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第八十八話 交渉人の素顔

「では我々、王国反乱軍は帝国に――いや、ボレアス市に協力を求める」


「……」


 関係者が集まる、会議室らしき部屋。そこでマサユキは、堂々と自身の要求を突きつけた。

 それが対等な交渉――であるとは、恐らく誰も思っていまい。髭を蓄えた市長らしき人物の他、大半が不安げな表情を浮かべている。


 覇気らしい覇気もない。俺が知っている帝国人に比べれば、情けなく見えるぐらいの怯え方。


「……珍しいですね、帝国人にしては」


「仕方ないよ。もともと帝国の北は、異民族の土地だったんだ。性質的には影響を受けていない人が多い。昔から住んでる人は特にね」


「なるほど……」


 今度、歴史の勉強も進めた方がいいかもしれない。帝都以外で活動する際、色々な判断の基準に出来るだろうし。


 ともあれ今はマサユキだ。無謀にも一人でこの場に赴いた彼は、どんな詳細を出してくるのか。

 ……息子に対して特別な情を見せることもなく、父親は前置きを作る。


「我々は帝国軍に対し、本質的な敵意を持っていない。――今回、兵を起こしたのはあくまでも『ルーンの民』を打倒するためである」


「理由をお聞かせ願いたい」


 真っ先に疑問をぶつけたのは、俺の隣に座っているヤスバータだった。

 マサユキは至って冷静な顔つきのまま、机の上で手を組む。


「我々と彼らの目的は根本的に異なっている。打倒する相手が違う。――故に、排除していきたい。道具としては、これ以上の利用価値がないのでね」


「……仲間ではなかった。そう仰るのか?」


「正解だ、若き北の民よ。君とてもともと、この戦いが無謀であることは承知していた筈。我々の行動は、君達を諌めるためでもあるのだ」


「……」


 裏の事情まで言われて、ヤスバータは口を閉ざしてしまう。

 とはいえ他の者達が驚きを示すことはなかった、……内通者として雇っているようだし、大まかな部分については知っているんだろう。


「――残念だが」


 話の流れが途切れたところで、口を開いたのは市長と思わしき人物だった。

 彼は正面からマサユキのことを睨み、力強い口調で訴える。


「ボレアス市は帝国の一部。そちらの要求を飲むことはないと思ってほしい」


「帝国の奴隷になり下がると?」


「無論。――しかし勘違いはしないで頂きたい。奴隷にも人権はある。帝国が戴く気高さのため、市は全力を尽くすだけだ」


「……どこまで、その言葉が通用するかな?」


「?」


 市長が眉根を寄せた、その直後。

 激震と咆哮が、町そのものを揺さぶった。


「し、市長!」


 会議室の扉をぶち明けて入ってくる、一人の軍人。

 状況が刻一刻と悪化していることに、彼を見た全員が気付いていた。


「だ、大蛇が、こちらに向かっています!」


「何ぃ!?」


 ――その驚愕は、会議室に集まった全員へ共通するもの。

 ヨルムンガンドがこちらに向かっているのであれば、それはトールが敗北したことを意味する。……決してあってはならない、例外中の例外だ。


 必死に記憶の棚を探ってみるが、どうしたって彼が敗北するシーンは思い出せない。

 俺の知らない情報が、古文書に存在するということだろうか……?


