持つのか?」

「こんなことだったらサボらせないでしっかりと基礎体力つけておくんだったな」

司令室に詰めた、「宇宙学校」の先生たちが景の心配をする。いつも体力強化をサボっていた少年にすべてを託している。しかし、ここまで初飛行でよくもあそこまで冷静に対処できるものだと感心していた。

彼の精神はあんなに強靭だったのだろうかと疑問を持ち始めていた。

そんな先生たちとは遠く離れたところに居る景の心中は実にシンプルだった。

「ベーカー先生が作った方法だ」

ベーカーの死後それこそ原因はどこにあるのだろうと景は何度も何度もシミュレーションを検証、実験していた。つまり、誰よりもこの「フェアリー」の大気大気利用軌道変更操作には自信があった。

動きは何度もシミュレーションを重ねた動きと同じだった。これならば大丈夫だと景は確信していた。

しかし、シミュレーションではしばし再現できないものがある。

「うわ!」

突然唸る様な音と共に鈍い音と振動が景を包み始めた。振動はやがて大きなものになり、景はキーボードから手を離した。

(ひどい揺れだ)

地球の大気が乱暴に降りてきた「フェアリー」と衝突する。摩擦で発生した光が機体を包んで輝く。

しかし、そんな光景も景には目に入らない。今まで聴いたこともない様な何かと何かがぶつかり合う音の大合唱の中を、フェアリーは進む。

「先生はこんなところで・・・・・・」

激しく揺れる機体の中で、一瞬脳裏をよぎったのはどこかで見た景色だった。

「波?」

目の前の赤い風景の奥底にあるディープブルーの空間に、景はいつか見た海を重ねた。そして、「フェアリー」はその海の上で秘められたポテンシャルを発揮し始める。

「始まる」

一瞬だが振動が止んで、何か縛られるような振動が止んだ。機体が感じたかすかな躍動感は、ダイレクトに景の体に伝わった。

「跳ねた」

突入各の調整を終えた「フェアリー」は。その期待の形状からもわかるように、滑らかな底面を使って大気の上を擦り、その反動で跳ね回る。

(これがウェーブライダー効果か)

機体が今までとは明らかに違う運動をしていることに景は喜びを覚えた。

地球の分厚い大気の上を滑るように、サーフライドする。通常の飛行機では出来ない「フェアリー」だけ許された特別な飛翔。

まるで地球と戯れるように妖精は地球の表面を嘲笑しながら進む。ステップを踏むような感じで徐々に向きを変え、進行方向を新しい軌道へと切り換えた。

さっきまでの閉塞感とは明らかに違う躍動に景はすっかりはまってしまった。

(先生はきっとこれを感じたかったんだ・・・・・・このうれしくて飛び回る感じで飛ぶ飛行機が欲しくてたまらなかった)

そして軌道変更を終えたときに先生は命を引き取った。

(満足していったんだ)

いつもどんな苦労も笑顔で乗り越えていった先生が、何かに魅入られたように死んで行ったのは何を見たのだろうかとあの日からのずっと心に残る疑問だった。同じ道を進み、見たものの正体が分かり、景は深く腰をシートに押し付けた。

(先生は見たんじゃない、感じた)

そう確信を持って、景は画面を見た。画面にはメインエンジンの再始動を告げるシグナルが灯った。

与力を蓄えていたエンジンが最後の跳躍と合わせて盛大に火を噴く。フェアリーは一気に低軌道まで駆け上り、軌道変更を終了した。

「フェアリー聞こえるか?」

「こちらフェアリー、軌道変更完了」

景の宣言にまた静かに管制室は沸いた。

「よくやった」

「そうです、「フェアリー」は完璧に飛んでくれました」

「君のプログラムのお蔭だろ?」

「違う、ベーカー先生のチカラ。僕はただ指示しただけ」

謙遜でもなく景の本心だった。

この自分が操る期待の全てが先生の意思で出来ている、それが今始めて疎ましいものから愛しいものへと景の中で変わる。

(ありがとうございました)

ベーカー先生に教わったのはたった一つだけだった。

空の飛び方だけを教えてくれた先生に景はやっと感謝の言葉が言えた。

それが嬉しくて一瞬下を向いていた景に、ディスプレイは次の目標を知らせた。

「レダーに反応、H−4を発見」

管制室にどよめきが起こった。

「カメラを最大望遠にする」

「フェアリー」が撮影した映像は直ぐにデジタル変換され、地上の管制室に表示された。

「これは酷い」

誰もがあぁと落胆の声を漏らした。

「右側外装が完璧に剥がれている」

「デブリも酷い」

沢山の壊れた部品と一緒にH−4は複雑な回転をして宇宙を漂っていた。予想していたよりも最悪の状態に誰もが顔に手を当てた。

「ランデブーの準備をします」

「おいどうやって、相手は完全に回転軸がむちゃくちゃになって居るんだぞ」

テレメトリーも壊れてH−4の宇宙船カプセルはナナカを抱えたまま複雑な回転をしていた。一つの軸を中心にロールを行っているのではなく、縦の回転モーメントまで加わっていた。まるで缶が地面を転がり、縦に跳ねながら飛んでいると言えばよいのだろうか?

