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第四十三話 ハルピュイア Ⅰ

 目的地に到着すると、ナーガ達は急ぎ足が帰っていく。


 ハルピュイアの被害に巻き込まれたくないんだろう。俺だって同じ気持ちなので、一緒に連れてってもらいたい気分だ。


 無論、テューイを一人で残すのは慙愧ざんきに堪えない。……なので弱音はこれぐらいにして、きちんと付き合うことにしよう。


「……よろしく」


「あ、ああ、よろしく。――その、テューイはここに来たことあるのか?」


「ない。ハルピュイアとも直接会ったことはない。貴方は?」


「去年、ちょっと仕事で相手をしたぐらいだな。……アイツら下品で汚いけど、大丈夫か? 何なら俺一人で――」


「気にしなくていい。私にとっても関係のある仕事だから、ちゃんと付き合う」


「そ、そうか」


 会話はそこで途切れて、テューイはじっと俺のことを見つめていた。

 彼女が視線を逸らしたのは数秒後。一体どういう理由で取った態度なのか、よく分からないまま交流が終了する。


 山に入って、お互いの間にあるのは無言だけ。


 正直言って重苦しい。ピネウス山は緑豊かな山のようだが、唯一の同行者とこんな空気になるなんて耐え難いところがある。


 なので雑談の種でも放り込もうかと思うが――何を話したらいいのやら。


 俺はそこまで他人との会話が得意なわけじゃない。受け答えこそ常識の範囲でこなせるが、自分から話を振るのはまた別の技術じゃなかろうか。


 もう一つ言い訳をすると、テューイの雰囲気が堅過ぎる。

 こうしている今も向けてくる背中は、他人の関わりを一切拒絶するほど孤独だ。……対等な会話をしようものなら、振り向かれた瞬間に口を閉ざす自信がある。


 その観点でいくと、イダメアとテューイは相性が良かったんだろう。片方が喋り続けるだけで、一応会話は成立していたんだし。


「……」


「……」


 無言が続く時間に応じて、雰囲気はどんどん堅くなる。


 仕方ない、こっちから話を振ろう。――でも何を? フェンリルについてのこととか、神器のこととか色々聞きたくはあるが……簡単に踏み込む勇気はない。


 もう少し日常的な、平和な話題が一番の筈だ。

 まあそれが思いつくのなら、こうして悩む羽目にはならないんだけど。


「……な、なあ、テューイってこれまで、魔獣と戦ったことはあるのか? 戦闘は得意だってロキさんが言ってたけど」


「――」


 軽く睨まれた。言わんこっちゃない。

 しかし内心の不満を、テューイは溜め息一つで押し殺した。――相変わらず背中を向けたまま、うん、と小さく肯定する。


「倒す程じゃなかったけど、昔に何度か。……貴方みたいな合意もない」


「ご、合意?」


「王国では、きちんとした環境の中で魔獣殺しをしてたんでしょ? その時点で私と貴方は違う」


「……どうだろうな。合意、ねえ……」


 あると言えばあったし、無いと言えばなかった。


 単に、他の選択肢が存在しなかったのだ。

 それは合意ではなく、ただの脅し。……王国の関係者と、俺が生来培ってきた意思が、脅しにかかったのだ。


「? 変なこと聞いた?」


「え? ……ああいや、俺が王国で魔獣を殺したのは、自分で決めたことなのかなー、ってさ。ちょっと迷ってた」


「まさか、違うの?」


「んー、半々、かね。俺が決めたのは間違いないけど、周りを色々な条件で包囲されてたのも事実だ。一概に俺の意思で決めた、とは言えないよ」


「……」


 テューイは唐突に足を止める。

 眉根を寄せて、申し訳なさそうな表情だった。……これは困る。俺個人としては、暗い話題を提供したつもりなんて無いんだから。


「ま、まあ経験だけは沢山させてもらったよ。お陰でこうして、帝国のために仕事が出来る」


「……前向きね」


「知り合いの受け売りだけどな。……その子、王国から逃げてきたドワーフでさ。王国のことは嫌いだけど、過去を拒みはしない、って言ってたよ」


「じゃあ亜人族? ――だとしたら凄い。王国の迫害は本当に酷いから、思い出すだけでも体調を崩す人は一杯いる。肯定するなんて例外中の例外」


「そんなに……」


「隣町のヘリオスにも、数日前に何百人って亜人族が来たって。今ごろ役所の人達は大忙しだと思う」


 気付いたら成立している会話。……知り合いこと、ドワーフのリナには、帰ったら何か奢るとしよう。


「……なんか、申し訳ない」


「どうして?」


「だってさ、俺は一時期王国にいたんだぞ? そんな問題知りもしなかったし、何もしようとしなかった。……誰かを救うために与えられた力なら、そういう風に使いたいのにさ」


「……だから今、クレイプニルの材料集めを手伝ってくれるの?」


「まあ否定はしないな。成り行きってのもあるけど」


 一人だけの笑い声を響かせて、俺達は山の奥へと進んでいく。

 ハルピュイアが出てくる気配はない。皺枯れた彼女達の声も、耳を澄ましたところで聞こえなかった。


 ……何だか嫌な予感がする。魔獣の住処にしては静かすぎると言うか。


 気付いたら後ろにいるテューイへ気を配りながら、俺は異変を探して首を動かす。せめて痕跡だけでも見つかれば、安心できる材料にはなるのだが。


「でも例の臭いもなし、本当にハルピュイアがいるのかね……」


「? 臭いって何?」


「あ、いや――」


 相手がなまじ美少女なだけあって、声を出して答えるのには躊躇いがあった。

 しかしテューイは、そんな気遣いを知ることもない。ムッとした表情で、可憐な眉を寄せている。


「隠し事なんて感心しない。話して」


「……ハルピュイアの排泄物だよ。あいつら、そこら中にまき散らすからな。巣があるところなんか、物凄い悪臭を放つんだよ」


「――私、ついさっき食事を取ったばっかりなんだけど? あと女の子」


「か、隠し事は感心しないって、言ったのはテューイだろ!? 俺を責めるな!」


「もう少し誤魔化して喋ればいい。……本当、気分が悪くなった」


「ご、御免なさいっ」


 俺に責任があるのは事実――いやどうなんだ? 不必要に疑ってきたテューイも悪いんじゃないか?


 もちろん、その意見を口にするのはご法度だ。テューイから怒りを買う自信がある。

 名誉を回復するには、仕事を達成してしまうのが一番だろう。


「――っと、いたな」


「ハルピュイア? どこ?」


「あそこ」


 緑の中に溶け込んでいる一本の木。そこに、求めていた魔獣がぶら下がっている。


 動き出す気配はない。もう、死んだ後だ。

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