第284話「資料室の棚に刻まれる白紙」
午後二時、資料室の最も古い木製の棚の前に、久世恒一は静かに立っていた。
彼の手元には、新しく受理した十枚の「白紙の夢記録」が収められたファイルがあった。
そこには、氏名と日付以外、世界の情景を説明する言葉は一切書かれていない。
かつては不備として却下される対象だった中身のない記録の集積。
しかし、現在の資料室において、この空白こそが世界の厚みを逆説的に証明していた。
人間が境界の向こう側と接触し、その衝撃で記憶を削ぎ落とされたという確かな痕跡。
「白紙のファイルが、また一つ棚の隙間を埋めたわね」
柿崎が手元の万年筆を休めることなく、その低い声で静かに呟いた。
「ええ」と久世は答え、ファイルを棚の奥へと慎重に差し込んだ。「これでいいんです」
説明を試みるすべての記述は、世界の輪郭をかえって曖昧にしてしまう。
ただ、喪失の事実だけをそこに残すこと。書き尽くさないことで、その場所を護ること。
資料室の空気は、インクの匂いと古い紙の湿気を含んだまま、静かに凪いでいた。
外の通りを、一台のトラックが埃を立てて通り過ぎていく音が、窓ガラスを微かに揺らした。
観測層:第4層 記録単位:空白集積観測 対象:夢記録(新規空白群)
備考:内容欠落報告の安定的受理。存在強度の減退を非言語的に固定。
記録主体:Archive 状態:稼働中