無重力下の軌道上だから出来る動き、大気などが無いので一度加わった力はそのままずっと動き続ける。

スペースシャトルのように工作アームでも持っていればキャプチャー出来るだろうが、人員輸送船の「フェアリー」にはそんなモノは付いていない。下手に近づいてもカプセルの回転にはじき飛ばされるかも知れない危険性が有った。

「そんなの簡単」

カメラに保存していたデータをメイン画面に呼び出して、景はその画像の再生スピードを変える。

スローモーションに動くH−4を見ながら、その画像を数枚静止映像としてキャプチャーする。画像編集ソフトを立ち上げて、それらの映像を重ね合わせると毎秒回転速度を割り出した。

「毎秒回転速度三十五度、ピッチ各毎秒二十五度」

簡単にナナカの乗る宇宙船の回転速度を割り出すと、景は静かに近付いて行った。

「制御スラスター始動」

何回か細かい噴射を繰り返すとフェアリーは簡単に己の身を翻し、H−4カプセルに対してダンスを踊るように同じステップで回り始めた。

「ビンゴ!」

管制室からどよめきが起こる。誰も手が届かなかった、見えなかったナナカの宇宙船に始めて手が届く距離まで来た。

「これから船外活動にて救出を試みます」

「慎重にな」

景はシートを倒して後部座席を通って小さな斜め上方に付いた扉に手を掛ける。

その扉の向こうは本当の宇宙だった。

エアロックを外して扉を開ける。飛行機の背中から這い出ると、目の前に広がるのは特大のパノラマ。

(これが……)

目の前に飛び込んでくるのは海よりも広い空間、ただ広いスペース。

そして、小さな宇宙船が目の前でその無惨な姿を曝していた。

「おい、景命綱を用意しろ」

腰のフックにワイヤーを付けて、次に機体の扉内側にあるフックにもフックを付ける。

係留けいりゅう完了」

フックがしっかり掛かっているのを確認すると、景は頭上のH−4を見上げる。距離にして10メートルあるかないかぐらい。真空の宇宙なのでどうも距離感が狂う。

(いくぞ)

グッと足に力を入れて、機体を蹴ってナナカの宇宙船へと進む何も捕まるモノがない、無重力状態を真っ直ぐに進む。

近づいて見るとH−4の破損状態は酷かった、来るまでは信じたく無かったが果たして本当にナナカは生きているのだろうか?

景は手を伸ばし、宇宙船へ接触する。

「H−4に付いた」

景の通信を誰もが固唾を飲んで見守る。

H−4のコクピットには普通の窓が付いている、其処から覗き込むと横たわるナナカの姿が有った。

「ナナカ!」

エアロックを外し、狭いコクピットに入り込む。

薄暗い室内は不気味な程静かだった、何もかもが静止して静寂な空気をまといナナカはシートに横たわっていた。

「冗談じゃない」

何時かのベーカーの姿を思い出して、景はナナカの肩に手を掛けた。ヘルメットとヘルメットを近づけて、顔を覗き込む。

薄い光が差し込んでヘルメットの中、ナナカの顔は目を閉じて穏やかな眠りについていた。

「やっと」

何時かの海で見た力無く波に横たわる姿、静かに風を感じていた横顔が其処にある。

「追いついたのに……」

ガラス越しの再会、久しぶりに真っ正面から見た彼女の顔は綺麗だった。

「景!」

管制室から通信が入る。

「何やってるテレメトリーを繋げ!」

「ハイ」

慌てて景は背中のバックパックからコードを引っ張って、ナナカの腰の部分に有る同じ接続端子にコードを差し込む。

「接続完了」

「データを受信した……感度良好……生きている……」

「えっ!」

景はヘルメットのスピーカに耳を澄ませる。

「生きているぞ!」

管制官の声越しに色々な歓声の声が重なり合って景に伝わる。

「大丈夫、テレメトリー道理なら命に別状は無いはずだ」

「分かった、今度は信じる」

自分でも都合が良いと想った。飛行機の動き、宇宙船の動きはディスプレイが表示する数字を信用するのに、生きていると言うことだけは自分の目で、身体で触らないと信じられなかった。

「ナナカ、ナナカ」

有線ケーブルで直接通信を試みた。

「聞こえる?」

ヘルメットで何度もナナカのヘルメットを小突く。コンコンという音が景にも伝わる。

「誰?」

始めてナナカの瞳が開いた。

「僕だ、同じクラスの坂井景」

「景?」

まだ少し眠そうな声。

「どうやって……ああ貴方の飛行機が完成したんだ」

冷静にナナカは景が此処に居る理由を思いついた。

「助けに来た」

「ありがとう、景」

抱き合える広さも無いこの空間で二人は目線を重ねる。それで十分だった。時間にしては数十秒かも知れないが、海で始めて有った時よりも長い時間を共有している気がした。

二人の目には感動の涙も、悲観に暮れた跡も無い。

景は身体を引いて手を伸ばす。我に返ったナナカもその手を握りシートから腰を浮かした。

手を引いてナナカを機体から引っ張り出す。

「綺麗な宇宙船ね」

真っ黒な景色に浮かぶ、始めて見る白い機体「フェアリー」をナナカは賞賛した。

「たまには翼が付いた機体で帰るのも楽しいよ、さあ行こう」

二人でH−4のカプセルを蹴って、「フェアリー」へと向かった。

「管制室、聞こえますか?」

「良く聞こえるよ景」

「救出ミッション完了、これより帰還します」

景の作戦終了の声に今度は万雷の拍手が起こった。



■帰還


「船内気圧確認」

メータをチェックして、コクピット内に空気が満ちているのを確認する。滑り込んだ「フェアリー」のコクピットで始めてヘルメットを脱ぐ。

「大丈夫?」

「ええ、ちょっと緊張したのか疲労があるけど」

通信も電気も切れた船内に数時間閉じこめられて「ちょっと緊張した」は無いと景は想った。

「大変だったねとか言ったら怒る?」

「なんで?」

「そんなの当たり前だからさ」

宇宙に一人取り残され助けに来る可能性は無くて、あと数時間酸素が来るまでの孤独な時間を過ごさなければ行けなかった事を考えると大変で済まされない筈だ。

「ううん別に、正直言えばヒマだったわ」

「ヒマ?」

「通信機器も壊れて、推進機器も壊れたら私はどうやって軌道変更を行って地球に帰還すればいいのか思いつかなかった。ミッションも当然中止だし、やることが無くてね。死ぬまでヒマと思った」

