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第六十一話 対決、フェンリル Ⅲ

 空間は、俺達が睨みあうためだけの場所に。

 瞬間。


「っ――!」


『アアアァァァアアア!!』


 フェンリルが弾ける。

 迎え撃つ槍の神器。弾丸として床を穿つものの、敵はまったく怯まない。回避すらせず、堂々と中心を突っ走ってくる。


 直撃したところで同じこと。衝撃そのものは生じているが、フェンリルの呪縛結界に阻まれるだけだ。

 対策はこの手にある縄だけ。


「うお……!」


 全速力で迫る巨狼は、一瞬で目と鼻の先に来た。

 紙一重での回避が成立するものの、根本的な解決には少しも近付いていない。背後にある壁が大きく拉げたぐらいだ。


「さて、どうやって当てるか……」


『罠でも張ったら? とりあえず拘束すればいいんだし』


「か、簡単に言ってくれるな! 避けるだけでも割とつら――」


 言葉は轟音にかき消された。大気に穴を穿つ勢いで、フェンリルが猛然と突っ込んでくる。

 回避できるかどうかも厳しい、まさに神速。


 故に、


「神器……!」


 クレイプニルを絡めて、槍の神器を床に突き刺す。

 瞬時に作り上げるのは網だった。無数に発生した神器で結び付けた網。


『っ――!』


「ぐ……!」


 俺が横に飛ぶ中、フェンリルは即席の網に真ん中から喰い込んでいく。


 クレイプニルの先端を握っている俺は、彼の勢いに振り回されるだけだった。どうにか床に足をついても、暴れ狂う巨狼の動きを抑えきれない。


「こ、のっ……!」


『グオオオォォォオオオ!!』


 隙を見せれば、逆にこちらが吹き飛ばされる――それぐらいの暴力で、フェンリルは絡まるクレイプニルを千切ろうとする。


 直後。


「あ」


 クレイプニルが。

 千切れた。


「あ、ああっ!?」


『な、何やってんのよ!? アイツ押さえらんないじゃない!』


「き、切れたものは仕方ないだろ! 他の方法を――」


 探す暇はなかった。

 呪いに縛られた巨狼は、その口を限界まで開いている。


「――まだだ……!」


 神器を手に、フェンリルの牙をギリギリで躱す。

 一連の動作をこなす中、その心臓に神器を突き立てた。――呪縛結界による妨害は、ない。


『グッ、ガアアアァァァアアア!?』


『え、何、呪縛結界は!?』


「正攻法だ、正攻法」


 どうにか無事な自分の身体を確認しながら、俺は激痛にのた打ち回る巨狼を見る。

 やつはさっき、クレイプニルを突破した。――北欧神話の中にある、彼の解放と同じ行為を行った。


 だとしたら呪縛結界はその性質を変える可能性がある。フェンリルの最後――心臓を貫かれて死ぬという、最後を果たす。


 だから神器をぶち込んでやった。

一瞬の出来事で頭の中は真っ白。致命傷を与えたロキのことを、妙に冷めた目で見つめる自分がいる。


『……大丈夫なの? あのギガ―ス』


「あ、やべ……って、大丈夫みたいだぞ。ほ、ほら」


 ピクリとも動かなくなったフェンリル。しかし彼の肉体は徐々に変化し、人の形へと変わっていく。

 それがギガ―スのものへ落ち着いた頃には、意識を失ったまま呼吸するロキがいた。


「……ちょっと夢中になり過ぎたな。下手したら殺してた」


『……む、無責任な台詞ねえ。霊体なのに冷や汗掻いたわよ』


「はは、見応えはあったろ?」


 しかし、ゆっくりしている暇はない。


 地上にはまだガルムがいるのだ。奴を洞窟へ戻すか、撃破する方法を考えなくてはならない。……出来れば殺したくはないが、果たして狙えるかどうか。


「ミコト!?」


「おう?」


 地上に続く階段の前。一人で戻ってきたテューイは、冗談抜きで血相を変えていた。

 ロキには一瞥を向ける程度で、彼女は一直線に駆け寄ってくる。


「ち、血が出てる……! 大丈夫なの!?」


「ああ、これぐらい大したことない。唾でも付けときゃ治る」


「酷い言い訳……でも、そんな軽口が叩けるなら安心。ロキも無事みたいだし、感謝してもし足りない」


「んな大げさな。……大体、まだ終わってないことがあるんだ。感謝するのはその後にしてくれ」


「……分かった。急ご!」


「ああ」


 テューイに手を引かれ、俺は階段を駆け上がっていく。

 入れ違いでやってきたのはキュロスや帝国兵たちだった。ロキのことは彼らに任せてしまって構わないだろう。


 地上へ出ると、例のギガ―スは直ぐ目に入った。

 しかし動きは相変わらず鈍い。ガルムへ変身する気配もなく、まだしばらくはヘリオスも安全だろう。


「どうすっか……」


 問題はそこだ。

 ロキにギガ―スの名称を確かめたいが、彼は意識を失っている。


「ミコトさん!」


「い、イダメア!?」


 仰臥ぎょうがしている騎動殻の間を、彼女は大量の紙を抱えて走ってきた。


「これ、何かの役に立たないでしょうか? パレーネ遺跡にあった古代文字の写しらしいのですが……」


「み、見せてくれ!」


 数百枚はありそうな分厚い束を、俺は彼女から受け取った。


 確かに中身は古文書と同じ文字――日本語の写しである。パレーネ遺跡にあった住居の名前はもちろん、施設の名称らしき文字も写されていた。


「――あった!」


「な、何? なんて書いてある?」


「冥府に繋がれし番犬、またの名をエピアルテス――目が弱点だ!」


「目?」


 ギリシャ神話にて発生する巨人戦争。エピアルテスはそこで、左右の目を射抜かれて殺される。


 ならあの巨人に対しても、同じ方法が通用するだろう。……殺すなというのがロキの望みだが、出来るかどうかは分からない。加減すれば俺達が、町がやられるだけだ。


 ヘカテを馬の姿で実体化させ、颯爽と背に跨る。


「私も!」


「い、いや、お前は――」


「ケチ!」


 ムッと頬を膨らませ、テューイは子供のように抗議した。


 断固として首を縦に振ることは出来ない――のだが、断れそうな目をしているわけでもなかった。説き伏せるなんて無理で、勝手についてくるんだろう。


「……分かった。ほら、乗れ!」


「ん!」


 時間はそこまで残されていない。テューイが跨ったのを確認して、俺はイダメアへ一瞥を送る。

 彼女に一切の杞憂は無かった。自信と自覚を持って、送り出すことに徹している。


「お帰り、お待ちしていますね。ミコトさん」


「任せろ!」


 それだけ残して、俺と一人の少女は町を駆けていく。

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