第2話 突然現れた少女
この国――スプリオール王国は結界で覆われた国で、結界の外は未開の地だと恐れられている。
スプリオールの国民が結界の外に出ないのには、もう一つ大きな理由がある。いや――こちらの方が大きな理由かもしれない。
魔法は、結界内でしか使えないのだ。
便利な魔法を手放し、何が起こるか分からない結界外に出る物好きはいない。
民は皆、この国で生まれ、この国で死んでいく。
それが普通で当たり前で、ずっとずっと続いてきたこと。
結界は大昔から存在し、今では、結界をお造りになった創造神を信仰する神殿によって管理されている。
何故なら結界は永久に存在出来るわけでなく、定期的に力を与えなければ不安定になってしまうからだ。
結界が不安定になり一度揺らぐと、魔法の効果が消えたり弱まったりする。いつ結界が揺らぎ、魔法が消えてしまうか予測できないため、結界が無くなるよりもタチが悪いかもしれない。
神殿が結界を守ることは、人々の生活を守ることと同じなのだ。
だから神殿の権威は貴族どころか王家をも上回り、栄華を誇っていた。
――以前までは。
とはいえ、光を灯すことしか出来ない私には、あまり関係のない話。
それに幸いにも、巷で報告されている結界の不安定さによる支障は、エルタナ家では起こっていないし。
「今日も疲れた……」
疲労感を全身に感じながら、暗くなった周囲を魔法で照らしながら帰路についていた。
というのも、私は母屋に住んでいないのだ。小さな離れを与えられて、今はそこで一人暮らしている。
元々、亡くなった祖母が住んでいた屋敷なのだという。祖父が亡くなり、父が後を継いだ後、この屋敷に引っ越していったらしい。母屋とはほどよく離れていて、静かなところだ。
屋敷と呼んでいいかと迷うほど、離れは広くはない。
こじんまりとしていて、祖母が生きていらしたときも恐らく、使用人の数は片手に収まるほどしかいなかったことが想像できた。私一人でも充分管理出来る広さなのが、逆にありがたい。
私は生きている祖母に会ったことはないが、肖像画に描かれた穏やかな表情や、広い庭に植えられた季節の花々の名残を見ると、心が豊かで争いごとを望まない方だったのだろうと思っている。
中に入ると、古いながらも、良い品々が私を迎え入れてくれる。
玄関に飾った花の香りに心を癒やされながら廊下を歩き、庭に出た。
建物に対し、庭は広い。
生前祖母が花を愛でていたように、私は色々な効能がある薬草を育て、お茶にして飲むのがささやかな楽しみなのだ。
とはいえ全て独学と感覚なのだけど。
魔法で照らされた周囲に、ざくざくと土を踏みしめる音が響き渡る。
考えを巡らしながらも必要な薬草を次々に摘んでいく。
薬草を摘み終え、大きく伸びをしたそのとき、突然私の視界が、真っ白な光で覆われた。
視界を取り戻した瞳が一番に映したのは――あおむけで倒れている一人の少女だった。
私は手に持っていた薬草を放り投げ、駆け寄った。身を屈めると魔法で光を近づけ、彼女の容体を確認する。
とても幼い。
幼児特有のふっくらとした頬。髪色は私と同じ金色。だけど長い髪は丁寧に結われ、整えられている。身につけている白いレースのワンピースも、特別にあつらえて貰ったのか、ピッタリとしたサイズ感だ。それにとても良く似合っている。
伯爵令嬢でありながら離れに追いやられている私なんかよりも、ずっとずっと大切にされている背景が、身につけている物や体の状態から窺い知れた。
目立った外傷はないようで、ほっと胸をなで下ろすと、今度は両手で抱えきれないほどの大きな疑問が湧いた。
少女が一体どうやってここに立ち入ったのかという、大きすぎる疑問が――
ここはエルタナ伯爵家の敷地内。
出入り口には門番がいるし、周囲は高い塀によって囲われているため、少女が入り込むなんてできないはず。
よくよく見ると、薄くも白い光が、少女の体を覆っている。
しかしそれも束の間。白い光がはじけて消えた。
まるで、役目を終えたように――
あの光が少女を連れてきたというの?
私が知らない、何かの魔法?