「死ぬまでヒマ……」

「勿論、思っただけで内心は怖かった……多分」

か細い声が空気を伝わって景の耳に届く。

「けどどっかで何となくこんな事になるような気がしてた」

「こんな事って?」

「貴方に追いつかれる」

「僕は別に……」

「さっき追いついたって言ったよね」

「聞こえてたのか?」

「通信の受信は常にON」

ナナカは宇宙飛行士の原則を示した。

「だったら早く目を開けてくれれば良いのに」

「どうにも現実感が無くてね、なんかこのままでも良いと私は思っていたのかも」

「本当に身体大丈夫、どっか怪我は?」

「大丈夫、ごめんなさい心配を掛けて」

「別に」

狭い船内では良く顔が見えない。大人一人分のコクピットを改造して子供二人分の席を作った船内は窮屈で身動きが取れない。背中越しに声を聞いていると何だか景は不安になった。

「話の続きだけど……ずっと外を見ていると何だかやっと一人に成れたって思った。ああ私は此処に来たかったんだって、ここで終われば良いんだってね」

普段はミッション遂行のための準備やら地上との交信など軌道上は多忙なことが多い、こんなに一人に成れたのは久しぶりだった。

「私の家が裕福なのは知ってるでしょ?」

景は答えなかった。

「何処に行ってもいろんな人が私達家族に近付いて来るの、お母さん、お父さんは必死で家族を私を守ろうとしたけどいろんな人がいろんな事を言って来る」

構わずナナカは話を続けた。

「裕福と言ってもそれが全てじゃない、確かに好きなモノは買えたし、暖かい家の中で寝ていることは出来た。けど、御陰でいろんな人達から逃げるような生活を続ける様になった。世界中の文化を体験とかビジネスで忙しいからってのは表向きの理由で、私達家族は世界中を転々としていろんな人からの関係から逃げていたの、元々父も母も社交とは距離を置きたがった人だから」

彼女の父が有名な会社のトップとしてなかなかメディアに露出しない理由はそういうところにあった。それに、偏った富は人々から羨望と同時に妬みや収奪の理由を与えることになる。

「誘拐犯やテロリスト、環境保護団体、慈善団体その他諸々から逃げる生活を続けたの。それが多分病気がちだった母に負担を掛けたのね……正直父も限界だったと思ったの」

「だから宇宙学校なんて所に来たの」

「此処まで来れば……」

ナナカは側面に付けられたパネルを覗き込むと月が映っていた。灰色の衛星はとても小さかったが、孤独な美しさを感じさせた。

「誰も追いついてこれないってね思ったら急に心も体も軽くなった」

「死ぬつもりだったの?」

「それは出来ないの、私にはその選択肢は無い」

ナナカはもう一つの地球のボンヤリとした明かりを見る。夜の部分では人々の生活の明かりが見えた。無数の明かり、一つ一つに意味があるのだと考えると何故か胸が詰まった。

「全てを与えてくれた、お父さんとお母さんに対する裏切りになってしまうから。それだけは出来ない。だから私は最後まで、酸素が切れるまで生きていこうと思った」

景は後ろを振り向けなかった。

多分見ては行けないんだろうと、心に決めて決して振り向かなかった。

「そこで絶望しないんだから対したもんだよ。やっぱり君は強い、トップを行く人間だ。僕は……追いつくので精一杯だ」

景の言葉にナナカは再び目を閉じた。

「そう、何処にも逃げ道は無いのね。自分一人だけ遠いところになんて幻想なだけ。これだけ遠くに来て離れても追いつかれる。神様じゃないんだから、遠いところに一人だけ存在する事なんて人間には許されないのね」

