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短編

煙草と煙と青空、……かのじょ。

 



×××××××××


 彼女は、


“煙になりたい”と、


 よく口にしていました。




×××××××××







 訪れたくもない病院の中庭、そこへ仕方なく足を運ぶ俺。しばらく行くと、ぽつぽつ間隔を開けて置かれたベンチに人影が見える。その人影は煙草を燻らしながら、どこでも無い場所を眺めていた。

 ベンチから一メートルと離れた前で止まると、座る人影───彼女はこちらに気付いて、何にも乗せていなかった顔を破顔させた。

 他でもない、極力近寄りたくない病院へと暇さえ出来れば通わせている、根源の張本人だ。

「いらっしゃい。よく来るね」

“来たね”ではなく“来るね”と言うトコが、憎らしいくらい皮肉を交えていて。なのに、まったく嫌味を感じさせないのは何でだか。

 それは俺がこの人に『惚れている』事実から来るモノだけの問題じゃないだろう。彼女は万遍無く他人に対してそう、なのだ。

「あと三日だけどね。ひどく長い十日間に思えたよ?」

 七日前だ。彼女がいきなり入院したのは。彼女と同居している彼女の友人から電話が有って、驚いたのと焦燥に駆られたのを今でもはっきり覚えている。


 最近だった。彼女と知り合ったのは。

 仕事で知り合ったのだ。お互い、仕事だった。

 たまたま仲間と俺と彼女でいて、話が弾んで。それで彼女の家へ招かれた。

 これが親しくなった始まり。


 その前に、俺は彼女が少しだけ気になってはいたんだけれど。


 それから少しずつ仲間交じりに親しくなっていって。実はお互いの家が近所だったりしたから、よく出くわして。

 彼女のどこか大人びて、だけど屈託の無いところに。


 ……俺は惹かれた。




 だと言うのに。


 彼女は入院した。


 手首を切って。




 聞いた話だと、前から彼女には夢遊病の気が有ったらしい。前にも、手首を剃刀で切り掛け同居人に止められて我に返ったと言う。

 ただその時彼女は同居人に“寝呆けた”コトにしたらしい。

 前々から幾つも薬を飲んでいたそうだ。俺が知ってる胃薬やアレルギーの薬だけじゃなく。

 精神安定剤や睡眠薬など。聞いただけで、嫌な感じだった。

 事件が起きた頃には、すでに俺は彼女に恋していた。だからこそ余計にショックだったと思う。

 しかしこの人は飄々としている。まるで自分の身に起こしたコトなど、遠い異国の空の下の、知らない人間の身に降り掛かったコトだとでも思っているように。


 でも、だから。


 目を離しちゃいけないんだと思う。

 こんな風だから、気付かない。


 人一倍周りに気を遣い、気を利かすこの人が、どれだけの圧迫感(プレッシャー)に耐えているかなんて。




「大丈夫?」

「え?」

「上の空」

 彼女に言われてから、はたと現実に戻された。彼女はいつの間にか煙草の火を消している。

 言う立場と言われる立場が逆の言葉で引き戻されたなんて、情けない気がした。

「仕事、どう?」

「まぁ、暇じゃないけど落ち着いてるかな? 大分マシ」

「なら、家帰って寝りゃあ良いのに。何でここまで通い詰めるかな?」

 揶揄しているらしく、楽しそうに笑っている。

 まだ言っていない。

 言えず彼女に、俺の気持ちは。何だか言いそびれていた。ずっと。自覚してから。

「……」

 彼女が病院で呟くように語ったのを思い出すからか。


「───……夢遊病の気が、昔から有るのよ。もともと空想の中で遊ぶのは好きだったしね。……[あの時]も、きっと私は無意識に自分を殺そうとした。

 私は『私』が嫌いだからね。私を愛する自己愛意識が私が起こす自己犠牲心を憎んでる。

『私』を守るのは、《私》しかいないのに」




“独白”だったのか。

“告白”だったのか。

“告解”だったのか。

“懺悔”、だったのか。


“悔恨”……だったのかもしれない。




