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戯曲【黄衣の王】

 アメリカ合衆国ウィスコンシン州エセックス郡・アーカム。

 古い因習と言い伝え、そして新しい時代の流れが混在する町。

 まだアメリカが独立した頃、イギリスから流れこんだ多くの文化がこの地でも開花し、初期には多くの人々がここに希望を求めて移り住んできていた。

 しかし時は流れ、さらに先進的な都市が乱立する中、アーカムは徐々に時代に取り残され、次第にさびれた時代遅れの町として人々に理解されるようになっていく。


 そしてここはインスマス、ダンウィッチ、魔女メイスンの家、ニューベリーボートなど、H・P・ラブクラフトの小説の中に描かれる惨劇の舞台となった場所が多く点在し、人々は夜の闇に多くの魔が潜むと信じ、まともな人間であれば、夜に出歩くなどという行為を控えねばならない街でもある。


 そんな中、この街の夜の裏通りを彷徨う1人の少年がいた。

 少年の名はジェームズ。

 後に『B・D』の長官となるジェームズ・フォレスタルの若き日の姿である。


 彼はアーカムの中でも有数な資産家の子息で、本来ならばこの時間にこんな場所にいるべき人物ではない。

 しかしほんの些細な揉め事で家を飛び出した彼は、特に求める場所があるわけでも無く、泥酔者が多くたむろする裏通りを、ただ1人フラフラと彷徨い歩いていた。


 黒く変色したレンガの壁が続き、むせるような腐った空気と酒の臭いが漂う裏側の空間。

 やがて歩きつかれたジェームズは、レンガ作りの崩れた階段の途中に腰を下ろし、その場で自分の愚かな行為を思い出しながら、鬱な気持ちで辺りの様子を見つめていた。

 おそらくどこかの泥酔者が叫んでいるのだろう。

 まるで犬のような理解不可能なわめき声が響き、少し小心者だったジェームズは、その度に体をブルッと震わせ、迷路のように入り組んだ裏通りから懐かしい我が家への道を探すため、あれこれ考えを巡らせていた。


 そして、そんな時だった。

 彼が奇妙な歌劇のポスターを見つけたのは。


 ふいに誰かに名前を呼ばれたような気がしたジェームズは、その声に導かれるままに後ろを振り向いた。

 すると、彼が腰を下ろしたレンガ作りの階段の先に粗末な木製の扉があり、その正面にこのような古いポスターが貼られていたのである。


『歌劇 【黄衣の王】 上演中』


 もともとオペラなどにあまり興味が無かったジェームズだったが、この破れかけたポスターは不思議な魅力で彼を導き、その力に逆らうことができなかったジェームズはフラフラと扉に近づくと、弱々しくノックした。

 中から返事は無い。

 しかし彼の心の中に直接話しかけてくるようなその不思議な声のようなものは、相変わらず彼への呼びかけを続けていて、ジェームズはその呼びかけに応じるように、古いレンガ作りのその建物の中へ入っていった。


 そこは、1軒のオペラシアターだった。

 おそらく建築直後はその洒落た作りから、多くの観客で溢れたのだろう。

 ギリシャ文様に彩られた館内の装飾は、上演される演目への期待感を高揚させてくれるような奇抜な雰囲気をかもし出し、上品な革製の座席は、その高級感から観客の座り心地を満足させていたのだろうと容易に想像することができる。


 しかし、ここで最後の歌劇が上演されてから、どれだけの時間が経っているのだろうか。

 館内からは人がいた形跡はすっかり消え失せ、そこらじゅうに埃が溜まり、装飾は崩れ、痛み、朽ちかけている。


 ジェームズはその中から比較的痛みの少ない座席を選ぶと、そこに腰を下ろした。

 建物の壁はよほどの厚みがあるのだろう。

 夜の街にも関わらずあれほどうるさかった外の騒音が、今は全く彼の耳には届かない。

 闇の中で次第に目が慣れてきたジェームズは、それでもあたかもこの世に彼1人だけが取り残されたような錯覚を覚え、しばらくの間、無人の舞台をジッと眺め続けていた。


「・・・・・・ここでいくら待っていても、もう上演するものは何もありませんぞ」


 館内の暗闇の中、ふいにジェームズに話しかけてくる者がいた。

 驚いた彼が声のする方を見ると、そこには1人の老人が立っている。


 齢の頃は80程度だろうか。

 かなりの老齢だが、それでもきちんとしたモーニングスーツを身に付け、いつの間にジェームズの傍に近づいたのか、彼の横で直立し、まるでにらむようにジェームズを見ている。


「・・・・し、失礼しました。ここの支配人の方ですか?」

 驚いたジェームズは、失礼の無いように言葉を選ぶと老人に言葉を返した。


 老人は値踏みするように、ジェームズの頭の先から足の先までジロリと見ていたが、その内彼に、こんな問いかけをしてきた。


「『黄衣の王』に興味がお有りかの?」

「・・・わかりません。しかし不思議な魅力を感じます。

 この演目を知った時、私は導かれるようにここに足を踏み入れました。

 黄衣の王とは、いったいどんな内容なのですか?」

「・・・うむ・・・・」


 老齢の支配人はジェームズの言葉を聞くと、少し考えたように上を向き、1度オペラシアターの奥に戻ると、再びある物を携えて彼のもとに戻ってきた。

 彼が手にしていたもの、それは1冊の戯曲だった。

 表紙には見た事が無い奇妙な黄色のマークが有り、まるで蛇かトカゲの皮で装丁された不気味な戯曲で、老齢の支配人はそれをジェームズに手渡すと、彼の顔を見てニヤリと笑った。


「この戯曲は御仁に進呈しよう。もうこの演目がここで上演されることは無いのだ。

 私がこれを持っていても、なんの価値も無いからのう。

 この歌劇は、政府により上演を禁止されてしまったのだよ」

「・・・どうしてですか?」


「それは・・・・・そなた自身が、直接その意味を確かめるがいい。

 だが、注意することだ。

 この戯曲を読んで、最後まで正気を保っていられた人間は少ない。

 御仁は他の人間に比べ、探究心が果てしなく大きな人間のようじゃ。

 御仁がもしこの戯曲に興味があるなら、これをその懐に携え、そして家に持ち帰るが良い」


 ジェームズが戯曲を手に取ると、その重みがずっしりと彼の体に伝わる。

 その重みは不思議と彼の体に心地好い抵抗を与えていて、ジェームズはしばらくの間、その奇妙な黄色の印の施された戯曲の表紙を眺めていた。


 おかしなことに、あの老齢の支配人は、まるで吹き消すように姿を消していた。


 戯曲『黄衣の王』

 その作者は誰なのか、内容はどんなものか、そして、それを観た者はどうなるのか。

 支配人の正体、政府に禁止された理由。

 1つとして、明らかになっているものは無い。


 しかし旧支配者による災厄の種は、ここでも1つ野に撒かれた。

 その種が芽を出し、花を咲かせ、そして実を結んだ時・・・。


 神酒ミキたちを危険に陥れる、或いは【終焉】の物語が始まる。

挿絵(By みてみん)

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