一つ彼女は諦める。世界が何処かで誰かと繋がっていて、それを断ち切る方法は一つしかない。

「僕は前に立つことは出来ない、遠くにあるとつい追いかけたくなるけど」

「景はずっと私を追いかけてくるの?」

「追いつくのは結構得意だ」

「あそこまで逃げても」

ナナカは腕を伸ばして景の横にあるディスプレイを指さした。真ん中には月が映っている。

「追いつくよ、まあもう少し手加減してくれても良いけど」

「私は先往く」

「僕は追いつく」

景は横に伸びたナナカの手の平に自分の手を重ねてみた。ナナカの手の平が開いて景の手を受け止める。

指は絡まって一つに繋がった。

「帰還シーケンスへ移行する、管制室と通信を再開するからチャンネル開いてくれる」

「了解」

二人は手を解き、キーボードに指を走らせた。

「フェアリー」はゆっくりと地表に舞い戻る準備をした。まるで空に後ろ髪を引かれる如く、余韻を楽しむようにゆっくりと大気圏に突入した。



「降着装置が降りない?」

「ストラトス2」から降りて、滑走路脇で状況を聞いた「先生」は新しく現れたトラブルに苦笑した。

「それでパイロットはどうするって?」

「海上に着水すると言っていますが……」

「ああ懸命な判断だね、じゃあその準備を」

「えっそんな簡単に許可して良いんですか?」

「はは、君許可だなんてアレを操縦しているのは坂井君なんだから、彼がそうすると言ったらそうしかならないんだよ」

簡単に交信を切って先生は溜息を付いた。

「だから飛行機は嫌いなんだ、コントロールが利かないから」

翼があると、フラフラと行きたいところへ行ってしまう。先生は自分の思い通りに行かないモノはあまり好きではなかった。

また通信端末が鳴る。

めんどくさそうに「先生」は端末に出る。

「ハイハイ今度は何だい?」

「忙しいところ済まないが、状況を知りたくてね」

声の主はやけに落ち付いていた。

「これはこれは、わざわざスミマセン。いや、あの失礼しましたちょっと立て込んでいまして」

「そうだろうけど、申し訳ないがすこし情報が不足しているのでね。失礼ながら君に直接連絡した」

「いえいえ、此方こそ情報提供が遅れまして申し訳ございません」

先生が何時も低姿勢なのにこれ以上ないと言うくらい低姿勢で腰を折って地面にお辞儀して応対した。

「今どちらですか?」

「東京の会議室だ。会議が休息になってね」

「そうですか、相変わらず多忙ですね」

「それを察してくれると有り難いのだが?」

「あっどうもスミマセン、久しぶりだったモノですから」

「君が私の端末に連絡をくれた時は、真っ先に用件を述べたのを覚えているよ」

「いやだなあ、そんな恥ずかしいこと覚えていないでくださいよ」

先生は本当に照れているようで、盛んに頭を掻いて何やら空を見たり、地面にお辞儀をしたりしている。

「えっとですね、状況としてはですね概ね順調ですよ」

「概ねというと?」

「ああ、最後ですねちょっと問題が起きましてね。いや、ホントお嬢さんを危険にさらす事にはならないんですがね」

「やはり報告通り降着装置が動かないんだね」

「いやー恐れ入ります。まいったなあー流石ですね」

芝居がかった「先生」の口調に感情を抑えて電話の主、ナナカ・フランドルの父、トルステン・フランドルは現状の最新データを求めた。

「詳しく無くても良いから正確なことを教えてくれないかい。別に高くはないが、まあ情報の対価としてはそれなりの取引を君とはしている筈だよ?」

「仰るとおりです。トルステンさんの援助がなかったら今回の救出劇はまあ不可能だったでしょうね」

「君の言うとおりになって良かったかね」

「いや、お嬢さんの命を危険に曝してしまってまったく申し訳ございませんハイ。事前に阻止が出来れば良かったんですけどね。私にはその力が有りませんで」

「私の電話番号を知っている君に力がないなんて随分と謙遜するね。いやこの場合は私の傲慢かな?」

「いや仰るとおりですよ。ああ仰るとおりというのはですね……」

「報告を」

有無を言わさない語気に「先生」はまた笑った。声だけは真剣に、真意に答えた。

「現在パイロットの判断で海上に胴体着陸を行います。回収チームは既に空中待機しています」

「大丈夫なのか?」

「パイロットの技量は十分です」

「十七歳の少年が?」

「フライト時間はその変の軍隊よりは多いくらいです」

「そんな報告は受けてはいないが」

「フライトシュミレーターやコンピュータゲームの時間を入れて数えないですからね」

「なぜ君はそんな時間を入れるのだい?」

「あの「フェアリー」に関しては、原理はゲームとかシュミレータと何一つ変わりませんから」

「随分人の命を預かる機械にしてはお粗末だな」

「その変わり電気信号が伝わる先の機器に金をケチった事は一度もありません。彼ら若いパイロットの意志を現実たらしめる部分に手を抜くスタッフは揃えていません。今回の最後の失敗はまあ許容範囲です」

「つまり?」

「お嬢さんの命は大丈夫ですよ、お父さん」

病室で泣き叫ぶ家族に声を掛ける医者のように「先生」は理性で制御しきった声で語りかけた。

周りが騒がしくなって来た。誰かが空に黒い点を見つけて叫んだ。

「「フェアリー」だ!」

誰もスターバスともAM-7とはもう言わない。

「帰ってきたみたいですね」

トルステン・フランドルからの返答は無い。どうやら納得はしたみたいだ。

「また何かあったら連絡をくれないか?」

「はい、ありがとうございました」

「本当は着信拒否をしたいところだが……こればっかりはどうしようもない」

「はは、確かに。僕は貴方のお嬢さんの入学願書見た時狂喜乱舞しました」

ああこの男のことだから本当に踊ったのだろうなあとフランドルは思った。事実「先生」は願書にプリントされた写真にキスをした。

「大変ですねお父さんは、影で見守ることしかできない」

「その方がやり甲斐があるさ」

自分の娘にプレゼント出来る数少ない自由を大事にしたかった。「先生」は聡明すぎるのもどうかと思った。もちろん口には出さない。

「まあ今度は月の石でもプレゼントしますよ」

「そんなものケープカナベラルで売っているだろう?」

「いやトン単位ですよ?」

「期待しないで待っている」

ブツッとそこで一方的に通信は切れた。

「はは、こっちは本気なのに……」

「先生」のブツクサ言う声を掻き消して、ヘリコプターが近付いて来た。

「「先生」乗りますか?」

声は聞こえるはずが無いが、手招きしているスタッフに先生は駆け寄る。

さあ、自分の切り札達を迎えに行こう。また先生は楽しくなって、顔に笑顔を作った。



「降下速度一八〇km」

「速くない?」

「大丈夫、舌を噛まないように」

ディスプレイに映る「沖縄基地」滑走路の進入方向は通常とは逆の陸から海側に向かって行う。何度も着陸しているので風の流れなどは大体わかっているが、今回は初めての胴体着陸だ。

