表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

ついでロリコン




 きっと今日が主にとっての正念場だろう、とネリーは思った。この三カ月ほどニコラスは庭や外にクリスティーナを誘ったり、彼女の部屋にやってくることはあっても、彼の部屋に婚約者を招くことはなかった。それこそ、最初に宮を案内した時だけである。だから、昨日女官長からクリスティーナへの伝言を聞いた際、「ようやく」かと、ネリーは思ったものだ。クリスティーナの不毛な想いに区切りがつくことは、ネリーにとっては喜ばしかった。クリスティーナがため込んだ恨みを晴らす時が、ようやっと来たのだった。

 ネリーが、明日王太子の部屋に行くことを伝えると、クリスティーナも顔を引き締めた。


「いよいよ、ね。逃げる用意はできてる?」

「荷物は全てまとめておきました」


 幼女趣味の青年が接吻を迫ってくるなら、どこかの部屋だろうとクリスティーナは踏んでいた。あまり人様の目に触れたくはないと、ニコラスも考えているはずである。決戦に備える兵士のように、クリスティーナは精神を集中させた。十一年間のすべては、明日にかかってくるに違いなかった。


「今日は、宮で過ごす最後の日になるかもしれないわね」

「女官長や衛兵たちが悲しみますわ」

「そうかもしれないわ」


 くすりと笑って、クリスティーナは目を細めてネリーを見つめた。そこにこもっているのは、大きな感謝の気持ちであった。


「ネリー、貴女も長い間付き合ってくれてありがとう」


 この寡黙な侍女は、大きな声では言えない計画に、十一年もの間協力したのだ。クリスティーナは彼女に感謝してもしきれないくらいの恩を感じていた。心のこもった言葉を聞いて、ネリーは珍しく小さく微笑み返した。


「何を仰るのです。これから先も、一生貴女におつきあいするつもりでございますよ。これぐらい何てことありません」

「あら、そうなの?それなら最後まで付き合ってね」

 

 クリスティーナが、茶目っ気たっぷりに片目をつぶると、ネリーは呆れながら早く寝るように促した。明日は大事な日なのだから、寝不足など許されない。おやすみなさいと挨拶をして、クリスティーナは素早く夢の世界へ入っていった。

 戸締りを確認しようとネリーが窓に近づくと、美しい星空を拝むことができる。宮を離れることに異存はないけれど、この空を毎日見ることができなくなることだけが、ネリーにとっては、とても残念だった。







 翌日、ニコラスとの朝の作業を終えてから一度部屋で着替え、クリスティーナは彼の部屋へと向かった。クリスティーナの部屋からは少し距離がある。階段を一段一段踏みしめるようにして、気持ちを固めながらニコラスの部屋へと進んでいく。

 たどり着いたのは、やはり王太子のものにしてはこじんまりとした部屋だったが、今日に限ってはどんな関門よりも難関な扉を有しているようだった。心を決めて扉を数度ノックすると、入室を促す声がした。部屋の中ではニコラスが待っていて、ベッドに腰掛ける彼もどこか思いつめたような顔をしていた。申し訳ないが、とニコラスは前置きした。


「ティーナと二人きりで話したいんだ。えーと…、貴女は下がっていてくれるかな?」


 最後まで名前を覚えてもらえなかったネリーは、それを気にするわけでもなく、一礼して部屋を退いた。最後にクリスティーナに視線を送ることは忘れずに。


(大丈夫よ、ネリー。完璧にやって見せるわ)


 十一年のすべてが、今この時にかかっていた。クリスティーナは拳を握りしめると、ニコラスを振り向いた。一方のニコラスも、思いつめたような顔を崩さずに、クリスティーナを見つめた。腰掛けた二人の顔の位置に大差はなく、クリスティーナが殴ろうと思えばすぐにでも実行できる距離だった。


「ティーナ、今日は大事な話をしたいんだ」

「はい、ニコラスさま」


 クリスティーナはごくりと喉を鳴らした。汗で拳が滑ったりしないか、不安になる。


「これを話すのは、クリスティーナが初めてなんだけれどね…。僕にかけられているらしい呪いの話なんだ」

 

 てっきり、結婚の申し込みでもされるのだろうと予測していたため、クリスティーナは拍子抜けした。呪いの話なら、調書で詳しく知っている。もしかして、今日はキスするつもりじゃないのかと、彼女は気分を急降下させた。しかし、ニコラスの表情は険しくなるばかりだ。


