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第六十二話 ガルム Ⅰ

 人々は今も避難の最中にあった。接近するギガ―ス――エピアルテスの姿も見え始めている。混乱が深まるのは当然と言えた。


『飛ばすわよ!』


「わ……」


 その中だろうと、ヘカテは速度を落とさない。


 エピアルテスの姿は順調に大きくなっていく。その全容が見えるようになるのも後わずか。俺達は一瞬で、町の端にまで移動していた。


 だからだろう、


『――オオオォォォオオオ!!』


 敵の姿を見定めて、ギガ―ス・エピアルテスが咆哮を上げる。


 即座に見せた行動は以前と同じだった。自ら胸を裂き、滴る鮮血で両手を染める。――後の流れは言うまでもない。


「頼むぞヘカテ……!」


『え、私!? 自分でかわしなさいよ!』


 しかし、言っている間にも血の槍が飛来する。


 ヘカテは期待に応えてくれた。回避と進行、双方を変わらず押し進めてくれる。

 巨体は目前。狙うべき部位も分かっている。


 なら後は、勝ちをもぎ取って終了だ……!


「行け――!」


 ヘカテの上から、数本の神器が打ち出される。


 だがさすがに愚直過ぎたらしい。顔面狙いの弾丸は、いずれもエピアルテスの腕に突き刺さった。呪縛結界により貫通することはない。


 故に。


「ヘカテ、実体化は解除だ! 目の前でぶち込んでやる……!」


『――分かったわ。まあ一番頑張るのはテューイちゃんでしょうけど』


 まったくだ。俺が奴を仕留める間、彼女は地力で逃げおおせなければならない。エピアルテスとこれ以上接近すれば、彼女に危機が迫ったところで直ぐには戻れない。


「……私も出来るだけ援護する。だから頑張って」


「了解……!」


 相変わらずの紅い猛攻を前に、いよいよヘカテの実体化を解除する。

 霊体となった精霊は、俺の中でその特性を発揮し始めた。人間を凌駕する身体能力を、何の苦もなく発揮する。


 しかし問題が一つ。


「あいつ……!」


 エピアルテスの狙いが、テューイに固定されている。

 ガルムとしての側面が残っているんだろう。軍神の腕を持つ少女こそ、奴が殺さなければならない対象らしい。


 でもお生憎さま、敵のルールに興味はない。

 無防備に晒している横っ面へ、神器をぶち込むまでだ……!


『っ!?』


 もう一人の敵を視界から外していたエピアルテスには、防ぐ術も避ける術もない。


 片眼を抉られ、ギガ―スは絶叫する。その叫びは木々を震わせ、思わず耳を塞ぎたくなるほどの大音量。


 だが隙がある。

 俺はそのまま、エピアルテスの身体に乗り移った。狙うは今も健在な右目。双方の目を射抜かなければ、伝承の再来は叶わない。


 未だにテューイを狙っている敵の、右半身を伝っていく。

 見えた。


「トドメ……!」


 しかし巨人は吠える。

 直後。


 ゼロ距離で発射した槍の神器は、盛大に虚空を撃った。


「!?」


 消えている。一瞬のうちに、奴の姿が消えてしまった。

 足場を失い、俺は重力に引かれて落ちていく。――ふと眼下を見れば、背中を向けている一頭の大型犬が。


 胸から血を流して、彼は戦場を離脱する。


「が、ガルム!?」


 夜間じゃないと行動できないんじゃなかったのか? 代わりに今、人を丸呑みにするような巨体ではないが……。


 こうなったら俺も追うしかない。幸い、奴はグニヘリルの村と同じ方向に向かっている。趨勢は未だに俺達が有利だ。


「させない――!」


 その番犬を、衝撃波を伴って殴りつける孤影が一つ。

 テューイだ。……『腕』の効果もあってか、ガルムは僅かに仰け反っている。無論、目立った外傷を与える程ではないが。


 自由落下に身を任せる中、一つの悪寒が脳裏を過ぎる。

 手負いの獣ほど、恐ろしい相手はいないのだと。


『ガアアアァァァアアア!』


「っ!」


 地獄の番犬が牙を向く。神腕の少女は、敵に背を向けず相対する。

 後の結果は、必然だった。


 軍神の腕が放つ衝撃に耐え、そのまま肩から引き千切る。


「テューイ!」


「ぐっ……!」


 空中から神器を叩き込むが、間に合わない。


 ガルムは生き残った夫妻の傑作を噛み砕くと、村に繋がる森の奥へ消えていく。……その特徴である胸の血は健全で、テューイの血が混じっているかどうかも分からない。


「テューイ!」


「……」


 肩を押さえて、その場に座り込んだ彼女の元へ走る。

 ――しかし当人は、いつもと変わらない鉄面皮。無くなった腕を惜しむように肩口を押さえているが、痛みを感じている様子はあまりなかった。


「だ、大丈夫なのか?」


「平気。胴体に噛みつかれたら危なかったけど……右腕は全部、人造神器になってるから。無理やり引き抜かれて少しビリビリするけど」


「そ、そうか。そこまで心配することじゃなかったか」


「……なんか頭に来る言い草だけど、怒るのは後にしてあげる。今はガルムを追わないと――」


「……腕のない状態で追う気か? ちょっとそれはさすがに……」


「分かってる。……だから貴方が一人で行って。私が同行したら、どういう結果になるか分からない。死ぬかもしれないし」


「――知ってたのか?」


 もちろん、と腰を下ろしたままテューイは頷く。

 彼女は俺を見ることなく、空を見上げながら呟いた。


「最初は死んでもいいって思ってけど。でもパ――両親が生きてたから。名誉とか言う前に、二人を守らなくちゃいけない」


「……なあ、パパママって呼ぶの、恥ずかしいのか?」


「は、恥ずかしくない。それに私は、二人のことをパパともママとも――」


「恥ずかしいんだな?」


「……」


 無言は肯定と受け取ろう。

 狩りを直前に控えた和やかな空気の中、俺はガルムを追うべく頭を切り替える。

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