「操縦桿は?」

「さっきからテンキーしか使ってない」

「大丈夫?」

「こっちの方が慣れてる」

微妙な操作を要求される着陸を、二〇トン以上有る機体をキーボード操作だけで着陸させようというのは理屈としては分かっていてもやはり怖い。

「シュミレータで海上への胴体着陸ってやったこと有るの?」

「ベーカー先生が作ったプログラムに有ったから作ってみたことがある」

「それで」

「失敗した。上手く着陸角度は取れたんだけど、機体が思ったよりダメージ受けて中折れした。あげくに残燃料に引火して炎上爆発した」

「だから基地に行かないの?」

「リフティングボディーだから普通の飛行機より滑るんだ。海の方が広いよ」

機体全体が橇のようなものだ、空気の上を滑るように出来ているので下面に突起物がない。

「脱出装置で出た方が良いんじゃない?」

「なるべくこのまま持って帰りたい、それと海に着陸するのは実はちょっとやりたいことがあって……」

「分かったもう聞かない」

ドスッとシートに身体を押しつけ、ナナカは腕を組んだ。

「この子は貴方の飛行機だもの、あなたが好きにすればいい」

「ありがとう」

ヘッドホンを掛け直して、景はキーボードに幾つかの命令を打ち込んだ。

「管制室これから胴体着陸を試みる」

「フェアリー」の黒い下面が地上の誰からも確かめられた。綺麗な着陸姿勢で、フラフラとする事もなく、ゆっくりと滑走路に進入してくる。

「おい、ちょっと高度が高くないか?」

「まさか故障か?」

事情が分からない一般市民などは、街から見ながら誰もが不思議がった。

基地にいる様々な人間達はそのまま滑走路をパスして直ぐ先にある海岸線を越えて海に不時着するのを知っていたので余り騒がない。

「ったく、たいした整備だよ」

戻ってきた城間祐子がアンドリューを捕まえて、胸倉を掴んでいた。

「いや、幾らスクランブルとはいえランディングギアの所は一番チェックしてるし、手なんか抜いてないよ」

「じゃあ実際この事故はどう説明するんだ!!」

「ゴメンナサイ」

ロシア人も手を合わせて謝るのかと城間の隣に居たジョンは感心した。

「それくれいにしねーか嬢ちゃん」

中島が出て来て、城間の肩に手を当てた。

「けど、ジマさんこれは酷いよ折角大仕事やったのにあの子達をまた不安がらせる事に……」

「嬢ちゃんこれは言い訳じゃないんだが聞いてくれるか?」

中島は帽子の鍔を持って目深く被り直した。

「そこのアンドリューの言うように、俺たちの整備は間違っていない、今チェックリストを見てきた、昨日までの整備は完璧だった」

「だから!」

「俺が言えるのは一つ、機体は完璧だ。後はパイロットの意志に任せられるんだ」

「じゃあジマさんは……」

「まあケジメをつけてえんじゃねえか、ケジメをよ」

来たぞっと誰かが大きな声で叫んだ、ゆっくり滑走路に進入してきた「フェアリー」は悠然とその前を通り過ぎようとした。そしてNo.10格納庫の前で軽くバンクを振った。

完璧な機動に誰もが手を挙げて応えた。

「はは、ジマさん、アンドリュー疑って悪かった」

城間は「フェアリー」の動きを見て、整備不良が嘘だと知った。

気にしないよと声に出そうとしても咳き込んで声が出て来ないアンドリューと、帽子を取って海岸の方を向くジマさんに祐子は謝った。

基地の誰もが最後の最後で神様が間違えないようにと、白と黒の妖精を見送る。

「着水する」

低い高度で海岸線に出た「フェアリー」はフワリと海面に着水した。そしてゆっくりと数度跳ねスピードを殺す。

「三回くらいかな?」

景はリズミカルにキーを叩き、タイミング良く昇降舵を操作して機体がひっくり返らないように制御した。

三度目の跳躍の後、遂に「フェアリー」は秒速7.8kmの世界から蓄えてきた運動エネルギーを使い果たした。

「終わった」

景はゆっくり溜息を付いた。

「なにしてんの!?」

素早くナナカは後部ハッチを開けて、景のシートをリクライニングさせる。襟首を掴んで無理矢理外に引っ張り出した。

「僕が引っ張り出した時はもう少し丁寧にやった」

「時間がないでしょ」

ナナカが開けたハッチから濃密な海の臭いがした。肌に刺す南国の日射しが眩しくて思わず怯んだ。

(帰ってきた……)

時間にすれば一日もたっていないのだが、何年も留守にしていた気分だ。

しかし感傷に浸っている場合じゃなかった。

不時着用キットなんて気の利いたモノはこの「フェアリー」には付いていなかった。速く海に飛び込まないと、エンジンなどに水が進入して機体が沈んでしまう。

「景?」

「エアロックを閉めるよ」

「早く海へ!」

「一つだけ君に黙っていたことがあった」

「何?」

機体がエンジンの方から海に沈み始めた。

「俺泳げないんだ」

だからどうしたとナナカは景の腕をグイッと引っ張って海に飛び込んだ。

「ちょっと暴れないで」

「不味い、不味いって!」

「何で海に着水なんかしたのよ!」

「基地の近くで他に場所なんか無いよ」

沈みそうな景を必死にナナカは背中に回り込んで景を落ち着かせようとした。

「ああ「フェアリー」が……」

水を少しだけ飲みながら、景は沈み往く機体を見た。

最後に「フェアリー」の機首が空を指した、まだ飛べるよとでも言いたげだった。

(ご免なさいベーカー先生、ちょっとだけアイツを休ませます)