「僕には『幼女趣味』になる呪いがかけられているらしい、というのは知っているかい?」


 クリスティーナは躊躇った挙句、一つ頷いた。


「実はそれは間違いらしいんだ」


 その言葉に目を見開いたクリスティーナは、同時にニコラスの話し方に違和感を覚えていた。この人は、自分のことを何故伝え聞いたように話すのかと疑問を持った。

 ニコラスは息を吸った。これから話すことは、彼にとってもとても不確かで信じがたいことだったからだ。しかし、クリスティーナには話しておきたかった。


「魔女が僕にかけたらしい呪いというのはね、ティーナ。『九歳以上の人間を一日以上記憶できない』というものなんだ」


 それを耳にした時の自分の顔は実に見ものだっただろうと、後にクリスティーナは語った。


「それはどういう意味なの?」


 思わず演技するのも忘れて、ニコラスを問い詰めていた。クリスティーナには、さっぱり訳が分からなかった。しかし、訳がわからないのはニコラスにも同じことである。


「僕にもよくは分からないんだよ。ただ、今この建物にいる人間で僕が知っている顔は君だけだった。部屋も植物も、この宮も、僕の慣れ親しんだものだという記憶はあるよ。ただ、今外に控えている人たちの顔を僕は見たことがない」


 今度こそ、クリスティーナは絶句した。ニコラスを殴るために握りしめていた拳は、今や力なく開かれている。唇をわななかせながら、クリスティーナは尋ねた。


「それじゃあ陛下やお妃さまのことは?貴方のご両親のことは覚えてらっしゃいますの?」

「『陛下』と『お妃さま』って……?」


 そこでニコラスは向かいの壁を見た。つられて視線を向けたクリスティーナは、またも絶句することになる。

 前に来たときは意図的に外されていたと思われる、大きな羊皮紙には、ニコラスの周りの人々に関する情報が所狭しと書かれていた。王や王妃を筆頭として、宰相や大臣、城下ではニコラスの友人と言われている貴族たちの名前もあった。それらは、名前ごとに筆跡が違っていて、各々の自筆であることがうかがえた。その横には、一日の内に何をすればよいのかということが事細かく書かれ、さらにその横に吊り下げられた紙束には、夜会用と書かれた貴族の名簿と写真があった。


「じゃあ…、じゃあ、今貴女が顔と名前がわかる人は誰なの…?」


 クリスティーナは、瞳に絶望の色を浮かべていた。

 ニコラスは困ったような顔で、そこに微塵の悲しみも浮かべずに答えてみせた。


「君だけだよ、ティーナ」


 その瞬間、クリスティーナは全てのことを理解した。ニコラスが四十回もの婚約を繰り返したわけも、国王がそれを許したわけも、ネリーの名前が一向に覚えられなかったわけも、―――九歳の誕生日にクリスティーナを傷つけた言葉の真相も。すべて理解して、クリスティーナはへなへなと崩れ落ちた。ニコラスが、彼女の顔を覗き込む。


「どうして平気なのっ?!」


 今この瞬間、クリスティーナは、ニコラスへの恨みをすっかり忘れ去っていた。クリスティーナしか顔がわからないという状況の中で、あまつさえ自分を気遣うほどの余裕を見せるニコラスこそが理解できなかった。クリスティーナにとっては、何よりも大事な質問だったが、一方のニコラスはクリスティーナが泣きそうなことに困惑していた。ニコラスにとってのこの事実は毎朝机の上に置いてあるメモを見ることで知ることができるものであり、すなわち彼には自分の記憶がおかしいこと自体、早朝に知ったばかりだったのだ。ただ、宮に知らない人が増えたなということと、皆が悲しそうな顔をしているなということを漠然と感じていたにすぎなかった。

 ニコラスが心情をそのまま語れば、クリスティーナは愕然とし、一言も発せないようだった。


(なんということなの)


 もはや復讐どころではなかった。魔女の呪いがこれほど深刻とは、クリスティーナは思いもしなかった。これではあんまりだと叫びたくなった。

 何とかしなくては、とクリスティーナは思考を回転させた。

 このことを打ち明けられた婚約者は、他に何人かはいた。しかし、クリスティーナ以外は全員正真正銘の幼子であり、王太子の呪いに対して何の対策も出来なかった。しかしクリスティーナの本来の年齢は二十である。思考能力は十分にあった。


「ニコル」


 いきなり愛称で呼び捨てにされたニコラスは、びくりと肩を揺らした。いつもは可憐なはずの婚約者は、自分のことを睨みつけていた。


「私、用事が出来たの。ちょっと時間をいただいていいかしら?」


 その眼力に圧倒され、ニコラスはこくこくと頷くことしかできなかった。クリスティーナの瞳は、今やメラメラと燃え滾っている。ただし、怒りの対象はニコラスではなくなっていたが。

