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海と精霊の旅 ーオーストラリア紀行  作者: 夏乃緒玻璃


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3/3

キュランダの精霊

四日目。


 ゆっくりできるのは今日が最後だ。


 サンゴ礁の海は見事だったが、私はーー我々は悠然とそこに泳ぎ、暮らせる魚類ではない。


 人の社会に戻らなければならない。


 この旅行が終われば、移籍先のマネージャーと「どうやって今の会社の顧客をそのまま引っ張ってくるか」を相談し、月末まで在籍する会社には各種書類を提出しつつ、最後の引き継ぎを済ませなければならない。


 少し面倒くさいし、バツが悪いが、済ませないと先に進めない。


 さて、二日間グレートバリア・リーフで過ごしたので、もうエアーズ・ロックまで行く日程的余裕はない。


 陸を楽しむなら、そこらの森でヒクイドリでも探すのも一興だが、出くわしたら命の保証はないらしい。


 だいたいにして、この大陸の生物は凶暴だ。


 ワニ園前に繋がれていたオウムには「危険」と張り紙があり、覗き込んだ瞬間に眼球を嘴でえぐりに来た。


 幸いサングラスが吹っ飛んだだけで済んだが、裸眼なら危なかった。


 そのワニの方も、野生のものは8メートル近くになるらしく、さらに恐ろしいことに海にも平気で生息しているらしい。


 まあ、考えてみれば鮭だって海川両方に侵入するわけだから、ワニだって可能ということか。


 陸の探検はワニ園だけでやめにして、キュランダ鉄道でフリーマーケットに向かうことにした。


 アボリジニの文化を少しでも見てみたかったーーが、正直、あまり期待はしていなかった。


 観光地ナイズされていて、まあアイヌ村みたいな感じなんだろうと。


 実際、土産物展としてはなかなかのものだった。


 まあこんなものだろうと一回りして帰ろうとした時、小さな小屋を見つけた。


 ここも土産物屋かと思い入ってみると、薄暗い内部には異様な空気が漂っていた。


 外の綺麗な土産物屋の製品とは違う、木彫りや、不気味な現地の精霊たちを形どった小物が置いてあった。


 なかでもひときわ威容を放っていたのが、天井近くから吊り下げられた、子供ほどの大きさのある人形だった。


 姿形はグロテスクではない。


 どちらかといえばユーモラスで、セサミストリートの人形に少し水木しげる風味を加えたようなデザイン。


 しかし、その丸い虚な目、半開きの口からでろんと垂れ下がった舌、その表情に恐怖に近い感覚を覚えた。


 人間に近い姿をしているが、これは人間を形どったものではない、とすぐにわかった。


「これは、確かに魔除けになるな」


 価格はいくらだろう。


 一瞬、なんとしてでも入手すべき”本物”だと思ったが、いやしかし、こんなもの持っては帰れない。


 それに、こういう何かが宿っているようなものは、海外に持ち出さない方が良いだろうとも考え、その場を後にした。


 迂闊にも、写真すら撮らなかった。


 その後、帰国してからあの民芸品について調べたが、何も分からなかった。


 アボリジニの精霊やらの図解を見ても、少しでも似たようなものはなかった。


 あれは一体なんだったのだろう。


 もしかしたら、作成者のオリジナルの精霊なのかもしれない。

 いずれにせよ、もう調べようもない。


 ◇◇


 こうして、短い一人旅は終わった。


 その後私は古い職場を後にした。

 十年来一緒に働いた人々は商売敵となり、その後、偶然出会うことはあっても、一切の交流はなくなった。


 私は移籍した外資でそれなりの成績は収めたが、出勤時間もまちまちで、ほぼ個人的な交流もない新会社では、ただの一人も友人は作らなかった。


 最初の頃に何度か飲みに行った同期のヘッドハンティング入社組の連中も、最初の成績リストが貼り出される頃には、もう皆、もれなく互いを透明人間のように扱った。


 数年後。


 その外資は「日本での戦略展開は終わった」と宣言し、一部の事業部を残して綺麗さっぱり日本から撤退した。

 各所から引き抜いた我々日本人の社員を残して。


 騙された、とは言うまい。


 彼らは契約書に反することは何もしていない。


 ただ、日本の優秀な営業マン達が抱え込んでいた客たちを自社に誘導し、それが済んだから「もう営業マンはいらないよ。あとはネットでコストをかけずにサポートしますね」と言って去っただけだ。


 私達は、生きなければならない。


 元の会社に戻ることもできず、皆それぞれ新たな場所を探して就職し、生き延びた。


 私もまた、居場所を探し夜を彷徨いながら生きてきた。

 そして今も生きている。


 忙しい日々の中で、時折あの海と精霊の旅を思い出す。


 それはもう遠い世界になってしまったけれど、私はまたきっといつかーー


 あの日に、せめてあの日のような心に戻れる日が来ることを、諦めてはいない。



 fin.

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