Track2-3
「奇蹟の生還ってのは、本当にあるもんだねえ」
「あはは、お互い様、ってやつですかね」
「まったくねえ……何とか新型機を受領できて格好だけはついた、ってところだったのにねえ」
市ヶ谷にある特殊生物対策室本部に帰還した進を待っていたのは、始末書の山だった。持ち場を離れて独断専行した挙げ句、高機動車を一台大破させているのだから当然と言えば当然だが、もう少し喜んでくれる人がいてもいいと思うのはわがままなのだろうか。
「あの場から無傷っていうのは、悪運はどうやらお前の方が強いらしい」
左腕にはめたギプスを恨めしそうに眺めながら、一条三佐がごちた。ライトニングVTOLが撃墜される直前、脱出装置が作動した際にキャノピーにぶつけたのだという。空自時代は押しも押されぬエースパイロットの名を欲しいままにしていた彼がここまでやられる、という時点であの怪獣がいかに強力であったのかを思い知らされる。
あんな化け物を使う侵略者が存在する事実も、さらにその侵略者の追跡に関わってしまったという事実も――考えれば考えるほど、暗澹とした気分になりそうだった。
《どうしたんだい、進。浮かない顔して》
そして、この体に棲みついた宇宙人のことも、だ。
《話かけんな》
《パートナーが困っているんだ。放っておくわけにはいかないよ》
いつ宇宙人とタッグを組むことをこちらが承諾したのか――という疑問は向こう側に通用しないらしい。
そもそも命の恩人なのだから、手伝うこと自体はやぶさかではない。二四時間監視されているということをのぞけば。
《監視なんて酷いな-。進と僕は一心同体。感覚を共有しているだけじゃないか》
《お前の星にはプライバシーって概念がねえのか! 風呂やトイレまで誰かにのぞかれるのは、さすだに気が滅入るんだよ》
《うーん。とは言っても君を蘇生するためには僕が憑依する以外に方法はなかったし、》
議論は堂々巡りだった。こうして文句を言えるのはコテツと名乗る宇宙人のお陰だし、ありがたいことには変わりはないのだが。
「古谷三尉」
「かな……小林三尉」
始末書の山を片づけていると、勢いよく事務所の戸が開いた。
その向こう側に、息を切らせたかなめが立っていた。
「よかった」
そう言うかなめの声は濡れていた。やがてこらえきれなくなった涙腺が一粒、二粒、と頬に雫をつくって、やがて盛大に決壊した。
「ちょっと!?」
かなめが勢いよく飛びかかってきて進は押し倒された形になった。盛大な音を立てて床に激突する音と激痛が襲いかかる。
眼の前のかなめはくしゃくしゃになりながらも、その表情には安堵の色が浮かんでいた。
「かなちゃん、痛いって」
「心配だったんだよ?」
「え?」
「古谷君が飛び出してくのを止められなくって、もし死んだらどうしようってずっとずっと、心配してたんだよ? 怪獣一号が倒れた後で現場に入れば車はボロボロだし、古谷君って何度叫んでも応えてくれないし……だから、だから」
それから先彼女は何かを言ったのだが、喉から絞り出されるのはほとんどが嗚咽になってしまって結局何を言っているのか判然としなかった。
帰って来た――そういう思いが、進の胸に去来した。
「えーと。あー、君たち、楽しんでいるところ申し訳ないんだけど、いいかな?」
後藤田が苦笑を噛み殺しながら、こちらを見ていた。慌ててかなめが飛び退いて、腹に蹴りを一発喰らってしまったがこれ以上醜態を見せるわけにもいかないと進はこらえた。
半ば涙目になった瞳をさすりながら後藤田の方を見ると、
「五〇年ぶりに三〇メートル超級の怪獣災害が発生して、我々特殊生物対策室もこれから忙しくなるぞ」
普段は柔和な後藤田の表情に、鋭いものが混ざっていた。
「優先的に装備を回してくれるということですか、一佐?」
一条が後藤田に視線を投げかけた。
「さすがにライトニングをもう一機というわけにはいかないが、複座式のイーグルくらいならすぐに手配するそうだ。それと――国連からの応援も一名こちらに回してくれるそうだ」
「パリから、ですか?」
「不満そうだな、一条三佐」
「六六ショック時の彼らの活躍は認めますが、私はあくまで防衛省の人間ですから」
「外部の人間に怪獣災害について立ち入らせるのは我慢ならない、そういうことかしら? ナンセンスね」
かなめが開けっ放しにしていたドアに背を傾けながら、彼女は立っていた。
スラリとした長身に、腰まである長い金髪。黒のスーツにワイシャツという、一見どこにでもいそうな服装だったが、白人種らしいスタイルの良さはそれだけで彼女を特異な存在に魅せていた。
何故、あの女が――進の疑問を遮るように、彼女は口を開いた。
「ソフィア=パワードよ。これでもバークレーで怪獣学の博士号を取ってるの。よろしくね」
涼しい顔でソフィアは一条にそう告げると、進の方へと近づいて、
「決死の覚悟で怪獣一号を品川沖に誘導した隊員っていうからどういう子かと思ったら、案外大胆なのね」
言われて、かなめの顔が真っ赤になる。だがソフィアは構わず、
「お互い初対面なのだから礼儀くらいは守って欲しいものね」
初対面という言葉を強調して、ソフィアは進に右手を差し出した。やや躊躇ったが進も右手を出すと、
《パリの方にはちょっとしたコネがあってね。アナタたちのスタッフとして編入してもらえるように手配してもらったわ》
ソフィアの声が脳内に直接響いた。驚いて周囲を見回しても、あくまで初対面のあいさつくらいにしか思っていないらしい。
