まずはロリコン
本来、幼児・小児を対象とした性愛・性的嗜好はペドフィリアと呼びますが、知名度の考慮してタイトルにはロリコンを採用させていただきました。ご了承ください。
季節は春。
地面を盛り上げ顔を出した小さな芽が育ち、美しい花々を咲かせるようになる頃だ。冬の凍てつくような寒さに耐えきった彼らは、薄汚れたベールをすっかり取り去っていた。庭師たちは腕によりをかけ、蝶や蜜蜂が忙しく飛び回っている。誰もかれもが浮かれる季節だった。
幼い――八・九歳ほどの少女が、庭へとつづく廊下を駆け抜けていた。磨き抜かれた廊下には、染みひとつない。その先には小さな噴水があり、彼女はそこを目指していた。
息を切らせながら走っていた少女は、噴水の縁に腰掛ける人物を見て破顔した。
『ニコル!』
上気して桃色に染まった頬は、しかしその色を失うことになる。
ゆっくりと、読んでいた本から顔を上げた少年は、一つ目を瞬かせて少女に尋ねた。
『君、誰?』
その瞬間、少女の心は、春を失ったのだ。
忌々しい記憶を思い出してしまったと、クリスティーナはその美しい顔を歪めた。しかし、己の苦い経験を話すことこそが、それ自体を葬るために必要だというのだから仕方がない。思い出せる限りのことを話し終えたクリスティーナは、目の前の椅子にだらしなく腰掛ける女を促した。
「それで、依頼は受けていただけるのかしら。呪いの魔女様?」
「そうだねえ」
もったいぶる魔女に、苛立ったクリスティーナの持つ扇が、ミシリと音を立てる。睨みつけるような視線にもひるまずに、魔女はニンマリと口の端を釣り上げた。普通の人よりも大きなそれは、蛇が獲物を喰らおうとする時によく似ていた。
「いいだろう」
色好い返事に、クリスティーナの顔が輝く。後ろに控えていたネリーに呼びかけ、魔女の前に金貨の詰まった袋を置いた。
「報酬はこれで足りるかしら?」
「十分すぎるくらいさ。…しかし、よく親が許したもんだ」
五人家族が三年は生活に困らないであろう量の金貨に、魔女が大げさに目を見開いた。クリスティーナは艶然として答えた。
「あら、これは私のお金よ。この日のために貯めておいたの。貴女がどんなに法外な値を提示しても大丈夫なようにね」
さすがの魔女も、今度は呆れたようだ。
「よほど、あの男が憎いようだね」
自分が原因とはいえ、思わず同情を抱いてしまうほどだった。そんな魔女に気付いたのか気づいていないのか、クリスティーナは女神のようなほほ笑みを崩さずに、その瞳だけを苛烈に燃え盛えさかる炎のような色で染めた。
「ええ。憎くて憎くて仕様がないの」
「おお、怖い」
肩を抱き震える素振りをした魔女は、すぐに小憎たらしい表情に戻り、長くとがった爪をクリスティーナの眉間に突き付けた。
「効果は半年。半年と一日目の朝には解けちまう魔法だ。それでいいかい?」
「十分だわ」
来たるべき復讐の日の到来を予感し、クリスティーナは仄暗く心躍らせた。
五百年の歴史を誇るメールヴ王国は、現在王宮中が頭を悩ませる大問題を抱えていた。
事の発端は、二十年前に遡る。その年は、王妃が待望の第一王子を無事出産し、国中が歓喜に包まれていた。
まさしく彼の生誕祭にて、事件は起こったのだ。
王都に住む全て国民が集まったのではと言われるほど、それは大規模な祭りだった。宰相が読み上げる言葉も、大歓声の前にかき消され、国王がその手で生まれたばかりの王子を掲げた時は、割れんばかりの拍手が沸き起こった。貴族も平民も王国の明るい未来を想像し、未来の国王万歳の声をあげた。そして、いよいよ国王が喜びに満ちた言葉を放とうとした時だった。
広場に入りきれず街路まであふれていた人々の一人が、つんざく様な悲鳴を上げた。最初は事態を把握しきれなかった人々も、近づいてくるものの正体に気付いて恐怖に顔を固まらせた。悲鳴は伝染し、ついにその原因は国王一家の足元までたどり着いた。
『ご機嫌麗しゅう、我が主』
王妃は息をのみ、国王は表情を険しくした。年老いた老婆のような、ともすればうら若い娘のような、聞くものを酔わせる声には心当たりがあった。
『何用だ、東の魔女よ』
警戒と不安の色がうかがえる声音に、魔女は嘲笑した。
『用も何も、私は祝福に参上したまでです。魔女が、王子の誕生を祝ってはいけませぬか?』
『いや……。お前が外に出るのが珍しかっただけだ』
『未来の主のためですから』
