Track1-2
ライトニングVTOLは品川上空一五〇〇〇メートルを何度も旋回しながらワームホールの観測を続けていた。戦闘機動ではないとはいえ、お世辞にも乗り心地がいいとは言えない戦闘機は五〇に手が届くまであと少しとなった後藤田の体には堪える。
それでも、ここでデータを収集しないと怪獣が出現したときに具体的な作戦行動に支障が出る。今は自らに鞭打つときと覚悟を決めて、後藤田は再び居並んだ計器類に目を落とした。
「あとどれくらいで出て来ますかね、あの怪獣?」
一条がぽつりと呟いた。こちらが集中し出すと作業に没頭する性質なのを心得ている。
「それがわかれば苦労しないさ。まして、ワームホールから怪獣の出現するのを観測するのは、今回が初めてなんだ」
「自分は未だに信じられません。空が割れて怪獣が出現するなんて、その」
「非科学的、かい? けど科学の本質は神の奇蹟を解明して、普遍的な現象にすることにある。そういう意味でいえば、ワームホールなんて随分と研究のしがいがあるものだと思うがね」
「軍人というよりは科学者そのものの意見ですね」
「防衛大学校に入る以外に、勉強を続ける道もなかったものでね」
「失礼しました」
「気にすることないさ。閑職とはいえ、こうして研究者の真似事くらいはやらせてもらっているんだし。それに、」
後藤田が結論を言う前に、ワームホールが激しく発光を開始した。
そして、
「ワームホールが拡大している……?」
「まずい! 一佐、口を閉じてください」
一条がライトニングVTOLの仰角を一五度に傾けて、ハイGターンを決めた。突然の戦闘機動に体が追いつかず、激しい横Gに意識を削られそうになったがこらえる。確かめなくてはならない。それが、特生対に課された任務なのだから。
抗えない恐怖というものが存在することを、半世紀近い人生の中で後藤田ははじめて知った。それほどまでに、怪獣の姿は異形であった。全身を覆う鎧のような外皮と、人間など一呑みと言わんばかりの巨大な口腔からは、左右一対ずつ凶悪な犬歯がのぞいていた。禍々しい殺気を纏った真紅の瞳と視線が合った瞬間、
EEEERRREEEHHHHHWWWOOOOOOONNNN――!
この世のものとは思えない咆吼が、ライトニングVTOLのキャノピーを揺らした。
「三〇、いや四〇メートルはある」
ワームホールから生まれ堕ちてくる巨躯を確かめて、ようやく絞り出せた声のなんと力のないことか。あまりにも圧倒的なスケールに、後藤田は半ば茫然自失となった。
「一佐、攻撃許可を」
一条の言葉にようやく我に返った後藤田は、
「これより目標を怪獣一号と呼称。空対空誘導弾の使用を許可する」
「了解」一条が応じると、すぐさま九九式空対空誘導弾がライトニングVTOLの胴体内弾倉から放たれた。最高速度マッハ五を叩き出すミサイルは、狙い過たず怪獣一号の頭部を直撃した――
はず、だった。
EEEERRREEEHHHHHWWWOOOOOOONNNN――!