《ああ、そういえば説明していなかったわね。アナタの体は半分が弟のものなの。こうやって思念だけで会話できるのも、そのおかげ。宇宙じゃコミュニケーションにわざわざ音声を使う種族の方が珍しいくらいだから、慣れてもらうしかないわね》
相当強引な理屈だったが、進に拒否権はない。ただ愛想良く笑って手を振りほどくと、
《国連の外郭団体と宇宙人にコネがあったなんて驚きだな》
《それはこれから説明するわ》
ソフィアはそう答えると、ビジネスバッグからタブレットを取り出した。どこで操作を覚えたのか、慣れた手つきで保存されていた動画再生しはじめて、
「先日あらわれた二体の怪獣についてパリからの見解を答えされていただきます」
「二体? 一号だけじゃないのか?」
「古谷君、眼の前にいたのに見なかったの?」
「小林三尉、古谷三尉は高機動車から投げ出されて気を失っていたんだ。知っているわけがないだろう」
一条がかなめをたしなめながらも、動画は続いていた。海自の哨戒ヘリ、SH-60Jが撮影したという動画だ。進が運転する高機動車が大井ジャンクションを突破して、怪獣一号に追われているところをしっかりと捉えていた。
怪獣一号の全長はその後の調査で四〇メートル、体重は二万トンという結果が出ている。そんな怪物相手に一人で立ち向かったのが自分だと言われても、冷静になった今ではとてもじゃないがまともな神経をしていなかったと思い知らされた。
画面越しに、あの時の光景が甦る。怪獣一号に喰われるあの瞬間に動画が進もうとすると、ソフィアが一旦再生を停止した。
「怪獣一号、パリでのコードネームアルマジロックは全長四〇メートルを超える体長もさることながら、特筆すべきはその外皮。モース硬度一一――地球上でもっとも硬いと言われるダイヤモンドを超えています」
「これで歩行時速が二〇〇キロを超えていたんだから、都心に針路を取られていたときのことは想像したくないねえ」
「あれだけの規模の怪獣を相手に、ほとんど犠牲者が発生しなかったのは奇蹟といっていいでしょう。もっとも、それも特生対の活躍があればこそ、ですけれど」
「君のようなエキスパートにそう言ってもらえるのはありがたいね」
後藤田の言葉にソフィアは愛想笑いを返し、
「問題は、次の瞬間です」
動画が再開された。すると次の瞬間、何かが空から落下してきた。
ソフィアの説明によるとはじめ赤色の球体上だったそれは、大気圏外から落下してきたにも関わらず怪獣一号アルマジロックとの衝突直前に減速、周囲の建物への被害を軽減した、らしい。
さらに動画は続いた。高機動車をくわえ込んだままのアルマジロックに激突した謎の球体が、徐々に形を変えていく。
なにかが始まろうとしている――その予感が、進を画面に釘付けにした。
「スロー再生にしているけど、この変化にかかっているのはおよそ〇.〇五秒。人間の視界には突然別の怪獣が現れた、っていう風に見えるでしょうね」
ソフィアの言葉を待たずに、それは画面のなかにいた。全身を鋼鉄色の外皮に包み、鎧武者を思わせるトサカのついた頭部と、悟りすましたような表情の巨人だった。
その全長はアルマジロックの身長とほぼ互角、四〇メートルは下らないだろう。
怪獣二号――それはまるで、
「これは六六ショックの」
「細部の違いから光の巨人とは同一個体である可能性は低いと思われますが、おそらくは類似体であると予想されます」
《これが、お前なのか》
知らず、進は自分に憑依したという宇宙人に話しかけていた。
《そう。これが》
「人類の味方というには、随分と被害を出してくれたもんだな」
コテツの言葉をさえぎるように、一条が言った。
再生を続ける動画は、二体の怪獣によって街が破壊されていくのが映されていた。首都高は滅茶苦茶になり、周囲のビルが倒壊していく。下の道路も足跡がくっきりと残されており、地下のライフラインを傷つけていたとしたら相当な被害が予想される。
羽田周辺だったからまだよかったが、これが品川駅周辺やさらに都心の丸の内界隈で戦闘が発生していたらと考えると、その惨状は筆舌に尽くしがたいものがあっただろう。
「怪獣一号と二号の戦闘によって発生した被害額は現在調査中です。もっとも、怪獣二号が来なければさらに被害は拡大したものと思われます」
「なに?」
一条の不快そのものの表情を微笑でかわしたソフィアは、
「九九式空対空誘導弾がアルマジロックに無効だったことはアナタが証明したはずよ、一条三佐」
ソフィアの言葉に、一条は反論することができなかった。ただ言葉を失い、バツ悪そうに視線を逸らすだけだった。
「しかし、怪獣二号が光の巨人と同じく人類の味方になってくれる、と立証されたわけでもない。偶然アルマジロックを敵視していた可能性だって捨て切れない。そう簡単に二号を信じるわけにも、いかないんじゃないかな」
後藤田の言葉に、ソフィアも「現時点では」と認めざるを得なかった。進もまさか自分が宇宙人に憑依されている、なんてことを口にするつもりはないし、仮にやったところで冗談だと思わせるのがオチだ。
「とはいえ、君の言うように怪獣二号にこちらが救われたことも事実だ。二号は再び球形に変化した後、姿を消したまま――次に出るときも、人類の味方であることを祈りたいね」
敵と判明したら容赦なく叩き潰す、言外にそう告げた後藤田は立ち上がった。引き留めようとする一条に「壊れたライトニングの代わりを申請しに行かないと」と告げて軽く手を振ると、そのまま事務所から姿を消す直前、
「あ、そうそう。彼女の案内は古谷三尉、君にお願いするから」
軍人らしからぬ飄々とした態度が特徴の上司は、何故も是非も問うことを許さなかった。