 ニコラスの許可をもらったクリスティーナは、扉をあけ放ちネリーを呼び寄せた。そして、そのまま風の速さで宮を抜け出し、東の森へと向かった。「呪いの魔女」に会うために。








 呪いの魔女が住む森は、彼女にふさわしく昼夜暗闇に覆われていた。大人たちでさえそこを恐れ滅多に近づくことはなく、冒険心あふれる子供たちも森の入り口に立つと恐怖心があおられて中に入ることは到底できなかった。クリスティーナが一度目にこの森に侵入できたのは、ニコラスへの復讐に燃えていたためであり、二度目の今は魔女への怒りへ燃えているからであった。

 森で最も太く老齢である木の洞で、魔女は暮らしていた。突然怒り狂ってやってきた訪問者にも、彼女が驚くことはない。森に人が入った時点で、彼女の手中に飛び込んだようなものだった。たとえ彼女を憎むものがやってきたとしても、森の外へ放り出すことなど造作もなかった。


「おや、もう復讐は終わったのかい?」


 クリスティーナの目的が分かっていながら、魔女は知らんぷりをした。呼吸を落ち着けたクリスティーナが、ぎんと鋭く魔女を睨む。


「ニコルにかけた呪い、解いてくれる?」

「おや?どうした、王子にうっかり惚れちまったのか?」


 からかってやると、クリスティーナは苛立ちをあらわにした。クリスティーナは、今でもニコラスを恨んでいたが、それとこれとは別だと思ったのだ。生まれたばかりのニコラスにかけられた呪いが、あまりにも酷なことに憤っていたのだ。


「ねえ、そもそもどうしてニコルに呪いをかけたりなんかしたの?」


 そこが、クリスティーナにはわからなかった。ニコラスが呪いをかけられたのは彼が生まれたばかりの時であり、ニコラス自身に原因があるとは考えにくかったのだ。答えを持つクリスティーナに、魔女はにっこりとほほ笑んで見せた。魔女にとってクリスティーナは見ていて飽きない存在であったため、長い間秘密にしてきたことを教えてやってもいい気になったのだ。それに、二人はとても近しいものを持っていた。


「あんたと同じ理由だよ。復讐のためさ」

「ニコラスに対しての?」

「いいや」


 その時、いつも不敵に笑っている魔女が、初めて顔を歪めた。憎々しげな表情に、クリスティーナは冷や汗をかくことになる。


「ニコラス殿下の父親だよ」


 その意味を理解した途端、クリスティーナは悲鳴を上げた。


「貴女、国王陛下を憎んでるの?!」


 肯定した魔女に、呆然とする。予想外の答えだった。


「何故…?貴方の主ではないの?」


 長い時を生きる魔女は、代々の国王に忠誠を誓っているはずだった。彼女たちの力は、戦にも祭りごとにも大いに役立ったのだ。


「ああ、私の主だよ。あの方が若くして王になった時から、忠誠を誓っていた。無論今もね」

「それならどうして」


 魔女の瞳には、決して忠誠だけに収まらない何かが入っていた。それはきっと、クリスティーナも過去に抱いたことがあるものだったが、魔女の想いはその上を行った。


「私は、美しく賢明なあの方を愛していた、男として。この年になって初めてのことだった。私はあの方の力となり、あの方も私を必要としてくれていた。私は彼を愛していた」


 愛しさに満ち満ちていた声音は、突如全く姿を変えてクリスティーナの前に現れた。


「あの人は、あっさり私を捨てて、他の女を妃にした!分かっていたさ、それが国王として正しい判断であることくらい!だけど許せなかった、私を大切だと言ったその口で、他の女に愛を囁くことが!」


 今や魔女の形相は、憤怒にまみれていた。長年積もった主への恨みは、正常な形を保てなくなり、息子であるニコラスに向かってしまったのだ。愛した人に裏切られたその姿に、クリスティーナは魔女の言葉を理解した。二人は確かに同じだった。


 だが、しかし。二人は全く違ってもいた。


 クリスティーナは、きっと魔女を一睨みし、その青白い手を掴んだ。魔女が目を丸くするのにも構わず、洞の外で待っていたネリーに後ろを任せ、ずんずんと森の中を進んでいく。どこへ行くのだ、と魔女が叫ぶのにも耳を貸さなかった。今のクリスティーナには怖いものなどなかったのだ。


「いい!確かに陛下は女心を踏みにじった最低なやつだと思うわ!だけど、それをニコルに向けるのは、全くの間違いよ!これから私が、復讐の手本ってやつを見せてあげる!!」





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