そのとき、少女が身じろぎした。
長いまつげが揺れ、青い瞳が姿を現す。私を含めた大人たちとは違い、とても澄んだ色をしていた。
「だい、じょう、ぶ……?」
私が訊ねると、丸く大きな瞳がこちらを捕らえた。
次の瞬間、
「ひゃっ!」
思わず私は驚きの声を上げてしまった。
少女が跳ね起きたかと思うと、突然抱きついてきたからだ。必死という単語がぴったりなほどの強い力で、私に抱きついて――いや、しがみついていた、
触れあった体から、相手の速い心臓の音が伝わってくる。
何か怖い目に遭ったのだろうか。
私に抱きついて離れなくなるほど恐ろしい目に――
「大丈夫よ。ここには、何も怖いものはないわ」
出来るだけ優しい声色を意識しながら、温かく、柔らかな体をそっと抱きしめると、ゆっくりと背中を撫でた。
私にしがみつく少女の腕から、次第に力が抜けていく。どうやら、少し落ち着いてきたみたい。
ここがタイミングだと思い、私は少女と目を合わせると微笑みかけた。
「とりあえず、おうちの中に入りましょう。お茶でも飲みながら、あなたの話を聞かせてくれる?」
少女の表情がパッと明るくなった。大きく頷き、口を開く――が、突然喉を押さえ、表情を曇らせた。
何かを話そうとしているが、喉の奥から洩れるのは、吐き出される息の音だけ。
明るくなっていた表情が、みるみる泣きそうな表情へと変わる。
まさか……
「声が……出ないの?」
そう訊ねると、少女は青い瞳を潤ませながら、こくりと頷いた。
*
庭で倒れていた、声の出ない少女。彼女が抱えている問題は、声が出ないだけではなかった。
どうやら彼女は、まだ文字の読み書きができないみたいで、意思疎通を詳しく図ることができないのだ。
今できる意思疎通は、『はい』と『いいえ』で答えられる2択の質問のみ。
さらに相手は子ども。
難しい質問は首を傾げて理解出来ないそぶりを見せるため、簡単な質問しか出来ない。
何とか聞き出せたのは、少女が今四才であること。
両親がいることぐらい。
ここにいる理由を聞いても、首を傾げるだけだった。
この子も色々と混乱しているのだろうと思い、質問は止めにした。
ご両親がいるなら、早くおうちに帰してあげたい。とはいえ、私の両親に伝えたら、有無も言わさずに少女を追い出すだろうし……
一番良いのは、私が外に出るタイミングで、神殿、もしくは孤児院に彼女の身柄を預けることだ。
幸いにも近々、街に行く予定がある。そのときにこの子を連れ出せば――それまでは、屋敷の者たちに見つからないようにしないといけない。
薬草で作ったお茶を私の膝の上で飲んでいる少女の後頭部を見ながら、心に誓う。
それにしても、さも普通かのように膝に乗られたときは驚いた。
何故だか私、この子に懐かれているみたい。
お茶も、子どもの口には合わないかもと思ったけど、飲んでくれているし。
私の視線を感じ取ったのか、少女は振り返るとニコッと笑った。
屈託のない笑顔を向けられると、心が締め付けられ、つられて私も笑顔になってしまう。
子どもは可愛いと思うけれど、この子の場合は少しだけ違う。
心の奥がキュンッと締め付けられ、身もだえしたくなる愛おしさが湧いてくる。
特別な理由がなくても、守ってあげたくなる。庇護欲が刺激されるってこういうことなのだろうか。
「『あなた』って呼び方じゃ、ちょっと不便よね……」
少しの期間とは言え、一緒に過ごすのだ。
少女の青い瞳の中に、私の光魔法がゆらゆら揺れる。
光量を落としているせいで、青い瞳の色が深みを帯び、まるで夜明けの光景のようでとても綺麗。
心に浮かんだ言葉が、口を衝いて出た。
「……セラス」
私を振り返って見ていた少女の瞳が大きく見開かれた――かと思うと、コップをテーブルの上に置くと、私の首元に抱きついてきた。
「セラスって呼んで良いってこと? 気に入ってくれたの?」
問いに同意するように、少女は私を目線を同じにすると、大きく首を縦に振った。
良かった。
喜んで貰えて、私も嬉しい。
「セラス」
そう呼ぶと、少女――セラスは満面の笑みを浮かべ、自分の頬を私の頬にくっつけてきた。温かく、このまま蕩けてしまいそうな柔らかな弾力が伝わってくる。
セラスのぬくもりが、存在が愛おしくて、気づけば小さな体を抱きしめていた。
そして小さな耳元で優しく囁いた。
「私の名前は、ミーティア・エルタナよ。よろしくね、セラス」
私の言葉に答えるように、小さな両腕が抱きしめ返してくれた。
初めて、自分を求められている。
心が充足感で満たされていくのを感じていた。
それと同時に、セラスと離れたくないと思う自分がいる。
……いいえ、他人からの好意と温もりに舞い上がっているだけ。
そう言い聞かせつつも、セラスを抱きしめる私の腕には力がこもっていた。