海に沈んだ機体にしばしの別れを告げると、上からヘリの爆音が近付いて来た。

自衛隊からお下がりをもらった救難機使用のUH60−1から救命具が付いたワイヤーが降りてくる。

ナナカがキャッチすると上手く自分と景に浮き輪を通した。

上に居る人間に上げてと手で指示をすると。ワイヤーが巻き上げられて、ヘリの中に収容された。

上で待機していた人に補助されて、機内に拾い上げられると待っていたのは「先生」だった。

「やあ」

景とナナカに向かって何時もの笑顔を浮かべた。

景は頭の中ではやることは決まっていたが身体は動かなかった。

海から上がってきたばかりで、身体が重い。それでも動かなくては行けなかった。

しかし、顔を上げると自分より早くナナカが立ち上がって、右手の拳を渾身の力で「先生」の顔に叩き付ける。

ヘリの反対側の壁に叩き付けられた先生は、眼鏡も取れて壁に寄りかかるように倒れた。

「今度あんなロケットに乗せたらこれだけで済ませない!」

ナナカがキッパリ言い切る。

ヘリのパイロットも救助員も誰もが呆気にとられたが、一番惚けていたのは景だった。

手首を数回振った後、ナナカは顔を景に近づける。

「右の頬を残しといたけど?」

「いや」

景は首を振って答えた。

「ありがとう、もう良いよ」

「これがやりたかったんだよね」

「うん、まあ意味がないんだろうけどね」

たぶん「先生」はノコノコと最初に僕らに会いに来る。その為に態と降着装置の故障を装って、不時着して一目の付かない所を選んだ。

冷静に考えれば、あとで人の居ない所で殴れば良かったんだろうけど、それでは意味がないと思った。命を翻弄した張本人に何かしないと気が済まなかった。

「意思表示は大事」

優しく笑うナナカの表情と、グッタリと倒れる「先生」を見て何とも複雑な気持ちになった。まあ、とにかく全て終わった事は理解は出来た。

「終わった」

「長かった」

「これからの方がまだ長いよね」

ナナカと景は二人で肩を寄せ合う。空調機器から出て来た風とは違う、重い大気が気持ち良く身体を包みこんで騒がしいヘリの音も気にせずに眠りに付く。


その後二人はヘリで検査のため提携先の大学病院に直接搬送された。英雄の帰還シーンを取ろうと待ちかまえていたマスコミは不満を漏らしたが、基地の多くのスタッフは無事で何よりと誰もが事態の成り行きに納得していた。

ただ一つ、なぜ「先生」が病院送りになったのかだけが謎だったが、直ぐにみんな忘れた。



■終わり


夕凪を漂いながら二人は肩を並べて歩いた。

久しぶりに見る海岸は、何時もと変わらない色と景色。波の音も優しくて、同じリズムで砂の上を進んでいる。

カーキーのジャケットを着ている坂井景と黄色いウィンドブレーカにスカート姿のナナカ・フランドルは何時かの約束を果たしていた。

「何だか慌ただしかった」

「そうね」

「やっとゆっくり出来るのかな?」

「溜まっている課題を一から片付けていかなくちゃ」

「そうか、そうだよなウチの学校が特別扱いはしてくれないよな」

一週間ぶりに帰った寮の机の上に、ごちゃっと資料が置かれていた事を思い出した。

「大丈夫だった?」

「何が?」

「事故調査委員会で色々聞かれたんでしょ?」

「あったことをそのまま言えば良いだけだから、別にどうって事は無い。ただ拘束時間が長かったから、それだけが疲れたかな」

「景は?」

「僕は中島さんとかに謝った」

降着装置故障を偽装した件で中島達も責任を取らされる所だった、先に中島達整備班には正直に言った方がよいと思った。

「何て言ってた?」

「バカヤロウって怒られた後、良くやったって誉められた」

「あの人らしい」

「みんなちゃんと仕事してくれたのに本当に悪い事したよ、もう絶対やらない」

「そうね、ただ人を殴るために飛行機を海に沈めたなんてね」

「殴ったのは君だろ?」

自分の横にいるナナカの細い肩から流れるように伸びる細い腕を見て、何処にあんな力があるのだろうかと思った。

「人を殴ったのは初めてだったから、手加減の仕方が分からなかったの」

「他のモノを殴ったことがあるの?」

「無いわ」

「そうか、良かった」

「何が?」

「何時もああだったらこうやって隣に居るだけで結構怖い」

心外だといった感じでナナカは腕を組む、その姿に景はから笑いを浮かべた。

「何時殴ろうと決めたの?」

「あの「先生」の顔を見た時ね」

「ムカ付いた?」

「そう言う感情より、なんか全て繋がったような気がした」

ナナカは帰還を果たした時、最初に迎えに来た「先生」の顔を再び思い出した。

「ご苦労様って感じで、全て自分の思い通りにいったよって感じの笑顔。それでああ私は利用されたんだと」

「先生に?」

「景は知ってたの」

「うん、まあ何となく」

「凄いね」

直接「先生」から聞いたとは言えなかった。

「これで先生は「H−4」に関わったスタッフを交代させる理由が出来た、ふくれあがって自分がコントロール出来なくなった部分にメスを入れられる」

節操なくこれはもう行われ始めている。前理事長の「勇退」後の新しい理事長も決まり、設計スタッフも新たなコンセプトモデルを設計し始めるということだ。

「更に空中発射母機からの二段式宇宙往還機による有人宇宙飛行の推進、アメリカのシャトルに比べて一〇分の一以下のコストで人を軌道上まで運べるシステムを私達「宇宙学校」は手に入れた。これで新しい衛星の商業利用が始まるわ」

