ケアンズへ
2011.X.X
「旅行の件ですが、いいのが見つかりましたよ」
友人の田中がパンフレットを持ってきた。
旅行に行きたいなどと言った覚えは全くない。
おそらく誰か別人との話を勘違いしているのだろう。
田中とは学生時代からの付き合いだ。
いい奴ではあるが酔うと記憶が混濁する悪癖がある。
勘違いじゃないのかと言おうとして、パンフレットに目をやる。
グレートバリアリーフを泳ぐ海亀の写真、横にはエアーズロック、オペラハウスの写真もレイアウトされている。
オーストラリアか。
いいな。
ああ、オーストラリアとかいいよなあ位のことは酒席で田中に話したかもしれない。
それを彼の酔っ払い脳が旅行に行きたいと解釈したのだろう。
「ああ、うん。いいね。これで申し込んでおいて」
私はパンフレットを見ながら答えていた。
結局そのまま、頼んだ覚えのない海外ツアーのチケットを手にすることになった。
海外旅行の衝動買い、平成中後期、まあ当時はそんなこともおかしくない時代だった。
当時私は新卒以来十年ほど勤めた会社を辞め、外資の企業への転職を控えていた。
ライバル企業への引き抜きであり、残る者からすれば面白くなかったろう。
様々な外資が日本に進出してきて、多少なりとも実績や経験のある即戦力を高給で引き抜いていた時代だった。
私と親しかった同僚も、成績を競い合ったライバルも皆、次々と移籍していった。
だから私が声をかけられた時も、自分の番が来たかという程度の感情しかなかった。
当時の私は良くも悪くも金銭に頓着しない性格だった。
だから、その話を受けた理由は収入アップではなかった。
そこで移籍しないことはすなわち先に他の外資に移っていったライバル達より自分が劣るということになるのではないかという、若さ故のプライドだった。
そして、こんなにも容易く最前線の営業マン達を失いつつ手を拱いている職場に対して「もうここは、駄目だろうな」という諦観もあったのだと思う。
旧会社の様々な手続きや引き継ぎと、新会社の研修や打ち合わせ等一通り終えると、二週間ほどの余暇ができた。
旧会社の有給消化期間であり、新会社に月初から勤務するための待機期間だった。
一応所属は旧会社なので大っぴらに新会社での活動はできない。
また、新しい職場への緊張やら不安もあり落ち着かない。
知人に会えば移籍についてあれこれ聞かれたり説教されたりで面倒だ。
いっそ旅行に行くのもいいのかな、と考える。
ある意味田中の勘違いは渡りに船のように思えて、数日後に私はケアンズ行き直行便の機内にいた。
田中が「必要になりますから、持っていってください」と手渡してくれた乗り物酔い止めの薬瓶。
海外旅行初心者じゃあるまいし、こんなものいらないよとは思ったがせっかくの気遣いなので受け取っていたものだ。
一応飲んでおいた方がいいのかなと一瞬迷うが、そのままジャケットのポケットにしまう。
こういう所は気が回るのに決定的に抜けている田中の顔を頭に浮かべつつ、彼には土産を買わないとなと思う。
考えてみれば私が今オーストラリアに向かっているのを知っているのは田中だけだ。
職場というしがらみが無いと、人はこんなにも自由で、孤独なものなのかと少しだけ感慨にふける。
前に海外に行ったのは、職場の海外研修の名目でハワイに行った時だったか。
あの時は同僚や上司の家族などもいて賑やかだったが、今回は一人だ。
たった一年ほど前のことなのに、その時のメンバーはもう誰一人職場にいなかった。
決して仲良しグループというわけではなかったが、懐かしい。
私の周りを流れていく時間は、私にとってはいつだって目まぐるしく慌ただしい。
港町ケアンズと、そこから船で行くグレートバリアリーフを拠点にしてのんびり過ごすつもりだった。
移籍自体に迷いはなかったが、10年勤めた職場を離れた寂寥感は強く気持ちを整理する静かな時間を過ごしたかった。
しかし、もしできれば大陸の中央部付近にも行きたい気持ちもあった。
そびえるエアーズロックの周辺。
以前読んだ椎名誠の「熱風大陸 ダーウィンの海をめざして」が強く印象に残っていた。
その本は暑さや虫の大群に悩まされる描写などゾッとしない話も多く、旅行記というより冒険記といった感じだった。
虫の方はご遠慮したいが、熱風の片鱗を感じて新たな天地に向かう自分を奮い立たせたいと思った。
エアーズロックに登ってみるのもいいかもな、などと夕日に染まる巨石の観光ガイド画像を思い浮かべる。
エアーズロックは現地ではウルルと呼ばれる精霊の聖地で現在は登山禁止だが、この頃は人気の登山スポットだった。
観光客に踏み荒らされてはさぞかし精霊も迷惑だろうが、まあ富士山も霊山だがみんな登るし、存外に精霊は心が広くて許してくれるものなのだろうか。
などとあれこれ考えながら、一眠り。
7時間後にはケアンズ空港に着いている筈だ。