 彼女の[それ]を聴いてから、俺は想いを口にするのは更に躊躇われ、だのにもっと“離れられない”と思ったんだろう。

 目の届かないところで、彼女が自分に抱いた[殺意]を実行しないうちに告げなければと焦れながら。

 聞くに、[殺意]と言うのは、“憎悪”だけから来るものじゃないと言う。相手を“愛した”ときに、相手を“手に入れたくて”沸くモノ でも有るそうだ。

 彼女の自己愛は彼女を誰も、俺も辿り着けない場所へ奪い去りたいのだろうか?


「……[煙]になりたいな……」

 口癖だ。

“煙草の[煙]のような軽い[存在]になりたい”のだと、よく言い募らせては、その憧れの対象を吐いていた。

 こちらとしては、そんな空中に漂っては霧散するようなモノになられてはたまらない。

 ただでさえ、今の彼女は希薄だ。この上、そんな、簡単に手を擦り抜けてしまうモノになられたら。

 連絡が来たときの、背中を切られた錯覚を思い起こす。

 喉から、冷たい刃を入れられ裂かれたような、擬似にしては生々しい感触が。知らず噛んだ唇を開かせた。


「……好き────です……」


 急過ぎだろう。

 しかし言わずにはいれなかった。言わないで置くにはあまりにも間が保たなくて。この人を留めて置けなくて。

 口は勝手に喋っていた。


「……はい……?」


 案の定、一拍とも二拍とも空白を経て、彼女は訊き返してきた。そりゃあ、そうだよね。

 この人から言わせれば、“寝耳に水”なんだし。いきなりそんなコトを言われても、理解出来ませんとか。反応は違いない。

「何? 突然」

 確かに突然で、俺だって自分でも何なんだよ、って言えるくらいびっくりしてる。けども口火は切ったから、もう告げなくては済まなくて。

「ずっと、言いたかったんだ。あ、勿論『友達』としてじゃなく『恋愛』として、です。……えーと、どー言えば良いかな? 俺としてはあなたが同じ気持ちでいてくれたならうれしいんだけど、それよりも先に、あなたが元気になってくれたら好いかなぁとか」

 そう。元気になってくれたら。

 あと退院までは三日しかないけど、元より体が病気を患ってる訳じゃないから放り出されるだけの話だし。

 彼女の“体”が回復しただけで、彼女[自身]が回復したんじゃない。

 だからこそを思えば。

 彼女はしばらく聞き入って、まもなく「そう」、とだけ言った。

 俺は次の言葉が見付からなくて、黙り込んだ。そのまま奇妙に間に沈黙が差し込まれ、その日は終わったのだった。




 翌日。彼女は自殺した。

 今度は助からないようにか、病院の屋上から中庭へと飛び降りて。……事実助からなかった。

 連絡を貰って、真っ先に俺は青褪めた。


 俺が、あんな告白したから?


 違う、と、信じたいようで信じたくもなかった。

 どちらにせよ、彼女が死んだ現実はあまりに重過ぎて。

 いつだったか、彼女が言っていたコトを思い出す。


“自分の《過去》は重いから、せめて自身くらいは[煙]くらい軽く生きたい。そうなるまで、誰ともまともに愛し合えない


 でなきゃ、相手の負担になってしまうから”


 と、その台詞を。




 よく晴れた空は他の天気に比べて自殺者が多いと言う。彼女が翔んだ空も青かった。


 雲一つ無いのに、彼女が燃やされて昇る黒い煙で霞んだ空を眺めながら考える。


 あの告白は間違いだっただろうか?




 それから。




 彼女の願いは、叶ったのだろうか、とも。







   【Fin.】

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― 新着の感想 ―
[良い点] 幸せな未来が想像できなくてもそうなってほしいと心から願っていただけに、結末を見てしんみりとしてしまうとても切ない作品でした。 いつか彼女が言っていたセリフからすると、結局のところ主人公がき…
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