「革命だ」

「そうねパラダイムシフト(歴史的転換)が起こるのね」

「先生」が考えている仕組みはこうだ、大量の荷物は大型の単段式ロケット「カーゴ(貨物船)」システムを用いて打ち上げる。理屈としては旅行者が荷物を先に預け、後で手荷物だけ持ってやってくる方式に変えるのだ。

アメリカで運営されているスペースシャトルのように、何でも一度に持っていこうとすると色々と準備が重なって煩雑になる。

ましてや宇宙では人の命が一番高価なものだ(人一人の命を保証するシステムは、危険な宇宙環境ではそれこそ無限のバックアップが必要になる)。

人員の打ち上げは地球上何処からでも打ち上げられ着陸出来る「フェアリー」のような往還機を使う。

荷物は大きな「鞄」に入れて、先に打ち上げ待ってもらう。

何でも地面に立てて並べて、宗教儀式のようにお祭り気分で打ち上げられる非日常的な「トーテムズ(トーテムポールを囲む人々)」を打ち倒し、効率第一主義の経済活動に宇宙を取り込もうという構想だ・

「あの人はなんでもやってしまう」

なんだか世界が一人の人間の「思いつき」で急に動き出した様な気がした。

「そう、その為に自分だけじゃなくて貴方や私のお父さんが利用されたと分かったらどうしても感情を抑えきれなかった」

何か身体の中に嫌なモノを埋め込まれたかのように、胸に手を当ててナナカは顔をしかめた。

「君のお父さん?」

「私のお父さんの会社から資金が学校に流れているわ。私があの「H−4」に搭乗が決まった時からね」

「幾らぐらいって聞くのはバカなんだろうね?」

宇宙開発にとって億単位の金なんか直ぐに吹っ飛んでしまう。多分単位は一桁、下手すれば二桁くらい上の額が動いたのかも知れない。

「会社としての決定だけど、多分「私」っていうカードがあって使わない人じゃないもの「先生」は」

ナナカは自分が知らない所で取引の材料にされているのが我慢ならなかった。

「あの人はそうやって何でも使って自分の夢を実現させる気ね。ああ違う、あの「先生」に取って宇宙開発は夢じゃない。実現させるべき現実なのね」

「夢も希望もない」

「そう、彼のスケジュールは多分死ぬまで一杯ね」

そして多分自分も隣に居る景もそのスケジュール表に従って動かされるのだろうとナナカは思った。

「ナナカ、一つ聞いて良い?」

足を止めて景はナナカに質問する。やけに感情を押し殺した真剣な目に、ナナカは腕を後ろに回す。

「一つだけなら」

どっかであったシチュエーションに景は首を傾げたが。直ぐに質問に切り替えた。

「学校辞めるの?」

「何で?」

「さっきから話を聞いているとさ、何となくそんな気がした」

突然ナナカは笑い始めた、唇を塞ぐように手を当てて腹を抱えて笑い出す。

「俺、おかしな事言った?」

「そうか、そうだよねその手があった」

「何?」

「「先生」のスケジュールから離れる方法が一つあったね。そう学校を辞めればね、あの人の玩具箱から抜け出せばもう好きにはさせられなくなるね」

始めて見るナナカの晴れやかな顔。まるで別人の様に目を輝かせ、今にもクルクルと回って踊り始めそうだった。

「何か不味いこと言った」

「何が?」

「辞めるとか考えていなかったの?」

「全然思いつかなかったから、面白くって」

そうだった「先生」の玩具になったのは自分の意志だった。だったら自分の意志でその玩具箱を抜け出せばいい話だった。

急に景が寂しい顔をし始めたので、ナナカは笑うのを辞めた。

「どうしたの景?」

「まいったなあ」

海の方を見上げながら景は少し伸びた髪に手を伸ばす。

「私は学校を辞めないわ」

ナナカはウインドブレーカーのポケットに手を突っ込んで砂浜を見る。

「景、二人で「フェアリー」の上に立った時のこと覚えている?」

「うん」

髪を掻き上げて、海を見ると優しい風が流れる。

「青い地球がちっぽけで、それでいて大きくて」

二人で肩を並べて「フェアリー」の背中から、一瞬地球を見た。足下に広がる景色は今見ている海岸、地平線全てを飲み込んでいた。

何処か他人事の様な世界、自分の足下に沢山の人が住んでいる。世界との薄い繋がりが、何か濃密なものに変えられた。自分はこの見えている中で生きているのだと実感出来た。

「この学校に居る限り、私はあの宇宙に行けるもの。やっぱり今の私にはあの空間がたまらなく愛しい、まだまだ行ってみたい」

そう、そうなのだ。「先生」は宇宙への扉をもつ数少ない人物。そしてその扉を自分の意志で開けっぱなしにしている世界で唯一の人物。

扉の名前は「宇宙学校」。

「よかった」

ナナカの続投宣言に景はホッと胸をなで下ろした。

「何が?」

「君が辞めると、僕も学校に居る理由無いから助かったなあと」

「貴方も辞めるつもりだったの?」

「もう「フェアリー」も飛ばしたし、僕は余り宇宙に拘りがない」

「そんな、貴方は世界で唯一の往還機パイロットよ?それこそ「先生」は手放さないわ」

「そんなこと無い、僕の変わりは幾らでもいるよ。君の方こそ冷静な状況判断で絶望的な状況から生還を果たした英雄だ、「先生」は徹底的に利用する」

「そんな偶像幾らでもあの人ならメディアを巻き込んで作るわよ、私なんかあの人から見ればただのキャシュカード」