爆炎がすべてを包み込んだ向こうで、異形の怪物が唸った。その声音に憎悪にも似た感情を込めて。
「効いていない?」
さすがの一条も、これには戦慄したらしい。HMDとしての機能も有するフルフェイス式のヘルメットから、カタカタと歯の鳴る音を響かせていた。
「爆炎は確認できている。考えられるのは――」
後藤田の言葉をさえぎるように、ライトニングVOTOLが反転しつつの降下――スライス・バックと呼ばれる戦闘機動を――した。急激に襲いかかるGに辟易する間もなく、怪獣一号の右腕が、ライトニングVTOLを捉えようと蠢いていた。
「怒らせましたかね?」
「寝起きにきつい目覚ましを喰らわせてやったんだ。僕なら、カンカンだろう、ね」
互いに声を震えさせながらも、冗談を言い合って鼓舞しあった。虎の子の九九式空対空誘導弾は一発しか装備されていない。加えてF-35B型がベースのライトニングVOTOLには機銃が搭載されておらず、現状丸腰も同然だった。
だが、それでも。
「ちょうどいい。僕らにムカついてるなら、追いかけてくるだろう?」
後藤田の言葉に、一条は無言でうなずいた。両腕がワームホールから脱け、怪獣が落下体勢に入る前に、一条は操縦桿を倒してライトニングVTOLの機種を下に向けさせた。最大推力一八〇キロニュートンを誇るF135エンジンのアフターバーナーを始動させると、高度計がみるみるその数値を下げていく。
「奴の目標は僕たちだ! 上手く東京湾まで誘い出せるか?」
「了解!」
「VTOLより幕僚本部へ。VTOLより幕僚本部へ。こちら後藤田。品川上空一五〇〇〇メートルのワームホールより怪獣一号の出現を確認。至急横須賀に停泊中の《しまかぜ》および《むらさめ》に搭載されている対艦誘導弾の使用許可をされたし」
地上へと急降下しながら統合幕僚本部のある市ヶ谷へと通信を送る――が、
《こちら統合幕僚本部。対艦誘導弾の使用か許可できない》
「防衛省発行二〇一五年度版特殊生物対策マニュアル一三四項一二行目から一四一項八行目、大都市圏沿岸部における怪獣出現に際した作戦に要項を確認されたし。沿岸部まで怪獣を誘導後、護衛艦の対艦誘導弾により怪獣を撃退するようになっているはずだが?」
《幹部候補生学校以来だな、後藤田君》
「海自幕僚長自らとは。光栄です」
《ハープーン一発がいくらすると思っている? 我々は国民の血税を無駄にするわけにはいかないのだぞ》
「国民の生命と財産を守るために、その税金をもらってるんでしょーが」
《しかしだな》
これ以上の通信は時間の無駄だった。そもそも、幕僚長を責めても仕方がない。
五〇年も襲来していない怪獣相手のマニュアルなど、有名無実化していて当然なのだ。
「どうするんです、一佐!」
「海自の協力が得られなくなったとはいえ、東京湾への誘導は続行する。市街地に居座られるよりなら、被害は軽減するはずだ」
「了解!」
後藤田は今や完全にその姿をあらわした怪獣一号の全貌を確かめた。九九式空対空誘導弾の直撃にもビクともしなかった外皮は、まるで西洋甲冑のような金属的な光沢を放っていた。両腕には四本の爪が生えており、中央の二本はそれだけで成人男性の平均身長よりありそうだ。
まさしく異形の怪物――それは、後藤田たちの乗ったライトニングVOTOLも同様であった。
ライトニングVTOLはその原型機であるF-35同様、ステルス性を重視した曲線が強調されたデザインとなっている。そのシルエットは従来型の戦闘機よりも遥かに生物的な、鳥そのものに近い印象を見る者に与える。最高速度マッハ一.六の超音速飛行が可能なそれは、まさしく科学の生み出した怪鳥であった。
「市街地に入ります」
ライトニングVTOLが水平姿勢を回復すると、怪獣一号の鉤爪が襲いかかった。間一髪でフルスロットルで機体を加速させ、バレルロール軌道でこれを交わす。衝撃波を喰らった高層ビルのガラスというガラスが破砕した。
怪獣一号は空中での攻撃に失敗した姿勢のまま、品川駅にほど近い東京海洋大学品川キャンパスの敷地内に落下した。三〇メートル級ともなれば、一匹当たりの体重は数千トンを下らないと言われる。それが高度一五〇〇〇メートル上空から落下したのである。穿たれたコンクリートが粉塵となって巻き起こり、周囲を包み込んだ。
「やった……?」
「空対空誘導弾の直撃を耐えた化け物が、そんなことで」
後藤田の言葉を待たず、怪獣一号は猛然とライトニングVOTOLに向かって突撃してきた。図体の割に、足は速いらしい。虚を突かれた一条の反応がわずかに遅れる。
まずい――そう口走ったときには、右の菱形翼を根こそぎもっていかれていた。低空で揚力を失った機体がきりもみしながら落下していく。