足元まで届く黒いフードをかぶった魔女は、小さく何かを唱えた。するとフードの下から目映い光があふれ、魔女の体が宙に浮かぶ。ギョッとする人々をよそに、魔女はすやすやと眠る王子の元まで上昇した。思わず王子を庇う王に微笑みかけ、魔女には似つかわしくない聖母のような眼差しで王子を見つめる。慈愛のこもった表情に、国王夫妻が肩の力を少し抜いたその時、魔女の目がたちまちのうちに暗い炎を宿した。国王が気づいた時には既に遅く、高らかに魔女は叫んでいた。
『聞け!地の底に蠢く者たちよ。魔女アラベルの血を糧とし、この者に忌まわしき運命を!』
誰もが微動だに出来ない中、魔女は己の指を噛み切り、その血を額に垂らした。赤黒い呪いは王子の白い肌に染みを作ることはなく、体と同化するように沈み込み消えていく。
堪えきれずにこぼれたような、そんな魔女の笑い声を受け取った瞬間、誰もが悟った。魔女の呪いは果たされたのだと。
周囲の心配をよそに、王子はすくすくと成長した。王妃譲りの金髪と紫水晶の目はどんな宝石よりも美しく輝き、王によく似た快活で尚且つ人を思いやる性格は、宮廷の皆を虜にした。このまま何も起こらずにいてくれれば。彼の成長を見守る人々は誰しもがそう願っていた。しかし、魔女の呪いは強力だった。
最初の兆候は、王子が八歳の時に現れた。
その年、王子は一人の少女を宮に迎え入れたのだ。つまりは婚約というわけだが、これ自体はおかしなことではなかった。少女は名門貴族の出身であったし、年の頃も王子と変わらなかった。幼少期に婚約することも、王族や貴族にはよくあることだ。ところが、その一年後、王子は少女との婚約を解消し、新たな婚約者を迎え入れたのだ。最初の内は、王子のわがままに苦笑していた両親も、さすがに十回目の婚約破棄の時には何かが可笑しいと首を傾げた。もしや、魔女の呪いは王子が女好きになるというものではなかったのかと、そんな口さがない噂もまことしやかに囁かれた。
だが、事態は更に深刻だった。
王子が十歳の時、婚約した少女は七歳だった。
王子が十四歳の時、婚約した少女は八歳だった。
ここまでは、ただの年下の女好きということで国王夫妻も沈黙を保っていた。女嫌いで世継ぎが生まれないような事態になるよりはよほど良いと、まだ楽観視していたのだ。しかし、魔女の呪いがそのように軽いはずがない。
王子が十八歳の時、婚約した少女は六歳だった。
そして、二十歳の誕生日を迎えたばかりの王子が、傍らに八歳の少女を連れて四十回目の婚約を申し出た時、王と王妃は戦慄した。もはや彼らは、悟らざるを得なかった。
「『彼らの息子が、幼女趣味であることを―――…』」
もう何度読み返したかわからない調書を、クリスティーナはぶるぶると震える両手で怒りに任せて引き裂いた。あちこちが折れ曲がった用紙はいとも簡単に真っ二つにされる。
「何が『悟らざるを得なかった』よ!あのバカ王子は、生まれた瞬間から、どうしようもない重度の、九歳未満の幼女大好き最低男なのよ―――!!」
人が滅多にやってこない空間なのを良いことに、古びた井戸に向かってクリスティーナは吠えた。底で反射した声が少し遅れて耳に入ってくる。喉が痛くなるほどの大声だったが、クリスティーナの鬱憤は全くと言っていいほど晴らせなかった。それどころか、腹の中で煮えたぎっていた怒りが、さらにマグマのように熱くなっていた。傍らのネリーが、その熱を冷まそうと、いきり立つ主の背中に言葉をかける。
「クリス様、少し落ち着かれませ。万が一聞かれては、今までの苦労が水の泡ですよ」
「………それもそうね」
怒りは未だ腹の中で荒れ狂っていたが、一つ年下の侍女の言葉ももっともだった。持ち前の精神力でクリスティーナは怒りを身体の奥の方まで抑え込んだ。
ここは、第一王子――先ほどクリスティーナが「バカ王子」と称した男の宮であった。クリスティーナは、現在この宮の客人として滞在しているのだ。つまり只今の彼女の立場は「第一王子ニコラスの四十人目の婚約者」である。それは、決してニコラスに惹かれ彼の妻の座を望んだからではなく、彼女曰く「ある崇高な目的」のためであった。
叫ぶのは止めたが、やはりまだ怒りは収まらないのか、クリスティーナはぶつぶつと罵詈雑言を呟き続ける。遠くで彼女を呼ぶ声が聞こえてきたため、もうそろそろこの場を離れなければならない。愚痴の吐出し場となっているこの空間を、他人に知られるわけにはいかなかった。
だんだんと声が近づいてくる。衛兵か宮に仕える女官の声だろう。こっそり抜け出してきたのがばれてしまったようだ。ネリーに少々乱れた格好を直してもらい、表からは見えないようになっている小さな扉を二人でくぐった。ずんずんと前を行くクリスティーナに遅れずに付いていきながら、ネリーは彼女の恨みの深さを思い知った気がした。宮の人々の前では幼い淑女を演じるクリスティーナの歩いた後の芝生は、重い岩でも引きずったかのように綺麗な一本線が出来ていた。