「くく……」


 余裕を保っているのはマサユキただ一人。


 状況を確認するべく、市長を始めとした数名が会議室を後にする。――もはや猶予は残されていない。終末の蛇は十分もかからず町へ到着するだろう。


「……何をしたんですか?」


「我々は何もしていない。あの蛇が、最初からそういう仕組みだったというだけだ」


「最初から……?」


 どういうことだ? 呪縛結界について言えば、トールと相打ちするのが確定している筈。が、今はそれを無視された状態だ。


 なら、根本的な話。

 あの魔獣は、これまでの魔獣と何かが違う。


「っ――!?」


 ボレアスそのものを照らす閃光が、会議室の窓へと飛び込んできた。

 恐らくトールのミョルニルだろう。……幸い、まだ彼は敗北していないらしい。これならもう少しは耐えられるだろうか。


「……さて、どうやら手を組むことは不可能なようだ。帰らせてもらおう」


「っ、行かせると――」


 言葉は驚きで停止した。

 彼の姿が、何の脈絡もなく消えたのだ。


「んな――」


 しかし彼の動きは、そこで止まっていなかったらしい。

 二階。カンナのいる部屋から、当人の悲鳴が聞こえたのだ。


「ミコト君!」


「分かってます……!」


 再び発生したミョルニルの光に押される形で、俺は階段を駆け上がる。

 大蛇の咆哮に混じる金属音。焦燥は秒刻みで膨れていき、アポロンを握る力も強くなっていく。


「カンナ!」


 突入した途端。

 眉間目がけて、銀の一閃が突っ込んできた。


「く……!」


 仕掛けたのが誰かなんて言うまでもない。紙一重で躱し、即座に反撃を叩き込む。

 しかし敵もさる者。跳躍一つで逃れると、倒れているカンナの元へと向かった。


「動くな!」


 倒れて動かない彼女に突きつけられる、剣、

 ――しかし敵の表情には妙な焦りがあって、見た目通りの危機感を感じさせない。……どういうわけだか知らないが、彼は追い込まれているのだ。


 故に、こちらが要求に従う理由はない。最低限の警戒心は残したまま、俺は無言で距離を詰めていく。


「――動くなって言ってるだろう!? くそっ、どいつもこいつも僕の指示に歯向かいやがって!」


 父とは思えない、若すぎる口調。

 正体が発覚するまで、時間はないにも等しかった。


「……マルコさん?」


「ああそうだよ、僕だよ! お前の父親に命令されて、わざわざこの町に来てやったのさ!」


 喚き散らしながら、マサユキの格好をした男は自身の顔に触れた。

 途端、仮面を外したかのように顔が変化する。四十代半ばの中年男性から、まだ若い青年の顔立ちへと。


「ほら、早く神器を引っ込めろ! この女がどうなってもいいのか!?」


「……」


 方針は変わらない。彼が動こうとすれば、その直前に矢を叩き込める自信がある。

 俺は無言で、マルクを睨みながら詰め寄った。


「生意気な目だな……っ! お前みたいな異邦人は、帝国の道具だろうが! 道具が主人に意見するんじゃない!」


「……」


「だいたい、皆なんなんだ!? たかが魔獣を殺せるぐらいで、こいつを歓迎するなんて! 帝国の血が穢れるじゃないか! 王者が純血を維持できなくてどうするんだ……!」


 クソっ、とカンナに剣を突き付けたまま、マルクは地団駄を踏んでいる。

 ――あまりにも露骨な隙で笑いたくなるが、逆に焦る必要はなさそうだった。簡単な仕事だと分かって、余裕が大きくなるぐらい。


 口端をつり上げながら、俺は一歩ずつ進んでいく。


「お前のせいだ、お前のせいだお前のせいだお前のせいだ……! 帝国は血筋ですべてが決まるんだぞ! 僕は皇帝に繋がる血を持ってるのに……!」


「――他には?」


「っ、態度のなってない聞き方だな! いいぞ、まずこの女を殺し――」


 台詞と行動が直結することはない。

 剣はあっさりアポロンに弾かれた。――わずかに悲鳴を漏らすマルコ。が、激情が冷めたわけではないらしい。


「くそっ! 何を手間取ってるんだ、あの馬鹿ヘビ! とっとと僕を助けに来いよおおおぉぉぉおおお!」


「っ――」


 微かに揺れる窓。――外には、巨大な影が伸びつつある。

 時間切れが、来たのだ。


「は、ははっ! なんだ、ちゃんと出来るじゃないか!」


「やばい……!」


 天井の向こうを仰ぐマルコ。


 俺は彼を無視して、そのままカンナの元へと走る。――トールやロキ、ヤスバータのことが気掛かりだが、今は自分と彼女のことで手一杯だ。

 

 そのまま、窓ガラスを破って建物の外へ。

 だが遅い。


「――」


 見上げた先には、視界を塞ぐ巨大な尾。

 死を覚悟させるには、十分すぎる迫力だった。

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