拉致
「それじゃ、そろそろ帰るね☆」
いい加減おしゃべりやボードゲームにも飽きた瞬たちは、そろそろ家に帰るために外へ出た。
外の景色は次第のオレンジ色へと変化し、空は夕刻が近づいていることを神酒たちに知らせている。
カラスでも鳴けば雰囲気は増すのだろうが、残念ながらカーカー鳴く黒い鳥は、鳳町ではあまり見かけることは無い。
「あ〜あ。またティムとお別れなのだ・・・」
前にも記したが、ティムの安全を図るために、数日前から彼は瞬の家に居候をしている。
もちろん今日もティムは瞬と一緒に彼の家に向かうため、瞬の肩に飛び乗ったティムの顔を、名残惜しそうに詩織が見つめた。
『大丈夫だよ。会おうと思えば何時でも会えるんだから』
「それはそうなんだけど・・・・」
ところがその帰り道、真夢にとってちょっとした幸運が訪れた。
それぞれの帰り道を考えた場合、絵里子と七海と詩織は同じ方向。瞬と真夢はそれぞれ別の道を帰るのが普通なのだが、瞬が突然、「マムちゃん1人で帰るの?だったら、ボクが家まで送っていくよ」という具合に、彼が真夢のエスコートをかって出たのだ。
真夢はまだ小学3年生なのだが、小さいわりにマセたところもあり、非常に惚れっぽい性格をしている。
実は以前から瞬に憧れている素振りを見せることも多くあり、簡単に言えば、瞬は真夢にとって『王子様』のような存在なのである。
しかしその反面内気なところも真夢の特徴であり、結局その帰り道、真夢は顔を真っ赤にしながら瞬の後ろにくっついて歩いていた。
「ねえ、マムちゃん」
自分の気恥ずかしさを隠すため、ティムを抱きしめ顔を隠しながら歩いていた真夢だったが、突然の瞬の呼びかけにビクリとして、慌てて言葉を返した。
「は・はい!なんでしょうか!?」
「マムちゃんて、ずいぶん静かな子なんだね」
緊張しまくっている真夢に、今はいつも詩織と交わしているような気の利いた会話ができるはずはない。
おそらく彼女の目には、瞬の顔の周りにはバラの花びらが一緒に映っているのだろう。
しかし超が付くほどの鈍感な瞬には、そんな真夢の乙女心が理解できるはずはなく、彼は相変わらずヘラヘラしながら真夢に話しかけていた。
「マムちゃんて、クラスでも人気あるでしょ?好きな男の子とかいるの?」
死刑に値する鈍感さこそ、瞬の特徴なのだろうか?
☆
「それじゃ、ここまででいいかな?」
やがて真夢の家が見えてきた頃、瞬がくるりと彼女の方を向き、しゃがんで顔の高さを真夢に合わせた。
瞬の顔が目の前に近づき、さらに真夢の緊張が増す。
「はい!・・・あの・・・」
「?」
ティムを抱きしめたまま、真夢はモジモジしながら応えた。
「あの・・送っていただいて・・・・・ありがとうございました」
ニッコリと笑う瞬。
ところが彼はなぜか真夢の顔を見つめたまま、彼女の前から動こうとしない。
意外な出来事にさらにドキドキする真夢は、緊張がピークに達し、腕の中にいたティムをさらに強く抱きしめた。
「・・・あのさ、マムちゃん。
そろそろティムを離してもらってもいいかな?」
☆
しかし、その時だった。瞬は辺りの雰囲気に、突然強い違和感を持った。
ふいに危険な空気を感じ取った彼は、鋭い視線で道の反対側をにらむ。
ここは普段からあまり人気の無い小さな通りで、夕方の今頃の時間を越えると、さらに人を見かけることがほとんどなくなる場所だ。
しかし瞬が向いた方向の20メートル程先から、3人の不審な男が彼らの方へと近づいてくるのが見える。
黒に近いスーツの初老の男が1人と、それより少し薄い紺の作業服を着たような男が2人。
男たちはどれもサングラスで目を隠し、少しうつむき 顔をよく確認できないような状態で瞬と真夢に近づいてくる。
よく見ると、作業着と思えたものは兵士の着る軍服にも似ていて、脇に隠すように奇妙な銃のようなものを抱えている。
