ルビー
剣道場の娘ならば強くあれ。
それが父の教えだったので、私は剣道一筋でここまで育ってきた。
只今高校一年生になったばかりだが、高校でも剣道部に入り一年生エースになった。
父の期待に応え、いつかは道場を継ぐことが私の夢なのだ。
それだというのに父の呼び出しがかかり、話を聞けば婚約者がいるとかわけのわからない。
婚約者なんて初めて聞いた。
「お断りします」
大抵父の言うことには逆らわないのだが、それだけはごめんだ。
あったこともない男と結婚だなんて御免こうむる。
「大丈夫だ、お前より強い」
全く違う観点の話をする父。
兎に角、と机を叩くと同じタイミングで部屋の襖が開けられる。
そこに立っていたのは幼馴染みで腐れ縁の宗太だった。
元々厳つい顔立ちなのに尚更眉間にシワが寄り、更に顔が怖いことになっている。
何事かと宗太を見ると「どーゆーことっスかおじさん!!」と声を荒らげる。
一体なんなのだ。
父は驚きもせず何の反応も返さずに、お茶を啜っている。
「兄貴とコイツが結婚なんて!!」
私も飲もうかと持った湯呑を落とす。
ガチャンッと音を立てて割れた湯呑と、中に入っていた日本茶が溢れ袴を濡らす。
熱さよりも戸惑いや混乱の方が勝っている。
宗太のお兄さんは私達とは五つ違い、幼少期の頃に会ったきりでもう十年は会っていない。
それが何故今になって婚約がどうのと言う話になるのだ。
正座をしていたがすぐさま立ち上がり、宗太の胸ぐらを掴み顔を寄せる。
厳ついが整った顔立ちの宗太が驚いたように目を見開く。
「どういうこと!!」
我ながらヒステリックな声で宗太を怒鳴りつけた。
宗太は眉根を寄せて溜息を吐く。
そして自分も良く分かっていないのだと答える。
宗太の兄である宗助は、家を継ぐ事以外に自分の興味の向くままに行動をしてきた。
高校を卒業して直ぐに海外を周り、文化交流やお主に経済と文化などについて勉強していたそう。
それが先週突然戻って来て本格的に家を継ぐと言い出したのだ。
そこまで聞いて私は首を傾げた。
「宗助さんが自由気ままで色々自分勝手な人だというのはわかった。でも、それと私とどう関係があるの」
恨みがましい視線を父に向ければ一つ頷き「宗助なら家業と、ウチの道場を見てくれるはずだからな」などと何事もないように言う。
私の意見はどうなる。
今度こそ震える拳を机に叩きつけた。
隣に座る宗太が驚いたように私を見るが、その視線を無視して私は正面から父と向き合う。
「私の意見はどうなるのですか。そもそも道場を継ぐのは私の筈です」
何より重要なことだ。
横から溜息が聞こえたのは気のせいではないので、恐らく宗太は婚約よりも道場のことかよ、と思っているのだろう。
「じゃ、婚約して二人でやっていきなさい」
開き直りやがった、このクソジジイ。
これ以上話していても終わらない押し問答にしかならない。
時間の無駄だ。
それなら直接宗助さんと話をつけた方が早いに決まっている。
肩にかかった髪を払いながら立ち上がり、上から父を見下ろす。
「もう結構です」
そう吐き捨てて部屋から飛び出す。
宗太とは家が隣なので今家に宗助さんがいるのなら直ぐに会えるだろう。
玄関から飛び出すと丁度ウチに用があったらしい女性と目が合う。
「あ、こんにちは」
目が合うと女性は会釈をする。
見つめていた私は我に返り頭を下げた。
剣道を学びに来たのかとも思ったが、服装が全くそんな感じではなかった。
ウエストの絞られたドレスワンピを着ているからどう考えても、武道をしそうなタイプじゃない。
だったら何の用だろう。
不思議に思っていると女性は小首を傾げ「何か、お困りかしら」と聞いた。
何て答えたらいいのかわからずに私は曖昧に笑った。
「勇気を出して、ちゃんと言葉にしなきゃいけないこともあるわよ?」
ふわり、と微笑んだ女性は何かを私の手に握らせる。
大人の余裕を漂わせるその雰囲気に飲まれて、どう出るべきか迷い動きが止まってしまう。
