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第6話 馬車の中にて

 私の準備は、さほどかからなかった。


 離れにある荷物の一部を持って行って欲しいと伝えると、陛下は後からやってきた配下の騎士たちに命令を下し、私とセラスを連れてエルタナ家を出た。


 家族は誰一人、見送りに来なかった。

 屋敷を振り返ったとき、窓から怒りの形相で睨み付けるクルシュの顔が見えただけで、両親は顔すら出さなかった。


 陛下は単身、馬でこの家に乗り込んで来られたが、騎士達が陛下をお連れするための馬車ももってきていたため、それに乗って帰ることになった。


 それはいい。

 問題は……私とセラスも、陛下と一緒の馬車に乗せられたという現実。


 近衛騎士と話し込んでいたから、私たち二人を城に連れて行く別の方法を相談しているのかと思っていたのに。


 馬車の中には、私たち三人だけ。


 あまりにも……気まずい。何を話して良いか分からないし、話したことが陛下のお気に障る内容だったら、馬車の中で流血騒ぎが起こってしまう。想像するだけで、背筋がぞっとする。


 ちなみにセラスは、馬車が動き出して早々、私の膝を枕にして眠ってしまった。この小さなぬくもりだけが、恐怖を目の前にした私の唯一の心の支え。


 金色の髪の毛を撫でながら、恐怖を紛らわせていると、


「ミーティア・エルタナ」

「は、はいっ!」


 突然名を呼ばれ、背中がピンッと伸びた。

 

 何を言われるのかドキドキして待ったが、陛下はこちらを見つめたまま何も言わない。


 無表情だから、何をお考えなのか全く分からない。

 気まずい沈黙が再び流れる。


 背中に冷たい汗と時間だけが流れていく。


 そんな中、セラスが身じろぎをした。仰向けになっていた体が横を向き、私の体に両腕を回してぎゅっと抱きしめると、どこか安心した様子で再び寝息を立てた。


 この子、本当に度胸がある。

 神兵に向かって暴れたり、陛下に抱きついたり……


 先ほどの出来事を思い出している私の鼓膜を、陛下の淡々とした声が揺らす。


「神子のことを『セラス』と呼んでいたが、名前を聞き出したのか? 確か神子は声が出ないはずだが?」

「あ、それは……私が勝手に付けた名前です。そのっ……名前がないと不便だと、お、思い……セラス自身も喜んでいたので……」

「そうか。お前が独断で付けた名か」

「も、もしご不快であれば、神子様に相応しい名を付けて頂いてもっ!」


 神子様に名前を付けるなんて、私ごときがなんておこがましいことをしたのだろうと、今更ながらに身震いがする。


 当然、私なんかが付けた仮名など、すぐに否定されると思っていた。

 だが、陛下は僅かに首を横に振った。


「神子が気に入っているなら、変える必要はない。それに――」


 金色がスッと細くなった。


「良い名だ」


 私は僅かに目を瞠った。

 無表情なのに、この時は何故か、陛下が穏やかな笑みを浮かべているように見えたからだ。


 今までの悪評など、嘘だと思えるほどの穏やかな笑みを――


「あ、あのっ……私からも一つ、質問よろしいでしょうか?」

「許す」


 穏やかさが消え、心の内が読めない無表情さへと変わった。調子に乗ってしまったと後悔しつつも、今更質問を引っ込めることも出来ず、疑問を口にした。


「ヴェルド様に殺されそうになった私を……どうして助けてくださったのでしょうか」


 私を守ってくださった陛下の両肩が、大きく上下している様子が思い出された。


 彼は冷酷と名高い。刃向かう人間をたくさん殺していると聞いている。 ならば、例え神殿と対立しているとはいえ、私を助ける理由などなかったはずだ。


 急ぐ理由なんてないのに。


 ゴトゴトと土を踏む音に、陛下のかすれ声が混じった。


「意味はない」

 

 彼の返答に、馬鹿な質問をしたと後悔した。

 意味はない――これほどまでに、陛下らしいご回答があるだろうか。


 しかしこちらを見つめる金色の光は、私を映しつつも、別の何かを見ているように思えた。そう思ったのも束の間、陛下の意識が私の戻った気がした。形の良い唇がゆっくりと動きだす。


「お前、どこかで俺と会ったことはないか?」

「い、いえっ……お会いしたことはございませんが……」


 心の中で、直接は……と付け加える。

 使用人扱いされていた私が、陛下のご尊顔を直接拝見する機会などあるわけがない。


 アステリオ陛下だと分かったのは、彼の横暴を批判するチラシに、絵姿が描かれていたからだ。


 陛下の視線が、窓に向けられた。カーテンの隙間から見える景色の移り変わりを瞳に映しながら、


「……そうか」


 と呟かれると口を閉ざし――馬車が城に到着するまで、開くことはなかった。


 重苦しい沈黙の時間が続く。

 こちらから話しかける訳にもいかず、ただセラスのぬくもりに心を支えて貰うことしか出来なかった。


 あの恐怖の移動時間を、私は一生忘れることは無いと思った……


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