「ティーナ様!どこにいらっしゃったのですか?!」
眦をつりあげる女官長の前で、クリスティーナは愛らしい顔を悲しげな色に染めた。
「ごめんなさい。道がまだよくわからなくて、まよってしまったの…。今エリーが見つけてくれたところなのよ。本当にごめんなさい」
しおしおと謝る様子に、女官長がたじろいだのが二人には目に見えて分かった。衛兵たちなど、厳めしい顔が見る影もないほど崩れ去っている。そんな彼らを視線で諌めながら、女官長は一つ咳払いをした。
「いいですか、ティーナ様。貴女は今やニコラス王太子の婚約者なのです。以後、勝手な行動は慎んでくださいませ」
「はい」
元気よく返事したクリスティーナを見て、ネリーは改めてその執念に恐れ入った。なぜなら、目の前の彼女は、実年齢の半分以下である八歳の姿をしていたのだから。
実のところ、クリスティーナが宮に滞在するのは、これが初めてではなかった。最初に滞在した時も、今と同じ八歳の姿で(当時は、本当にその年齢だったのだが)、立場も「王太子の婚約者」というものだった(当時は、一番目の婚約者だったのだが)。ただ一つ、決定的に違ったのは、クリスティーナが王太子に向ける想いであった。幼い頃のクリスティーナは、絵に描いたような王子であるニコラスを慕い、彼に愛されていると信じ込んでいた。この人と結婚したい、などという甘い夢も見ていた。
だが、それはニコラスの手によって無残にも打ち砕かれたのだ。
九歳の誕生日を迎えた日、ニコラスからの祝いの言葉を期待して彼の元へと向かったクリスティーナは、衝撃の言葉を聞くことになる。
『君、誰?』
思わず耳を疑い、唖然とするばかりのクリスティーナだったが、彼女への仕打ちはそれだけでは終わらなかった。呆然自失としたクリスティーナは、あれよあれよという間に宮の外に用意された馬車に詰め込まれ、実家へ帰されてしまったのだ。さらにその三日後には、ニコラスが再婚約したという噂が舞い込んできた。
侍女たちの雑談からその事実を知った時のクリスティーナの怒り様と言ったら、まるで屋敷に小さな嵐が巻き起こったようだった。優しげな王太子の隠された正体、そして自分が一年間もそれに騙されていたことに烈火のごとく怒り狂ったクリスティーナは、密かに決意し、姉妹のように仲の良かったネリーにだけそれを打ち明けたのだった。
『あの男、いつかぶん殴ってやる!!!!』
今や社交界の花と評されるようになったクリスティーナの努力は、九歳の時から十一年間、偏にこのためだけにあった。
「ふ、ふふふ。もうすぐあの男のお綺麗な顔を血まみれにしてやれるかと思うと、笑いが止まらないわね」
まるでヒロインをいじめる悪役のような表情だったが、ネリーは主の言葉を肯定しただけだった。クリスティーナは益々笑い声を上げる。
この十一年間は本当に大変だったと、クリスティーナはしみじみ思った。
もう一度宮に入るために、ひたすら自分を磨いた。美しさも教養も完璧でなければならない。途中でニコラスが幼女趣味だという予想外すぎる報告が入ってきたため、魔女に薬を作らせようと貯金もした。ニコラスに会心の一撃を与えるために、見苦しくない程度に筋力も付けた。
「ネリー。計画は分かっているわね?薬の効力が切れるまでに、私はあのバカ王子を完全に落とすわ。それであの男が私にキスしようとしてきた時に、あの男が大好きな幼女の姿で叫ぶのよ。『この幼女大好きバカ王子!地に還れ!』ってね。さらにあの男の鼻に拳を叩き込んで、そのまま逃走よ」
「心得ております」
物騒な話を聞かれては不味いので、部屋には他の女官たちはいない。衛兵は魔女にもらった札を貼った扉の向こうなので、何も聞こえていないはずだった。部屋には、クリスティーナのご機嫌な声だけが響いた。明日は、宮に来てから初めて王子と対面できる。
「あの男、こないだの舞踏会で私を見初めたらしいけど、一体中身はどんな風に成長しているのかしらね。まあ、幼女趣味ってだけで評価はミジンコ以下だけれど。あのバカが口説いてくるってだけでも、気色悪くて身震いしちゃうわ」
一国の王太子に散々な言いようであったが、当時のクリスティーナの怒り様を知っているネリーは何も言わずに頷いただけであった。青色の大きな目に怪しい光を灯して、クリスティーナは呟いた。
「明日会うのが楽しみね」
彼女の握りしめた扇が、音を立ててへし折れた。