頑張って、と耳元で囁かれた言葉は脳髄に染み渡り溶けていく。
去って行こうとする女性の腕を掴み「あの、用があったんじゃ…」と言えば、笑われてしまう。
そしてまたの機会にすると告げて今度こそ去っていく。
バラの香りがする。
あの人の香水だろうか。
握らされた手を開き中身を確認すると赤く光る石が、私の手のひらの中に収まっていた。
何だか不思議な人だったと少々毒っけが抜けてしまう。
だが一度決めたのだから宗助さんとは話を付けるつもりだ。
幼馴染みということもあり、インターホンなどを押す必要もなく家に入ることができる。
話し合いをするなら着替えてきた方が良かっただろうか。
まだほんの少し湿っている袴を見つめていると「あれ、お嬢さん」と声をかけられた。
宗太の家の人だ。
頬に大きな傷とこれまた厳つい顔立ち。
そうだ、こういう空気に慣れすぎて忘れてしまうのだが私の家は道場。
そして宗太の家は俗に言う極道というやつだ。
「宗助さん、いますか?」
そう聞けばいるという答え。
だが何か様子がおかしい。
宗助さんの名前を出したらちょっと声のトーンが下がったし、家全体がバタバタと騒がしい。
何かあったのだろうか。
「上がりますね」
そう言って玄関先に靴を揃えて脱ぐ。
そして騒がしい方へと足を進めると後ろから「お嬢さん、今は!」という声が聞こえる。
多少何かあっても問題はない。
それより早く話をつけたいのだ。
手のひらに収めたままの石を強く握る。
ガシャーンッと食器類などが割るような音がした。
湯呑一つ割ったのとは音の規模が違う。
音がした部屋の襖を開け「失礼します」と言ったが、その言葉は徐々に尻すぼみになり消える。
ちゃぶ台がひっくり返り若い男の人が倒れ込んでいた。
ちゃぶ台をひっくり返したのは宗太の父でもあり、極道一家の長のおじさんだ。
どっしりとした貫禄ある姿で眉間にシワを寄せながら、青筋を浮かべている姿は泣いてる子供でも黙るだろう。
それくらい迫力があるのだ。
「いきなり帰ってきて、お前は何を勝手なことばっか言ってんだ!!」
人一人くらい殺してそうなほどの迫力でまくし立てるその姿を見て、何があったのかは知らないが落ち着けようという考えが先に来た。
手近にあったお冷を持ち、怒っているおじさんに頭からかける。
騒ぎを聞いて駆けつけた家の人達も皆息を呑んだ。
おじさんがポタポタと水を落としながら私の方を振り向く。
私は物怖じせずにグッと拳を握り声を張り上げた。
手のひらの中の石が食い込んで痛い。
「ドイツもコイツも、うっさいのよ!!おじさんも年なんだから、家族間のことでちゃぶ台をひっくり返すくらいキレないで!!血圧上がりますよ?!」
傍から見たら私の方が血圧が上がりそうだろう。
それでも勝手に婚約者がどうのこうのと言われ、道場は継がせないみたいなことを言われ、父は聞く耳を持たず、宗助さんと直接話に来れば家族間問題を起こしてる。
いい加減私だってキレていいと思う。
「………すまないな、文ちゃん」
しょぼん、とおじさんが項垂れる。
肩を落として極道一家の長である貫禄はどこへやら。
私は深呼吸をして「宗助さんは、どこですか」と問いかけた。
するとおじさんは何を言っているんだ?みたいな顔をして、自分の目の前を指さす。
そこにいるのは何とも言えない微妙な表情をした男性。
幼い頃しか面識のない私からしたら、宗助さんなのかどうかは測りかねて当然だ。
面影どうこう以前の問題なのだから。
私が宗助さんを見つめているとおじさんが「もしかして、婚約の話しかい?」と問いかけた。
まぁ、その通りなのだが。
来て早々家族間問題を勃発していたのだから、何から話していいものかと考えてしまう。
そんな私の気持ちなんて考えもせずにおじさんは、心底嬉しそうに笑った。
そうだった、おじさんは娘を欲しがっていたんだ。