「違う、君が持っている本当の力は誰も惹き付ける魅力だ。何も恐れずに前に進める度胸みたいなものは多分世界一だよ」

「誉めているのそれ」

「違うのかな?」

二人で散々罵り合いとも捉えられる言い合いをした。

「結局……」

「?」

「「先生」からは逃れられないって事か?」

「私達は「先生」に取って頼もしいパートナーなんでしょうね」

「まんまとあの人の口の上に乗ってしまった訳だ」

大きく開いたワニの口に降り立った鳥の様に、危険を危険と感じさせない見事な手腕で、僕らを遊ばせてくれる。

結論はまたあの「先生」に対する文句だった。それが可笑しくて仕方がなかった。

笑いながら互いに見つめ合う。宇宙でヘルメット越しで見つめ合った時とは違う、何か身体の芯が熱くなるような気がした。

我慢出来なくなって景はまた海の方を向くと、ナナカが声を掛けた。

振り向くと彼女は両手を差し出していた。

「私に付いてくる?」

「他に面白いこと無さそうだから」

「ちゃんと言いなさいよ」

「何を?」

「本心を」

手を出そうとして景はナナカに注意された。有無を言わさない強さがあった。僕は僕でこの目の前の女の子に捕まったのかも知れないと、あの時見てしまった後ろ姿にどうしようもなく惹かれた、それが本心。

ジャケットで手汗を拭いてからナナカの両腕を握る。

「連れて行ってくれる?」

「付いてこれるならね」

そのまま景の手を握りしめるとナナカは海へ向かって走り出した。景は直ぐバランスを崩しそうになったが何とか体勢を立て直してナナカに付いていった。

そのまま波打ち際まで来て、飛沫を上げながら更に前へ前へと進む。

ナナカが前に出て海を背中にする。

そしてそのまま踵を軸にして一回転、遠心力を付けて景の手を放した。

「うわ!」

悲鳴と共に、景は勢いよく海に突っ込んだ。

「なにすんの!」

「私のパートナーになるならまず泳げるようにならないと!」

ナナカの目を細めた笑顔が溜まらなく傲慢に見えた。ああ、「先生」と言い彼女と言いなんてカッコイイんだろうと、かなわないことを思い知った。

景は後ろから来た波に飲み込まれて綺麗に流された。

景を追いかけると、大の字になって横たわったまま動かなかった。

「大丈夫」

そのまま波打ち際にナナカは腰を降ろして景の顔を覗き込んだ。

「駄目」

「何処か打った?」

「また水飲んだ」

「どうしようもない」

ナナカはドンと拳を作って景の胸を叩いた。景は咳き込みながらのたうち回った。

「ご免なさい」

謝ろうとするナナカに景は突然飛び付いた。

二人とも砂に汚れながら、びしょ濡れになっていた。顔に泥を付けたナナカを下に、景が覆い被さる様な形になった。

「君も危機管理能力が弱い」

「気をつけるね」

泥と服の間から見える白い肌に見取れた景の顔面に、ナナカの右腕が炸裂した。

近距離からのフックは的確に急所を捉えて、景は気絶してそのままナナカに覆い被さった。

「ちょっとやめてよ」

覆い被さる景を退かそうとも思ったが、まあ今日くらいは良いかとナナカは諦めて空を見た。

月が綺麗に孤を描く。

「とりあえず次はあそこを目指す」

自分の胸で伸びているパートナーに言い聞かせるわけでも無く、ただナナカは自分にそう宣言した。


「いやー青春だなあ」

双眼鏡を覗きながら遠くでナナカと景の一部始終を見ていた「先生」はホッと一安心した。どうやら彼らのパートナーシップは完成したようだ。

(多段式往還機計画は動き出すわ……あの二人の組み合わせが上手く行けばどんな軌道にでも最高のミッションスペシャリストを送り込める。最小のスタッフで最大の効果を生む)

また経費が抑えられて良かったと腕を組みながら「先生」はほくそ笑んだ。たった一回のフライトで彼と彼女に太い絆が出来た。それが今回の最大の収穫だった。

「その為に往還機一機のフルリペアと私の左頬か、安いもんだ」

まだ時々痛む左の頬をさすりながら、双眼鏡を仕舞い込んだ。

「けどまだ足りない、」

(そのうち行ってもらうよ、とりあえず自分の夢を他人に押しつけた先輩達の終着点まで、僕たちの夢の出発点は其処からだ)

先生の端末がまた振動した、全くとディスプレイを覗き込むと基地からだった。

「はいはい、えっ、ムーン・ポートの基礎研究予算が認められた?ふーん企業がバックに付いて?ああ、あそことは色々とね、うん繋がりがあるからねいやー運が良い」

態とらしく上体を大きく逸らす、その先には月があった。随分とちっぽけだと先生は思った。

「ハイハイすぐ帰ってスケジュールを組もう、いやー楽しみだ」

「先生」はまた楽しそうに笑った。



END


彼らが往く道は真っ暗な未来という名の闇の中に有る。

そこへ自ら進んだ跡だけが道となる。

どうか前へ進む勇気を、そして振り返る愛を与えてください。




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― 新着の感想 ―
[一言] 長くて読むのに時間がかかりましたが、内容的には読みやすく、分かりやすかったです。 しかし誰の台詞か分からない所があるので、そこを改善できれば尚良いと思います。
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