一般に見る銃器とはかなり形が違うが、なんらかの特殊な用途がある物であることは、間違いが無いようだ。
瞬は咄嗟に真夢を隠すように前に出ると、彼女に早口で伝えた。
「マムちゃん・・・ちょっと逃げたほうがいいかも」
ただならぬ雰囲気を感じ取った真夢は、ティムを抱いたまま反対の方向へ駆け出した。
瞬はすぐに姿勢を低く構え、おそらく敵であろう3人の男の襲撃に備える。
しかしその時、瞬は自分の体に異変が起きたことに気が付いた。
体が重い。
まるで急に自分の体重が何倍にもなったような強烈な重力が、瞬の体に音も無くのしかかり、そのあまりの圧力に、彼は膝を地面に突いてしまったのである。
見ると先ほどの男たちがあの武器を構え、瞬に何かを照射しているような姿勢でいる。
銃器のような武器の先からは、照射されているものの軌跡は見えないが、それは確実に瞬に影響を与えていて、その威力の前に、彼は両腕をついて動けなくなってしまった。
激しい重みが鈍い痛みに変わり、瞬の体を激しく襲う。
「どうだ?人工重力の威力は」
瞬に近づいてきたスーツの初老の男が、地面に押し付けられるようになって動けないでいる瞬に近づくと、彼を見下したような眼で話した。
その眼には淀んだ汚水のような影があり、瞬は自分のできるどんな説得も、彼には通じないような気がしていた。
「我々B・Dが地球外生命体の技術を応用して開発したものだ。
それから、これはちょっと違うが・・・」
男はそう言うと、今度は彼の懐から小さな装置を取り出した。
装置は一握りほどの小型のもので、彼はそれを逃げようとする真夢の背中に向けている。それは明らかに男が彼女に危害を加えようとしている姿で、瞬はまさかという気持ちで叫んだ。
「やめろ!!」
それは、あっという間の出来事だった。
装置から白い紐のようなものが飛び出すと、それが真夢の体に触れた。そしてその瞬間、真夢は小さな悲鳴を上げると体を痙攣させ、気を失うようにその場に倒れてしまったのである。
倒れた真夢の傍で、ティムも気を失っている。
「これは、イーバとは関係無い。ただの遠距離用のスタンガンだ」
男はまるで感情が無いかのように瞬にそう言い放ったが、真夢の傍に歩み寄りティムを拾い上げると、もう1度瞬の方を振り返り、これ以上無いほどの気味の悪い笑みを浮かべた。
サングラスを外したその男の姿に、瞬は見覚えがあった。
そう。この男こそ、かつて瞬を拉致した組織『B・D』の長官、ジェームズ・フォレスタルだったのである。
「フフフ・・・・・・。これで、やっと私の願いが叶う。
このティムという『外なる神』を使えば、旧支配者への扉が開ける。
そうすれば・・・」
「やめろ!」
ジェームズの狂ったような笑みに、瞬が声を上げた。
「お前の言ってる旧支配者って、もしかして『黒い海』のことなのか?
ダメだ・・・『黒い海』を呼んだりしたら・・・」
念願が叶う鍵を手に入れ、悦に入ろうとしていたところを邪魔されたジェームズは、いかにも不機嫌そうに瞬の顔を見た。
瞬は先ほどからの強い重力の苦痛に顔を歪ませ、苦悶の表情を浮かべている。
そんな瞬の様子に、多少溜飲が下がる思いをしたジェームズは、人工重力を操作する配下の1人に近づくと、彼にこう伝えた。
「出力を最大にまで上げろ」
「長官。これ以上の出力は危険かと思われますが・・・」
「構わん。上げろ」
「了解しました」
兵士が装置の出力を上げ、それに伴い瞬の体が歪み、骨がきしみ、瞬を襲う鈍い痛みがさらに激しくなる。
なんとか抵抗を試みていた瞬だったが、遂に彼もその苦しみには最後まで耐えることができなかった。
ジェームズの罠に意識が朦朧とした瞬は、やがて意識が遠くなっていき、そのまま気を失ってしまったのである。
そして命こそ失うことはなかったが、瞬と真夢が意識を取り戻した時、ティムはジェームズたちとともに姿を消していたのだった。