この家は宗助さんが長男で宗太が次男の二人兄弟だから…女の子がいないんだよね。
私が宗助さんの婚約者になるとするならば、いや、もうなっているのか?実質私はここの娘に入るわけだ。
考えすぎでズキズキと痛むこめかみを軽く押さえながら、おじさんと向かい合い頭を下げた。
バタバタと廊下を駆ける音がして、人だかりの中から宗太が顔を出したのが見えた。
「ごめんなさい、おじさん。私…婚約とかできません」
極道一家の長に対してこの家に嫁ぐのは無理だと、口にする私。
家の人達がその光景を見て息を呑むのがわかった。
そりゃそうだ。
普通に考えてどんなに嫌でも断ることすら怖いのだから。
おじさんは感情の読み取れない声で私に問いかける。
何が不満なのかと、宗助が嫌いなのかと、宗助がダメならば宗太でもいいんだよ、と。
宗太がいいとか宗助さんがいいとか良く分からないのが本音だ。
「私は恋愛結婚を望んでいる訳じゃないですが、自分が結婚する相手は自分で見極めたいです」
顔を上げておじさんを見据えれば強い眼差しが私を捉える。
後ろの人だかりでは宗太が心配そうな顔をしているのが見えた。
宗助さんは宗太でもいいと言う言葉に対し何かを言おうとしたが、おじさんが鋭い眼光で黙らせる。
静まり返った部屋の中、皆が待つのは私の言葉。
「誰がいい以前に私は私の気持ちを大事にしたいです。相手との関係を大切にしたいです」
ギュッと握った拳の中にある石とあの女の人の言葉が私の背中を押す。
おじさんが一歩私に近づいて手を伸ばす。
驚いて目を閉じる私の頭に優しい温もりが落ちてくる。
おじさんの手だ。
「私としては、今すぐにでも嫁いで来て欲しいが…文ちゃんの考えは間違っていないし、それが正しい気持ちだと思うよ。婚約の話は文ちゃんが納得してからになさい」
優しく私の髪を撫ぜるおじさんの手は、本当に温かくてまるで壊れ物を扱うような手つきだった。
そして私の頭から手をどけると後ろに振り返り、家の人達全員に声をかける。
「あとは、若いもんでやってくれ」
そう言って全員を部屋から押し出し、流れに任せて出て行こうとする宗太を部屋に押し入れる。
そして襖が閉まれば私と宗太と宗助さんが残される。
「……で、お前何したんだよ文」
部屋の有様を見てそう言った宗太の頭を迷うことなくぶん殴る。
勿論グーで。
ガツンと思い切り殴ってやれば声にならない悲鳴を上げる。
うずくまる宗太を尻目に座り込んだままの宗助さんに目をやれば、厳つい風貌に似合わず眉を下げて困った様な顔をしていた。
とりあえず私もしゃがみ宗助さんと視線を合わせ、一番聞きたかったことを聞いてみた。
何故、私と婚約しようと思ったのか。
「…ガキの頃からの一目惚れで片想いだな」
ちょっとだけ頬が赤い気がするのはきっと気のせいじゃない。
宗助さんって私達より五つ上なのよね。
なら今年で二十一よね。
そんなことを考えながら宗助さんの瞳をじっと見れば「それで、先週戻ってきたら昔と変わらないお前がいたんだよ」と言いずらそうに答えてくれた。
あぁ、ただの純情か。
「じゃあ、昔から好きで戻って来てもまだ私が好きだったってこと?」
宗助さんのことはあんまり記憶にないんだけどなぁ。
でも宗太がよく泣かされていたことだけはちゃんと覚えている。
こちらの様子を伺う宗太の視線を感じながら私は手を差し出した。
「まずは、お友達から宜しくお願いします」
クスリ、と笑うと手のひらから真っ赤な石が落ちてきた。
それを拾いながら宗助さんは私の手を握り返す。
ゴツゴツした大きな骨ばった大人の男の人の手だ。
石を受け取り私は「とりあえず、お手合わせ願います。どうせ婚約するなら、私より強い人がいいので」と言い残し自分の家の道場へ向かう。
おい、とか待てよ、なんて言いながら追いかけてくる宗太と仕方ないと言った様子でついてくる宗助さん。
二人まとめて手合わせしたいな、なんて考えて私は一人微笑んだのだった。